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街角の小さな神社でも、奉納者の名を刻んだ玉垣があると思います。
お寺にも玉垣がありそうですが、お寺には「土塀」が似合うようです。
つまらぬことをお聞きしますが、神社ではよく見かける玉垣が、お寺では少ないのはなぜですか。
それとも、たいていのお寺にも玉垣があるのですか。
よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

正確なところはわかりません。

また明治以前は神仏習合の時代で寺と神社は分かれてはいましたけど、いくつかの寺は廃仏毀釈を避けるために神社に変更したりしているので絶対的な区別はないといえます。ただ、同じ理由でわざわざ神社を打ち壊しを受けるリスクを負って寺にする人はいないでしょうから、何らかの理由がなければ玉垣を作る寺はないと思います。(玉垣としてではなく施設の一コーナーの装飾としてあるか、寺の境内の神社としてならその部分に玉垣があることも考えられます)

特に江戸時代或いは戦国時代くらいでしょうか。神社は祈願所でしたが、寺はよく出城として使われました。また貴人などの接待にも寺は使われました。つまり寺は砦であり迎賓館でもあったわけです。
ですから防衛的な面から考えても堅固な壁で囲むようになったのでしょう。

さらに神社が公開の場であるのに対し、本来寺は修行の場、つまり外界と隔離されて交流を持たない施設です。
だから神社は神域である境界が分かればよいので玉垣、寺は外界の刺激が入らないように高い壁で隔離したと考えます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
なるほど!
「神社は祈願する所、寺は砦であり迎賓館でもあった」
「さらに神社が公開の場であるのに対し、本来寺は修行の場」
とのご説明には納得です。
確かに、あちこちの「寺町」と呼ばれる町並みをみますと、防衛拠点としての寺の役割を十分知ることができます。
それに、本来、「寺は修行の場」ですね。
私は、「お金」のことばかり考えて、寄付集めの面から理由を考えていました。
よく解りました。

お礼日時:2012/09/13 20:41

神と仏の象徴性の違いのように思います。


垣は柵でもあり結界です。
それは遮断ではなく仕切りです。
神気の拡がりを遮ることなく、神の領域を表しているものです。
日本の神々は(自然と共に)外へと拡がってゆく空間的な解放感によって象徴されていると思います。

お寺の場合は、その逆の感じになっているようです。
塀に囲まれた内に門があり、その内に本堂があり、またその内の一番奥に御本尊様があります。
中には秘仏といって、さらにその奥に公開しない形で安置されているものもあります。
幾重にも覆われた内に、一番大切なものが置かれているわけです。

神の象徴性においては、神気の拡がりを感じさせる解放的構図であり
仏の象徴性においては、仏像の安置という求心的構図になっていると思います。
それらは様々なデザインの違いとなって現れているようです。
神社においては、垣や鳥居という簡素な仕切りであり
寺院においては、塀や門という確かで強い仕切りになっています。
中には例外もありますが、概ね以上の共通性が見られると思います。
神と仏の象徴性の違い、表現の違いがあるというように解釈できると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>神と仏の象徴性の違いのように思います。
>垣は柵でもあり結界です。
>それは遮断ではなく仕切りです。
>神気の拡がりを遮ることなく、神の領域を表しているものです。

なるほど! 納得しました。
結界という「神の領域」を考えねばなりませんね。
質問した甲斐がありました。
しかし、先に回答頂いたmichael-mさんの説にも納得しています。

お礼日時:2012/09/16 10:50

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