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昔の武士の切腹しかり、戦時中の特攻しかり、日本人というのは

「死」というものを美化する精神的風土がありますよね。

それはなぜなのでしょうか?

どのような歴史的社会的経緯から「死」を美化するように

なったのでしょうか?

A 回答 (7件)

う~ん。


ちょっと違いますね。

>なぜ日本人は「死」を美化するのか?
>どのような歴史的社会的経緯から「死」を美化するように
なったのでしょうか?

「死」を美化するのは、「日本人」だけではありませんよ。
正確には、「死」を美化するのは、いつも「残された人間」です。

そういう点で言えば、世界各国、残された者はたくさんいる訳ですから、どこで誰が、どこの誰の死を美化しているのかについては、はっきりした線引きは出来ませんね。

さて、そうは言っても、それでは元も子もありませんので、少し「死」について、言及して見ましょう。

古来より、人間は、暗闇を何よりも恐れる傾向がありました。
何も見えない、何も分からない暗闇では、何があるのか、何が出てくるのか、「何も分からなかった」からです。

昔から人間に限らず、自らの意志を持った生き物は、自分の知識の幅を超える事象、自分の理解を超える範疇の出来事に関しては、「恐怖」を覚える傾向が強かったようです。

これらは、実在するのかどうなのか、現代の科学を持ってしても未だに解明されない「幽霊」「霊魂」「妖怪」などの「目には見えない」「形の無いもの」に対して、怯えたり恐れたりする事からも分かるのではないかと思います。

そこで人間は、それらの「恐怖を克服する」為に、何も見えない「暗闇」に対しては、「灯り」をともす事でその恐怖を克服し、「霊魂や心霊など」の見えない恐怖に関しては、その恐怖を具現化し、目に見える形にする事で、知る恐怖へと変える方法を覚えました。

「死」も、同じ事なのだと思います。
人間は「死ぬ」と言う「死の知識」は知っている、理解しているものの、「本当の死」に関しては、その当人しか、その先の事は知りません。

もうお分かりでしょうか?

>昔の武士の切腹しかり、戦時中の特攻しかり

昔の武士や、特攻隊の方々は、自らの「避けようの無い死」に対して、自分自身と、そこに残される者達に向けて、「その恐怖を克服しようとした」のではないでしょうか。

自分にはただ、「結果美化された」と言うだけの話のような気がします。

死の恐怖の克服の仕方は、個々によって違うと思います。

神の存在か、死後の存在か、何かを信じる事で救われるものなのか、それとも、ただの根性なのかやせ我慢なのか。
そもそも本当に、その方々は救われたのか?最期まで信念を全うする事が出来たのか?

自分には、何も分かりません。

自分は、死ぬのが怖いです。
だからこそ、そこに存在された方々の勇気が、ただの「美化」と言う言葉で片付けられて良いものだとは思いません。

自分が、本当の意味で「死を美化」する事があるとすれば、その「死」に対して、「生」を強く感じた時、とでも言いましょうか。。。

特攻の方々の事を思ったら、少し、熱く語り過ぎました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「死」の恐怖の克服。この姿が、残された者にとって、

美化の対象になっただけということですか。

お礼日時:2014/06/25 16:51

死そのものを社会的に美化したのは明治以降ですよ。


いつからという明確なものではないけれど、美化することによって死にに行く事に抵抗力をなくしているんでしょうね。つまり明治以降軍の力が強くなってからです。
それまでも死に美を見出した人はいたでしょうがあくまでも個人的或いは小グループ的なもので社会的認識ではありません。
死は義務、あるいは責任の取り方であり美ではないのです。

江戸時代の元禄あたり、つまり自分達が死ぬ事に対して距離が出来た頃から美化するものが増えます。
四十七士は死を美化しているのではなく忠臣を美化しているだけです。それが歌舞伎などになると当事者でない人たち、距離を持っている人たちによって美化されるわけです。

