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最近、周りをみて本当にそう思います。

本当に実力がある人は、偉そうにしないし、とても腰が低い。皆に等しく接しています。人のことに必要以上に首をつっこまないし、強引に導くのではなく、自然な助けを出してくれます。

それに対して、

自分の思うように力が出せていない人、どこかにコンプレックスのある人は、まず態度から偉そうにして、周りに知らしめようとする。力で人をどうにかしようとする。

こんなふうに思うのですが、どうですか?尊敬を集めたければ、前者のようにすればいいのに、それすら気がづかないのでしょうか。それに、そんなことするより、実力を上げればいいのに、って思うのですが。

A 回答 (16件中1~10件)

あのさぁ......笑



言ってること自体は、ある意味一理あるかもしれないよ?
でもね。

例えば強姦魔が「強姦しちゃいけないよ」っていたり、殺人者が「人殺しはいけないよね」って言う言葉に説得力があると思うか?

まあ百万歩譲っても、準強姦か傷害致死だな。

あなたの言ってることは、聖人君子みたいな人が自分の胸の内だけで噛みしめていたり、誰にも気づかれずに日記にしたためていた成功者の人生観が、その死後に発見されて脚光を浴びたような場合にのみ説得力があるものだ。

本当に自信のある成功者は、そんなことは口にしない。

まあ俺も、気にしている時点で同じ穴のむじなだが、、貴方ほどじゃない。
せいぜい痴漢とか、傷害のレベルかな
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すさまじい結果を出してきた人ほど、自分一人の力だけではなく誰かのお世話になってきたのだと思います。



他人が力を貸してくれるだけの人望があるかどうか、それが結果に結びつくことも大きいのです。
最低限、無意味に敵を作る行為は、結果にこだわっている人なら絶対にしないでしょう。
(敵を作らないのではなく「無意味に敵を作らない」ですよ!」

そして成功している人は、自分一人の力でここまでできたのではない。
そのことを理解しているからこそ人に感謝する。
感謝があれば人に対してえらそうにできるはずないじゃないですか。
そして自分が何をしてもらって嬉しいかわかっているから、同じように効果的に人にも力を貸すことができるでしょう。その連鎖でどんどん人望が厚くなる。

人に感謝をし、人に協力してもらえるだけの人望がある人は、何をするにしても味方もたくさん現れます。


結果が出るから感謝をし、感謝をするから結果がでる。


それに気づいた人が「すごい人」になるのかなって思います。


あとはすべての人や物から学ぶ姿勢も謙虚につながっているでしょうね。
まあいろんな言い回しができますが、そういうことだと思います。
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本当に実力がある人と、実力のない人とを対比させてらっしゃい


ますが、比べる者が違うのではと思います。

ある分野、政治でも官僚でも企業でも学会でも、その地位を極め
て功成り名を遂げた者と、未だ道半ばで頂点を目指す者との違い
ではないでしょうか。

企業で例えるなら代表取締役社長に地位にいる者と、中間管理職
である部課長の地位にある者の違いです。
あなたがそこの平社員としますと、滅多に顔を合わさない社長が
あなたに怒鳴ることなんか考えられません。
むしろ頭を下げて「どうぞ、我が社の発展にお力をお貸しください。」
と会社の記念日などで壇上に立つと謙虚な言葉をかけるはずです。

一方、中間管理職は前線の指揮官です。上からは自分の部署の成績
や不始末の責任を問われ、下からは突き上げられます。
この場合、あなたに対して甘い言葉よりも厳しいし叱責のほうが多くなる
ことでしょう。
また、あなたが新入社員の頃は何をすれば良いのか戸惑いがあるように
、始めて部下を持った新人上司もまた接し方に戸惑っていることもある
のではと思います。
どれほど才能や実力があろうとも、黙っていては周囲は気づいてくれま
せん。 上に立つ者に認めてもらうには、自己をアピールして引き立てて
もらわねばなりません。 彼らも必死なのです。

だから時々胃に穴が空いちゃったりします。
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実力つけるには才能と努力が必要です。



そして、大半の人は失敗します。

才能と違ったことをやるので、伸びません。
やる気を失うので続きません。
でも、自尊心を失いたくないから他人の批評をしたり、
自己主張をする。

人は弱い生き物ですね。
それを受け入れたくありませんか?
そうなると、無能な人は死ねって言うしかなくなりますね。
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実力のある人にもすごい態度の人はいますが、コンプレックスのある人とはまた違うんですよね。


ここで言う人はまぁ努力もしなければ実力も・・
本当にどうしようもない人かもしれません。
自分を客観的に見る事ができたら苦労はないよなってくらい。
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>すごい人ほど謙虚。



間違ってないとは思う。
でも「絶対にそうか?」というと、そうじゃないね。

「すごい人」というと、定義がすごくあやふやなんだけど、まあ「大悪人」なんかも含めちゃうと、多弁な人はいっぱい過去にも存在したね。
アドルフ・ヒトラーも多弁だった。
人を先導していくのに「話術」は欠かせない。
あの弁舌が、何百万もの人間の心を鷲掴みにしたのだから。
ヒトラーが謙虚だったら、あの大虐殺はなかったかもしれないね。

饒舌なばかりが、人を先導するわけでもない。
「確信に近い言葉」を選び出し、話せる人間も、人の心を大きく動かせる。
「すごい」というのは、態度とイコールじゃないんだ。
態度というものを「いかに効果的に使えるか」を知ってる人が、人心を動かせる。
政治家、軍事家、宗教家、活動家、教育者…それぞれ違うスタンスを持っているけど、みななんらかの「確信」を心に秘めている人が「本物」だよ。
そしてそれを導き出して、形に出来る人が世の中を動かしているんだ。

尊敬されたい、というのは、理由としてはあまり大きなものじゃないよね?。
尊敬されるってことが「条件」だとは思っていると思う。
そのほうが便利だからね。

…しかし、大人って汚いよなー。
自分で書いてても本当にそう思うものね。
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同感ですね!


