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人類史と文明について、よく科学技術?は指数関数的な速度で発展しているといいますが実際に文明度を何かで測定?表現して、グラフにしたような説明は無いのでしょうか?
個人的に色々考えて文明の尺度として用いるのは、「概念の数」、つまり「単語の数」がよいのではないかと思います。日常生活に必要な単語の数はおそらく人類発祥の時からさほど変化はしていないと思います。しかし新たな発見や発明があると、新しい学問ができその学問分野について専門的な単語が
飛躍的に増えていきます。普通の辞書に載っているような単語だけではなく、工学、化学、物理学、
生物学、理論物理学、民俗学等ありとあらゆる分野の専門的単語を含め、
人類の持つ単語の総数こそが文明の尺度として最適だと思うのですが、そういうグラフ、
データなどは無いのでしょうか?

A 回答 (4件)

http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~rhotta/course/200 …

英語における語彙の通時変化
「chemistry と biology は19世紀に初出語彙のピークが来ているが,anatomy と math はそれぞれ17, 16世紀にピークがある.」

マメな方がいるものだ。

http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~rhotta/course/200 …
近代英語期の英語語彙の増加
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科学技術?は指数関数的な速度



No2の方は人口を出しているが、

人口 ≒ X × 食糧生産量

「幾何級数的に増加する人口と算術級数的に増加する食糧の差により人口過剰、すなわち貧困が発生する。これは必然であり、社会制度の改良では回避され得ない」ウィキペディアより
これがマルサスが人口論で推測したもの。

実際にはマルサスの時代に、産業革命が生じ、「平均寿命」が伸びます。
「豊かさ」の誕生―成長と発展の文明史 [単行本] ウィリアム バーンスタイン著
で、グラフ化されています。

産業革命を、単純な指標で表せば、一人あたりエネルギー消費量の増加となり、人口とともに考えると、更に単純に、エネルギー消費量の増加となります。
http://www.rist.or.jp/atomica/data/pict/01/01010 …
つまり、科学技術の進展によって、エネルギーを大量に消費できるようになった。

エネルギー消費量に関してリミッターがない条件下では、上が成立しますが、エネルギーや地球積載人口量の限界があると考えると、科学技術の進展は再び一人あたりエネルギーの消費量によって、個別人間のQOLが評価されるように夏かと思います。

前の時代の 一人あたりエネルギー消費量とは違って、エネルギーの評価基準がエクセルギー基準で評価し直されるものだと考えます。

エネルギー消費とエクセルギー消費の違いは、「同じエネルギーを消費しても、技術があれば有効なネルギーをたくさん使えまっせ」という違いです。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%AF% …

http://www.jcoal.or.jp/cshandbook/dlfiles/c2-1.pdf
ここの最後の部分「エクセルギー(有効に使えるエネルギー)を出来るだけ大きくすることによって総合エネルギー効率が70~80%にもなり、エネルギーの無駄を少なくすることができます」

とりあえず、エネルギー工学系出身なので、この辺が私にはしっくり来る。
http://kabuto.phys.sci.osaka-u.ac.jp/~higashij/l …
http://www.ht.iis.u-tokyo.ac.jp/jpn/research/7-5 …
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回答ではありません。


 
面白い発想だとは思います。しかし、例えば、人類が30種の言語を使っているとして(現実の数は違います)、文化圏が混成して、次第に、20種、15種、6種と減じていった場合には、新たな発見や発明があると、新しい学問ができその学問分野について専門的な単語が飛躍的に増えたとしても、急激な減少も生じるので、人類の持つ単語の総数が増加の一途を辿るとも思えません。言語が1種に絞られグローバル人間語のようになったとした場合に、その後は単語の総数が増加の一途を辿るかですが、増加し続けるとは限らないように思います。文化が一つでグローバル化したら、過去にあった文化に関する単語は消滅し死語になってしまいます。その他、色々解明されたり、単純化した単語で十分に説明解釈が可能になれば、それ以上は単語は増えないでしょう。数学は非常に高度に発達していますが、単語そのものが増加しているのではないでしょう。今後も数学や理論物理などは発達するでしょうが、単語が増える程度はたいしたことはないのではないでしょう。20世紀後半から電子技術、情報通信技術は世の中を一変させるほどの大きな発展をしていますが、単語の増加量はさほどのことはないです。分子生物学などでも同じです。ところで、明治の文学などを見ると、読めない漢字が並んでいて、辞書を調べても聞いた記憶のないものが多いです。新しい単語がドンドン増える事実はあっても、逆に使わなくなる単語・消えて行く単語も結構あります。使用していない単語・古語はその時代の人の持っている単語とはいえないでしょう。過去にあったというだけでは、その時代の文明の尺度にはならないです。 そもそも、文明の尺度として単語の総数が適切なのか、少々疑問があります。
 
