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最近改めて人間関係が薄れているという話を聞きました。

人間関係が薄れている理由を考えてみたのですが、やはり一番がネット世代だと思います。
よければ皆さんの意見を教えてください。

A 回答 (8件)

例えば、途上国では引っ越しをするとき


人脈を辿って車を持っている人から車を
借ります。
引っ越し業者など存在しませんから、そう
やるしか方法がありません。

そのためには、人間関係を濃厚にしておく
必要があります。
職探しも同じです。
人材派遣業やら、ハローワークやら、求人募集
なども存在しないからです。
一事が万事です。
人間関係を密にしておかないと生活ができません。

しかし、先進国では事情は全く異なります。
お金さえあれば、問題は解決します。
電話一本を、業者にすればそれで終わりです。
だから、人間関係など密にする必要はありません。
職探しもおなじです。

人間関係が薄れているのは、豊かさです。
だから先進国では孤独な人が増えるのです。
こういう傾向はネット以前から存在しました。
ネットはこの傾向に拍車を掛けただけです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2012/08/18 09:38

インターネットと人間関係との関係性を考えれば、ネットはコミュニケーションの道具なのであり、むしろ世界中のネット愛好者を結びつける役目をしてきたのですから、それによって人間関係が薄れたというのは逆説のように思えます。


むしろ、ネット世代といわれるような現代の若者における(ネットとは直接関係のない)風潮が従来の人間関係を軽視している、あるいはわずらわしいと感じているということなので、そういったことが事実なら理由はネットとは無関係ということもありえるかもしれません。

人間は基本的に社会的な動物なのですから、人間関係を拒否して生きることはできません。はっきりいって日々の食べ物を得るにも不特定の他人の働きに依存しているのです。身近な生活必需品も自分で一から作れるものはほとんどないでしょう。そういった依存関係を享受しつつ普通に生きていながら人間関係を拒否することは矛盾であり、はっきりいって誰にもできないのです。そういったことを念頭に置けば、現状での若者を中心とした人間関係の希薄化は社会的には決して好ましいことではないと思われます。
一般的には人間の社会関係は血縁関係が基本になっていて、親子、兄弟、大家族、縁戚関係がありますが、文明化が進むにつれて核家族化が進行し、さらには個人主義が進行してひとりひとりがばらばらになってきたということでしょう。同様に生活の場のコミュニティにも核家族化、さらには個人化が進行しているということです。社会と技術の進歩でそういう暮らし方が(コストの低下を促し)可能になったということで、そのほうが気楽だ、自由が増す、という思想の変化、意識の変化がそれを助長してきたのだと思います。
結構なことなのですが、一面ではその傾向が行き着くところまで行った結果、社会コストの反転上昇がはじまり、孤老の増加、孤独死の増加、精神病の増加などの好ましくない弊害も増えています。人間は精神的にも他人とのつながり、関係性をなくしては生きられないのでしょう。
新しい人間関係とコミュニティの構築がひつようなのではないでしょうか。
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人間関係が薄れているということは、各人が独立しつつあることでもあります。

戦後教育の成果として人権や民主主義の進化の証でもあります。しかし、いじめや学級崩壊が日本社会の進化を妨害する要因になっています。将来、今の子供たちが、ニセ宗教やニセ革新団体に誘惑されないことを願うばかりです。
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インターネットや携帯メールなどの発達が人間関係が薄れた大きな要因だと考えている人も多いかも知れませんが、問題はそれほど単純ではないと思います。



例えばお菓子を買うこと一つにしても、50年前私が幼いころは近所の駄菓子屋に行って、店のおばさんに「雀の卵(菓子の名前)を5円がた(5円分の意味の方言)ちょうだい」と言わなければ買えませんでした。自分が欲しいものを欲しい分量だけ手に入れるためには、幼い子どもでも大人にわかるように話す必要があったということです。また店のおばさんは子どもの客でも常連であれば、どこの家の子どもであるか知っていました。

しかし今はこうした駄菓子屋はほとんど姿を消しました。子どもでもスーパーマーケットやコンビニエンスストアに行けば、お菓子をかごに入れてレジに持って行くだけで、ひと言も言葉を発しなくても菓子が買えます。それどころかネットで注文すれば店に足を運ぶ必要すらなくなりました。食べ物を買う場合に限らず、交通機関の切符を買うのも、音楽(昔ならレコード)を購入することも自宅にいながら可能です。一人暮らしの人の休日ならば、朝から晩までひと言も他人と話さなくても暮らせる時代になってしまいました。

また、子どもの暮らしも変わりました。私の子ども時代のように年齢の異なる子どもたちが、放課後などに屋外で集団で遊んでいるのを見かけることは、都市部ではほとんどなくなりました。年齢の異なる子どもたちの集団の中で、友達(人間)関係を作っていく(学ぶ)貴重な機会が少なくなっているのだと思います。子どものころからこれでは、身近な人間関係が昔に比べて希薄になるのも無理はないと考えます。

