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 太平洋戦争中、日本は負け戦も勝ち戦と虚偽の発表を連発してきましたが、普通に考えてバレバレだと思うんですが、なぜ国民は信じ続けていたのでしょうか?

・開戦からの戦果を総合すると空母50隻撃沈くらいになるはずなのに、内地には艦載機が押し寄せてくる。対する日本の戦闘機は殆ど見ない。
・連戦連勝のはずなのにガダルカナル→サイパン→フィリピン→硫黄島→沖縄とだんだん敵が内地に近づいてくる。
・パイロットや水兵は途中何度も内地に帰ってきて休暇を取って国民と接触しています。そこで戦地の悲惨な状況が国民に漏れる。いくら緘口令があっても全員が新聞報道どおりの嘘をつき続けるのは難しいと思います。

↑こんな状況なら「新聞は嘘。実は日本は負けてる」と噂になっても良いような気がしますが、勝っていると信じている人が多かったそうです。なぜですか?

A 回答 (11件中1~10件)

>普通に考えてバレバレだと思うんですが、なぜ国民は信じ続けていたのでしょうか?



大本営発表は、レイテ湾会戦以降誰も信じていませんよ。
レイテ湾敗北後、軍部は「兵士に、緘口令」を命じましたが「口に戸を立てる事は不可」です。
色んな情報が、正確に日本に流れています。
田舎に住んでいた私の爺さんも、知っていましたし・・・。

>勝っていると信じている人が多かったそうです。なぜですか?

「負けている」と一言でも言うと、非国民・国賊として憲兵・特高に逮捕されて拷問が待っています。
逮捕されないまでも、村八分です。
今でも、中国・韓国の報道を見れば理解出来るでしよう。
自国・自政府に都合の悪い事は、全て「無かった事に!」が合言葉ですよね。
報道機関では、一切報道しません。
韓国人も、皆が皆「加害者(日本)の罪は、1000年たっても消えない(朴大統領)」「天皇は、土下座して謝罪しろ(明博前大統領)」と思っている訳ではありません。
反日行動をすると、韓国政府から報奨金が貰えるので「小遣い稼ぎ」で行っているに過ぎません。
※「日本人10人を殺すと、ハワイに御招待」という、ブラックジョークも流れています。^^;
韓国南部では、北九州発の日本の番組を見る事が出来ますからね。
※朴大統領になって、報道規制も宗主国中国並みになっているようです。
福島原発事故に関して、大本営(東京電力広報・政府)発表を信じる人が少ないのと同じです。(笑)
民主党政権時の枝野幸男官房長談話は、大本営発表!と看做されていましたよね。
当時も今も、同じです。
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バレル分け無いです、当時は戦況知るにはラジオ新聞だけですから、この方達をコントロール出来れば大本営発はそのまま国土に流れます、検証も無しで。



何故か刃向ったらアナウンサー.記者.カメラマン連中は片っ端から激戦地最前線行の赤紙を出すと政府はハッキリ言ってますから御身大事.死にたくない等でそのまま垂れ流しです、開戦前から軍に全面協力の新聞社も数社有りましたしで国民は耳栓状態でした。
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>開戦からの戦果を総合すると空母50隻撃沈くらいになるはずなのに、内地には艦載機が押し寄せてくる。

対する日本の戦闘機は殆ど見ない。

安心してください。
大本営発表通りに空母(護衛空母なども含む)を沈めても80隻ほど残存します。
なにしろカサブランカ級だけで50隻ですし!

>連戦連勝のはずなのにガダルカナル→サイパン→フィリピン→硫黄島→沖縄とだんだん敵が内地に近づいてくる。

これはよく聞く話ですね。
この戦場の推移で日本が負けてる、不利だと気づいた人は多いそうですね。


>「新聞は嘘。実は日本は負けてる」と噂になっても良いような気がしますが、勝っていると信じている人が多かったそうです。なぜですか?

