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こちらの質問サイトでだったかは忘れてしまいましたが「子どもの頃に受けた苛めがトラウマになっており、未だに加害者を許せない」と書いていた男性がいました。「あの時のいじめで人生が大きく狂った。出来ることなら苛めた人間に復讐がしたいくらいだ」とも書いてありました。
それに対してついた回答は、質問者を批判する内容が大多数でした。
「いつまでも過去のいじめを引きずっている方がおかしい。所詮子供の苛めだろう。大人になっても許せないなんて異常だ」
「いい大人なら過去は笑って許してやるくらいの器量は持つべきだ。そういう風に器が小さいから苛められたんだ」
「大人になって社会に出れば、周りと上手くいかなかったり理不尽な思いをするなんて当たり前。たかが学校生活さえ乗り越えられない人間が、社会で生きていけるわけがない」
そういったような回答が書かれていました。

私はそれについていろいろ考えました。
子どもの苛めと言っても、それで精神を患ったり引きこもりになってしまったり、最悪は自殺してしまう子もいるのですから「たかが子供の苛め」では片づけられないと思います。
ですが、いつまでも「苛められていたのだから仕方がない。可哀想」というような甘い社会でもないと思います。例え苛めが原因での不登校、引きこもりだとしても、社会的には「ろくでなし」という扱いをされてしまいます。長年空白期間があれば会社に勤めることも難しくなるでしょう。「何故卒業が遅れたんですか?」と面接官に聞かれて、「苛めが原因で…」とは言えません。「心が弱い人。適用できない人」という目で見られてしまいます。

なんだか踏んだり蹴ったりだなと思ってしまいました。冒頭から話が少し逸れてしまったかもしれませんが。過去の苛めを許せない・乗り越えられないのは悪なのでしょうか。引きずってしまうのは、いつまでも影響を受けてしまうのは、その人の心が弱いからなのでしょうか?
皆さんの考えを聞かせてください。

A 回答 (20件中1~10件)

どんな人だって辛いことがあれば引きずってしまうなんて当たり前。


個人差のあることですし、子供時代のいじめであれば、その体験が成長過程で大きな影響力を持ち、いつまでも引きずる結果になってしまうのは当然です。
それらのコメントを残した人たちは何かしらの方法で自分の過去と上手く折り合いをつけ前進できたからこそ、そう感じるのでしょうね。中にはそこまで切り替えが上手にできない人もいますから一言でバッサリ切ってしまうのは意地悪過ぎると思います。

ただ、そこばかり集中して自分自身がこれから何ができるのか更にレベルアップすることを止めてしまっていることは問題だと思います。もちろん傷ついて疲れ切っている人に頑張れなんて言えませんし、一度ゆっくり自分の心が回復するまで休むこともとても重要なことです。
その代り、その間、ただ自分が受けた理不尽な仕打ちにしがみ付いて「被害者である自分」のまま時間の止まった生活をし続ければ世間が「弱い奴」と冷たい目で見るようになるのも当然です。

さてこれからご自分はどんな人生を生きていきたいのですか?
いつまでもいじめ加害者の汚い言葉に振り回されて、繰り返し思い出してその度に同じことで傷ついて生きていきたいのでしょうか?
嫌な記憶を何度も自分で繰り返すのは、自分で自分を何度も傷つけるリストカットに似ていると思います。
自分で自分を傷つけていますよ。意味ないですよね。
思い出す時間があるのなら好きな映画を見るとか、別の事に時間を使ってみませんか。
今はあなたの傍にいじめ加害者はいませんよね。
好きなことができるのではないですか?

頻繁に書き込む人で「いじめられている人に問題があるからで、いじめている側に問題はない」と過去に自分がいじめていたことを必死になって正当化しているおかしな人がいますが、こういう人は自分が絶対正しいのに周囲から間違っていると指摘されたことがプライドを傷つけて納得ができないからいつまでもバカなことを書き込んで満足しているんです。
こういう人もいつまでも過去にしがみついて前進できない人です。
惨めで可哀そうだと思いませんか?いじめ加害者は加害者で自分自身に永遠に言い訳し続けているんです。

辛い過去を乗り越えるのは容易ではないでしょうが、それでもその人のリズムで少しずつ過去から離れることはできると思います。影響を受けたり、乗り越えられないことを「悪」とかそういう言葉で言い切れるほど人の心は簡単ではありません。
悪いこととは思いませんが、被害者である過去の自分を手放さないで同じ場所でずっと足踏みしているのではこの先、未来はないと考えます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
乗り越えられた人の「俺が乗り越えられたのだから、お前も出来るはず。出来ないお前が弱いんだ」って言うノア、ちょっとズルいと思うんですよね。
苛める側も苛められる側も、いつまでも過去にしがみつくのは馬鹿馬鹿しいですね