ただし、見方を変えれば、現代はインターネットや携帯メールなどの発達によって、(ネットワークにアクセスできる環境であれば)世界中の人との直接のコミュニケーションが可能になった歴史上初めての時代です。社会の変革の過渡期にあることは間違いなく、ネットの発展による個人のコミュニケーション能力の増大は、身近な人たちとの直接の会話が減った分を補って余りあるものになっているのかもしれないと思います。単純に人間関係が薄れた(希薄になった)のではなく、広い範囲に拡大した(拡散した)のだと考えれば、人間関係の総量というか、一人当たりの人間関係の濃度に人数をかけ合わせた積は変わらないのかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2012/08/19 09:45

 近代以前の社会では、人々は生まれた地域で一生を過ごすのが普通でした。

よく知っている者同士の付き合いなので、濃密で永続する人間関係が当然のこととされていました。

 近代社会では、職や住居の都合で、人々が流動するのが普通になりました。近代化、産業化、都市化と形態は様々ですが、近隣社会の古い人間関係が崩れ、隣はなにをする人か分からないという社会へと変わっていきました。

 人間関係の希薄化という現象は、この時期から指摘されています。決して最近になって顕著になったものではありません。また、ネットは、もともと人間関係をつくるスキルや意思が足りない人々の逃避先なので、ネットが無くなればもとに戻るというのではないでしょう。

 それはともかく、日本の場合、近隣社会に代って職場社会が新しい人間関係を作ってきました。企業や官庁は仕事を提供するだけでなく、終身雇用を通じた仲間意識を醸成し、近隣社会の役割を引き継いだわけです。

 しかし、厳しい国際競争のなかで生き残るために、こうした温情主義的な経営は捨て去られています。正規雇用を減らし、非正規でまかなうか生産現場を海外に移す戦略がその典型でしょう。今朝の新聞は、経営不振のシャープが2000人の希望退職をすると報じています。シャープは、従来、一度もリストラをしたことがない会社として評判でした。しかし韓国、台湾、中国との競争に勝ち残るためにはこうした古い温情主義は無用になりました。

 さらに介護保険の発足は、親子の関係だけでなく、近隣の見守り機能の弱体化を招きました。歴史上経験したことのない少子高齢化の進展が原因なので、介護保険がなくてもこの流れを食い止めることは不可能でしたが、ここでも人間関係の希薄化が認められます。

 それでは、将来はどうなるのか。おそらく血縁、地縁、社縁など古い縁や絆による人間関係の復活ではなく、市民による新しい人間関係の強化、具体的にはNPOや社会的企業の果たす役割の増大がカギになるのではないかと期待されています。

 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2012/08/19 09:46

ネットなんてネットがキライな人が作った説ですよ


私はいくら考えても「個人主義の拡大解釈」が原因だと思います

自由と権利を振りかざし誰に何を言ってもしても自由なんだ!権利なんだ!とほざく多くの人
国や政治や外交なんて関係ない
個人が最優先で全てだっていう考えが社会をじわじわ侵してきました
それにまだ気づかない、いや気づかないふりをし続けるならもう日本は終わりでしょうね
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2012/08/19 09:46

昔ならせいぜい遠隔のやり取りは電話 電話も最初は親が出ちゃうから かしこまって挨拶を言ってから


本人へ・・・ こんな面倒なものなら学校で、職場で面と向かって話す
携帯電話なんか無かったから、急に予定を変更したりすることは罪悪だったので
時間も守り事前準備なんて当たり前すぎて、教えたり教わる必要もなかった
家にかえれば自分 学校いきゃあ他人との交流 ON・OFFがきっちりしていた。

今はどうだろう
便所だろうが風呂だろうが「今何してるの?」のメール プライベートを土足で上がりこまれたこの無粋さ
しかも、自分の都合で夜中だろうが早朝だろうが送りつけて、返事を返さないほうが悪いと
抜かしやがる、自分主義 王様主義のこの一方通行な会話でも交流でもなんでもない

そのうえSNSチラ見しただけでそいつの事全部わかったフリ
更に、人様の行動が気になって気になって仕方がないのか、飽きもせず毎日アクセス
こんなくっだらない 本当にどうでもいい事を、四六時中してるから、実際合っても会話がない
ねたがない、重要なことが思いつかない まあいいやコメントのこしとけばってね

いつでも指一本で連絡すりゃ俺に合わせて物事が進むと信じてやまないから
平気で遅刻 言い訳は電車が遅れた 渋滞で その時間混むのはわかっててやっている
そのうえ 書類忘れた ~がない まあメールで添付して送るのでいいですか?
どっちがクライアント様だと思ってるんだ?

こういうバカばかりに増えて爪の垢ほどしか「携帯電話なんて高々道具に過ぎない 自慢でもないし
子供のおもちゃ」なんて考えて、式礼をわきまえてるやつなんていなくなった。

そんな使い捨てのペラッペラなヤツばかりなので、金儲けために動いてもらって終わればポイ
そんなもん鼻紙見たいなもん
まあ何百人と付き合ってきた中には、珍しくマトモな頭のヤツがいるから、握っておく
そのためには礼は欠かさない。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2012/08/19 09:44

対話不足から、きていると考えます。

電話。メ-ルも結構ですが、面と向かって話す機会が必要とかんがえています。が、現実は、時間がないと感じる次第です。 いろんな人と話すと思い機会があれば飛び込む。といったことができればと感じます。
あまりうまくは、いえないですが。これにて。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2012/08/18 09:39

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