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 日本語を勉強中の中国人です。もしも日本語の改革があって、そのなかの敬語表現(です・ます調は残る)がぜんぶ外されたら、日本人は楽になれますか。

 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

A 回答 (12件中1~10件)

#3さんがおっしゃるように、上下関係が残ったままで言葉だけ無くなるとかえって不便だと思います。



上下関係だけでなく、親しい人、よく知らない人、初めて会った人など、人間関係の距離感で言葉遣いが異なります。

これは日本語だけでなく、あらゆる言語でそうだと思うのですが。
相手に対する敬意を表したり、丁寧な心遣いを表したり、親しみを表したり。

(中国語は勉強したことがないので分かりません、ごめんなさい)

区別や秩序が強過ぎると窮屈になり、苦しみの元になりますが、区別が無さすぎるのも、社会生活上は不便になります。

敬語は社会生活上で必要だから生み出され、使い続けられているのだと思います。

外国語の敬語を覚えるのは難しいですね。英語でもフランス語でもロシア語でも韓国語でも、何でもそうだと思います。
しかし、日本人が日本語の敬語を覚えて正しく使うのもなかなか難しいです。慣れも必要ですし。


質問文は特に不自然には感じません。大丈夫だと思います。
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この回答へのお礼

 皆様、ご親切に回答していただきまして誠にありがとうございました。No.5さんの解答欄をお借りしてまとめてお礼させていただきます。中国語を話す(書く)時に、意味だけ考えることが済めますが、日本語の場合、どうも意味+аのことを考えなければならないようです。この付加したаというものは、人との距離の遠近というような気がします。中国語ももちろんこの部分があるのですが、日本語ほどしょっちゅう考えているわけではありません。ひとつの言葉を発するために、日本人は中国人より考える時間が長いような気がします。時々この思考回路が苦しいと感じておりますが、日本語を勉強する以上で日本語を尊重して慣れるしかありません。こんなつまらない質問にもご親切に付き合っていただいた皆様にもう一度心から厚くお礼申し上げます。敬語の勉強をがんばります。

お礼日時:2014/05/04 00:32

sobatya_cn様、こんばんは。



日本語に「流行り・廃り」はあっても、「日本語の改革」は、あるんでしょうか?
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日本人は以外と日本文化を好き(フィクション歴史小説が売れたり)ですから


文化大革命は起きないと思います。

仮説としては、楽になれるかというと
身に付けたものを辞めなければいけない苦痛がまず起きるでしょう。
敬語表現に限って辞めなければいけないなら、頭を使いますし。

今の日本人は、変化に弱いですからね。


数千年という長い時間をかけて作って来たものを、壊して行くのは
大きな損失以外の何物でもないように思います。
そうなったのには、それなりの意味がどの国でもあると思います。

自国の文化が変化するのは流れとして有っても
文化を根底から破壊して行くような活動は、祖先を否定する行為になり
今生きている自らの否定に繋がってしまいます。

戦後、自らの歴史を誇る日本人が減ったとしても
自分を否定したいとは、基本的には考えないですから。

仮説を論じるのは文化の破壊行為よりも
今後どのような変化が社会に必要かなどの、創造的で
発展的な方を論じることで、障害になる物が有れば
考えて行くというスタンスが日本では一般的だと思います。

日本人には、礼節は生きることに不可欠ですからね。
おもてなし文化は、敬語表現も大きく関わっていると思います。
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明治時代の議論で、大真面目に日本語を捨てて国内の言語を外語にしようと言う意見がありました。



あくまで意見であり、実現のレベルに相当する物ではありませんでしたが。

しかし日本の「方言」追放は現実に行われました。

学校で方言を使った子は首に札を掛けられて、罰せられました。

愚かな事です。


今の日本を見れば判ります。

言葉の中で育つ事は、文化の中で育つ事です。

自らの文化を己から捨てる民族には未来等はありません。


ですのでご質問の答の「楽」になるかどうかは、近未来的には効果が仮にあったとしても、将来的には損なうマイナス面しか有り得ません。
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敬語だけではない。


