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歴史ド素人なもんで、非常に大雑把な質問で申し訳ないんですけど、なぜ日本はガダルカナル島の飛行場を奪われてしまったのですか?

そして、なぜ一度奪われた飛行場をどうしても奪還できなかったのですか?もちろん理由は沢山あると思いますけど、特に重要な要素をいくつか教えて下さい。

A 回答 (8件)

#6です。



>戦闘部隊がいなければ敵にやられる、と日本軍は考えなかったのですか?

はい、どうもそう考えていなかったようです。日本海軍が何をどう考えていたのかは分からないのですが、おそらく「米軍は自分の制空権内ではない地域には進出しないだろう」と判断していたのではないかと思います。実際、それまでの米軍の活動は積極的なものではありませんでした。

実際問題、ルーズベルト大統領を始めとした米国首脳部は、対日戦はドイツが片付いた後にゆっくり反撃すればいいと考えていました。しかし米海軍の作戦部長だったキング提督が「ファック!海軍も反撃しねえと国民に役立たずといわれるだろうが!反撃させろ!予算よこせ!」と喚いたので、「うるせーなー。じゃあ反撃してもいいよ。ただし、出せる兵力は海兵1個師団だけな」となって「ファック!上等だ!そんだけの兵力があればジ(自主規制)ップなんて蹴散らせるぜ!」とガダルカナル作戦が承認されたのです。
だから日本側は、「米軍の反撃はあと1年くらい先だろう」と読んでいたのではないかと思います。

それに、戦闘部隊を連れていくとなるとそれだけの輸送船が必要です。また現地では陣地も作らないといけないでしょうからその分の資材も必要です。また兵隊はメシを食うのでそれだの補給が必要となります。それだけが維持できる輸送船を確保できなかったと思います。
また当時は陸軍も太平洋戦線へのこれ以上の兵力抽出は難しいところでした。中国戦線や満州国守備兵力が必要ですからね。海軍にも海軍陸戦隊がありましたが充分な兵力があるわけではなく、「来るか来ないか分からない、おそらく来ないところに兵力を出してもし突然必要になったら困る」という事情もあったと思います。そこが貧乏軍隊のつらいところなんですよ。

だったらトラックから1000キロもある島の飛行場なんてくれてやりゃあいいと思うのですけどね。1000キロっつたらあなた、東京から根室とか種子島の辺りですよ。この距離を一人で飛んで空戦して戻ってきた日本のゼロ戦乗りの皆さんはお疲れさまとしかいいようがありません。
だけど「なにー!米軍が反撃してきやがったってー?よーし、どうせ大した戦力ではないに違いない。鎧袖一触、やっつけてやるわ、ワッハッハ」と思ったんですよ。「コートジボワールなら勝てる!」って思うようなもんでないかな。なにげにコートジボワールってアフリカ最強チーム(アフリカ予選突破を最初に決めた)ですからね。
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この回答へのお礼

詳しい解説ありがとうございました。当時の日本軍の事情を説明されて、ようやく僕にも納得できました。大変参考になりました。

お礼日時:2014/06/16 21:37

 奪われたのは、他の回答者さまのおっしゃるとおり設営隊中心の部隊だったから。

奪い返せなかったのは、敵戦力を過小評価したことと、充分な戦力装備の前線投入に失敗したためだと思います。

 奪い返せなかった直接的な原因は、防備を固めた野戦陣地に対し白兵突撃を行ったからなんでしょうけどね。思いつくままざっと書くと、個別にはこんな要素があると思います。

1.攻撃発起時間に所定の位置に到達できなかった部隊が多く、突撃戦力が分散した。
2.敵陣地前に近接した散兵壕がつくれなかった。
3.機甲戦力、砲力が不足した(砲の数、弾ともに)。

 つまり、日本陸軍は小銃と軽機関銃だけでばらばらに突撃を敢行したみたいなかたち。

 でも実は、特に後半にゆくにしたがって日本軍は結構な数の戦車やトラック、重砲を陸揚げしていたんですよ。であるならば普通は1~3のような事態は起こりえない。
 ところが、せっかく揚陸した装備を内陸に運ぶための道路が作れなかったんです。当時の日本の工兵部隊の基本は人力。今でいうブルドーザーやパワーショベルは満足なものが国産化できなかったためです。道路がなければ必要な装備を前線まで送ることができない。

 普通なら、防備を固めた野戦陣地に対しては、できるだけ前線に近い場所に壕を掘り、準備を整えたのちに砲兵その他の援護のうちに黎明突撃を敢行する、というのが正攻法です。

 でも、道路がないので必要な装備は前線に届かない、重装備どころか歩兵部隊も間に合わないところが出る始末。でも司令部からは〇〇日までに飛行場を占領せよ、という命令が来る。司令部の命令を実行できないと出世に響く。で、何の援護もないまま敵の機関銃陣地が待ち構えるところに長い距離を走って歩兵だけが突撃する羽目になってしまったわけで。

 これが中国戦線なら、そんな適当な突撃でも敵は遠くへ遠くへと逃げてゆくんですが、ガダルカナルの飛行場の陣地にいるのは中国兵ではないし、そもそも逃げる場所がない。後ろは海ですしね。
 加えて、陣地の守備兵は海兵隊だった。こいつらって、戦前も中央アメリカの密林地帯でドンパチを繰り返していたジャングル戦のベテランであったそうです。指揮官はどうもそのあたりの自覚がなく、なんとかなるわと思っていたようなフシがあります。

 そういうわけで、結果はごらんのとおりになった次第のようです。兵隊がかわいそう。
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この回答へのお礼

解説ありがとうございました。回答を読んでいて当時の惨憺たる状況に背すじが寒くなりました。本当に兵隊さんがかわいそうだと思いました。

お礼日時:2014/06/16 21:47

>なぜ日本はガダルカナル島の飛行場を奪われてしまったのですか?



