プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

 3年前に、薬物自殺を図り、「これでやっとらくになる」と思った矢先、「現代医学の最高峰」の技術によって、蘇生されました。
 いい迷惑です。

 で、そのことで「自分が死ぬと周囲の人間が悲しむ」というしがらみを学習したため、勝手に死ねなくなりました。
 ですが、心は常に、この世の中との決別を志しています。

 実際問題、どうしたらいいのでしょう?
 ちなみに、私は、宗教を嫌悪しております。その手のご回答はご遠慮申し上げます。

 何か妙案があれば、師と仰がせて頂きたく存じます。
 
 

A 回答 (21件中1~10件)

No.8です。

年齢性別を確かめず独身者や万人を想定してしまい見当違いなことを書いていたかもしれませんが(でも料理が出来れば人を喜ばせるし自立できますよ)
あなたには家族がおられるのなら、独身者や身寄りの無いお年寄りよりも生きる意味を見出せる余地はあるかと思います。それが苦しみの元だったとしても。

誰かの為に生きる。たしかにしがらみかもしれませんが、そもそも質問者様は、誰かの為に何かを喜んでしたことはないのですか?
会社のためというのはいけませんよ。あれは代わりのきくもので、よほど自分がしたと思えることでないと、裏切られた気持になります。家族の為に苦しんだ、と思うほうが精神衛生上、正しいと思います。
お前の為にしたんだ、とか押し付けがましい気持でいると、喜びには変わりません。感謝されることもないでしょう。

くだらない世の中だと思うのは、質問者様自身が、くだらないものにしているからではないでしょうか?不平不満ばかりでは心が曇るだけ。周囲にも苦しみを与えます。自分から進んで楽しくしようとしない限り、生きる喜びなど起こりません。他人が与えてくれるものではありませんよ。

生きなければならないから、ここに質問したのだと思います。
自殺するのは遺族を精神的な衝撃で殺すも同然だと言います。少しでも自殺をうたがわれる死に方は、ご家族を悲しませるでしょう。生きなければなりません。自殺はある意味テロと同じだと思います。
それにしても母にも妻にも死ねば悲しむ親類縁者・友人がいらっしゃいますでしょうに、殺すと言う発想は男性的なものでしょうか。悲しみ・苦しみがあっても、ほとんどの人間は生きていきたいと願うものなのです。

母にも妻にも生きる喜びを感じる権利があるのです。あなたがすべきことは、ご家族を楽しませ、喜ばせることです。それが自分の喜びとなり、自分に返ってくるのです。それが出来なければ、お互いに別々に趣味を持ち、自分の世界を広げて、会話のタネにしましょう。とにかく、スポーツ観戦とか、何か趣味を作りましょう。
妻との間に性的な関係がすでに無かったとしても、なおさら、肩をもんだり手を握ったり、スキンシップをはかりましょう。心が落ち着きます。

本来ならば人の心には、死にたいと思う闇があっても、また、生きてやる、という方向にもどるようになっています。いつまでも死にたい気持が続くのは、心のバネが利かなくなっている状態で、健康な状態ではありません。疲労がたまっているかホルモンバランスが崩れているか(男の人にも更年期はあります。更年期なら4~5年で好転します。)なのかもしれません。一度病院でしらべてもらったらいかがでしょうか。

妻や母や他人に期待しすぎて、不満を溜めてはいませんか?感謝されることを期待するよりは、相手に感謝して、その気持を伝えればお互いの気持が癒されます。声を出して『ありがとう』と言うのは難しいですが、努力してみてください。不平不満は言えば言うほど増えるものです。逆に、相手の苦労をねぎらえば、心が軽くなると思います。
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この回答へのお礼

 何度もお気遣いを賜り、感謝に堪えません。

 おっしゃるように、自分には、不満が多いと思います。
 また、「生きなければならないからここに質問した」というのも正解です。取り繕って何になりましょう。そのとおりです。

 脳内の快楽物質が不足するという、ある意味致命的な脳内疾患「鬱病」ですので、これはあらためて病院へ行くまでもありません(厚生省が認める最大量を投薬されて、この程度です。)。
 週休4日制ならおそらく最前線で働けますが、それ以上は物理的に無理です。しかも、急に休まざるを得ないことも起こります。

 社会復帰は、まだ先になりそうです。
 しかし、このような自分を支えてくれる人たちが不憫でなりません。

 そういう意味では、周囲へ感謝し、労をねぎらう努力は、増やしていきたいと思います。根本解決にはなりませんが。

お礼日時:2006/11/30 20:20

最初に要約を書きます。



(1) しがらみがあるのであれば,切ればいいのではないでしょうか? 例えば,周りの人から嫌われる努力をしてみるとか?