お礼日時:2014/06/25 18:38

強烈な談話を見つけました。


http://kisslog2.com/archives/38184048.html
強烈過ぎて作り話と思いたくなりますが。

発言者はトラウマが払拭できないくらいつらい思いをしたようですが、その人はその歪みから、自分の娘さんにとてつもない抑圧を強いています。
この娘さんに同情する人から見れば、母である元いじめられっ子は悪です。
冷静に考えるため、なぜそうなったかなんて経緯を抜きに所業だけを見れば典型的な毒親です。

ひどいことをしておきながら正当化に明け暮れる、または自覚がなかったり世間一般には正しいとされることに摩り替えてる点ではいじめっ子と大差ありません。


いじめを乗り越えられない人に批判的な意見を述べた人たちは、この談話のような事例を見てきたり、質問者にも似たニオイを感じていたのかもしれません。


歪んでしまったこと、それを乗り越えられないことは自分の責任ではありません。
しかし、歪んだ自分が人様にもたらした苦しみは、自分の責任です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2014/06/25 18:39

わたしも、いつまで引きずっていると言われたことはありますが、されたことが何かも知らない人が言う訳です。


いじめられた側は、精神的に殺されます。
価値観が全て壊され、蘇生が難しいです。

ただ、過去に学び、自分と向き合う過程で、相手を理解することは可能です。
そういう努力は必要であっても、
出来る出来ないで責められる必要はないと思います。

我が道を行くだけです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2014/06/25 18:35

いじめられた方は、一生覚えています。


いじめたほうは、すぐに忘れます。
自分がいじめているという意識もないでしょう。


忘れることです。


不安や、怒りなどのネガティブなエネルギーはとても強いものです。
それによって、人生がコントロールされてしまいます。


過去と未来は、同一線上にありません。
過去は過去、今は今。


もし、「昔いじめられたから俺はこんな人間なったんだ!」
という人がいるとしたら、それはいじめられた人の責任です。


頭の中を、いじめられた時の不安と怒りでいっぱいにするよりも、
他の楽しいことを考えたほうが生産的だと思います。


しょせん人間は、80年しかありません。
他の人に構っている暇はありませんよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
長い間、その人の時間を奪ってしまう苛めは酷いなと思いました。
長期に渡って引きずってしまうのはその人の弱さもあるのでしょう。
ですが引きずるきっかけとなった苛めは、やはり容認してはならないと思います。

お礼日時:2014/06/25 18:34

まさか、悪じゃないでしょう!いじめなんてしていいことじゃないですもん。

そういう意味では殺人と一緒だと私は思います。それに、若い頃に受けた影響って、良いものも悪いものも根強く残りませんか?そう考えるとやはりいじめは犯罪です。

私だったら、一生恨みますし仕返しも企むでしょうし、そういう気持ちを墓場や来世にまで持っていっちゃうかも。心が弱いどころか強すぎちゃうくらいだからずっと根に持つの。とにかく、いじめは絶対許しません!
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2014/06/25 18:32

>過去のいじめを乗り越えられないのは悪ですか?



悪だとは思いません。虐める側が卑怯で悪だと思います。笑って許せなんてよく言えると思います。

しかし強いて言えば、あまり長くかかる場合は遺伝的弱さを感じます。だからダメージから立ち直りにくい。それは悪ではなく、本当に傷になり変調をきたしたのだと思います。ですから加害者として、虐めた側は決して許される存在では無いでしょう。その罪の重さを知るべきです。

余談ですが、私は常に虐められる側に非を求めるのはおかしいと思います。虐める側にいったい何の権限があるのか、全く理解できません。しかし虐めはなくなりません。虐めても許されると甘くみるからです。ですから厳しい罰則をもうけて未然に防ぐことを心がけるのが一番です。虐めに関して規則を作ることはある意味親切です。

私の息子の高校は徹底した進学校でしたので虐めが立証されたら即退学と校則で決められていました。(海外です、弁護士は自由に雇ってよい)監視カメラが各所に設置され、実験室に高い装置があるので警備員を雇っていました。そういう点ではかなりお金をかけた高校でした。清掃人や庭師も雇われていて、常に見回りの教員もいました。表立って虐める生徒はいません。これは進学校として勉強に専念してほしいからだそうです。しかし現実は厳しい校則をもうけることで生徒は虐めをしない、つまり虐めは許されないと思うとしない、そういう発想になります。

