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はじめまして、日本の現代問題や、伝統などにすっごく興味があるのですが、その中でも、『修験者(山伏)』についてなのですが、修験者になるには、何か条件を満たさなきゃいけないとかの『資格』なるものは必要なのですかね?
よく仏教系で、『出家』と出て、『私財や家族を全て投げ出して何もないゼロの状態で出家する』といった話を聞きますが、山伏、修験者も、これに同じなのでしょうか?
だとしたら、今、社会問題となっている『格差社会』の中で、ホームレスとか自己破産者、多重債務者に失業者にニートとか、財産がすっからかんに近いもしくはそれ同然の人たちは、何もない『ゼロ』の状態ですから、仏道や修験道に身を置く資格は十分にあると思います。自分の財産がありませんし、世間の冷たい風にさらされるくらいなら、その道に入ったほうが、得るものも大きいし、最低限食べていけそうになると思うからです。ゼロだからどんなリスクだって背負えれるし。都会に、街中に人々に煙たがれるより、救いの道を究めたほうがいいのに、なぜいわゆる『切り捨てられた弱者』たちは仏の道や修験の道を探そうとしないのでしょう?
ちなみに実際に修験道に入るとしたら、どこかのお寺や神社とかで申し込みみたいな手続きを済まさなければならないんでしょうか?
複雑な質問ですみませんが、どうか、よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

http://www.shogoin.or.jp/naruniha.html
山伏の経験は有りませんが普通の寺での体験はあります

ご質問の意味が良く解らないのですが
ちなみに実際に修験道に入るとしたら、どこかのお寺や神社とかで申し込みみたいな手続きを済まさなければならないんでしょうか?>
どこの宗派にも属さず(許可を得ず)ご自分は修験者だ~~~とか 托鉢とかして食って行くって事ですか?それじゃエセでしょ?

その道に入ったほうが、得るものも大きいし、最低限食べていけそうになると思うからです。>
もともと寺とはそういう要素も多分に有った物なので勿論受け付けてはくれると思いますが・・・・修行辛いすよ!多分続かないんじゃないでしょうか?修行を怠る人は当然置いておいてくれるほど甘くないですよ・・ホームレスとか自己破産者、多重債務者に失業者にニートとかがその状態で居るのは其の方が楽だからに決まってるじゃないですか 

ガキの頃から体育会 事実寺での修行も武道の一環として精神修行の為にやった体力自身有りの私でも きつかったのに寺に行けば最低限食べて行けるなどと いう甘い気持ちでは続かないと思うのですが・・・

私が体験した時も或る宗派の本山だったので若いお坊さんたちが大勢全国から来ていらっしゃいましたが 必ずぶっ倒れる奴が居ると言ってました 私は体験入山なので倒れるほど辛い修行はありませんでしたがお坊さんたちはかなりきつい事をしてましたよ。

本気でやる気があるのなら受け入れてくれると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
上記のURLにアクセスいたしました。
確かに常人では想像を絶する修行の数々が待ち受けていますね。基本的に参加無料、自由ということなのですが、山伏の衣装をそろえるお金と、修行の中身といったものすごい代償が待っていますね。修行において、後々で振り落とすなんて競争社会はここにもあったんですね。

サイトでも見ましたが、修行は確かにつらいを通り越して地獄でしたね。でも、同じ地獄でも、闇金融や暴力団からの異常な取立てや追い込み、世間からの「負け組み」に対する白い眼に比べたら、やはり同じくつらくとも、自分を変えることができるのは修験道みたいですね。
生きるか死ぬかがかかっていれば怠ることもなくなるんじゃないんでしょうか?追い詰められているんだし。

ガキの頃から体育会 事実寺での修行も武道の一環として精神修行の為にやった体力自身有りの私でも きつかったのに寺に行けば最低限食べて行けるなどという甘い気持ちでは続かないと思うのですが・・・>
お言葉ですが、今どこの自治体も、生活保護費を出し渋っている状態で、闇金の取り立ても、きついですから、弱者切捨て型のつらいより、自己変革型の辛いがいいと思います。

追い込まれている人ならぶっ倒れるなんてことはありえないんでしょうか?いろいろ耐性ついていそうですし。

僕も今の生活が破綻しない限り、山伏修行の事は知る程度にとどめておきましょう。ありがとうございます。

お礼日時:2006/09/06 20:14

条件は何を求めるか・・で、資格などないと思います。

また、社会で別の仕事をし、家庭をもちながら、山伏の修行をしている人を何人も知っております。と、いうのは、あるお寺の住職さんが、たくさんのお弟子さんを育てているのを知っているからです。関係が近いので、どことお教えする訳にはいきませんが、山伏の正式な指導ができるお寺や住職さんは、そんなにいませんから、調べれば判ると思います。
ただし、指導に金銭がからむようなら、そのお寺、住職、山伏はエセだと思った方が良いと思います。有名でなくても、山伏の歴史をたどっていけば、その関係のお寺などで立派な指導者を見つけられると思います。
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 確かに仏の世界に入った人の中で、仕事などの失敗を機に入った人は何人かいます。

しかしそれは無一文だからではありません。
 修行の世界に入る為には、日常の生活以上の精神的苦痛が伴い、彼らは精神的向上を求めて修行道に入るのです。

 修験行者の中には立派な職業を持っている方も数多くおられます。
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僧侶や修験者は本来は自分で修行をすればいいことです。

ただ、それで生きて行こうと言うのなら勝手に出家や修験者といっても世間では普通は相手にされないでしょうが。
修験者(山伏)というのは修験道の修行をする人ですので修験道の宗派の寺に行くか講にはいって修行をするのがいちおうの手順でしょう。
ただし、原則としては在家(本業をもつながら修行をする人)です。
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この回答へのお礼

なるほど~ありがとうございました。ただ「出家している。」、「私は修験者」といってもそりゃ信用されないでしょうね~。
寺や講は探してみますね。
原則在家かぁ。じゃあ修験者は副業みたいな立場なんですかね?

お礼日時:2006/09/10 11:55

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