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質問させていただきます。
私は現在、地方金融機関に勤めて三年目の25歳、男です。
今英語の高校教師になりたいという思いが強くなっています。
働いているとやり甲斐など全く感じず、数字の目標を達成しても満たされるものがありませんでした。
最近、これまでの人生とかこれからの人生を考えることが多く、本当にやりたいことは英語教師であると気づきました。
経緯を書くと
・高校卒業の時、教師になりたいと思っていた。なぜなら塾での講師の教えている姿に憧れ、その教え方をまねて一部の人に教えていたら、すごく理解してくれ喜びを感じた。その教え方で学校で教えたいと思った。また、高校のときの担任がすごく頼りになってこうなりたいなと思っていた。中高とバスケをしており、顧問も尊敬していた。だから卒業の時英語教師、部活顧問になろうと外語大学を受験するも落ち、私立大へ入学しました。
・しかし、外語大学への憧れが断ち切れず、とある外語大へ編入学。
・そこで経済や経営の面白さを学び、特に会計が面白くなり、簿記などを取得。経済や経営、そして会計などが大きく関与している銀行に就職したいと思い、メガバンクで海外勤務したいと就活をするも落ち、現在の地方金融機関へ。そのときは金融機関は給料もいいし、世間的にも評判いいし、そういった他人からどう思われるかをメインに選びました。
しかし、正直ノルマはしんどいし、数字のためにまったく世間に役立っていないこともする。理想と現実のギャップを感じているところです。
そのような中で最近本当にやりたいことって英語教師だと思い返して感じました。

チャレンジするにもやはりリスクは伴います。幅広い方の意見が聞きたく、ここで相談したいとおもいました。
現在の私の状況は
・社会人三年目、あと半年程で26歳になります。
・資格はTOEIC700、簿記二級、現在英語をもっと勉強してもっと向上させます!
・教員免許なし

上記を踏まえ質問したいことは、
(1)年齢的、今後の就職状況、教育現場の状況など総合的に判断して私の考えは甘く、現実的ではないでしょうか。
(2)仮に目指すと決めたら、通信、科目履修生のどちらかになります。科目履修の場合、現在地元で就職したため、大学のあるところまで行かなくてはなりません。下宿です。教育実習などは科目履修生でもできるようです。その場合、地元にある大学の科目履修生となり、教育実習だけは卒業先のところで受けるなどできるのでしょうか?

どんな厳しい意見でも結構です。是非書き込んでいただけると助かります。また同じ境遇の方なども書いていただけると助かります。
是非よろしくお願い致します。

A 回答 (2件)

