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「辛いのに耐えていれば、小さな事でも楽しく
 思えるようになる」とか
「小さな事でも楽しい!って思ってた方が人生楽しいよ」
とか
「仕事が辛い?働けるって素晴らしいじゃないか、
 前向きに行こう!」
とか
悲観的な人に向けられる言葉って色々ありますよね。
私もなかなか前向きに考えられない一人ですが、
これって、

「自分の満足度のレベルを下げているだけ」

じゃないかと思うのですが、どうでしょうか。
私はそう考えてしまい、何故自分を偽らなければ
ならないのかと悔しくてなりません。

確かに大して楽しいと思ってないことを楽しい!
と思うこと自体は
”前向きな考え方”なのかも知れませんが、
裏を返せば楽しいと感じないレベルの話を
”楽しい!満足!”と自分に嘘をつかせて
いることになります。
それが果たして”前向き”なのでしょうか?

これらの”言葉”の例にも問題があるかもしれませんが、
皆さんの「前向き」ということについて
ご意見をお聞かせ下さい。

A 回答 (17件中1~10件)

考え方が発展的・進歩的であること。

(ブックシェルフより)

現実を否定せずに「やろう!」と言う事であり、「自分の満足度のレベルを下げているだけ」 と言う考え方は後ろ向きです。

一つの事にとらわれず、「これは楽しくなかったけど、今度はこれが楽しいのではないか?」と思う事は前向き」です。

一つの参考意見を聞いて、「なるほど、そんな考え方も有るのか」と考えられるのが前向き。
アゲアシを取るのが後ろ向き。
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この回答へのお礼

仰る通り、私の考え方は後向きだと思いますし
自覚した上での質問です。

OZISANさんの回答は、私の認識と一致していますが
そうなるのが難しいんですよね。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/13 23:32

こんにちは。



自分をどこに置いて物事を見ているか、という問題じゃないでしょうか。小さな喜びにも意義を感じる人は、自分の原点を何も持っていない所に置いている。という事でしょう。
例えば仕事もお金も何もない状態が原点なら、たとえ儲からなくても仕事がある事で既にプラスですが、仕事があるのが当然つまりそこが原点なら、なんとしても儲からない事にはプラスにはならない、と感じるのが自然でしょうね。
何もなかった頃に比べれば、物があるだけ今の方が幸せ。という考えは、消極的な肯定というか妥協にすぎず、確かに前向きとは言えないかも知れません。

しかし、"足るを知る"という考え方も時にはあって良いんじゃないかと、私は思います。
貪欲に上だけを見て、少しでも上に駆け上がろうと努力する、前進姿勢も人間大事だと思います。
でもどうにも上に上がるのが難しそうなら、足場を固めて踏みとどまるか、一度下がって違うルートを探してみるのもまた良し。

思い詰めて張りつめて自分に無理を強いるより、歩を緩めて周りを見渡すのも、いずれ前に進む為の一つの方法だと思います。
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この回答へのお礼

”足るを知る”ですか。仏教の教えですね。
確かに必要な考え方かも知れません。
欲望はいくらでも肥大しますからね。
全てを求め過ぎていないか
一歩下がって考えてみたいと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/14 00:21

sakocchiさんの意見、分からなくもありませんが、嘘でもいいじゃないですか。


「嘘も方便」って言葉もありますし、心安くあるためにささいな事でも「幸せ」と感じられるなら、それは非常に「前向き」なんだと思います。
きっとsakocchiさんは、「幸せ」と感じるレベルが高いのでしょう。それはそれで悪いことではありませんが、日常のささいな事を「幸せ」と感じられるのは、素敵なことなんじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

ええ、日常の些細なことを幸せと感じたい、
道端の花を見て綺麗と感じたい、そう思ってました。

でも自分に余裕が無くなると
そう考えてたのが嘘のように全てが恨めしく思います。

自分に余裕が出てきたときにだけしか
前向きに生きられないってのは悲しいものですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/14 00:13

この場合は、自分に嘘をつくとかそういうことじゃなくて自然と、これぐらいだとましなほうかなって思えるようになるんですよ。

要するに慣れってやつですね。この慣れるという事をどう思うかはあなた次第ですが、これがいやなら基本的に自分が楽しいということはめったに起きないと考えたほうがいいですよ。日常生活において、そう変化するようなことは起きませんし、楽しいという気持ちにはすぐに慣れて、そう感じなくなってしまいますから。

だから、自分に嘘をついてまでやっているのなら、それは別の話だと思いますよ。だから、あなたが疑問に持つ前向きという考えは前向きじゃないです。

いやだいやだという気持ちが慣れる事を邪魔しているのでしょうけど、大抵は自然と消えると思いますよ。

前向きな考えというのは難しいですね。楽しいと思っていれば常に前向きかというとそうともいえませんからね。
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この回答へのお礼