例えば一人称についても、「私、僕、私、俺、我、小生、ウチ、ワシ」など、人の属性や相対的人間関係によって、異なる表現がある。
そうしたルールを守る事は、その文章が表現する以上の、表現者の意図や双方の関係性など多くの情報を付加する事になる。
日本のように、稲作農耕文化の協調性、島国文化の日和見の重なった、世界でも稀に見る集団主義的な文化においては、秩序の維持・人間関係を重視するのだ。
敬語も、その一環に過ぎない。
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No6. の補足です。



英語、中国語など、では日本語のような上下関係を反映するような、複雑な表現はありません(人に頼む表現くらい)。大陸では、人の交流が多く、上下関係なる非合理なものにこだわってはいられなかったことが、考えられます。今後も、日本では国際的な交流の比重がどんどん大きくなることから、非合理なものは不必要になっていくでしょう。

また、上下関係は決して真の尊敬をうみません。傲慢(=敬語を使われて当然)、そしてその裏返しの卑屈(=謙譲語)です。傲慢・卑屈に支配されないためにも、敬語を外すことが望まれます。

敬語はを残すとしたら、神と人との間で十分ですね。
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ある高校で、相手を呼ぶときに「君」「さん」を付ける


よう指導したところ、いじめが激減した、という
報告があります。

言葉は、人間の人格を形成します。
敬語が無くなったら、謙虚さも無くなるでしょう。

人間は限りなく下品で傲慢になり、社会は荒廃すると
思います。

だから平等を旨とする民主制社会は下品になるのです。


”日本人は楽になれますか。”
   ↑
束縛が無くなるため楽になる面はあるでしょうね。
しかし、副作用も大きいでしょう。
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楽になるでしょうね。

です、ますを残せば、丁寧語は残るので、円滑な人間関係には十分でしょう。

肉体をもった人間同士に上下関係をつけること自体不自然なことで、大きなストレスになります。上下関係は、日本人が相手がどう思うかを気にするものの中の、最大のものの一つです。人にどう思われるかを気にすること自体が、人にふりまわされることであり、苦の原因である煩悩になりますから。よって、上下関係をつけることは、煩悩です。

また、労働市場がどんどん発達し、雇用が流動化すると、職業上の(人間ではありません)位置関係もどんどん変わりますから、言葉で上下関係の意識を強化すると、その変化についていけなくなる要因の一つになります。

上下関係の意識を強化・固定してしまう敬語表現(です・ます以外)は、即刻排除していくことが望まれます。
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こんばんは、蕎麦茶さん。




>日本人は楽になれますか。

:あなたの国では【楽】という字は
どのような意味を持つのでしょうか。

どこにでもいる 日本人からの感想ですが、
同じ「楽」という字でも
【楽しい(タノシイ)】と【楽ちん(ラクチン)】
とではまるで意味が異なります。

「たのしいみたい」と思へばラクはできませんし、
「ラクをしたい」と思へば楽しくはなれません。

おそらく日本では
【ラク】よりも【たのしい】が好まれると思ひます。

よって少々面倒でも美しく優雅な言語は
なくならないと思ひます。

                                    







                                    
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たぶんならないと思う。



今改革があって無くなっても、新たに作り出すでしょうから。
新たに作る苦労、更にそれを覚える苦労、以前に在った敬語表現を保存し、古典等の表現が判るようにする(古典を学ぶのが更に難しくなる)と増えるのは苦労ばかり
また、それは日本の文化を破壊することでもあります。

結局は方言のように今の敬語表現は残り、新たな無いもの、更に新たに作り出されるものを覚え、外国での日本語のテキストには無いものが標準で作られ日本語を覚えたはずなのに言葉が通じない苦労をするでしょう。


表現する言葉が無くなっても、上下関係は残る訳です。
作り出さないと、互いにストレスがたまるでしょうね。精神や胃に来る痛みに比べれば新たに作ってく方がきっと楽。
もっと楽なのは改革があっても、今まで通り使い続ける事。
楽になるとはとても思えないです。
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