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 じっさいに似たような社会的な情況や心的な現象があるのでしょうか? ないのでしょうか?

 《フンイキ》といった言葉になるのでしょうか?


 よろしくご教示ください。

 エピソードなどを聞けましたなら さらに感激です。

A 回答 (25件中1~10件)

>☆ たぶん アメリカでは 宗旨どうしのたたかいだと言うと決めつけのようになってしまうでしょうから と言ってもさらに飛躍した言い方を思いついたのですが もしアメリカ人が互いに相手の下に立つことを嫌ったなら それはひょっとすると小さな神どうしのあらそいであるかも知れないと思いました。



> 《全体での同調圧力が発生する日本とはまた違う》なら さらに上位の権限保有者のもとに共に入るというのでもなく あるいは 互いに同じひとつの神のもとに《兄弟どうし》になるというのでもないことになり それは 自分自身がちいさな一柱の神であるといったことになるかと。

> 村八分がないとすれば おれが村だ おれが神だと互いに言って 対立するのかも知れません。これは 意外と均衡をたもつのでしょうか。


私個人の考察ですが、日本のクウキとは集団全員が同じ動物種であるという認識のもとに成り立っているのかなと思います。
日本ではコミュニティの構成員全員が犬だったり猫だったり馬だったりするわけです。
犬の集団であれば言葉にしなくても尻尾を振れば「俺は好意的に感じているぞ」とほのめかすことができるし、何も考えなくてもドッグフードを用意すればみんな(建前上は)満足する訳です。
もしもクウキを読まなかったら集団から「あれ、こいつは犬じゃないのか?俺たちは犬の集団なんだから犬らしくしろよな」と同調圧力がかかる。だからもしも猫が混じってても犬のふりをしてドッグフードを食べざるを得ない。
そうしないと村八分にされて不都合が起こる。


一方、アメリカなどは同じ集団の中に犬もいれば猫もいればニワトリも混じってるという状態が当たり前なのかなと思います。
そういう状態では犬がしっぽを振ってみせても(言外の好意をほのめかしても)、猫は「こいつは怒っているな」と誤解するし(猫にとって尻尾を振ることは怒りを意味する)ニワトリは「なにやってるんだろう」と理解もできないことでしょう。
そういうところでずっと生活していれば犬は「尻尾を振っても誰も俺の好意を理解してくれないから言外のほのめかしは意味がないんだな」と学習し、必ず言葉で自分の意志を主張し、言葉で相手の意志を確認するようになる訳です。
言葉であれば別の動物であっても意味は共通ですから。
だからこそ相手に誤解させずに意志を伝え、相手の意志を誤解せずに解釈するための会話技術が発達する訳ですね。なので言葉の曖昧さ(同じ言葉でも複数の解釈が可能な言い方)は嫌がられる訳です。
(アメリカ人の中にも「英語は言葉がきつくて好きじゃない。日本語の曖昧な言い方はやさしくて好き」という人もたまにいたりしますが。恐らくごく少数だろうとは思いますけど)


でも、もしも集団の中にライオンがいたら?(仮に自分が犬だとします。)
「俺は犬だからドッグフードが食べたい」というような主張なら問題ないでしょうけど、ライオンに対して「俺にも肉をたくさん寄こせよ」と言ってしまったら?ライオンの性格次第ですが、あまり良いことは起きないことは確実でしょうね。
そこでは万一ライオンの機嫌を損ねないようにライオンの言外の意志を推測してライオンを怒らせるような言動は控えないと危険なわけです。

また、集団の中に猫がいて、その猫が綺麗な水場を管理していたとすれば、その猫を怒らせれば綺麗な水をもらえなくなるかもしれません。となればある程度はその猫と仲良くしておいたほうが得です。