単語数に関するデータ、単語数の増減に関するデータがあるかどうかは知りません。
 
なお、メソポタミア文明・エジプト文明・ローマ文明・西洋文明・現代文明などという云い方をされるので、文明とは「多数の人間が一つの社会システムを形成している状態」を云うのではないかと思います。その文明を固有性ではなくて、尺度で評価しようとするのであれば、それぞれの文明の社会サイズを尺度に使うのが良いのではないかと思います。
ある社会システムが200人の人間でできているか、2000人でできているか、2万人か、20万人か、200万人か、2000万人かです。 同時代に独立した3つの文明(=3つの社会システム)があり、使用している道具や制度には3つでそれぞれ個性がある場合、単一の尺度で3つの文明を表すとすれば、それぞれの社会システムを構成している人数で示すのも一つの方法でしょう。 また、ある社会システムで2千万人がいて、その社会システムの30年後の後継社会で2倍の4千万人の構成員になっていれば、2倍の文明と評価しても良いでしょう。
日常用語で考えても文明が発達しない場合には一つの社会システムで多数の人口を維持するのは無理ですから、上記のような尺度は妥当と考えられるでしょう。
地球上で、過去、ある年代にいくつの文明が併存していたのかがよくわかりませんが、最近2000年間で云えば、併存している文明の数は減少し続けているでしょう。そして大きな人口を抱える文明がでてきていることは確かです。 (大きな人口を抱える文明)=(文明の尺度で大きいことになる)
 
各文明が抱えている人口の統計はわかりませんが、地球全体の人口の推計はあります。
http://nocs.myvnc.com/study/population.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C% …
http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Data/Popu …
これらの推計データを尺度にできたとすれば(文明数の減少を考慮すれば)20世紀後半以降は、爆発的に文明が変化しているということになると思います。

この回答への補足

「単語の数」という方法にはしていますが、重要なのは「概念の数」です。
複数言語でも、過去未来において違う単語になっていても、概念が同じならば同じ1個とします。

>数学は非常に高度に発達していますが、単語そのものが増加しているのではないでしょう。今後も数学や>理論物理などは発達するでしょうが、単語が増える程度はたいしたことはないのではないでしょう。

そんなことは無いと思います。学問の最先端というのはもう殆ど哲学の世界です。進化の系統図のように
先端部分は専門分野が幾重にも枝分かれし、そのそれぞれの分野で研究者が仮説や理論を構築し新たな概念が出来上がります。

>20世紀後半から電子技術、情報通信技術は世の中を一変させるほどの大きな発展をしていますが、単語>の増加量はさほどのことはないです。分子生物学などでも同じです。

それは本当ですか?新たなプログラミング言語や手法、IT用語なんかも現在進行形で爆発的に増えているのではないでしょうか?
分子生物学は今まさにホットな瞬間で新たな遺伝子や蛋白、システムが毎日のように発見されているのではないでしょうか?

>文明の尺度に人数を用いる方法
これは人類史のある時点まではうまく適用できるとは思います。なぜなら途中までは文明は人類を養うためのものという側面が強かったからです。
しかしこのまま人類の増加曲線は右上がりにはなりません。いづれ限界が来ます。
ある一定値にまで達すると人類は自ずと自己集団の人数を計画的に調節するようになるでしょう。
では人数が一定数のままだと時間がいくらたっても文明が発展しないということかというとそうではないでしょう。人類の思考活動、知的活動はおそらくとどまるとこを知りません。
なのでやはり文明の尺度としては「概念の数」今現在においては、言語化されている概念の数が最適ではないかと思うのです。

補足日時:2013/03/02 02:20
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   非常に面白い着想だと思います。



    差し当たって2つ。

1。   単語の基準

    これが分かち書きが使われているヨーロッパの言語では、数が分かりやすいですが。日本語などでは、普通長さは「字数」でないと異論噴出です。またサンスクリット語とかドイツ語などでは、いくつもの要素をくっつけて長い単語が作れるので矢張り問題があると思います。

2。   古くないと使えない(意味が分からない)

    例えば「デジカメ」ですが、デジ の方は、ラテン語の digit 「指」、カメの方は、やはりラテン語(さらにギリシャ語に遡る) camera 「まる天井の部屋」から出来ています。すなわち「物」は新たな発明や発見の成果でも、「ことば」は、何千年も前の物のリサイクルです。

    こうなると、「人類の持つ単語の総数こそが文明の尺度として最適」と考えるのには少し問題があるかも知れないよ言うな気がします。
  
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