勝ってると信じている人が多かったというのが嘘だったのかも。
ほとんどの人が敗勢だと認識するようになるのは空襲される様になってからでしょうね。
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大本営の発表には陸軍版と海軍版があります


陸軍版を聞いていれば負けてるなって判ります
海軍版を聞いていると大戦果挙げてるなって感じます

私の母は昭和18年5月の山本五十六戦死の発表を聞いて負けてるなと思ったそうです

大本營發表(昭和十八年二月九日十九時)  
一、南太平洋方面帝國陸海軍部隊は昨夏以來有力なる一部をして遠く挺身せしめ、敵の強靭なる反攻を牽制破碎しつつ其の掩護下にニューギニア島及ソロモン群島の各要線に戰略的根據を設定中の處既に概ね之を完了し茲に新作戰遂行の基礎を確立せり
二、右掩護部隊としてニューギニア島のブナ附近に挺進せる部隊は寡兵克く敵の執拗なる反撃を撃攘しつつありしが其の任務を終了せしに依り一月下旬陣地を徹し他に轉進せしめられたり
同じく掩護部隊としてソロモン群島のガダルカナル島に作戰中の部隊は昨年8月以降引續き上陸せる優勢なる敵軍を同島の一角に壓迫し激戰敢鬪克く敵戰力を撃摧しつつありしが其の目的を達成せるに依り二月上旬同島を徹し他に轉進せしめられたり
我は終始敵に強壓を加へ之を慴伏せしめたる結果兩方面とも掩護部隊の轉進 は極めて整齊確實に行はれたり

大本營發表(昭和十八年二月二十二日十七時)  
帝國陸海軍部隊は佛國政府の諒解の下に二月二十一日廣州灣佛國租借地に進駐せり

大本營發表(昭和十八年五月七日十五時)  
一、山西、河南省境附近に作戰中の我軍は引續き蒋系第二十四集團軍の殘敵を掃蕩するとともに五月六日よりさらに共産第十八集團軍司令部及び同じく劉伯承約一萬三千に對し包圍攻撃を開始せり
二、山西・察哈爾・河北三省省境附近に作戰中の我軍は引續き該地共産軍の掃蕩を實施中なり
三、四月二十九日以降五月三日までに判明せる同地域の綜合戰果次の如し
1 敵に與へたる損害
遺棄死體約二千三百 俘虜約二千五百 主なる鹵獲品各種火砲十一門、重輕機關銃約百五十挺、小銃約二千挺
2 我方の損害
戰死百六十九名

大本營發表(昭和十八年五月十四日十六時)  
五月十二日有力なる米軍部隊はアリューシャン列島「アッツ島」に上陸を開始せり、同島守備の我部隊はこれを邀撃し目下激戰中なり

大本營發表(昭和十八年五月三十日十七時)
一、「アッツ」島守備部隊は五月十二日以來極めて困難なる状況下寡兵よく優勢なる敵に對し血戰繼續中の處同二十九日夜敵主力部隊に對し最後の鐵槌を下し皇軍の神髄を發揮せんと決意し全力を擧げて壮烈なる攻撃を敢行せり、爾後通信全く杜絶全員玉砕せるものと認む、傷病者にして攻撃に参加し得ざるものは之に先ち悉く自決せり
我が守備部隊二千數百名にして部隊長は陸軍大佐山崎保代なり
敵は特殊優秀装備の約二萬にして五月二十八日までに與へたる損害六千を下らず
二、「キスカ」島はこれを確保しあり 

大本營發表(昭和十九年六月十六日五時)  
「マリアナ」諸島に來襲せる敵は十五日朝に至り「サイパン」に上陸を企圖せしも前後二回之を水際に撃退せり
敵は同日正午頃三度來襲し今尚激戰中なり

大本營發表(昭和十九年七月四日十六時三十分)  
「サイパン」島の我が部隊は其の後引續き概ね「ガラパン」市街、「タポーチョ」山、「ドンニイ」の線に於て優勢なる敵と激戰中なり