そういう意味で、日本とはまた違ったクウキの読み方が求められる訳ですね。

日本ならたとえ相手がずっと強大な相手でもお互い犬である限り、犬の習慣に従っていれば相手も好きにはできないこともあります。ボス犬であっても犬の範疇を超えた横暴なことをしようとすると他の犬から「クウキの読めないボス犬だなぁ。ボス失格じゃないのか?全員でこいつ潰そうぜ」という目で見られる恐れがあります。あるいは犬特有のマナーを守っていればボスの意志に反していても「犬として筋が通っているからボスと言えども無理やり従わせることはできない」という状況に持ち込めることもあります。
無論、状況やそのボス犬の権力の強さ次第ではありますが。


エリートの派閥争いについても、日本ではどのボス犬に付くのかという形なのに対してアメリカではライオンの群れとオオカミの群れとゴリラの群れのどこに付くのか、というような違いがあるように思います。
日本ではどの派閥についてもなんだかんだで犬は犬ですが、アメリカではライオンの群れに付けばその時点でライオンとなりオオカミやゴリラとは完全な敵となる訳です。


ですので「小さな神どうしのあらそいであるかも」というのは鋭い見方だなと思いました。


ちなみに特殊な状況ではアメリカ人の一般大衆の多くが同一種の集団と化すことがあるように思います。
それは愛国心が求められる状況や特定の外国をヘイトする場合、そして分かりやすい弱者の保護(America is justice !アメリカこそ正義、というよりはアメリカは正義の国であらねばならない、というニュアンスですが)、です。
ベトナム戦争のころ、反戦論者は非国民というニュアンスに近い扱いをされました(戦後は逆転しましたが)。また貿易摩擦で日本(日本企業)への悪感情が高まった時期は日本人や日本製品というだけで集団から排除されましたし、その当時の映画やドラマなどの創作では日本企業と言えば拝金主義の邪悪な組織として描かれるのが定番でした。当然日本を擁護すればクウキの読めないやつめ、と嫌われます。
また、オリンピックなどのスポーツの世界大会の時期もそうですね。
そういう時期はアメリカ人ならアメリカを愛することは当然。アメリカを批判するなどもってのほか、というような同調圧力が発生していたように思います。
後は人種差別とキリスト教に関しても。
アメリカの映画では必ず黒人やマイナー民族を出さなければならないという慣習もありますし。
ようはアメリカ人全体で共有できる主題があればそれに関しては特有のクウキが発生するのかなと思います。そういう意味では比較的世論を操作しやすい国なのかもしれません。
アメリカは歴史が浅い国だからこそそういう愛国心の醸造に熱心である、という意見を見たこともありますが、ここまでくると今回の質問でのクウキとはだいぶ次元が違ってくる気もしますので的外れかもしれませんが。

あくまでも個人的な見解ですので偏りや誤りもあるかと思いますが参考になればと思います。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。


 わたしは 戦争史や国際関係などとしての現代史に弱くて 最近になって 自分のアメリカ論をかたちづくらねばいけないと思い始めている者です。(それでも けっこう大きな顔をして質問してもいますが)。

 今回は クウキの問題でした。ちょうど関心がふくらんだところで 問うてみました。


 けっきょく日本にいて見聞きしたことがらのあとは 思弁的に推測しているようですね。自分のことながら。或る程度言いたいことは あるにはあるみたいです。

 でも根拠はない。そういった状態のままでいるのは よくないですね。初耳のことが少なくないのに よく意見や感想を述べているものだと われながら思います。

 まぁ 無知の知は 保っているつもりですので やって行けるのかも知れません。



 
 いろいろおそわりました。

 日本型クウキとアメリカ式クウキについて よく分析していただきました。今回は復唱しませんので 訪問されるみなさんは ご回答の本文をお読みくださるよう願っておきます。

 褒めてもらったので ただでさえデカイ顔をしてものを言っているのが ますますおしゃべりになってしまいます。




 ちょうどいまは エーテル教(クウキ教)なる日本教が いかにあるや? にもかかわっています。

 韓国では ウリナラ・ファンタジなるコレア教が 《国民情緒》なる律法のもとに 《はびこっている》と見られます。うんぬん。

 そのツテでは ずばり《アメリカ教》なる ナショナルなクウキはあるか? へと次の標的が行くかも分かりません。


 あるいは そう言うよりも ずばりアメリカにおけるいわゆるキリスト教の――各宗派ごとの でしょうか――オシエについて ある程度徹底して分析・吟味してみておいたほうがよい。とも考えています。

