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昔の偉い人の言葉だそうですが、昔から一般大衆には
知らさないのが政治であると分かっていたのです。
国において独断専権で「秘密」を決めるのは正しいのです。

にもかかわらず最近は、何でも公開するのが正しいように
国民が勘違いしています。

どうして文科省は正しいことを教えないのでしょうか?

A 回答 (8件)

”一般大衆には


知らさないのが政治であると分かっていたのです”
    ↑
それは一理あります。
大衆は政治には素人ですし、何が正しいか判断する
素養も情報もありません。
だから、大衆が直接政治をやるのではなく、代表者
を選ぶ間接民主制を採っているわけです。


”国において独断専権で「秘密」を決めるのは正しいのです。”
     ↑
外交や防衛を考えるなら、秘密の必要性は
認めざるを得ませんね。


”最近は、何でも公開するのが正しいように
国民が勘違いしています。”
   ↑
国民は素人のくせに、判断できると
勘違いしています。
民意に従った政治などやっているから、天文学的な
財政赤字になってしまったのです。


”どうして文科省は正しいことを教えないのでしょうか? ”
    ↑
かつて国家は王侯貴族だけのモノでした。
大衆は王侯貴族の所有物でした。

しかし、宗教改革を契機に、大衆が国民化して
国民国家になりました。
国民国家は、国家の総力を結集できるので
強いのです。
だから、西洋はアジアアフリカを侵略占領できた
のです。

この国民国家化ですがアジアで最初に成功したのが
日本です。
中韓は遅れをとり、日本に大きく引き離されました。

この国民国家とするためには、国民主権、民主制が
必要なのです。
国家は王侯貴族のモノではなく、お前ら大衆のモノ
なんだよ、という建前が必要なのです。

この建前の為に、公開が基本にならざるを得なく
なったのです。

だから、文科省の教育は間違っていないのです。
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「人は、見たいと思うものしか見ない」ユリウス・カエサル(古代ローマ政治家・武将)



情報を公開する必要があることは認めますが、どんな情報を開示しても、結局、その情報を人が都合よく判断する材料にしか過ぎません。

新聞(特にゴシップ色の強い系統)では、実際に発言された事であっても、前後の文脈を無視して、その記事の指向する意味合いに都合のよい部分だけを抽出して報道する事なども良くあるようです。

例えば、犯罪や事故の目撃者は、刑事や警察などの権威者の容易な誘導により、目撃証言の内容の信憑性はかなり低いものになります。
誘導されていなくても、何らかのフィルターにより、目撃者自身が、そう思い込む事で、事実であっても見たくないものは目にしていたにも拘らず無視してしまうという事があるのです。

まさに「人は見たいもの以外は見ない」のです。

小説やドラマで、代議士や会社役員などに、あからさまな腰巾着なおべっか使いが登場します。明らかに露骨でこっけいなおべっか使いなのですが、現実でも露骨ではないにしてもイエスマンばかりが権威者の周りには残るという状況も、耳に心地いい事しかいわない人しかそばに置きたくなくなるという、聞きたくない事から耳を背けてしまうことに起因するものでしょう。

つまりは誰しもが、見たくない現実に向き合える知力と胆力を備えているわけではないです。
その意味では、誰しもが現実を直視し、“見たいモノ”だけでなく、見えるもの全てを認識する知力と、見たくない事実に耐えうる胆力を得る事の方が、全てを公開、開示することを求める事よりも必要とされる事なのではないかと思います。
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No.1さんの回答で、この言葉の理解が誤っているのは明らかになっていますね。


私個人的には、政治家達が自分に都合よく意味を曲げたと思っていますが。
賢人政治的なことを言いたいのだとは思いますが、現在の政治家達に、政治を行う能力と同時に、「徳」とも言うべき資質を備えた者が居るかが、大きな問題だと思いますよ。
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>由らしむべし知らしむべからず



昔の偉い人の言葉だそうですが


偉い人ではなくえらいと思い、さらには賢いと勘違いしたゴウマンな権力者、またはそのたいこもちの言葉なのでしょうね。

>国において独断専権で「秘密」を決めるのは正しいのです。

為政者には都合がいいことです。しかし、彼らだけの国ではありません。

>最近は、何でも公開するのが正しいように
国民が勘違いしています。

勘違いではありません。基本的に、なにによらず1人で考えるよりも3人で考えるほうがいい知恵が出ます
(3人ょれば文殊の知恵)。為政者だけで考えるとまちがうことも100万人で議論すれば、更にいい考えが出るということです。より多くで考えれば少なくとも間違いはぐっと減ります。何事も公開してみんなで知恵を出し合うのが健全な自由国家なのです。

>どうして文科省は正しいことを教えないのでしょうか?

