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この問題については、何度も質問されていますが、ちょっと違った角度から是非質問させてください。
わたしには、アキレスと亀がものすごく不思議です。ですが、不思議だと思わない人のほうが圧倒的に多いことを、もっと不思議に思っています。

わたしたちは実際にはアキレスが亀を追い抜くことを知っていますから、そこを起点に考えるので、ゼノンのいうことには間違いがあるに違いない、というところから発想して、無限級数だのなんだのを持ち出して説明しようとします。
ですが、仮に、このように簡単な事実で検証できないような別の問題があったとして、このレベルの論法で説明されていたのだとすると、私にはそのおかしさを指摘することはぜったいできないです。私には完璧な論法に見えるので、自慢じゃないですが、はい、証明終わり、Q.E.D.とされても、納得してしまう自信があります!(笑)だから、そうした場合にも、みんなすぐにその論法はおかしいなんて指摘できる自信があるのでしょうか?ということをすごく疑いたくなります。逆に言うと、これまでに解決されてきた、数学の多くの証明において、こうした問題が潜んでいないということすら、私は納得してしまっていいのだろうか、とすら思います。

この、ゼノンの論法はどうしてもそんなにいい加減な論法には聞こえません。だから、なぜ多くの人が全然不思議と思わないのか、また、なぜ、多くの人が、自信を持って、ああそれはね、無限級数で云々と説明し始めることに抵抗を感じないのか、そこがまったくわかりません。

皆さんはどうお考えになるでしょうか?これはひょっとすると、数学の問題ではなくて、社会学とか、とかそういう分野の問題なのかもしれませんが、皆さんのお考えをお聞かせください。

A 回答 (56件中1~10件)

う~む。

質問者の言いたいことがよく分からない。ゼノンの論旨を質問者さんは以下のように述べておられます。
>そもそも、ゼノンが使った議論は、
>亀のところまでアキレスがいく。それには必ず時間がかかる。時間がかかれば、亀は必ず当初の時点よりも前に進んでいる。
>これだけです。ほとんど三段論法です。その繰り返しだけで、現実と矛盾してしまうから、パラドックスなんです。
亀のところまでアキレスがいく。→運動そのものです。
それには必ず時間がかかる。→これもしかり
時間がかかれば、亀は必ず当初の時点よりも前に進んでいる。→これもそう
その繰り返しだけで、現実と矛盾してしまうから→だから、「その繰り返し」とやらで運動をとらえてはいけないのだよ。

この回答への補足

それでは、ご説明いただいた言葉を使って説明するとどうなるか、(少し不正確ですが)説明させていただきます。

つまりですね、ゼノンがいったのはこういうことなんですよ。

「運動を離散的にとらえてみましょう。そうすると、現実と矛盾が生じますね。ですが、私の説明したような「ロジック」をつかうと、運動は離散的にとらえられますよね?おかしいですか?おかしいなら、わたしの「ロジック」のどこがおかしいか、説明してください」

だから、「運動を離散的にとらえると矛盾が生じる」っていうだけでは、パラドックスを論破したことにならないんですよ。そりゃまさに、ゼノンが示したことそのものなんだから。
端的にいって、それだと(離散的)って言葉を挟んではいるけど、それは、「ゼノンのように(運動を離散的に考えると)矛盾が生じておかしい。だからゼノンのように考えるのは間違い」っていってるだけなんですよ。ゼノンのはパラドックスだから、ゼノンは間違い、じゃあ説明にならないでしょ?

補足日時:2014/07/14 06:32
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質問者さんの勘違いの根っこが分かったように思います。

考え方が逆なのですよ。
>じっさい、数学的論証は、まさに、そうした離散的な捉え方は可能、
間違っています。運動を離散的にとらえることはできません。ちなみにこれは数学的に証明できるものではありません。自然現象を数学的に記述しようとしたとき、ゼノンのように離散的にとらえようとすると矛盾が起きてしまう。なので、運動をこのようにはとらえてはいけないのだなということから新しい数学概念(解析学)が生まれたと理解するのが正しい姿勢です。

この回答への補足

いや、ちょっとはしょって書いたかもしれませんが、ゼノンの議論は、いわゆる「運動」を「直接の」議論の対象としたものではないということです。だから、数学も離散的記述を使ってその論旨をとらえることができたのでした。ゼノンの論旨に沿う限り、それを離散的にとらえることはおかしくないということを数学も認めているということだと思います。

補足日時:2014/07/14 00:10
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質問者さんは数学的にはパラドックスは解消されていることを十分に承知の上で、それでも哲学的にはどうなんだと、どう解消するのだと?なお疑問があるとの質問と受け取りました。


なので、哲学的(自然科学的といった方が妥当か)な側面の回答にトライしてみます。まず、議論の背景は現実にある物理的な現象ですね。なので、アキレスが亀を追い抜くのは現実に確認することができる事実であるから、「アキレスは亀を追い越す。」と言う命題はこれはどうしても正しいと言わざるを得ない、
一方、ゼノンの主張はちょっとみ穴がありそうに感じられない訳ですね。さて自然科学的な考察をしてみましょう。
1.運動とはなんでしょうか?位置とは?時間とは? 簡単のようで簡単ではないですね。概念的には運動が先にあって、その上で位置とか時間とかが考えられるのでしょう。
2.ゼノンは亀が元いた位置にアキレスが来たとき。という表現を使っています。なぜアキレスは亀の元いた位置を必ず通過すると簡単に言ってよいのでしょうか?
3.あなたはこの部分に疑問を持っていないようですが、連続性(実数の無限)を考えることなく、「亀が元いた位置にアキレスが来たとき」が必ずあると言えるのでしょうか?
4.そしてゼノンの論理はその繰り返しといっています。繰り返しとは離散的な概念です(有限であれ無限であれ)。
5.そもそも運動とは離散的な概念でとらえられるものでしょうか? とらえられません。
6.ゼノンは「連続的な概念が必要な運動」を離散的な観点(ある瞬間の切り出し)で論理を展開している。
7.つまり、論理的には正しい推論にみえて、そもそも語るべき対象(運動)に対して使えない(まさに禁じ手)概念を用いた間違った推論です。