 けっきょく オシエは 共同の観念でしかなく 容易に共同の幻想になりうる。ワケが分からないかたちで人びとの行動だけがすすんで行く。といったおそれがあるかと考えられるからです。

 これは ローマ教会についての批判とは 別に必要なのかなと思い始めているところです。(と言っても ほとんどアメリカにおける宗教事情も知らないで やはり 言っています)。




 いまちらっと思いついたのは けっきょくそれぞれのムラにあって 何を隠そう そこにつどうのは 人間であるということ。

 その心は 何々犬 何々種うんぬんと言っていても それは そういった多様性を持つのは あくまで《ひと》であるということ。にあります。

 ライオンや熊やオオカミやなどが見かけられるとしても それも みんなニンゲンであるということ。

 ニンゲンが そういったホクロをつけていたりソバカスがのこっていたりするだけだということ。これを 推し進めて行くのも 一法であるかも知れません。と思いました。

 これは 多様性を消すためではなく それを活かすためにです。



 ボス犬のグループごとに分かれて犬どうしであらそうのではなく あるいはライオン派とオオカミ派やゴリラ派らとに分かれて敵対するのでは必ずしもなく みんなニンゲンの集まりである。とすれば 各グループや派閥ごとに《クウキ》を醸し出しその気球に排他的に乗っかるというのではなく そうではなく あくまで互いに議論をして話し合いをすすめるということ。

 こうすれば クウキによる暴走は少なくなるかも知れません。
 クウキを言葉が凌駕する。



 もうこの辺までとします。重ねてありがとうございました。

お礼日時:2014/09/04 13:16

こんばんは。



plapotaさんの、私に対する「聖書学の専門家」というのはとんでもない誤解です。お買い被りにならないでください。まあ、それはおいといて、ほかの言語の回答がつかないので、ネットで検索してみました。中国語、韓国語の知識は皆無ですが、クウキを読む、にあたる表現はありそうです。見ても全然わからないので、そのまま出します。真偽のほどは保証いたしかねます(笑)。

中国語
「白目」
http://ameblo.jp/yamayan-ntu/entry-11530929770.h …
「看气氛」
http://www.chinese2.jp/dic/?ss=20080521012121

韓国語
【분위기 파악】(プニギ パアク)「雰囲気把握」
http://blogs.yahoo.co.jp/hakko1020/52922477.html
눈치가 없다. ヌンチガ オップッタ
https://m.facebook.com/nova.Korean?v=timeline&fi …
「분위기 파악하다」「雰囲気を把握する」
「눈치를 살피다(보다)」「目端を見る」
「눈치가 빠르다」「目端が早い」
http://www.1hangul.com/index.php?QBlog-20140902-2

スペイン語(ちょっとあやしい)
agarrar la onda
sobreentender
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …

外国での「クウキを読む」について、いろいろ違う意見があります。
http://外国人出会い.biz/tigai/kuukiwoyomu-nihonjin/
http://www.madameriri.com/2012/11/08/%E3%81%AA%E …
http://kanakonoda.wordpress.com/2012/06/29/legge …

御参考になれば奇跡です。
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この回答へのお礼

 こんばんは。ご回答をありがとうございます。


 ▲ (空気を読めていない人のことを中国語では何というか)~~~

 白目

 例文
 A:「刚刚的王先生,你觉得怎么样?」(さっきの王さん、どう思う?)
 B:「怎么了?」(どうかした?)
 A:「他超白目的,最近张小姐跟男朋友分手了。
  可是王先生在张小姐旁边一直说自己女朋友的话」。
 (彼ぜんぜん空気読んでないよね。張さん、少し前に彼氏と別れたって言うのに
  王さん、彼女の前で自分の彼女のことばかり話してるんだよ。)
 B:「那时候我也觉得他很白目。」(あの時は僕も彼はKYだと思ったよ。)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 細かいことを言いますが これは 《相手の気持ちを察していない》とか《心を思いやっていない》とかに相当するようには思います。

