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「辛いのに耐えていれば、小さな事でも楽しく
 思えるようになる」とか
「小さな事でも楽しい!って思ってた方が人生楽しいよ」
とか
「仕事が辛い?働けるって素晴らしいじゃないか、
 前向きに行こう!」
とか
悲観的な人に向けられる言葉って色々ありますよね。
私もなかなか前向きに考えられない一人ですが、
これって、

「自分の満足度のレベルを下げているだけ」

じゃないかと思うのですが、どうでしょうか。
私はそう考えてしまい、何故自分を偽らなければ
ならないのかと悔しくてなりません。

確かに大して楽しいと思ってないことを楽しい!
と思うこと自体は
”前向きな考え方”なのかも知れませんが、
裏を返せば楽しいと感じないレベルの話を
”楽しい!満足!”と自分に嘘をつかせて
いることになります。
それが果たして”前向き”なのでしょうか?

これらの”言葉”の例にも問題があるかもしれませんが、
皆さんの「前向き」ということについて
ご意見をお聞かせ下さい。

A 回答 (17件中1~10件)

ありきたりの小さいことを楽しいとおもう、


というのと、
大して楽しくないことを楽しいと偽って満足のレベルを下げる
は、違うと思います
楽しくないことは無理に楽しむ必要ないと思います…

しかも、その考えを あなたが 採択しないのなら、
そもそも、悔しがる必要もないわけです…

ある知人が私に向かって
<あなたの言うことは正論だ、前向きすぎて疲れる>という言葉を吐かれた事がありますが、
私から見たその知人は、<ギャップの大きさばかりに目を向けて、しないための言い訳をさがすひと>です。いつも悩んでる割に、悩むことにエネルギーを使いすぎて、実際次はどうしようという思考まで手が出せない。…それって 悩んだ甲斐がないというか、
もったいないなあと思ってますが、。。マイナス思考はこういうものだと私はとらえます。


100点を目指す人は、自分が80点だといって怒ってます
その80点は不満でしかない

私は その人から見て60でも、その自分が好きで、いまは60点でも明日も60点のままじゃないという自信があるから、あと40点足りないとか、あの人は80点なのにということに、
自分の満足度を下げたというふうに考えてないです

現状に不満がないと向上できない(満足すれば退化すると思う人がいる)、の方が
よほどふしぎです
満足しつつ、余力があれば改善、でいいのに…

今もってるものを大事にしつつ、
味わえるたのしさを享受しつつ、いいものがあれば ひろう、ということではないかと。

どちらにしろ、自分が得になることをしていったらいいと思います
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この回答へのお礼

なるほど、
自分が得になることをしていけば良いわけですよね。
今持っていることを大事にすることも大切ですね。

brightsideさんの考えって自然体ですね。
なにやら気張ってないというか・・。いいですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/20 19:22

人生を相対主義的に見れば、そう言ってもいいんじゃないかと思います。



ただ、とことん相対主義に、シニカルに言えば、人間、別に前向きである必要はないので、まあ波があっても生きていければいい、適宜生きて、自分の望むモードで終われれば幸せだと考えています。
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この回答へのお礼

皆さんの回答を見ていると
色々な考え方があるなぁ、と思いました。
ちょっと混乱気味です。

でも、tibikinsantaさんのおっしゃる通り、
自分が望むように終われば幸せですよね。
前向きが自分にとって無理があるなら
それは自分にとって幸せとは呼べないでしょうし、
考え方は色々ですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/27 22:12

NO7の補足


冬はきます。
しかし、冬に耐えることが出来る知恵と経験によって乗り越えるものだと確信しています。
また時間が来れば春になると確信しています。
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この回答へのお礼

確信されていると仰るような
根拠となる経験が不足している為、今の私には
来るかどうか分からない春に期待する事は出来ません。

確かに辛いことは必ずやってきますよね。
乗り越えられるように頑張ります。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/20 19:25

こんにちは。


「自分の満足度のレベルを下げているだけ」 というの、よく分かります。

どうしたって、辛い事は辛いし、つまらないものはつまらない。
それを、「楽しい」と思うのは、一種の洗脳ではないでしょうか。

わたしの思う、本当の前向きとは、「楽しいと思える事をずっとしつづけられる為に頑張る」ことではないかと思います。言い方を変えれば、「欲しいものを手に入れるために頑張る」ということでもあるのですが・・・。