特攻も別段美化などしていませんよ。彼らも家族を守るため国を守るために出撃したのです。
そして彼らと距離を持っている人々によって美化されたのです。

更に共産主義者によって昔の日本は死を美化した、軍国主義が死を美化したと触れ回ることによって、日本国を責めるわけです。
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古代の日本人は死は忌まわしいもの穢れという認識。



死に美意識を持ち込んだのが
曽根崎心中
忠臣蔵では切腹は美しい死に方
乃木稀助殉死
三島由紀夫事件
渡辺淳一失楽園、性交しつつ自殺。グロイ死に方が大人気。
死を美にしようと画策する連中は後を断たず、知識階級はそれを批判せず、賛美すらしている。やはり変だよニホン人。

現代の自殺は美意識からでなくほとんどが鬱からくるもの。苦痛から逃れたい一心からである。庶民は死を美しいとは思っていない。死を美しいと思っているなら三島みたい芝居がかった死にかたをする。失楽園みたいな死に方するバカはいないと思うけど。
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”日本人というのは「死」というものを美化する精神的風土がありますよね。


    ↑
他国にもありますが、日本人は特に強い
というイメージがありますね。

旧くは赤穂浪士があり、近年では三島由紀夫が
ありました。

自殺が多いのもその一環でしょう。
WHO精神保健部ホセ・ベルトロテ博士はこう言っています。
「日本では、自殺が文化の一部になっているように見える。
直接の原因は過労や失業、倒産、いじめなどだが、
自殺によって自身の名誉を守る、責任を取る、
 といった倫理規範として自殺がとらえられている」

中国人の学者も「日本人は死ぬことを何とも思って
いないみたいだ」
と述べていました。


”それはなぜなのでしょうか?
どのような歴史的社会的経緯から「死」を美化するように
なったのでしょうか?”
    ↑
刑法学の権威「団藤重光」博士は、武士道の
影響を挙げています。
私もこれに賛同しています。

日本は、武士の支配が700年も続いた特異な
国です。

武士道とは、武士の道徳律です。
それが永い時を経て、国民全体に浸透しました。

武士とは戦争のプロのことですから、なによりも
勇気、つまり死に対する恐怖を克服することが
要求されます。

これが江戸時代270年間の平和な時代を経て
死を美化する精神に昇華? 転化? したのではないか
と考えております。
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何かのために死ぬことで自分の生を意味(価値)あるものにする、という考えは日本以外にも見られる考え方だと思います。

ただ、日本の場合、仏教的な輪廻転生の考えも影響してるのかも。戦国時代に前線に立つ足軽たちは多くが貧しい農民出身で、戦で勇ましく死ねば次に生まれ変わるときは上の階級に生まれると信じていた、と何かで読んだことがあります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/06/25 16:52

 んーー、死を美化? というのは日本だけじゃないですよ。


アメリカインディアンや、東南アジアでも同様の信仰の地域があります。

 それに全部共通するのは
その宗教が多神教における精霊信仰である事です。
『死後、先祖は霊となって存在し、子孫を守る神となる』そんな考えです。

 そのような宗教観のある民族は『死』については尊厳であり、
死しても、滅ぶ事はない。
 そのような信仰の為、そのようになります。

 そして真逆の宗教観としても、その論理は存在します。
代表的なのはイスラム原理主義の自爆テロです
 アラーの為に死ぬと天国に行ける
 そこでは決して悪酔いすることのない酒や果物、肉などを好きなだけ楽しみ、フーリーと呼ばれる永遠の処女と性行為を楽しむ
 ・・・とあります。なので死を歓迎する風潮があります。

どっちにしても死後の考え方ですよね


 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「死」を尊ぶのは、日本だけではないのですね。

お礼日時:2014/06/25 16:04

「武士道と云ふは、死ぬ事と見付けたり」というのは江戸時代からだそうですね。



wiki「武士道」より

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB% …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

武士道の究極は「死」ですか。

お礼日時:2014/06/25 16:03

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