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今学校で歴史をやっていて、課題をまとめるという宿題があるんですけど、
何問か分からないところがあるので簡単にでいいので教えて下さい

(1)江戸幕府は、どのように全国を支配したのだろう。      

(2)江戸幕府の対外関係は、どのように変化していったか。

(3)江戸幕府の対外対策は、どのように変化していったか。

(4)江戸時代には、どの産業が発達しただろうか。

(5)田沼意次と松平定信の政策の特色について。

(6)は外国船の出現と天保の改革についてで、国の内外の危機に幕府どのように
対応したのだろうか。

以上の6つです
1つでもいいのでよろしくお願いします♪

A 回答 (6件)

こんにちは。


NO.1です。
私は、自称「歴史作家」です。

NO4の方への反論と賛成です。

>>幕府は全国の直接統治をしていません。
直轄地以外は、藩主を指名して世襲制で統治を委任していました。

『神聖ローマ帝国』との違いを参照して調べるとよいでしょう。

全国の統治権を持っていたから、直轄地や各大名に委任をし、大名家で不祥事、例えば、継嗣がいない・・・などの理由で藩のお取り潰しを行い、できるだけ小規模な国政をしようとしています。

>(2)江戸幕府の対外関係は、どのように変化していったか。

「鎖国」と言う言葉は、ドイツのエンゲルト・ケンペルが江戸旅行をして、帰国後に書いた「日本史」に書かれたものを、蘭学者の志築忠雄が、享和元年(1801)の「鎖国論」で初めて使用した言葉であって、「徳川実記」では、「海禁」と書かれています。

また、「鎖国」?とはいっても、幕府は一気に「鎖国」をしたわけではなく、

慶長17年(1612)・キリスト教禁止令を出す。
寛永10年(1633)・奉書船(渡航が許可された船)以外の海外渡航を禁止。
寛永12年(1635)・日本人の海外渡航と帰国を禁止。
寛永14年(1637)・島原の乱。
寛永16年(1639)・ポルトガル船の来航禁止。
寛永18年(1641)・オランダ商館を平戸から長崎の出島への移転。

このように、渡航制限ははしていたものの、幕府としては、やはり、海外の事情にも目を向けざるを得ませんでした。
つまり、「孤独化」であっては、広い日本を牛耳ることができなかったため、
「四口」(よつのくち)と呼ばれる海外との交易は認めていました。

(1)中国から琉球へ、そして、薩摩藩を通じて幕府への路。
(2)中国から朝鮮へ、そして、対馬を通じて幕府への路。
(3)中国やオランダから長崎へ、そして、幕府への路。(これが一般的な出島貿易です)
(4)蝦夷地(アイヌ)から松前藩を通じて幕府への路。

とにかく、幕府がいち早く、海外情勢を知ることを第一条件としました。

近年、「鎖国」と言う言葉は、研究者の間でも使われなくなってきており、学校の教科書などでも、山川出版の「新日本史」では、本文中には一切「鎖国むという文字は出てきません。

編者の東大教授藤田覚氏によれば、
「幕府は、最初から鎖国を意図したわけではなく、その状態がたまたま200年ほど続いたから「なんとなく鎖国」だつだのだろう、という結論に至っています。
従って、幕府は、断固として外国勢力や情報を意図して排除したわけではなかったのです。

と、いうことは、貿易を排除するということは、自国自産で国が成り立っていける・・・と考えたからです。


>(4)江戸時代には、どの産業が発達しただろうか。

戦国時代の終焉と同時に、農業機械や施設、灌漑整備が非常な速度で「発明」「工夫」がなされました。
例えば、それまでの「鍬」(くわ)から「備中鍬」(びっちゅうぐわ)や、灌漑用水の堰き止め方などが工夫されました。
従って、納税義務である「米」の収穫量は飛躍的に増加しました。

農村では、「米」の収穫量は増加しましたが、「米」は自然栽培でしたので、天候不順などによって凶作となることもあり、非常な不安定な「税金」でした。しかし、新田開発などに人々は努力を惜しまなかったのです。

>(5)田沼意次と松平定信の政策の特色について。
重商主義と重農主義でしらべるとよいと思います。

これは、そのまま「検索」で調べて、自分なりの考えをまとめて下さい。

>(6)は外国船の出現と天保の改革についてで、国の内外の危機に幕府どのように
対応したのだろうか。
ヒントは、日本が武家、即ち武人が覇権を握る国家だったということです。
隣の文人国家であった李氏朝鮮との対応を比較してみるとよいでしょう。

まあ、「正解」とも言えるのですが、「桜田門外の変」などを良く「検索」して、自分なりにまとめてはいかがでしょうか。
対外政策としては、幕末の一大大事件ですから・・・。
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 江戸幕府は大名を親藩・譜代・外様と区分しています。


 外様は裏切るかもしれませんので親藩か譜代を近くに配置して監視させました。
 街道の要所にも配置して、反乱軍が江戸に攻め込めないようにしています。
 「入り鉄砲出女」の意味も調べてみて下さい。
 庶民は身分制度や連帯責任でおさえました。
 日本ではありませんがよく似た制度の国が今もあります。
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>今学校で歴史をやっていて、課題をまとめるという宿題があるんですけど、



まとめるヒントとして
ヨーロッパ等の他国と比較すると良いレポートが書けると思います。

>(1)江戸幕府は、どのように全国を支配したのだろう。
幕府は全国の直接統治をしていません。
直轄地以外は、藩主を指名して世襲制で統治を委任していました。
『神聖ローマ帝国』との違いを参照して調べるとよいでしょう。

>(2)江戸幕府の対外関係は、どのように変化していったか。
自由貿易から管理貿易へと移行し、
鎖国(特定の国家とかしか通商しない)となります。
『イングランド』が覇権を確保した時代ですから
イングランド(英国)の歴史とあわせて調べてみましょう。

>(4)江戸時代には、どの産業が発達しただろうか。
江戸や大阪へなどの大消費地への物流が整備されたことにより
地方に消費地向けの『高級品』の地場産業が生まれたことが特色です。
フランスのリヨンと日本の桐生
ドイツのマイセンと日本の瀬戸
などと比較して調べるとよいと思います。

>(5)田沼意次と松平定信の政策の特色について。
重商主義と重農主義でしらべるとよいと思います。

>(6)は外国船の出現と天保の改革についてで、国の内外の危機に幕府どのように
対応したのだろうか。
ヒントは、日本が武家、即ち武人が覇権を握る国家だったということです。
隣の文人国家であった李氏朝鮮との対応を比較してみるとよいでしょう。
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図書館で調べるまでもなく、小学校の教科書で充分わかる事ですな。


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教科書を読み返す。



ノートを探ってみる。

他人の褌で相撲を取っちゃいかん。
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学校の宿題の「まるなげ」はいけません。



PCで「検索」すれば、色々出てきますので、自分でまとめてください。
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