自然に慣れて気にならなくなれば良いのでしょうが、
それが何でもなくなっていく自分に
腹立たしさをおぼえたりもするのです。

相対評価ではなく、絶対評価的に
自分がありたい姿というか環境があるのですが、
それに向かって次はこう努力しよう!と
思うのが「前向き」なんでしょうね。

あぁ、難しいですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/14 02:28

満足度を下げているのではなく、人間の生理機能を生かすためのコツなんです。


分かりやすく言うと「風が吹けば桶屋が儲かる」システムなんです。

私も同じ疑問をもって、「何をありきたりなくだらないことを言ってるんだ」と
長い間、蔑んでいた一人ですが、勉強して考えが変わりました。

言われるように、不遇な環境に迎合する為とか、貧乏に慣れる為の自己暗示ではなくて、

良いイメージを持つと、気持ちが良くなります。
気持ちが良くなれば、脳内に癒しホルモンや、やる気ホルモンが分泌されます。
ホルモンが分泌されれば、さらに幸せな気分になります。
幸せな気分は自律神経の副交感神経を働かせます。
副交感神経が働けば、人体の持つ免疫力が向上し、自然治癒力が高まります。
自然治癒力が高まれば、薬無しで病が消滅することもあるんです。

「風が吹けば桶屋が儲かる」システムは、まさに人体の生理機能そのものなんです。
これは身体の病気だけではなく、メンタルヘルスにも同じことが言えます。

「なんか嫌だな」と愚痴や文句ばかり考えていると、
それがご主人様の命令なので、脳内分泌物もそれに準じて出なくなります。
ご主人さまが暗いことを考えていれば、気持ち良くなる分泌物を出す必要が無いからです。
気持ち良くなる分泌物が出ないと不眠、不安、食欲不振、ノイローゼ等になります。
そうすると緊張を司る交感神経が優位に働き続け、免疫力も低下します。
そうすると病気がちになり、さらに愚痴を言いたくなるような出来事が起こるんです。

と、かなりいい加減な説明ですが、
つまり「相乗効果で良くも悪くもなる」ということです。


ご質問者さまの場合は将来への希望や、夢というのがテーマだろうと思いますが、
それならなおさらポジティブ・シンキングを癖にすると良いと思います。

佐藤富雄氏の口癖に関する本をお薦めしますので、是非、読んでみてください。
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclien …

あと、同氏の本にも紹介されていた本ですが、
「大きく考えることの魔術」(D・J・シュワルツ)という本もお薦めです。
塩谷信男氏の「正心調息法」という呼吸法+想念法もお薦めです。


前向きとは生理機能の活用法なんです。
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この回答へのお礼

同じ経験をされているのですか。
今はポジティブになられてますか?

何事にも前向きに取り組んでいれば
いつ巡ってくるか分からない”チャンス”を
逃さず掴み取ることが出来る、
逆にネガティブだと全てのチャンスを逃してしまう。
といったようなイメージなのでしょうね。

本は本屋に在庫がなかったようなので
またの機会に読ませていただきます。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/16 00:26

面白い質問ですね。



自分の満足レベルを下げているだけ・・・なるほど、そうかもしれません。
でも、明らかにそちらの方が自分の気持ちに心地よいものです。
「前向き=満足レベルを下げる」
という図式はあるいみ当っているのかもしれませんね。

でも「満足レベルを下げられない=いつまでも不満足」では
どちらにしても不満なままですよね?
満足レベルを下げた上で、上を目指すのではダメですか?

私も若い頃は何をしても満足を得られず、いつも「面白いこと」を
追い求めていました。でもここでいう「満足レベルを下げた」ことで
毎日がとても充実したものになりました。
でもその上にある目標は変わりません。
どう頑張ってもとても達成できるようなものではないけれど、
目標を落とすことは出来ない、一生かけても頑張ろうと思っています。

嘘を付くのではなく、その良さに気付くことは悪いことではないですよ。
例えになるか分かりませんが、大人になると子供の頃は食べられなかった
野菜なんかが美味しくなることがあります。
小学生の子供が「将来はケーキを腹いっぱい食べてやる」という野望?を
持っていたとします。でも目の前には苦いビールしかない。
ケーキを夢見て大人になったけれど、美味しくないビールを飲んで
居るうちにビールを飲むことがとても心地よくなった。
ケーキの夢は持ち続けながら、ビールも堪能できる。
これって、嘘じゃないですよね?
だって心からビールを満喫することに嘘を付いてもしかないですもんね。

