お世話になります。
徳川将軍の三代目家光が、将軍就任の直前に伊達政宗との間で、このようなやり取りがあったそうです。
家光「政宗に尋ねる。余と、祖父や父と異なるところはわかるか?」
伊達「さて、なんでございますか?」
家光「しからば言って聞かせよう。祖父も父も生まれた時は単なる武将の息子であった。
しかし余は違う。余は将軍の子として生まれた。生まれながらにして将軍の子である。
そこが違う」
伊達「さすがでございます。将軍職就任の家臣・大名への挨拶の折には、ぜひそのお言葉を賜れば
一同ひれ伏しましょう」
家光「相分かった」
はてさて、伊達政宗は本心から感心してこのような事を言ったのでしょうか?
もしも現在、どこかの、日本を代表するような大会社の創業者の孫が、社長就任の直前に、古参の重役に向かって
バカ孫「おい、親父や爺さんと、俺との違いが分かるか?」
重役「さあ、この私、会社創業時からお仕えしてきましたが、とんとわかりません」
バカ孫「じゃ教えてやるよ。俺は生まれた時から社長の子なんだよ。この会社を継ぐって決まって生まれてきたんだよ」
重役「おれはそれは素晴らしいです。あなたの下で働けるとはこの上ない喜びです。
では、取締役会や株主総会の席上で、ぜひ、今の言葉を言ってみてください。
株主、役員、社員一同、みなびっくりするでしょうなあ。(あんたの考えているのとは正反対の意味でね)」
バカ孫「おお、そうするよ、さすがじいちゃんの片腕と呼ばれただけの事はあるな。これからも何かとあんたを頼りにしてやるぜ!」
と言ったら、
(このバカ孫、本当のバカだな)
と思われるでしょう。むしろ会社の体面を汚さないうちに、さっさとこのバカ孫を下した方が会社の為、と役員一同思うかも知れません。
伊達政宗は本心から家光に感心、服従したのでしょうか? それとも内心
「このバカ殿め」
と思っていたのでしょうか?
詳しい方、お願いします。
No.6ベストアンサー
- 回答日時:
とりあえず、日本を代表(というか日本最大の株式会社)するトヨタ自動車なんか、創業者の豊田家の者に社長職を就任してもらう時なんか、社内から「大政奉還」だと大騒ぎしてましたし公式にも「豊田家はトヨタグループの求心力であり、旗でもある」と特別扱いされてます…。
記憶のみなのですが、現社長(トヨタ自動車の創業者の孫)が就任した時なんか、記者が「創業一族による世襲人事ですか?」と意地悪な聞き方したら、いけしゃあしゃと「トヨタ社員一同は豊田家の方に社長就任していただけた事を誉れである考えています」と答えてました。
大企業だとそんなに多くないですけど、中小企業なんかだと創業者の一族で役職を独占し世襲している企業なんて珍しくないですし、創業者一族の若手が入社したら、将来の社長だと言ってゴマすり人間に囲まれている何て良くある事です。
「俺は生まれた時から将来の社長だ」なんて直接口に出すかは、個人の性格差が有るでしょうが創業者一族の人間なんて皆考えている事です。
だからこそ英才教育に耐えられるのですし、相応の人脈も築かれる訳ですし…。
ちなみに、ヨーロッパの企業も創業者の世襲なんて珍しくないです。
(ファッション関係の企業は殆どそう。)
うつろ、創業者の一族が世襲していないと、途中で経営に困窮した証拠だとして、企業評価が下がります。
内心はともかく、江戸時代の世襲将軍に仕える大名よろしく、世襲社長に仕えるサラリーマンって今でもいっぱいいます。
>伊達政宗は本心から家光に感心、服従したのでしょうか? それとも内心「このバカ殿め」と思っていたのでしょうか?
逆らえない己が立場の矮小さを、自虐的に痛感させられていたと思いますよ…。
いくら反感を持とうと、逆らう事なんて出来っこないのですから…。
ご回答ありがとうございます。
トヨタ自動車創業者の孫の社長就任は大政奉還ですか。
トヨタ自動車は株主のための会社ではなくて豊田家のものなんですね。
(まあ、豊田家関係者の持ち株比率が発行株式総数の過半数なら、トヨタ自動車株式会社は豊田家の持ち物、ってことでいいんですが)
「誉であります」ですか。
トヨタ自動車株式会社の社員は豊田家の家来か使用人、ってことですね。
No.4
- 回答日時:
質問者の判断には主観しか無い。
だから、単純には同調できない。俺にも羞恥心があるし。絶対権力の三代目だが、海外の動向には目を光らせておかなければならない状況でもあり、安パイとは言えない。世襲の三代目だからこそ、どう世を治めるべきかを問うているかもしれない。
いずれにしても、切り分で判断するマスゴミと同じ愚を犯さぬ事を切に祈るばかりです。
No.3
- 回答日時:
現在と江戸時代初期では時代背景が違う。
江戸初期:戦国時代が収まったばかりで、力強い権力者が必要だった。
現在:血筋、家柄が人の価値を決める比重が小さい。むしろ、そのようなことをひけらかす人は嫌われる。実力が重んじられる社会。
当然、現代社会で「おれは明治天皇の玄孫だ」とかいっても「へえ、だから」と言われるのがおちだが、江戸時代は「家康の孫である」ということがステータスになっていた。
「生まれながらの将軍」というのは「おまえら普通の大名とまったく違うんだ。家康、秀忠は普通の大名だった時もあったが、俺は違う。お前らの頂点に立つために生まれてきた。」という強い、いわゆる脅しの意味も込めて諸侯に号令した。
政宗も心の中は別にして、表面上は将軍の充実な家来を演じなければならなかった。
ご回答ありがとうございます。
脅しの意味があったんですね。
それに対し、伊達政宗は、表面上、服従を装う必要があったのですね。
政宗の心中、いかばかりか。。。。
No.2
- 回答日時:
1567年 政宗生まれる
1579年 秀忠生まれる
1600年 忠宗生まれる
1615年 大阪冬の陣
1623年 家光将軍任官
1632年 秀忠死亡
1636年 政宗死亡
上記のやりとりが1623年とすると
政宗 56歳
秀忠 44歳
家光 20歳
伊達家 約60万石
徳川家 約400万石 旗本料300万石(17世紀初めとして参考値)
秀忠が存命であり、動員兵力で10倍近く差がある徳川家に対して反抗できると考えたら、政宗はバカです。
家光個人に感心したかどうかわからないが、徳川家体制に対して反抗できないと悟っての発言だと思われる。
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