大雑把な質問には大雑把に返したいと思いますが・笑、ガダルカナル島に米軍が上陸したとき、日本軍は飛行場を設営するための工兵部隊しかおらず、戦闘部隊がいなかったからです。いたところで相手は海兵隊1個師団ですからこちら側も相当な兵力がないと防げなかったでしょうけれどもね。

>なぜ一度奪われた飛行場をどうしても奪還できなかったのですか?

重要な要素としては、
・米軍戦力を過少に見積もってしまい、兵力の逐次投入をしてしまった
・日本軍の根拠地からガダルカナル島は遠く、充分な支援が行えなかった
・上記と同じ理由で、補給を維持できなかった
というところがいえると思います。

はっきりいえば、ガダルカナル島なんて戦略的にもあまり重要な場所ではなかったので、無理に奪回する必要もなかったと思います。確かに南太平洋の制空権、制海権に影響は与えたと思いますが、じゃあガダルカナル島が奪われたことで日本海軍の活動に著しい影響があったのかというとそんなことはありませんでした。トラック諸島の日本海軍根拠地がやられたのは奇襲によるもので、ガダルカナル島が影響したわけではなかったですからね。
そんな捨石にしてもいいような場所に日本軍が異常なまでにこだわったのは、多分に「メンツ」というのがありました。「日本軍が撤退する」というのは陸軍海軍ともにどうしてもプライドが許さなかったのですよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。なぜ飛行場を設営するのに工兵部隊しかいなかったのですか?戦闘部隊がいなければ敵にやられる、と日本軍は考えなかったのですか?

お礼日時:2014/06/16 14:05

先の大戦の全局面に共通している事は、補給物資を


揃えずに兵站を異常なレベルなまでに拡大したからです。

極端な話、制圧できた場所を保持できるかどうか、
こんな簡単な事を当時の日本軍は考えられなかったのです。
そして悲しい事に、今の与党も同レベルです。

戦略眼が欠片も無い。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。確かに、本質的なご意見だと思います。

お礼日時:2014/06/16 13:59

ガ島へ来たアメリカの輸送船団を叩かなかった事がガ島敗北の決定的事項です


日本はガ島の周辺海域に空母が居る事を恐れてアメリカの輸送船を叩けなかったんだよ

アメリカが奪った飛行場はヘンダーソンと名づけられ
ここを取り返すために日本は大規模な空爆を行ったがついに奪還には至らなかった
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。解説は参考になりました。

お礼日時:2014/06/16 13:58

mkfdh さん、こんばんわ。



海軍が進行してきたアメリカ軍の兵力を過小評価したことから錯誤が始まります。海軍が陸軍に要請して一個連隊を派遣してもらいましたが、結果は全滅、次に1個旅団を送りましたが飛行場の奪回には至らず、補給が続かず、段々深刻化していきます。事ここに至ってやっとアメリカ軍の兵力が明らかになります。それまでは小出しの逐次投入だったというお粗末なものでした。それというのも、昼間の制空権は飛行場を持っているアメリカ軍にあり、そのため補給船が撃沈されてしまうからです。護衛の戦闘機は1000kmも北にあるラバウルからくるので、5,6時間もかけてガダルカナル島周辺に到達するのですが、航続距離から考えて、15分くらいしか島の上空に入れないのです。あまり役に立たないのです。そのあと2個師団が展開されますが、飛行場の防衛陣地は堅固でたびたび攻撃しますが、奪取できません。そのうちまた補給が続かなくなり、ガ島をもじって餓島という始末です。最後は海軍も必死になって駆逐艦や潜水艦を使って物資を運びますが、うまくいきません。そのうち度々の海戦で航空機や艦船が消耗し補給に回せなくなり、さらに撤退するときには開戦時にはたった半年の攻防戦で600万トンあった重油もこの時点で100万トンを切る状態でした。飛行機や軍艦を動かすには重油が必要なのです。つまり、もう島の飛行場を奪回しても、それを維持していくことができなくなったからです。つまり、物量や陸海軍の疎通のなさなど失策が重なったのです。

詳細は下記のURLを参照ください。


ガダルカナル島の戦い
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%80% …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。解説は参考になりました。

お礼日時:2014/06/16 13:56

第1の理由は、がダルカナル島の飛行場が完成していたにもかかわらず、航空部隊の進出が遅れた事。


第2の理由は、アメリカ上陸部隊の兵力2万を過小評価して、日本の奪還部隊を小出しにした事。
最初の奪還部隊の一木支隊事の兵力は、僅か800という有り様。第3の理由は、がダルカナル戦半年前のミッドウェー海戦で、日本連合艦隊は、主力空母4隻喪失していた為、がダルカナル島周辺海域の制海権、制空権を確保出来ず、その為、がダルカナル島への補給線が未確立だった事。
以上の3点が、日本のがダルカナル戦敗北の主な原因と思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。簡潔で分かりやすかったです。

お礼日時:2014/06/16 13:54
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