日本の学校は管理体制が甘いです。問題は起こってから考える、起こればふたをしたがる。細かい規定を決めれば未然に防げる事は多いです。生徒同士で話し合って解決する自由など夢物語です。そういう点では息子の理系進学校はかなり親として満足しました。子供の虐め、このように虐めたら処罰が待っているとわかると起こりません。もちろん体罰をするような野蛮な教師は一人もいない事もつけくわえさせていただきます。すべてが理性で動けるように細かい規則まで配慮する、虐めが存在しにくい環境として書かせていただきました。(余談が長く失礼いたしました)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2014/06/25 18:32

>「子どもの頃に受けた苛めがトラウマになっており、未だに加害者を許せない」



この質問だか相談は、ここで結構多いのですよ。
でね、確かに2年や3年前の話なら、辛い記憶でしたねと言えるの
ですが、中には10年前とか20年近い前の出来事を今もって恨みに
思うだの、トラウマで家から出られないだの女々しい事を言う。

トラウマなんて言葉を都合よく使っても、心の傷なんて誰にも見えやしない。
そんなあるかないか幽霊みたいなものに踊らされて自分の人生を見失う
なんて愚の骨頂だと思ってしまうのですよ。

「不登校、引きこもり」学生時代の一時的緊急避難なら仕方ないこともある
でしょう。 しかし、そのまま何年も家族に迷惑かけたまま己の殻に閉じこ
もり、人生どうにもこうにもならなくなったからって全て「昔のいじめ」の責任
に転嫁する姿勢が許せんのです。もっと早く行動しろよってね。
何十年も前の過去のことに捉われているのは一種の人格障害でしょうか。

そんないい年した息子を抱えた母親が「育て方を間違ったのか?」と泣いて
いるのを見たことのある私としては、少なくとも現在はおまえが親をいじめて
んじゃねえかと思ってしまうのです。

>過去の苛めを許せない・乗り越えられないのは悪なのでしょうか。
>引きずってしまうのは、いつまでも影響を受けてしまうのは、その人の心が
>弱いからなのでしょうか?

悪だとは言いません。しかし心が弱いのは間違いないでしょう。
弱いことは罪ではない。でも、弱いままの自分で良いと一歩も踏み出す勇気が
ないのは罪だと思う。弱いのが嫌なら強くなりゃ良いだけだ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2014/06/25 18:31

 回答はありません……と言うより人それぞれだと思うので、思考のヒントになればと、回答です。



 『悪』の基準は人それぞれです。そしてその基準は論理的なものではありません。
 例えば論理に従うなら、人を殺す悪に対し、死刑という同様の悪はまかり通りません、が、その矛盾を日本を含めた多くの国が認めています。それでも理不尽に殺された遺族に対し、死刑は悪い事だと諭せる人間はいませんよね。酷く曖昧なところで善悪は決められ、人により善悪の基準は変わります。

 例えばイジメにおいても、過去にAと言う軽いイジメを受けた人間、Bと言うイジメをした人間、Cと言うイジメを傍観した人間、Dと言うイジメを見てみぬフリを後悔し続ける人間がいます。イジメと言う言葉で全てが括られてしまいますが、その時受けた傷や感情は当たり前ですが人それぞれです。その意味で、イジメを踏ん張り続けて乗り越えた、忘れようと努力し続けた人間が「イジメを引きずるのはおかしい」とコメントするのは間違いではないと思います。「イジメをしている人間は劣っている」と吐き捨てて、イジメの本質を抱えたままに当事者と逆転の構図を考え、当事者を見下す事で自己肯定するのも、決して間違いではないです。一つの例ですが、それぞれにはそれぞれ、無数の一つであるイジメと言う体験談に対応して導いた結論があるのでしょう、それぞれが正しいと思います。

 例えば「イジメを受けた事で人生が狂った」と、
 その本人が本当にどうしようもなく壊れて、心理的肉体的に限界である場合もあります。一方で精神的に苦痛でありながら、どこか『イジメられた過去』に責任転嫁しながら自身の改善可能な領域さえイジメの『せい』にしてしまっている場合もあります。後者の場合、多くの寄せられたコメントは厳しいようですが、改善への糸口として正しいと言わざるをえません。

 『擁護されるべき責任なき子供』の時分で受けるイジメと『自分自身で身を守らなくてはならない責任ある大人』の時分で受けるイジメは全く異なり、対応も違います。小学生のイジメに対する回答は多く『逃げろ、泣きつけ』ですが、社会人では『戦え』以外の選択は消えてしまいますよね。子供の頃のイジメを引きずったまま成人となることは、問題と回答にねじれができてより複雑になってしまっています。

 イジメは現状が心理的に裕福になれば『乗り越えた』と言えるだけのものだとは思います。心理的機軸が出来るとか、友達に恵まれるとか、食っていけるくらいになるとか。現状が恵まれれば、イジメを許す、イジメがあったから優しくなれた、弱者への共感力が得られたと、折り合いをつけられることだと思います。ですがそうやって現状の満足度が『乗り越えた』ってのを決めるのならば……行動を起こせない故に乗り越えられない、乗り越えられないから行動を起こせない、って狭い循環に陥ってしまいますね。