由らしむべし知らしむべからず という諺は間違いですから教えては居ないのです。
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戦後の終戦規定法(現憲)では、個人としての国民に知る権利はない。


また、報道の自由も、規定がない。
ただ、良心の自由があり、社会組織の解釈を一部変えて行なうことができる。これは、米軍に在籍するなどの危険と隣り合わせで可能となる。
旧社会党は、オーライドパワーに責任を逃れる政治を行なったが、潰れてしまった。
特定秘密は、我々国家の力としてのこの「かかる情報活動」を隠し、その秘密を提供された「くに」の協力をさらに期待するもの。また、極秘部隊をなし、この活動を合法とする。
 
文科省は、教えられない。神道を宗教として示せないもの。
君は、神道が国家組織をなして平気かい。国家神道は過去のものだけどまたやるのかな。
国家情報(情報と情報活動ともに)は、特に防諜が必要。そして、ここに(防諜に)国家での最強の科学を投じたいものだ。ひとも、最優秀な材を集めるといい。科学だ。工業技術は、勿論最高のものであろうが、科学が最高でなければ、意味を成さない。
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>にもかかわらず最近は、何でも公開するのが正しいように、国民が勘違いしています。



いえ、原則としてすべてを公開するのが正しいのです。なぜなら日本は国民主権国家だからです。

昔の「庶民には知らせない」という政治は、王族や武士などの支配者階級が政治を行い庶民には特に相談せずに物事をきめていく時代の話です。その代わり、何かあればすべての責任はその階級が担い、民衆の不満が王朝を交代させることもあったわけです。

しかし、現在ではすべての国民が主権者であります。日本の国家運営を失敗したら国民が責任をとることになります。バブル後の20年の不況の責任もその結果の生活の苦しさも、国民が選んだ議員がふがいないから、ということであり、その結果は国民自身の生活に直結しているといえます。


ですから、国民は「軍事・外交」などの交渉のために秘密にしておくべきこと、以外は直ちに知る権利を有しており、また逆にきちんと知ることが必要です。つまり国民主権の為には、国民として「きちんと知る」ことも重要な義務であり、政府は知らせる義務がある、ということです。
また軍事・外交問題などの相手方がいて、交渉上秘密とせざるをえないもの、であっても30年などの影響力が去るであろう期限を設けて、公開するのが望ましいのです。

ということで、文部科学省はもっと「国民の知る義務」を正しく教える必要があります。
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それは戦前の話だと思います。


日本国憲法では、知る権利は21条1項で保障される人権のひとつだと解されています。
国家に都合の悪いことは全て隠遁するというのであれば、それは昔の治安維持法であり、民主主義の否定と考えられます。そんな法律が日本で施行されるようでは、中・韓の国家を批判できなくなってしまいます。
与党の幹事長である石破氏が、国会周辺における秘密保護法案の反対デモはテロと同じだなどとブログに書く行為こそ、民意を馬鹿にしており、民主主義において間違った考え方ではないでしょうか。
政治家の給料は国民の税金なのに、黒塗りの国政をされたのでは、たまったものではありません。
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「子曰、民可使由之、不可使知之」



孔子曰く、人々を頼らせることは容易だが、理解してもらうのはむずかしい。

とい意味です。民に本当のことを教えてはいけない、などと言ったら孔子は嘆息することでしょう。

「べし」は命令ではなく可能の意味もあるのでよく誤解されたりします。

例えば、帝国憲法の「天皇は神聖にして侵すべからず」とありますが、これは「侵してはいけない」ではなく、「侵すことができない」という意味です。

教養がないのに古典を引用すると恥をかいてしまうので気をつけたいところです。
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