例えば今の会社がつまらなくて嫌ならば、もっといい会社に転職できるように辛くても仕事を頑張って、スキルを身につければ、もっと楽しい仕事につくことが出来るでしょう。

また、残業が嫌なら、残業のない会社を必至で探すとか。

つまんない話ばかり聴かなくちゃいけなくて辛いなら、話の面白い人を積極的に探すのです。すぐにはみつからないけど、100人くらいあたったら、一人くらい面白い人に当たると思います。

そうやって、満足いくまで求めて求めて求めることが、前向きだと思います。

ただし、自分の欲しいものを、ひとつひとつ手に入れて行くと、最後は、なにも欲しくなくなるんじゃないかなとも思います。
最後には「なにを手に入れても同じ」そう思ってしまうと思います。

いくら憧れていたものだとしても、それは、手の届かないところにあるから輝いて見えるのであって、自分のものになったらとても退屈なものだと思う。どんなに面白い人でも、嫌なところはあるし、完璧な仕事なんてないし。結局は全部同じだと思います。だったら、今自分がやっている事をずっとやっていても同じだという事になると思います。

そう思った時始めて、「小さな事でも楽まなくちゃ!」と思えるのだと思うのですが、未熟者の自分としてはとても生意気なような気がして、今はとてもそんなこといえません。そんな事は、限界まで頑張って、地位も名誉も何もかも手に入れたお年寄りがいう事だと思うのです。自分にはまだ可能性もあるし、時間だってある。だから満足してはいけない、と思います。


また、何かを手に入れるために色々苦労するもんだし、そこからとても多くの事を学べるとも思うのですが、若いのに満足してしまったら、大切な事も学べなくなる、と思います。

満足できないのは、何らかの可能性があるからだと思いますが。

私は、sakocchi さんの感覚はまともだと思いますよ。
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この回答へのお礼

私を肯定していただきまして
ありがとうございます。

仰る通り、楽しいものは楽しいし
嫌なものは嫌ですよね。
それを無理に反対に思うようにすることは変です。

楽しいことの為に頑張る、というのが
一番分かりやすい前向きの表現かも知れませんね。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/20 19:11

おっしゃりたいことはよーーーーーくわかりますが、


私は脳腫瘍で大きな手術をしたことがあり、私も死ぬんだということをそのとき知識ではなく実感として知りました。それ以降、冗談のようですが誕生日が来て生きていること、家族がいること、仕事があること、そういった当たり前の日々が、しあわせだなぁと実感できるようになりました。「青い空の下を自分の力で歩くことができる。これ以上の幸せがこの世にあるだろうか」・・・今思うとめちゃくちゃこっぱずかしいですが、退院した日の夏の青空をみて、心底そう思いました。涙が出ました。現状がプラスに転じていくことがだけが「幸せ」ではなかったのです。特殊な経験なので参考にはならないと思いますが私の考え方を「前向きだ」というのなら小さなことで喜んでいるのではなく小さなものの大きさをイヤってゆうほど噛みしめた、というのが実感です。働くこと、健康でいること、四季の移り変わりを実感すること。そういう考えがこの世にもあるのだ。
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この回答へのお礼

失って分かる大切なものってありますよね。
空気のように今まで意識しなくても存在していたもの。
imanaさんは、確かに満足度を下げたのではなく
大切なものに気が付いたと言えると思います。
ゼロに戻ってその感覚を自然と取り戻せるように
しなければならないのかも知れませんね。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/20 18:53

こんにちは。



前向きというとらまえ方は、勿論人それぞれのことですが、小生は単純に“プラス思考”のことと結論づけています。

レベルを下げようが、上げようがとにかく、問題現状があったとしたら、そこへいつまでも、ウダウダとどまらないこと・・そう開き直って割り切れるスタンスが、前向きなことではないのかと思っています。

例えレベルを下げることになったとしても、その方向を見出すために、自分なりに真面目に考えた結果であるならば、それはそれで、前向きの姿勢であったと、言えるような気がするのです。

物事何でもそうですが、表があれば必ず裏もありますし側面もあります・・上を見出したらキリもありません

ある意味で前向きというのは、こだわりのない柔軟な思考のできること・・とも云えるのではないでしょうか。


後ろ向きのことであっても、真剣に真っ正面からその問題に取り組み、顧みることができれば、それはそれで将来に対しては、前向きなことと拡大解釈できる、などとも思ったりする小生は、相当おめでたいのでしょうか・・。