 もっとも 《みんなが 別れ話には触れないでいるのに そのクウキを読めないでいる》というふうに言っていると解釈できるようではあります。


 ▲ 「看气氛」=空気を読む
 ☆ 《雰囲気(气氛:チーフェン)を見る(看:カン)》と言っているのですね。




 ▼ ~~~~~~~~~~~~~~~~~
  例: 분위기 좀 파악해봐.
   (もうちょっと空気読めよ)

   넌 어쩜 그렇게 분위기 파악을 못하는 말만 골라 하는 거야?
   (あんたってどうしてそんなに空気読めないことばっかり選んで言うわけ?)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ プンニギ パアクハダ:雰囲気把握スル⇒クウキを読む:そのまま 合っているように思います。

 ▼ ~~~~~~~~~~~~~~~~
  ★例文★
 희애; 점심 먹고 나니까 잠이 온다.
 ヒエ:昼食べてから眠くなる。
 미애; 이거 마셔.
 ミエ:これ飲んで。
 희애; 뭐야? 어, 커피잖아. 정말 고마워. 역시 미애는 눈치가 빨라.
 ヒエ:何?あら!コーヒーじゃない。本当にありがとう。さすがミエちゃんは目端が早い(気が利く)。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ヌンチガパルダ(目端が早い):これも《気が利く》が合っているように思います。

 ▼ 目端(めはし)が利く ~~~~~~~~~~~
  http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/217825/m0u/
 その場に応じてよく才知が働く。機転がきく。「―・く男だから任せておけばよい」
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 ▽ ~~~~~~~~~~~~~
 メキシコ、グアテマラでそれに近い表現というなら
 agarrar la onda という表現かもしれません。
 entender, comprender の類似語ですが。

 ラテンアメリカ一般で言うなら
 sobreentender 察する、暗黙のうちに了解する、という動詞が、空気を読むに近い動詞かもしれません。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ・ agarrar la onda : 波をつかむ。 と言っているようです。

 


 △ ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ウィキペディアによると「場の空気」の定義は集団や個々人の心情・気分、あるいは集団の置かれている状況を表す言葉である。

 つまり、「空気読め」は空気(多数派)を読めない・わからない個人(少数派)を批判する言葉であり、人とは違った考えや行動をとる人を無条件かつ短絡的にダメなものだと決めつける言葉であると言える。

 少数派である「異」を排除するという発想自体は、子どもがやっているいじめと何ら変わりない。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ この問題は かんたんだと思っています。

 クウキを読んでも読まないかたちになる内容を話そうとするときには 《話の腰を折るようですが》とか《みなさんの期待に背くようですが》と一言ことわって述べればよい。と考えます。

 それでもクウキを読めよと言って来るのは ただの甘えになるのではないでしょうか。
 どちらの話や提案に よりよい妥当性があるかを互いに判断すればよいと。

 ただし それでもクウキを醸し出して 自分〔たち〕の意向をみなに飲ませようとする者は 話の妥当性いかんにかかわらずごり押しして来るものと思われます。止むを得ざる場合には――権限関係などによって 過度のまたは必要以上の抵抗を控えざるを得ない場合には―― 従うしかないことが多いと思われます。

 ただただ社会力学が 強い弱いというチカラ関係だけで その場のみんなにとっての意志決定を決めるものと思われます。

 ここまで来ると 少数意見は 隅へと追いやられます。たとえ有効で有益な内容を持っていたとしても。《くにゆづり》せざるを得なくなります。(法律にうったえて抵抗・反抗することも考えられるでしょう)。


 ▽ 空気を読むのは日本人だけか
  http://kanakonoda.wordpress.com/2012/06/29/legge …
 ☆ これについては らいでん787さんとのアメリカ社会における《クウキ》論で わたしたちも議論を提出しえたと思っております。

 この《投稿者: KANAKO》さんの議論は 詳しい話になっているようで いまひとつ事例が示されていない嫌いがあるように感じました。(それが 明らかになると さらに広い情報が得られるのかも分かりませんが)。