大本營發表(昭和十九年七月五日十七時)  
「サイパン」島状況次の如し
優勢なる敵は飛行機及艦艇の爆砲撃の援護を受けつつ戰車を伴ひ逐次同島東北部の我が陣地内に侵入し來り
戰線は彼我錯綜し諸所に紛戰を惹起しつつあり
我が部隊は陸海軍一体となり寡兵克く白兵を以て勇戰敢鬪中なり

大本營發表(昭和十九年七月十八日十七時)  
一、「サイパン」島の我が部隊は七月七日早曉より全力を擧げて最後の攻撃を敢行所在の敵を蹂躙し其の一部は「タポーチョ」山附近迄突進し勇戰力鬪敵に多大の損害を與へ十六日迄に全員壮烈なる戰死を遂げたるものと認む
同島の陸軍部隊指揮官は陸軍中将齋藤義次、海軍部隊指揮官は海軍少将辻村武久にして同方面の最高指揮官海軍中将南雲忠一亦同島に於て戰死せり
二、「サイパン」島の在留邦人は終始軍に協力し凡そ戰ひ得るものは敢然戰鬪に参加し概ね将兵と運命を共にせるものの如し

大本營發表(昭和十九年七月二十二日十時)  
七月二十一日朝二箇師内外の敵は大宮島西岸明石灣及昭和灣の兩地區に上陸を開始せり
所在の我が部隊は之を邀撃敢鬪中なり

大本營發表(昭和十九年七月二十六日十六時三十分)  
一、敵は七月二十三日朝來「テニアン」島の西北部並に「テニアン」港に上陸を企圖せり
所在の我部隊は之を邀撃し、「テニアン」港の上陸軍に對しては多大の損害を與へて之を撃退し、西北部の敵上陸軍は再度に亙り之を撃退せしも、同日正午頃敵は遂に上陸し、爾後引續き增強中にして、我が部隊は全力を擧げて之と激戰中なり

大本營發表(昭和十九年九月十六日十七時)
一、 九月六日來西「カロリン」群島の西方海面に出現せる有力なる敵機動部隊は「ニューギニヤ」方面の基地航空部隊と呼應し、「ヤップ」島、「パラオ」諸島、比島「セレベス」島竝に「モルッカ」諸島等を空襲し、一部艦艇を以て、「ヤップ」島及「パラオ」諸島を砲撃せしが、九月十五日朝に至り敵は「パラオ」諸島及「モルッカ」諸島に上陸を企圖せり
二、  パラオ諸島の我部隊は「ペリリュー」島に上陸を企圖せる敵を邀撃し、再度に亙り之を撃退せるも午後に至り敵は遂に上陸し爾後引續き増強中にして我部隊は全力を擧げて之と激戰中なり
三、  「モルッカ」諸島の我が部隊は「モロタイ」島に上陸を企圖せる敵を邀撃撃戰中なるも敵の一部は同島舊本部地區に上陸せり

大本營發表(昭和十九年九月二十日十六時)
緬甸方面怒江西岸地區の我部隊は拉孟、騰越、龍陵等の各要衝に據り五月中旬以降怒江を渡河○緬公路打通を企圖進攻し來れる約十六箇師の重慶軍を邀撃し勇戰中なり、各方面の戰況戰果次の如し 
一、 拉孟及騰越守備部隊は各々我に數十倍する敵に對し之に多大の損害を與へ其の撃攻を陣前に撃砕しつつありしが、拉孟守備部隊は九月七日、騰越守備部隊は同月十四日遂に全員壯烈なる戰死を遂げたり
二、  龍陵附近に於ては同地守備部隊、我に十數倍する敵の攻撃を撃砕しつつありしが新に戰場に到達せる主力部隊九月三日攻勢を發起し同地周邊の敵を撃砕之を其の東側地區に壓迫中なり
三、  五月中旬以降現在迄に判明せる戰果
敵に與へたる死傷者數 拉孟周邊約一萬五千 騰越周邊約二萬 龍陵周邊約三萬五千 其の他の地區約三千
我方の損害 戰死約三千九百名