 こんにちは、少しばかりお話ししましょうか?。

つまらない茶飲み話にお付き合いいただければ幸甚です。
隣の芝生は青いなどと申します。確かに自分の現実を自分の目線からみれば、他の人にうらやみを持つことなどごく日常的ともいえます。僕もそんな一人です。企業勤務と大学教育に携わる二足草鞋といえば格好の良いことかもしれません。けれども現実にはそんなに格好の良いことでもありもしない。勤務する企業とは全く無関係な領域を個人の関心から拘り続けているからこんな捻れた形になっただけの話です。
 とはいえ、それが一服の清涼剤的な役割を果たしていることも一つの現実ではある。企業は大人達の世界ですが、その底流にあるのは子どもと同じセクト主義や異なる価値観を排除する身内の論理で集まりたがる傾向がまだまだ根強くもある。特に女子社員はそれが強、自身を肯定するために男性の上司に擦り寄るなどのいやらしさもある。
 その一方で、大学(僕の属する領域分野)はある意味で一匹狼的な形が最大限に求められるなどの懐の深さもあります。共同研究と個人研究が互いに成果の上に共鳴し合う、音叉の共振現象的な世界でもあります。
 質問者様が高校時代に憧れた予備校の教員も決して文科省の教職資格取得者ではないかもしれません。教職資格の取得には一定の要件が求められ、更に試験に合格して採用されても、毎時の教案作りには常に指導要領との縛りがある。ガイドラインとはいってもそれが拘束力を持つことには間違いもなく、いざ授業を始めようとしても先ずは前回の復習から始めねばならず、年間のコマ割数との間にどうしても齟齬が生じてしまう。遅れを取り戻そうとすれば、ある程度のラインを設け見切り発車しなければならない。こうした事態に苦悶する現場の教員がどれほどいることか。
 教える側に対する憧れと教えられる側にどれ位の温度差と隔たりがあるのか、お考えになったことがあるでしょうか。先日も5年後を目処としてセンター試験を廃止するとのショッキングな見出しが新聞に見られました。現在小中学校の6年次・3年次を対象として行われている全国学力調査をいずれは高校まで広げていくなど、予想も難くありません。その一方で全国一律のガイドラインを設けるとの前提には、国定教科書の復活もあります。
 小学校一年次の国語の教科書を開くと、そこには「さいた さいた さくらが さいた」とのことばがみえますが、4月8日頃の東京では桜は満開かもしれません。けれど北国や日本海側の豪雪地帯では、まだ雪が降っていて桜の咲く気配などどこにもないかもしれません。奄美や沖縄では既に初夏の花が咲き始めているかもしれません。そうした地域性の違いなどを無視しあるいはどこかに置き忘れた教育が国語の教科書が、果たして子ども達の言語生活にどの様な影響を及ぼすかと考えるなら、僕は空恐ろしくそして罪深い仕事を強いられていると現場の先生方に同情せざるを得ません。
 英語が好きだから英語の先生になりたい。果たしてこれが「学校教育の英語」と「一般の英語力」と等値であるといえるのか。僕は疑問視しています。規定方針として事実上のゴーサインが出された「小学校中学年からの英語教育」ですが、現状を見てもフラッシュカードで単語それも名詞を憶えさせ、日常会話的なフレーズを憶えさせることだけに主眼が置かれています。
 けれども「語学教育としての英語教育」の意味を考えるなら、英語は意思を表すための手段であり手掛かりですから、とどのつまりは「話すべき内容」「伝えたい内容」を如何に「言葉として表現するか」とのロジックを培わねばならないことなど、現状のスタイルにさほどの意味があるとも思われません。
 主語と主題の使い分けを日本語ならば「は」という助詞の機能で説明しますが、英語では語順で説明しようとします。語順の意味を理解させるなら、文型の説明や疑問文の構造などといった文法の説明も必要です。そうした「教科目教育法」が教職課程での必修科目に位置付けられていることを踏まえるなら、やはり教職課程をイチから取得するために社会人枠での入試を受けることをお勧めします。そして同時に学部での専門単位取得も前提になります。
 教職課程には「教職に関する科目」と「教科に関する科目」の2つの括りがあって、前者は教職免許を取得する学生には共通の必修単位として取得することが義務づけられ、後者は教科目毎の専門単位ですから学部の専門科目と重なります。
 また現在では教職に関する科目として、特別支援学校教員以外でも小中学校教員を志望される方には7日間以上の介護体験が必須単位として設けられています。
 そして小中高共通でいわゆる教育原理(教育学概論)・教育心理学(児童心理・青少年心理および一部の発達心理学を含む)があります。同時にカウンセリング能力も求められます。英語の能力だけで教員になれるとお考えでしたら、それこそ危険な行為ともいえます。相手は発達途上にある子どもさんです。一人一人成長状態にデコボコがあります。大人だからTOEICや英検が通用するのであって、白紙状態の子どもにそれがそのまま通用するでしょうか。かなりの距離感があります。違和感もあります。
 もし質問者様が公立学校の教員を目指すのであれば、「特別免許制度」があります。文科省のサイトに事例が示されていますので、そちらをご覧いただければご理解の手助けになるかと存じますので、是非ご一読をお勧めします。逆に予備校や学習塾ならばそうした資格は必要もありませんが、逆に厳しさが(不合格者を出さない。そして毎年毎学期の学校の授業動向と試験動向をタイムスパンを短くして詳細にチェックしていくなどの細かく緻密な作業)求められます。
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ノルマがこなせずに上司からしじゅう罵倒され,「この野郎,ぶっ殺してやる!」という状況まで追い込まれているのなら,辞めてどうなろうが殺人犯になるよりもましだと思います。

でも,ノルマはこなせているのでしょう? つまり,三年目で仕事人のかたちがついてきたんじゃないですかね。

理想と現実のギャップは,どこにでもあります。文脈からまだ未婚のようですが,結婚したらその極限を味わいますよ 爆。そして職場が気の休まる極楽になる。
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