いずれにしても、前向きが全て良いことで、後ろ向きが
全て悪いこと・・などと簡単に言い切れないところに人生の面白味があります。
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この回答へのお礼

考え方が後向きであっても
そこへ留まらず負?のエネルギーを持ってしてでも
現状打破を試みるという姿勢は
結果的には前向きになるのかもしれませんね。

後向きが全て悪いものと思われている
感じがしていたので
kyoromatuさんのご意見でまた新しい見方が
生まれました。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/20 18:39

「前向き」と言う哲学的な質問の解答は一つでは無いと思います。



方法や手段は、生活に支障が出ない程度に悩まれるのも良いかと・・

多分ご自身が臨終を迎える時に、あなたに「良回答」「ポイント20」が出ると思います。
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この回答へのお礼

一人一人違った解答があるということですね。
悩むことも必要ですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/20 15:06

 肩の力を抜いて読んで頂けると嬉しいです。



 初対面の人と会った時を思い出して下さい。友人の友人や、職場の同僚、同じクラスの人など。初めて会って会話ををした時、あなたはその人の欠点よりも、「親切な人だな」とか「話が合うな」という様に、いいところを見ていたと思います。そんなに意識せずに。
 そんな単純なものだと思います。嫌なところより好いところを見たい、その方が楽しいじゃないか。そんな、単純だけど発展的な考え方が『前向き』だと私は思います。
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この回答へのお礼

某CMでやってますよね、
0(ゼロ)に無限の可能性を感じる、と。
etwasさんの仰るような全く新しい環境、
つまりゼロからのスタートでは
確かに無意識に良いところを見てたような気がします。
話がズレますが、無(ゼロ)に帰すことも
時には必要なのかもしれませんね。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/19 00:42

精神病者としては、こういった「前向き」にという他人の言葉は偽善っぽく感じますね。


悲観的に考える自分に対して楽観的に考えるべきと言われても自分を否定されているようで嫌です。

病気の本質を知らない周囲の人は悲観的に考えるから病気が悪くなるのであって楽観的に考えることができたら病気が治ると思ってしまうのでしょう。
私も病気になる前はそう感じていました。

「前向き」という言葉は元気付けようとしてくれる行為であって悲観的に考えるあなたを気遣ってくれる親切です。

言葉そのものの意味を深く考えるよりも言葉を言ってくれた行為に目を向けると良いかも知れませんね。
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この回答へのお礼

偽善というより、
「自分が本当に心から感じてはいない言葉」
(うわべだけの説得力に欠ける言葉)
に聞こえます。
yakumosanの仰る通り、
悲観的な考えを否定されているだけにも
感じられます。

親切ですか、
中にはそういう方もいらしたのでしょうね。
確かにその気持ちに感謝しなくてはなりませんね。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/19 00:35

確かに仰る通りかもしれません。


が、常に原点に戻り感謝する気持ち・・・私は大切な事だと思っています。

「命」と向き合い、日々を生きている私だからこそ、そう感じるのかもしれませんが。


「一日一生」
「幸せはいつも自分の心が決める」
今の私にとって大切な言葉です。


本当に極限状態に置かれれば、きっと今まで何気なく映っていた夕焼けさえも心にジーンときたり、何気ない家族との団欒や、この世の全てのものにそれまでとは全く異なる感じ方をするようになるものです。
そんな状況下にある者にとって「今この瞬間」に感謝し、平穏な日々に幸せを感じられる・・・それは何も無理にそう思うのではなく、もちろん自分自身を偽るのでもなく・・・ごく自然にそう感じるものです。
あなた自身、それを「偽り」だと感じるのは、きっと幸いにもそのような状況下にいらっしゃらないからでしょう。

人間、年齢と共に「欲」を持つのは当然の事であり、それがあるからこそ人として向上できるものです。
が、時として「欲」があるからこそ、本当に大切な事が見えなくなったりするものです。


支離滅裂な文章、すみませんでした。
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この回答へのお礼

極限状態といっても色々あると思いますが、
例えば、海外の難民の子供達など
食べることすらままならず栄養失調で亡くなってます。
そういう状況に置かれれば、食べることが出来るだけ
幸せに感じることでしょう。。。
いいえ、本当にそうでしょうか?
食べるに困らない生活をしてきて、
それが当たり前になったあとですから
きっと、食べるのに困る生活なんて・・・と感じる
と思うのです。

確かに「幸せはいつも自分の心が決める」ですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/19 00:16

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