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本当の『謙虚』とか『自分に厳しい』とは、結局どう言う事なのか?

どんなに態度とかが謙虚で腰を低くしていても、
人のいない所でストイックに努力して良い結果を出したり、優秀な人間になっても、結局は皆の前で表彰されたり大勢の前で賞賛や尊敬をされたりする時点で、
本当の謙虚になるのでしょうか?

どんなに心から謙虚で腰を低くしているつもりでも、人間なら何処か潜在意識の中に『自分は良く思われたい』『自分は生活に困るのが嫌だから努力して勉強や仕事を頑張ってお金を稼いでいる』『自分は努力家とかストイックとか言われてるから凄い』と言う思いが、少々はあるのでは?
と思いますが、如何でしょうか?

更に、幼少から成人しても、ストイックに勉強や運動や仕事をしっかり頑張ってこなし、家庭を大事にして心身共に健康に気を使って生涯を真っ当に生きて、自分の命や運命や人生を大事にしていたなら、そのような人を「貧乏やホームレスになる事を恐れているヘタレ」とか「批判されたり嫌われる事を恐れているヘタレ、臆病、弱虫」とか
「自分は老後ゆったりしたいとか、最終的には自分に甘くしたいんだろ。」とか中傷して謗っても、全く筋が通らない訳でもないかも?とも思えますが如何でしょうか?

でも、潔く自殺した人の事を「他の誰よりも、謙虚で自分に厳しい。」とは誉めませんよね?それは何故でしょうか?

死刑囚とかを「死刑になる事を厭わずに、堂々とあんな事件を起こしたのだから、他の誰よりも勇敢で謙虚で自分に厳しい人だ。」
とは誉めませんよね?
それは何故でしょうか?

謙虚さとはやはり、なるものではなく、装うものなのでしょうか?

A 回答 (3件)

>態度とかが謙虚で腰を低くして


そう思ってる時点で、相手の反応を意識してやってるわけですよね。
それじゃ、ホントの謙虚ではないでしょう。
つまり、どういう気持ちでそれをやっているか?ですよ。
相手をちゃんとリスペクトしてやっているのなら、
ホントの謙虚と言えるでしょう。
自分をよくみせる?ため、相手の反応を気にしてやっている
という意識があれば、そうではないと言えるんじゃないでしょうか。
自然にそういう態度になっている人もいますから、
慣れや、そういう気持ちが心の中にあれば、自然と出てくるもの
だと思いますし。

>ストイックに勉強や運動や仕事をしっかり頑張って
これはちょっと違う話しですよね。
これは、単純に自分のためにやっていることであって、
他人を下げたり、謙虚かどうかとは、違う話しです。

>全く筋が通らない訳でもないかも?とも思えますが如何でしょうか?
それは全部、「他人の考え」でしょ?
自分の考え方と違うことを言われたってことを
気にしてるだけのことです。
自分の中に、芯があるようですし、
そういうことを言ってくるその人は、自分の生き方は
見てきていないんだから、そういう誤解?とか、
嫉妬?に近い感情をぶつけてきているだけであって、
どこにも真実はないんじゃないですか?
そこで揺らぐのは、自分の考えや生きてきたことに、
自分自身が自信を持ち切れていないから、
そう言われたら、そうなのかも、、、って疑う余地が
自分の心の中にあるからなのでは?ないですかね。

嫌なこという奴だから、聞かない、、、ではなく、
そうであっても、ちゃんと中身を見て、聞いて、
そこはそうじゃないって自分で判断すればいいことであって、
その判断基準になるのが、これまでの自分の生き様だったり、
経験だったりするわけです。

>潔く自殺した人
「潔い自殺」ってなんすか?www
そんなもんありますかねえ?
人間は、どんなにみじめでも、つらくても、
生きたいって気持ちはあるものです。
潔く死ぬなんて、最も「人間らしく」ありません。

あがいて、もがいて、みじめったらしく?
死ぬほうが、人間らしいです。

「潔い」というのは、聞こえのいい言葉を
使ってるだけなので会って、
本質は「諦めが早い」「根性がない」「弱い」という
ことです。
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「いくら自分を貶め追い込んだ所で他者に対する思いやりと優しさがなければ単なる自己満足にすぎない」とある和尚さんの説法を聞きました。



「「自分など大したことはない」と言うのはあくまで相手がコンプレックスに差異まれないがための配慮であり、それがなければ単なる卑下と嫌味でしかない。
これのどこが謙虚でありましょうか?」

「自分はこんなにも謙虚なのです」と周囲にアピールして回るのは真の謙虚ではなくむしろ傲慢な心の現れであり。
「自分はこんなにも自分に厳しくしているから自分を甘やかしている連中より優れている」というのも慢心。
ブッダはスジャータからミルクがゆを与えられたときにそれを悟ったのだといいます。

自らや他者を蔑むことなく敬意と慈悲の心を持って接することこそ謙虚なのだそうです。
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「そう他者に対して感じるもの」でしょうか。


つまり、本人には特にそういう意図も何もない、自分自身への評価の言葉では無い、ものが「謙虚」。
あくまで、二人称、三人称が使う言葉でしょう。
ですから、様々な基準が出てしまいます。
主様が思っている事もそのうちの一つに過ぎませんね。
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