きっとsakocchiさんはまだ「満喫!」と思えていないのだと思います。
悲観的な人に「前向きに」という言葉をかけている人は
ちっぽけなことが楽しいことを知っていて、ここrから満喫して、
堪能して居るのだと思いますよ。
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この回答へのお礼

確かに、心から満喫している人達なのでしょうね。
あとは自分がそれに気が付くかどうかです。

満足レベルを下げる理由が見つけるのが先か
自然に気が付くのが先か
といったことしか現段階では考えられません。

でも、ちっぽけなことを満喫出来るのは
楽しそうですよね。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/16 00:39

辛い、幸せ


辛い事が過ぎればいい事もある。
別にレベルを下げているわけでありません。
人には耐えられるストレスと耐えられないストレスがあります。もし本当に辛い事を考えているなら人間病気になると思うよ。
春、夏、秋、冬
冬が過ぎれば春が来る。だから人は耐える事が出来ます。
だからがんばりましょう。笑顔でね
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この回答へのお礼

ある意味、病にかかっているとも言えますが。。
春、早く来てもらいたいものですね。
もう冬は2度と来なくていいよー、と言いたいです。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/16 00:45

確かに仰る通りかもしれません。


が、常に原点に戻り感謝する気持ち・・・私は大切な事だと思っています。

「命」と向き合い、日々を生きている私だからこそ、そう感じるのかもしれませんが。


「一日一生」
「幸せはいつも自分の心が決める」
今の私にとって大切な言葉です。


本当に極限状態に置かれれば、きっと今まで何気なく映っていた夕焼けさえも心にジーンときたり、何気ない家族との団欒や、この世の全てのものにそれまでとは全く異なる感じ方をするようになるものです。
そんな状況下にある者にとって「今この瞬間」に感謝し、平穏な日々に幸せを感じられる・・・それは何も無理にそう思うのではなく、もちろん自分自身を偽るのでもなく・・・ごく自然にそう感じるものです。
あなた自身、それを「偽り」だと感じるのは、きっと幸いにもそのような状況下にいらっしゃらないからでしょう。

人間、年齢と共に「欲」を持つのは当然の事であり、それがあるからこそ人として向上できるものです。
が、時として「欲」があるからこそ、本当に大切な事が見えなくなったりするものです。


支離滅裂な文章、すみませんでした。
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この回答へのお礼

極限状態といっても色々あると思いますが、
例えば、海外の難民の子供達など
食べることすらままならず栄養失調で亡くなってます。
そういう状況に置かれれば、食べることが出来るだけ
幸せに感じることでしょう。。。
いいえ、本当にそうでしょうか?
食べるに困らない生活をしてきて、
それが当たり前になったあとですから
きっと、食べるのに困る生活なんて・・・と感じる
と思うのです。

確かに「幸せはいつも自分の心が決める」ですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/19 00:16

精神病者としては、こういった「前向き」にという他人の言葉は偽善っぽく感じますね。


悲観的に考える自分に対して楽観的に考えるべきと言われても自分を否定されているようで嫌です。

病気の本質を知らない周囲の人は悲観的に考えるから病気が悪くなるのであって楽観的に考えることができたら病気が治ると思ってしまうのでしょう。
私も病気になる前はそう感じていました。

「前向き」という言葉は元気付けようとしてくれる行為であって悲観的に考えるあなたを気遣ってくれる親切です。

言葉そのものの意味を深く考えるよりも言葉を言ってくれた行為に目を向けると良いかも知れませんね。
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この回答へのお礼

偽善というより、
「自分が本当に心から感じてはいない言葉」
(うわべだけの説得力に欠ける言葉)
に聞こえます。
yakumosanの仰る通り、
悲観的な考えを否定されているだけにも
感じられます。

親切ですか、
中にはそういう方もいらしたのでしょうね。
確かにその気持ちに感謝しなくてはなりませんね。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/19 00:35

 肩の力を抜いて読んで頂けると嬉しいです。



 初対面の人と会った時を思い出して下さい。友人の友人や、職場の同僚、同じクラスの人など。初めて会って会話ををした時、あなたはその人の欠点よりも、「親切な人だな」とか「話が合うな」という様に、いいところを見ていたと思います。そんなに意識せずに。
 そんな単純なものだと思います。嫌なところより好いところを見たい、その方が楽しいじゃないか。そんな、単純だけど発展的な考え方が『前向き』だと私は思います。
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この回答へのお礼

某CMでやってますよね、
0(ゼロ)に無限の可能性を感じる、と。
etwasさんの仰るような全く新しい環境、
つまりゼロからのスタートでは
確かに無意識に良いところを見てたような気がします。
話がズレますが、無(ゼロ)に帰すことも
時には必要なのかもしれませんね。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/19 00:42

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