(2) 他の回答へのお礼で健康面を理由に提案されたことは無理だ,と書かれていますが,それって「死にたい」というのと矛盾してませんか?

(3) とりあえず骨髄バンクにドナー登録してください

まず(1)ですが,しがらみが死ねない理由なのならば,周りの人に徹底的に嫌われてしがらみをなくす努力をしてみてはどうでしょうか? 些細なことでキレるとか,逆に何を言われても冷笑するとか,嫌われる方法はいくらでもあるでしょう? そうまでしたくないというのであれば,あなたの「死にたい」という気持ちはその程度のものでしかなかったということなので,あきらめて生き続けてください。

次に(2)ですが,死にたいと言う人が健康のことを気にするのはやはり矛盾してるのではないでしょうか。本当に死にたいのであれば,健康を害するくらい無理をしても問題ないのではないかと思うのですが。JICAでも傭兵でも,あえて体力の限界を超える仕事をすれば,ご希望通り死に近づける可能性が高くなります。また,体力が無くても危険な仕事というのはいくらでもあると思います。例えば,暴力団の悪業を告発するとか。そんな大変で辛い思いをしてまで死にたくない,というのであれば,やはりあなたの「死にたい」という気持ちはその程度でしかなかったということですから,あきらめて生き続けてください。

最後に,これは他の方も書かれていますが,軽々しく「死にたい」などと言うのは,病気でも必死で生きたいと思っている方々に失礼ですので,どうしても死にたいのであれば,そういう方々に臓器を提供するくらいはしてください。また骨髄ドナーは生きているうちしかなれないので,できるだけ早く登録して,「生きたい」と思っている白血病や多発性骨髄腫の方々のために,死ぬ前に少しでも役に立つことを考えてみてください。
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この回答へのお礼

 ご回答に感謝します。

 私を怒らせて生き甲斐を与えてやろうというご配慮に、感謝します。
 論理的に破綻なさってますが、わざわざここへお書きくださったということは、それを承知の上なのでしょう。

 まだまだ世の中捨てたものではないような気がしてきました。

 骨髄提供の手術の影響で死亡という方法論もあるという点は、論理的です。すばらしい。

お礼日時:2006/12/04 02:25

#5です。

くどくてすみません。

先に紹介した本を是非よんでみてください。飯田史彦の『生きがいの本質』あたりがいいかもしれません。

人生の課題ですが、どうもその本によると、課題は自分でつくってきたもののようです。誰から与えられたものではなく、自分が学ぶためにここそこにちりばめた課題があるそうなのです。なので、自分で越えられないほどの大きな試練はつくっていない、と。自分の困難がかなり大きいというのは、あなたの魂のレベルが高いから、高い試練を自分に課しているということらしいです。(小学生に微分積分を解けといってもむりなこと。でも、理系の高校生や大学生なら『わっかんないよ~』といいながら解いていくでしょう?)


もう一つ。人は誰かの役にたちたいって願望があるでしょう?逆に、役にたたなくなったらもうおしまいだ、と。ちょっと前まで、私は人に迷惑をかけまいと、人になるだけ助けができるように、と心がけてがんばってきました。人を助けると、すごくうれしいわけです。人様の役立つことをする自分が生きている証しのような気がするわけです。

で、あまり人様の役に立てない時期がきました。人に助けをかりなければものごとがまわらない。苦痛でした。でもね、私を助けてくれた人たちは、私を助けたことで幸せを感じたりするわけです。『あなたの力になれてうれしいわ。』と。

ちょっと前まで、老人になることがこわかったです。なんのために生きているんだろう、と。社会に貢献できなくなっているじゃないか、と。(すみません。)でも、その老人の方を世話している人たちは、自分が役立っていることを実感して幸せだとおもうのです。なので、老人のかたたちは、若い世代の人たちに『人の役にたたせてあげる』という役割をしているわけですね。

あなたが自殺未遂をしたことで、悲しんだ人たちがいたわけですね?蘇生するのに努力した人たちもいるわけですね?うそでもいいですから、『助けてくれてありがとう。』と言ってあげてみてください。その言葉だけでその人たちを幸せにしてあげられますよ。

あなたは生きていかなきゃいけないときめた。
この世はくだらない。
健康上の理由で、多くのことはできない。

だったら、とりあえず、口先の言葉だけでいいですから、身近な人に感謝の言葉を伝えることで、まわりの人を幸せな気持ちにしてあげてください。世の中がくだらないんだったら、それぐらいのうそをついても、あなた側にはなんの損もないでしょ?
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この回答へのお礼