「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
という言葉がありますね。
せめてわれわれ凡人は
「清く貧しく美しく」
生きたいものです…。
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人ってどんなに頑張っても完璧にはなれないものです。



実力があるというようにみられる人や尊敬される人というのは、もちろん人一倍の努力もしていると思いますが、自分の弱さをきちんと自覚しているのだと思います。
弱さを自覚しているからこそ、謙虚だし、エラそうにもしないし、腰も低い、他人を尊重できる。当然失敗も多く経験しているから、どのようにされたら人が動いてくれるか、理解してくれるか考えられるのではないでしょうか。
こうした人はもともと尊敬など求めていないでしょう。結果として尊敬される訳ですから。

しかし、残念ながら、必ずしもそうした人格的に素晴らしい人が世の名に残る事は少ないですよね。企業のトップや政治家などや著名な方々の多くは謙虚というよりも強烈な自己主張と様々な力で人と金を引っ張り、出世して、その後、少し枯れて(笑)尊敬を集めるパターンがほとんどでしょう。(もちろん例外もありますけれど)

私は、名も残る事なく、家族や周囲の人を少しだけでも幸せにしてひっそりと尊敬されている人の方が素敵だと思います。
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両者の違いの一つは、余裕の有無なのだと思います。



実力のある人はもがく必要がないので視野が広く、謙虚にせねばと
意識できるのだと思います。

実力のない人は余裕がなく視野が狭いので自分だけで手一杯なのだと
思います。大声をあげてないと周囲に押しつぶされそうな気持ちなの
ではないでしょうか。


もう一つは、積み上げたものの違いなのかもしれません。

実力ある人は、実績などがあるので謙虚にしてないと信用等が崩れ落ちて
しまい、取り戻すのが大変である事を知っているのだと思います。
加えて引きずり降ろされてしまう怖さもあるでしょうから周囲への配慮を
忘れないのだと思います。
最初から謙虚だったわけではなく、実力を身につけていく過程で学んで
いった人も少なくないのではないでしょうか。

実力のない人は、失うものが少ないと思って開き直っている面があるかも
しれません。


実力ない人がいるからこそ実力ある人が成立しているとも考えられます
ので全員が謙虚で実力をつけるという事態が起きると何も起きなくなるような
気がしてしまいます。。。
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この回答へのお礼

すごくよくわかりました。一目置かれる人は、余裕がある、そして豊富な経験から注意深さももっている、ってことですね。

わかります~。力を見せつけようとする人、なんか一人でじたばたしてますね。

お礼日時:2014/05/06 18:05

私もはじめはそう思ってましたけど、実はそうじゃないなと今は思います。


結果が全てなので。
人が謙虚かどうか(=人間性がいいかどうか)というのもそりゃそれも結果の一つですが、でも人間性がいい人が例えば何かの競争で生き残るかどうかや勝つかどうか(=良い結果を出せるかどうか)というのとは別の問題ですよね。

回りの人からすると、「結果がいい=その人は謙虚だ(人がいい)」と思うと、だからいい結果なんだと納得しやすいし納得できるから、だから「そう思いたい」となるのかもですが、現実は結果が全てですよね。

小学校の時に走るタイムを計ったと思いますが、性格がいいから速く走れるなんてありませんよね。
性格が良ければ良い結果が出るんだったらそんなに楽な事はありません。しんどい事して体力つけたり鍛えたりせず、ただ性格を見直すだけでいいので。
もしそうだとしたら世の中みないい人ばかりになるはずです。でもそうじゃないから世の中性格が悪い人もいるわけです。
速く走れるかどうか、速く走れたかどうかは結果だけの話です。人がいいかどうかなんて関係ありません。

それと同じように、仕事がいい結果が残せるかどうかも出世するかどうかも、料理家がどれだけ美味しい料理を作れるかどうかも、音楽家がどれほどいい曲を作れるかもいい演奏出来るかも、その人の実力や運が全てでつまりその結果が全てです。

どれだけ努力したかどれだけ工夫したかどれだけ考えたかも当然その結果に反映するとは思いますし、性格がいいのもそういった意味でそりゃ少しくらいは反映するかもしれませんが、でもだからといって“人がいい”からといって「だからいい結果が得られる」とはイコールにはならないし、そうとはいい切れません。
むしろ走る速さを計った時に判るのは“性格が良かろうが悪かろうが速く走れる人は速く走れる”ものです。
他の事も同じですよね。

“そんな事をするより、実力を上げればいいのに...”という言葉は、今既に自分は速く走れているそんな人が“速く走れていない人”を見て…そういう時に使う言葉としては悪くないものですが、その人よりも速く走れていない(つまりその人より下の立場の人が)自分よりも速く走っている人に対して言うような時にはそれこそ妬みやヒガミといったそれこそ性格的に歪んだ見方からでる言葉になっちゃいますよね。
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この回答へのお礼

う~ん、よくわかりませんが、態度で自分の力をわからせようとする人に対して、妬みなんてないですけど。ただ面倒くさい、鬱陶しい、というだけ。

お礼日時:2014/05/06 18:03

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