この回答への補足

まじめに問題をお考えいただきありがとうございました。
また、新しい方にご参加いただいてうれしいです。
ご指摘のように、私の質問はどちらかというと哲学に近いところで考え始めていたように思います。ただ、いまは、いろいろなかたに教えていただいたおかげで、数学的にも、パラドッックスは解消されたとはいえない、ということを、具体的な問題点を特定しつつ、議論できるようになったと思っています。ちかく、#45のお礼欄にそのことを書き込む予定ですので、機会があれば、ご覧いただければ幸いです。

ご指摘の考え方は、興味深いですね。少し自分でも考えてみたいと思いますが、でもおそらく、「そもそも運動とは離散的な概念でとらえられるものでしょうか? とらえられません。」ということを簡単に論証するのは難しいのではないでしょうか。じっさい、数学的論証は、まさに、そうした離散的な捉え方は可能、その上で、アキレスは亀に追いつく、ということを証明しているものです。

ともかく、もう自分なりの回答がでたので、それを示してしまおうかと思っていたのですが、こうしてまじめに問題を考えてくださる方がいらっしゃるのをみると、まだもっとほかの方のご意見も伺いたいような気がしています。

補足日時:2014/07/13 23:28
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ANo.50へのコメントについてです。



> アキレスと亀の詭弁性を「証明する」

「詭弁性を証明」ですか… ゼノンの論述は詭弁ではない、とお考えなのかな?
 証明になってないということを「証明」するだけなんですから、「ゼノンの論述にはすり替えがある」ということを指摘するだけで十分です。

この回答への補足

そうですか。

ちょっとうまくお話ができずに残念ですね。でもともかく、いろいろ教えていただきありがとうございました。

補足日時:2014/07/12 10:29
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>そうではありません、


>「1+1=3が間違っていて、1+1=2が正しい」
>ということを証明するのに、
>「1+1=2が正しい」を使ってはいけない、ということです。

なるほど、質問者様の御言葉に反論などという恐れ多いことは

してはいけないということですね(^^; それでは失礼します。
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まあ、へりくつはおいておいて、ゼノンが提示したかった問題は



「瞬間が無限に集まると有限になりえるのか、無限なのか」ということ。
「連続した有限な時間の流れの中に無限な数の通過点を作れるか否か」
だと思います。「無限」、あるいは「作れない」ならば、これはすなわち
運動そのものの否定に繋がります。

わざと無限といってみせておいて、矛盾を明確にしたかったのだと思います。
間違っていることはわかりきっているので、どこが間違っているのか
を明確にしたかったのでしょう。

当時、多くの哲学者が迷いつつも有限になると考えたわけですが、
今は数学も整備されて、このあたりは大学で学びます。

ここに踏み込まずに納得してしまうということは
「瞬間が無限に集まると有限になりえるのか、無限なのか」
に何の疑問も持っていないか、そこに思い至っていないという
ことですね。
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ANo.46への追加です。


ANo.19で説明した方法は、「同じ無限級数の話ばかりを繰り返して、その繰り返しが終わらない」という状況を打ち切るのにも、もちろん応用できます。

この回答への補足

文字通りの意味でそういう示唆をなさっているとは思っていませんでした。


ご指摘の方法は、数値計算においては必要不可欠で、もちろん、禁じ手ではないでしょう。

しかし、アキレスと亀の詭弁性を「証明する」手段としては禁じ手です。

補足日時:2014/07/11 02:10
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しかし、アキレスと亀より、同等で登場人物がひとりである2分法の方が見通しがよいと思いますけど。



1) AからBに移動するにはAとBの中点AB1 を通過する必要がある。
2) AB1からBへ移動するにはAB1とBの中点AB2 を通過する必要がある。
3) AB2からBへ移動するにはAB2とBの中点AB3 を通過する必要がある。

以下同様に

3) ABnからBへ移動するにはABnとBの中点AB(n+1) を通過する必要がある。

以上は無限に繰り返えせるので、無限に時間がかかり、AからBへ移動することは
決してできない(^^;
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ANo.46へのコメントについてです。



ヴィトゲンシュタインはともかく、ソシュールを勉強なさったのに現実と言語の区別が付かないってことはないと思うが…
このサイトのいくつかのQ/Aがご参考になるかもね。(手前味噌っぽいですが)
qa/8447601
qa/2438487
qa/5525854
qa/3616967
qa/7423274
qa/3290945
qa/43691
qa/4893333
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う~ん、1+1=3を否定するのに


1+1=2は使うなという話になってますね。

ヘ理屈ここに極まれり。

この回答への補足

そうではありません、

「1+1=3が間違っていて、1+1=2が正しい」

ということを証明するのに、

「1+1=2が正しい」を使ってはいけない、ということです。

補足日時:2014/07/11 02:06
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