 再三済みません。

 生きる課題については、ニーチェ的な発想で「困難をこなすことが超人への道への貢献」と考えても良いのかもしれません。
 たしかに、「難易度の高い、鬼のように不幸が続くRPGの方が、やり甲斐がある」ともいえます。

 ですが、そこまで鷹揚になれないのが実情です。

 とりあえず身内には感謝を絶やさないようにしてみます。

お礼日時:2006/12/04 02:21

自殺しなくても、他人を殺さなくても、ほっとけばいつか死ぬのだからしないほうがよい、と言っていた作家がいました。



私もあと50年は生きてしまいそうで、正直うんざりです。

質問者様はそこまで長くはないようなので、我慢して生きてください。
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。
 
 なるほど。
 たしかに、ほっといてもあと30年は生きるでしょうが、そのあとは勝手に死んでしまうでしょう。

 残る人生を湯有意義に使いたいのに、それができない制約を不幸と考えるからいけないのかも知れません。

 社会の寄生虫で30年生きても、それは悪いことではないかも。

 少々、目から鱗でした。

お礼日時:2006/12/01 16:08

No12のaoi35です


まず最初にお詫び申し上げます。
>健康面から来る影響によって経済的に。
質問の内容に自殺の原因に関する事が何も書いていなかったので
何となく心理的に自殺を考えているのかと思い込んで書き込んでしまいました
私はnebura71様がどのような方で何歳でどんな状況かは解りませんし
もし教えていただいたとしても”その気持ち解りますー”なんて
白々しい嘘やゴタクを言う気もありません。
nebura71様はこの世に一人だけです、同じ気持ちの人間も居なければ
100%気持ちを解ってくれる人も恐らく居ないでしょう、
正直言いましてこれかたどうするのが1番良いのかは難しい問題です。

個人的な話ですが私の父もケガで入院した事が有りまして
首の骨を折る重傷でその時には、家族皆で
”このまま全身麻痺の状態になったらどうしよう、、、”
”全身麻痺で本人が自分の意思で動けず苦しむくらいなら、、、”
等の話をした事を昨日の事の用に思い出します。

今現在、父は意識は有りますが身体障害者として生きています
本当に本人にとって今結果が幸せなのかそれとも事故の時に
命を失っていた方が幸せだったのか本人でないと解らない事です。
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この回答へのお礼

 度々お手を煩わせてしまい、恐縮です。

 お詫びなど、とんでもないことです。
 本当に「nebura71などどうでもよい」と思った人は、最初からコメントなどなされないでしょう。ありがたいことです。

 たしかに、そのとき死んでいた方が幸せだったかどうかは、歴史や人生に「if」が無い以上、誰にも判断はできないでしょう。
 ただ、自殺未遂後に生還したあとのこの3年間は、幸せた・・・いや、ちがいます。断言はできません。それなりの苦痛も同等以上に存在はしましたから。

 いずれにせよ、私を大切に思ってくれる人への感謝は、十二分に表現しようと思いました。
 問題は、自分の今後の処し方なのですが、やはり難しい問題です。

 アドバイスに感謝いたします。

お礼日時:2006/12/01 16:05

「くだらない世の中」と決め付けた人に妙案はありません。

世の中といえば家族も友人も捨てるということです。「学習」で「周囲の人が悲しむ」ことも重要ながら、自分の生きることの意味を学ぶべきです。
「人に相談する」のは世の中に甘えること、人に相談するより自分で解決すするしかこの場合方法がありません。あなたの場合、評論家になり切って、前向きな考えること行動する努力がないのです。

私達は100才まで生きても、今の楽しいことが終わりません。自分で苦労して勝ち取った幸せを大事にしています。それはすべてを否定するより「肯定」することから始まっています。宗教など関係なく、私は今日生かされていることに感謝しています。世の中の人はみんな精一杯生きる努力をしているのですが、そこから生きる意味を納得しています。
「くだらない」この発想だけはやめましょう。
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この回答へのお礼

 アドバイスとしての参考のご意見ですから、参考にはさせて頂きます。
 自分も、回答者様のように、躁状態が常に続くと嬉しいのですが、長続きしません。情けない限りです。

お礼日時:2006/11/30 20:22

死んでしまえば、カラスに食われようが問題ないということでしたら、


死んでしまえば残った者がどうなろうと問題ないとも言えないでしょうか。

遺族が悲しむのが困るのでしたら、「悲しいけど褒められる」方法をとるのはどうでしょう。
・子供をトラックから守って身代わりになる。
・女性を暴漢から守って身代わりになる。
あたりはいかがでしょう。
なかなかチャンスはないでしょうけど。

生きながら死にたい人が向かうのは宗教以外に戦場もあります。
外国人傭兵として、紛争地帯で戦うのはどうですかね。
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この回答へのお礼

 貴重なご意見をありがとうございました。本当に。
 
 実際、自衛官か何かになって、「戦い」という後ろ向きなことではあっても、誰かに貢献できないかと考えた時期もありました。
 しかし、心身の問題と年齢で、戦う能力すら無い有様です。

 また、フランス外人部隊がつとまるようなら、日本の企業戦士の方が敷居が低いでしょう。
 
 戦争に例えれば、今の自分は、野戦病院は担ぎ込まれて6年も経ってしまった歩兵・・・という感じです。
 いくら本人の士気が高くても、こんな兵士、後方送り以外に、選択肢などあるのでしょうか?

