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道徳心を養うにはどうすればいいですか?

A 回答 (8件)

 No.3の回答者さんと同じ質問ですが、「誰のための道徳心ですか?」



 一般に、「教育」で取り扱われる「道徳心」は、支配者に従順な画一的な考え方をする人間を精算するためのもので、これは本来の「道徳心」とは違います。

 また、道徳心は、その社会での正しい生き方と関連しますので、宗教や社会慣習などによって異なります。要するに多様性があり得るものです。
 多様性を認めない、自己の信じる「道徳心」が世界共通であるべきと主張するものも、本当の道徳心とは異なります。

 こういった観点から、私はNo.3さんの主張を全面的に支持します。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/10/16 19:02

まずは「法律を守る」ことですよ。



道徳違反じゃ逮捕されませんが、法律違反だと逮捕される場合もありますよね?
即ち、道徳や倫理とか常識なんてのは、法律に触れない様、その内側で自己規制するラインみたいなものってコトです。

自己規制ですから、言い換えれば、道徳や常識などは、個人差があるモノですから、いい加減と言えばいい加減。
ただ、いくら個人的な道徳のラインを広げても、絶対に越えちゃダメなのは、法律のラインです。
従い、まずは法律を徹底的に守ることが重要です。

「法律を守るなんてのは、当たり前」とお考えかと思いますが、案外、難しいものです。
ちょこっと路上駐車,駐輪とか、どうしても我慢出来ない時の立小便や、ポイ捨てとか。
交通量が殆ど無い交差点の赤信号だと、渡っちゃう人も多いでしょ?
他人の陰口を言うなども、厳密に言えば名誉毀損に該当する可能性がある行為です。

道徳主義者や倫理主義者でも、これくらいのコトはやっちゃいますが、これらは全て法律違反行為ですから。
「急いでる時は、絶対に安全なら、赤信号でも渡っていい」などと言う道徳など、まあ存在しないでしょう。

また職場など社会では、この道徳と法律の混同も多いですよ。
「オレが若い頃は、上司より先に帰る様なコトはしなかった・・」なんてのは、道徳やモラルとしては、正しさを含んでいますが、今時そんなコトを強要すれば、違法のサービス残業とか、パワハラになってしまいます。

道徳なんてのは、法律違反を達成した先に存在しますので、まずは万人が守らねばならない法律を意識して、それを守ることが大事だと思います。
あるいは、概ねの法令を完全に順守すれば、普通のモラリストよりは、遥かにモラリストになれると思いますよ。

その先は、ルールや約束などを守ることですね。
電車で「お年寄りに座席を譲りましょう」なんてのは、マナーや道徳の問題の様ですが、厳密に言えば、電車に乗ると言う行為も、鉄道会社と乗客の中で暗黙の内に、契約が交わされており、一方の契約当事者からの要請事項ですから、もう一方の当事者である乗客は、その要望を真摯に受け止めるべき、法律上の義務があると言えます。

口約束だって、民法上は有効とされてますので、特に利害を伴う様な約束を破れば、それは法律違反になる可能性があります。

法律を意識し、それを遵守するだけで、かなりモラリストになれますヨ。
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「いただきます」  


  「頂きます」とは、「私の命のために動植物の命を頂きます」の意味から。  
  古くから人は自然の恵みをもらって生きてきました。自然の恵みとは、言い換えれ  
  ば、数々の動植物の生命をもらうこと。これらの行為は生きとしいけるものすべて  
  に共通の行為。いのちがつながり合ってみな生きている(生かされている)のです。  
  「多くの生き物を犠牲にして生きている」こと、偉大な自然への感謝の気持ちを表  
  したものです。  
   
「ごちそうさま」  
  「ご馳走様」は「馳走になりました」のことで、「馳」、「走」ともに「はしる」の意味。  
  昔は客人を迎えるのに走り回って獲物をとってきてもてなしましたが、そんな命が  
  けの働きに客人が「有難う」と心からの感謝の気持ちを表したものです。