大本營發表(昭和十九年九月三十日十六時三十分)
一、大宮島及「テニヤン」島の我が部隊は其の後孰れも一兵に至る迄勇戰力鬪したる後遂に九月二十七日迄に全員壯烈なる戰死を遂げたるものと認む
  同方面の陸軍指揮官は陸軍中将小畑英良にして大宮島陸軍部隊指揮官は陸軍中将高品彪、海軍部隊指揮官は海軍大佐杉本豐、「テニヤン」島の陸軍部隊指揮官は陸軍大佐緒方敬志、海軍部隊指揮官は海軍大佐大家吾一なり 
二、兩島の在住同胞亦終始軍の作戰に協力し全員我が将兵と運命を共にせるものの如し

このように陸軍は全員戦死と伝えています。
玉砕とか転進と言い換えたのは一部に過ぎず、ほとんどはちゃんと発表してますし空襲を受けた事も発表しています。
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バレてましたよ


ただ言論統制が敷かれていたので公に言えなかっただけです
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>太平洋戦争中、日本は負け戦も勝ち戦と虚偽の発表を連発してきましたが


>なぜ国民は信じ続けていたのでしょうか?

あなたがこのようなデマゴーグを信じるのと同じ事です。

ごく初期は(誇大であることは公知だが)そうですが後には「玉砕」、「転進」などの言葉を用いて全滅、退却を公表していますから当然普通の知識のある人は戦況は非常に不利であることは理解しています。
ただし降伏するとは思っていない。

>勝っていると信じている人が多かったそうです。なぜですか?
誰から聞いたのですか?
その人が頓珍漢だっただけですね。
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テレビドラマ創世時代の名作「私は貝になりたい」にこんなシーンが出てきます(フランキー堺さんが主演のバージョンです)。


アメリカがフィリピンに近づいているというニュースに対して町内会長さんがしたり顔で「あれはね、敵をこちらに誘い込む我が軍の作戦なんだ。それに引っかかってアメリカ軍は補給が滞ってるんだよ」というんですね。それに対して床屋だったフランキー堺さんが「いやーそれはすごい作戦ですねえ」と調子を合わせるんです。
んで、戦後にフランキーさんが床屋に復帰してお客さんの髪の毛を切っているときにお客さんとの会話で「軍部にはずいぶん騙されたねえ」「へへ、おかしいと思ってたんですよ」「まったくなー、いい加減なことをいいやがってさ」といってて、かつてフランキーさんに日本軍自慢をしていた町内会長さんが待合所で居心地の悪い顔をしてる(昔の小さな町なので、床屋がそこ一軒しかないのでしょう)、というシーンがあります。

このドラマは戦争に巻き込まれた当事者の世代が作っていますので、なんというか画面全体の空気にある種のリアリティがものすごくあるんですね。

んで、明治生まれの祖母にも話を聞いたことがあるのですが、「勝ってる勝ってると聞いたのに、配給は厳しくなるわ、空襲はあるわ、おかしいなーと思った」とはいってましたね。ただ当時はそれで「実は負けてるんじゃねえの?」なんてうっかり口にするとあの悪名高い特高警察がやってきますからみんな怖くて口にしなかった、というのが真実だと思います。

よく似ているのが北朝鮮だと思います。今は韓国のテレビ放送の電波が飛んでくるわけですから、こっそりそれを見れば「どう考えても韓国の方が豊か」と思えるはずです。人々の間でこっそり噂にもなるでしょう。でも、北朝鮮では韓国人はアメリカ人や日本人に虐げられて北朝鮮人民より貧しい暮らしを強いられている、ということになっていてそこにうっかり異議を唱えたらどうなりそうかそれは質問者さんも想像がつきますでしょ?