 いえ、反論のための反論を申し上げているのではありません。もしもお気に障りましたらすみません。
 おっしゃる方法も、たしかに妙案の一つ(いえ正確には2つ)です。
 ただ、私には使用できません。残念です。

お礼日時:2006/11/30 20:09

学習したのならあとはだらだら生きて年老いて死ぬかもしかしたら運良く事故にあって死ぬかもしれません。


私も宗教はまったく信じていませんが、そんなにこの世と決別したいなら宗教にでも拝んで死にたいと願ったらいいのでは?叶うかどうかはしれませんが。
ただ死ぬのは勝手ですが、あとかだす人の事だけは考えて下さい。
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この回答へのお礼

 なかなかパラドックスなお答えです。

 後かたづけのことを考えて、葬祭場か葬儀社の裏で死ぬことにしましょう。それもダメなら、火葬場という手もありますね。

 たしかに、 かだす のは大変でしょうから。

お礼日時:2006/11/30 20:03

宗教を嫌悪しているとのことですが、こういう時に一番いいのはその宗教なんですがね。


昔から、この世に絶望を感じた人が、山門を叩いて出家していますから。

場所にもよりますが、初心者向けに座禅を組ませてくれる寺などもありますので、そういう場所に通って、一度自分の人生を徹底的に見直してみることをオススメします。
『座禅』『初心者』といったキーワードでググッてください。

それか、どうせ一度捨てかかった命なら、世のため人のためになることに生涯をささげるのも一つの生き方でしょう。
自分で自分の世話ができるくらいの社会的常識と能力が必要ですが、青年海外協力隊に参加して、何年か人のために汗を流す生活を体験してみるのもいいかもしれません。

参考:『JICA-青年海外協力隊』
 http://www.jica.go.jp/activities/jocv/ 
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この回答へのお礼

 的確なご回答に感謝申し上げます。

 JICAは、私も考えたのですが、JICAへ参加できるくらいなら普通の社会復帰ができるという現実の前には、あまり意味がありませんでした。

 すみません。

お礼日時:2006/11/30 20:00

こんにちは、


1、死んだ後で棒で突付かれようがカラスに食べられようが本人には解らない
2、悲しんでくれるのは有難いけどソレも死んでしまえば解らない
この2点は私も同感っていうか言ってる事は理解出来ます。

でもねっ 逆の事も言えませんか?
親戚とか同級生がもし死んだとしても葬式には行くと思うし
勿論悲しむけど、そうそう何年も思い続ける事も無いし増してや
毎年の命日にお墓参りに行く事も無いですよね。実際、私もそうです。 
何かの拍子に”あっそう言えばそんな奴が居たな”て思い出すぐらいです

>実際問題、どうしたらいいのでしょう?
今のままで良いんじゃないですか?
”如何しようかなー 死のうかなー”って思って要る間に
歳をとって死んで行くんじゃないですか?
心配しなくても無理しなくても人間だって動物ですからその内に死ぬよ。
案外、私だって交通事故で明日の今頃はポックリ行ってるかも知れないし、

答えには成っていませんが私の意見を書いてみました。
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。

 たしかに、「今のままなんとなく」というのも選択肢の一つかも知れません。これは、叡智のある方でないと回答できないことだと感じました。ありがとうございます。

 ただ、その「今のまま」の状態を維持することが困難になってしまったのです。(特に、健康面から来る影響によって経済的に。)

 実際に受給している方々を侮辱するつもりは毛頭ございません。
 ただ、個人的に知りたく思います。
 スウェーデン型ではなく日本型の生活保護を受けることによって、健康でも文化的でもない最低以下の生活を送ることに、生きていく意味というのはあるのでしょうか?

 また、もし「ある」としたら、経済的に困窮した人間が年間3万人も自殺している理由は何なのでしょう?
 私が加わったとしても、数に影響はほとんどないです。

 すいません。
 ご意見でしたね。
 正論、身に染みます。ありがとうございます。 

お礼日時:2006/11/30 19:58

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