 重度の精神病を発症していたら行動なんて不可能ですし、自分を責め続け苦しむ方ならば「弱いからだ!」と鞭を打つことが正しきアドバイスでもありません。優しき人間を弱き人間と決め付けてしまう事もあるとおもいます。この辺も三者三様な気がします。

 補足ですが、ある一つの事例に対し、反論するコメントは少ないエネルギーで出来ますが、擁護するコメントや思考を練って何かを論破するようなコメントと言うのはひどくエネルギーの必要な事です。批判や侮蔑は容赦なく量産され、キッチリ考えた思考の方は多くコメントと言う形に残らない事が多いのではないでしょうか。その上でインターネットでよく見られる情報の誤認があるように思いました。

 んー……なんだか見事に霞がかった回答ばかりで申し訳ありません。思考の足しにしていただけると幸いです。
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この回答へのお礼

いえ、私自身難しい問題だと思います。回答くださり有難うございます。
どちらが良い悪いとか、強い弱いとか、そう簡単に決められるものじゃないんですよね。

本当はこんな議論必要なくなれば…苛めなんてなくなればよいのでしょうが、完全になくすことが難しい以上、本人にとっても社会にとってもマイナスにならないよう、早期に苛めを解決しなければならないと思います。

お礼日時:2014/06/25 18:29

悪だではなく、損だ。

でしょう。
ただし、過去のいじめのせいで、周りに悪い景況を与えていたとしたらそれは、悪ですね。

まぁ人間、普通に生きているだけで、いろんな悪を振りまきながら生きているのだから、
ちょっとくらいの悪は仕方ないとして、なるべくその分、善意を与えながら生きればいいだけの話かもしれませんが。
そうは言っても、過度の悪は許されないものもあるでしょう。

人なのだから、いじめではなくてもいろんな理不尽な影響を受けながら生きていく。
それをみんな、乗り越えながら、あるいは乗り越えるというところまで行かなくとも、なんとか対応しながら生きているわけで、
いつまでも、加害者だけのせいにしているのは、ある意味では甘ったれているとも言えるとは思います。
そういう意味あいで、厳しい言葉が与えられたように思えます。

心理的な影響が残って、現在一緒に仕事をしている上司や仲間に気を使わせているのなら、それは程度の低い悪でしょう。
加害者を未だに恨んでいて、例えばその仕返しを、その家族なんかに与えていたら、合法的であっても、結構程度の高い悪でしょう。

社会的、人道的、法によって、許される、許されないはあるかもしれませんが、いずれも悪だとは思います。

そういった悪をせざるをえない状況下にいるのであれば、
過去のいじめを乗り越えられていないのであれば、
それは悪というか、損だと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2014/06/25 18:23

誰だ『過去の苛めを許せない・乗り越えられないのは悪』などと言った馬鹿は?



どうせ自分が偶然にもいじめられなかった事をいかにも自分の大きな器のお蔭と勝手に勘違いしてる馬鹿なんだろうな(笑)そして乗り越えられる程度のからかいだかいじりだか分からないような経験を『イジメを乗り越えた』と自分で決めつけて悦に浸ってるような下らない人間なんでしょうね(笑)

イジメなんて言うのは死ぬまで繰り返す奴がいる、それに誰もがターゲットになる可能性がある。器が大きかろうが無かろうが、関係なく巻き込まれる。人と言うのは、いつでも実に下らない理由で生き死にが決まってしまうものなんですよ。

それで、どこかの馬鹿が『過去は笑って許してやるくらいの器量は持つべきだ』とか低能丸出しの事を言ってる訳ですか?『何の恨みのない人を死ぬまでいじめ続ける』ような奴を許せるって言う人間の方が明らかに異常ですよね。自分の家族が通り魔に殺されて笑って許すなんて奴が居たら器量とかでなく、そんなものは生き物としても欠陥品です。

たかが学校生活さえ乗り越えられない人間のくせに、普通に社会で生きてそれなりに人間関係も不自由してない奴もいるよ。俺の事だ(笑)周りでもそんな奴珍しくないですよ。まあ心の弱さや器の小ささとやらは相変わらずか、余計ひどくなってるかも知れないが閉鎖的な学校社会と一般社会は全く別物だという事。心の弱さも器の小ささも逆に武器になる事さえある。

まあ復讐を考えるのも良いが(むしろ忘れろと言う方が無理)復讐にとらわれて、一般社会で生きるための努力を怠ってしまう事のないよう、それだけは気を付ける事ですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2014/06/25 18:22

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