いただきます、ごちそうさま 良い考えであり私もしています。

「ごちそうさま」の「もてなしの心」は、今の世の中薄らいでるような気がします。
相手に感謝するには、相手も感謝しなければ成り立たない気がします。
 
 
道徳心

人間が無意識の内に世の中に存在するものと認識している正邪・善悪の規範

何が正義で何が悪なのか・・・難しく考えると道徳心とは?ってわからなくなるかもしれませんね

それでもって これか私なりの回答

日本の昔話やなど読み考える・・・養えるかもしれませんね
子供に読みか聞かせる昔からある話は、道徳を解かしている気がします。
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#2 さんの回答が優れていると思います。



道徳は、学校の教育では養うことは難しいです。
中国の学校では道徳教育が驚くほど盛んですが、
ご存知の通り、中国人の道徳心は最悪です。

皆、自分勝手で、他人の迷惑など顧みません。
それは、上から下まで、全員同じです。
子供でも、一冊の教科書を二人で仲良く使う
ことすらできません。

それで、欧米などでは宗教を利用して道徳心を
養わせようとしています。
新渡戸稲造「武士道」の冒頭にあります。

「お国では宗教教育をしていない、と聞きましたが
 本当ですか?」
「本当です」
「お~! それでどうやって子供達に道徳を教える
 ことができるのでしょう?」
「我が国には武士道があります」

それはともかく、道徳心を養うのはまずは形から
入るべきです。

ある高校の話ですが、相手を呼ぶときに「さん」「君」
をつけるだけでいじめが激減した、という報告があります。

言葉遣いや、礼儀、食事の作法・・・これら日常の躾け
が道徳心を養うのです。
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人が見ていようが、見ていまいが、少しでも他の人が喜んでくれそうな事で、身近な事から決心し、できれば心を込めてやってみる。



歩いていて小石やゴミがあれば拾ったり・細い小道ですれ違う時、気持ちよくよけあって、必要なら声をかける・小さなクリニックに行った時、他の人の履物をなにげなく揃える。等いくらでもあるので、自分に無理なくやれることからやってみる。

ただ、たとえば車の運転になると車の流れがあるので、ゆずってばかりいると渋滞になり、急いでいる方の迷惑になったりするから、割り切る事も必要と思う。 私の場合は、自己満足だと思うが、「主の祈り」よろしく、「神様、私に負債のある者を許しますので、私の(知らず知らずのうちに犯している)罪をお許しください」と、運転の後は心の中で祈る事にしている。(儒教でも仏教でも基督教でも人間の基本的な心情は同じだと思っています。)

よいと思ってやった事が、かえって迷惑になったり(公園の空き缶を拾って、ホームレスの方の食いぶちを奪うかも)する事もあるから、最後は祈るしかないですが、何事も経験と思って一歩前に進んで徳を善を積んでいきたいものです。

最後に、日本も法治国家(徳治国家でもなく信仰の自由の国)だから、法律さえ守ればいいわけだけれども、神様が人間を創られたとき、「共に喜びたい」「子の喜ぶ姿が見たい」と想われてアダムとイブを創造されたと聞いているし、信じています。
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誰の道徳心を養う話でしょうか?



ご自分の道徳心でしたら、自分自身が誰にも恥じることのない言動をすることです。

子どもの道徳心を養う話であれば、子どもの親や教師が誰にも恥じることのない言動をすることです。子どもはその姿から学びます。子どもの感性はあなどれません。付け焼刃や上辺だけの言動は見透かされます。

道徳は生き方の問題です。ハウツーではありません.テキストで教えられるものではなく、日々の生活の中で実現していくものです。
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食事の時、いただきますやごちそうさまとちゃんと言ってますか?


食事とは命を奪い生きながらえることです。
自分が奪った命に感謝し供養する儀式、それがいただきますとごちそうさまです。
あわせて食事を用意してくれた人への感謝の言葉でもあります。

私はこれが人間におけるもっとも原始的で根源である倫理道徳であると考えています。
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とりあえずピースボートに参加して下さい。

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