しかしながら、昔の日本や北朝鮮は「他人事」ではないと思いますよ。だってさ、なんか身近なところにあるじゃないですか、実際は収束もしてなきゃコントロールもされてないので「終息宣言」とか「アンダーコントロール」ってことになっているコトが。地下水がダダ漏れしたときも、海外メディアでは「当局と政府は公式に認めていないけど、状況からみて海にダダ漏れは確実」って報道されていますが、我が国では「当局によると海には漏れていないとのこと」ということになっています。海外のメディアでは「爆発により燃料棒が周囲数マイルに渡って飛び散っていて、その回収は事実上不可能」と報道されますが、我が国の報道機関で「爆発で飛び散った燃料棒の破片」について言及するところは皆無です。

>パイロットや水兵は途中何度も内地に帰ってきて休暇を取って国民と接触しています

これ、基本的にはないです、我が日本軍の場合は。坂井三郎さんは負傷したから内地に帰れましたけどね。運よく負傷で終わって運よく内地に帰る船や飛行機に乗れれば内地に帰れますけど、そうじゃない限りは毎日出撃させられました。いやなに、これとても別に過酷な話ではないですよ。現代でもとある飲食大手企業の代表は「24時間365日働け」といってますからね。
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神国日本の国民だと教育され、マインドコントロール如く日本の勝ちを多くの国民が信じさせられていたのは事実です。


しかし
全ての国民が大本営発表を鵜呑みにし信じていたのではありません
明治生まれで生き証人だった祖父祖母からの話しですので立証するものはありませんが、終戦に近づくあたりは多くの国民が疑問視していたと言う話しもあります。
ただ、疑問を持とうが傷病の帰還兵の話しを聞こうが、世間に口外など出来る世では無かった訳で、憲兵や特高警察がそれを許さなかったのです。
今の北朝鮮国民がお上(将軍様)に逆らえ無い状況と同じだった訳です。
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>↑こんな状況なら「新聞は嘘。

実は日本は負けてる」と噂になっても良いような気がしますが、
>勝っていると信じている人が多かったそうです。なぜですか?

それが「戦後に造られた神話」だからです。
そもそも当時、新聞報道でも最前線に悲惨な状況については普通に報じられており、連合軍の圧倒的な戦力の前に、補給も満足に出来ず、飢餓や疫病の蔓延する中で日本軍が全滅していく姿は、陸軍の報道班が戦時中に公表した記事ですら当たり前に書いてあるのです。
もちろんそれは報道統制が無かったと言う事を意味しません。
日本軍の規律の乱れや陸海軍のいがみ合いなど報道されなかった(出来なかった)事実も多々存在します。
戦時中に出版されたその手の書籍は何冊か所有していますが大戦中期のガダルカナル島やニューギニア戦線以降は基本的に「圧倒的不利な状況下で健闘しつつも敗れる日本軍」という書き方がなされています。
つまり当時の日本人にとっても「日本軍は苦戦続き。最前線は食糧すら欠乏する悲惨な状況」なのは普通に報道されている周知の事実だったのです。
しかし戦後になって多くの日本人が自分たちが戦争を支持していた事をごまかすために「国民は真実を知らなかった」という神話を広めたのです。
ドイツでも大多数の人間が積極的にナチス党を支持していたにも関わらず戦後になって「ナチス体制の強制に従わざるを得なかった」という神話を広めたように、戦後の日本でも同じ事が行われたのです。
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とてもいい質問ですね。



あなたはお若いから当時が分からないのも無理はありませんね。

当時の日本はそれだけ異常な社会だったのです。
国家権力を持つのは、第一に軍部、第二に官僚だったのです。
民主主義が進んだ現在と違い、一般市民が国家権力に逆らったら特高(特別高等警察)からあっという間に捕らえられ、牢獄で拷問をうけました。事実「蟹工船」という本を書いた作家の小林多喜二が築地警察の牢獄で拷問死しました。でも誰も逆らえなかったのです。
新聞社だってその恐怖の中にいたのです。

お若いあなたには信じられないことでしょう?
あなたの祖父母が生きた時代はそんな日本だったのですよ。

いかがですか。恐ろしい社会でしょう?
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
敵の大編隊が襲ってきて日本中が焼け野原になってるのに「日本軍は勝ってる」と思っていたんですね。恐ろしい社会です。信じられません。

お礼日時:2013/11/20 19:27

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