 今回書き込んだところについて〔も〕 みなさんからの添削を得られれば さいわいです。

お礼日時:2014/09/07 01:21

「お礼」ありがたうございました。



>>極端に言えば 誤訳があっても それはそれで 
>>ひとつのテクストとして捉えて 読んで行くという方針です。

誤訳もひとつの「味」ですよね。私の誤回答もそんな捉へ方をしてもらひたいものです。

>>原文やほかの言語への訳文でも読み親しめたならよいなと思います。

現代ヘブライ語訳は、旧約聖書との対比において利用してゐるだけです。母音符号のないものもあり、あれは不便です。

>>インドネシア語の《聖書》は 《アル・キタブ(The Book)》
>>というアラビア語です)。

さすがにイスラム国ですね。
ブータンのゾンカ語の聖書はどこかにありませんか。カテ違ひを指摘したのですが、質問者は、移動するつもりがないやうです。外国語カテゴリで回答がつくと思つてゐるのでせうか。

http://questionbox.jp.msn.com/qa8739669.html

>>ぷらぽたのおっさんをもっと活用せんといかんなぁ。

また笑ひをとるために利用するのですか。

それにしても、Tastenkastenさんの博識ぶりは、すさまじい。クラシック音楽には宗教曲も多く、必要な知識とはいへ、聖書学の専門家ですね。ぶらげろさんのページには、どんどんドイツ語を貼りつけていただきたいものです。もちろん、私のページでは禁止です。
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この回答へのお礼

 ドイツ語ほど 時間をかけて辞書を引きつつノートに写しつつ――またNHKのTVおよびラヂオの講座を何年間も――勉強したのに なじみが薄いという外国語は わたしにとってありません。


 こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 
 これは 一種のトラウマです。外国語の講義をいくつか取って 単位取得とは別だけれど時間があまっていたところのドイツ語講義を一年生の学期始めのときに――満員で学生は外にもはみ出していたのですが――受けたとき 語学は独学でじゅうぶんですよという講師の言葉が 妙に耳にのこりました。

 おれのドイツ語講義におまえは出て来なくてもよいと言われたような錯覚をおぼえました。――そこからです。独語が よそよそしくありつづけているのは。

 まぁ 覚悟はしていますが。




 ヘブライ語朗読は テクストと違うような感じですね。まだ把握できていないのですが。あるいは テクストがいくつかあるということですかね。音はいいですね。よく通る声ですね。(あぁ 新約のヘブル語訳を 本として持っていたんだった。何だか 寝ぼけてしまってるなぁ)。

 ブータンは知りません。ベンガル語はやったけれど ネパール語もやっていません。




 そう言えば ほかの言語での回答がつきませんね。英独そして仏と来て 中国語などアジアの言葉でも情報が入るといいのですが。

お礼日時:2014/09/06 19:43

アウグティヌスのこんなサイトもありますよ。

御存知ですか?

http://augustinus.de/bwo/dcms/sites/bistum/exter …
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。


 すごいですね。

 英独仏伊西への翻訳があるのですね。さっそくブックマークしました。

 かつて探したのは ラテン語原文とそして 抄訳の仏語でした。

 アウグスティヌスの文章は 一文が――セミコロンで一たん切ってつなぐかたちなのですが――長い。長い。少し読む訓練をしたあとは 日本文に専念(?)しました。ロエブの本を一冊だけ買って あとは ほとんど放ったらかしでした。ちょうど 著作集が出始めたのです。

 ○ Contra Iulianum:ユリアヌス駁論

 ですね。これが 情欲論です。批判されている側面もあります。抹香臭いところも もちろん(?)あります。ただ インスピレーションを湧かせてくれる議論であり思索です。


 ○ De musica:音楽論

 もあります。ほとんどよく分かりませんでした。長短のそれぞれ一拍のつらねが どうとかこうとか。

 ○ Ad Simplicianum :シムプリキアヌスへ

 これが 短い論文としてながら 《恩恵》についてヒラメキを呼び起こす議論だと思います。これを次の三つの著書にくわえたものが 基礎を成し骨格を成すと思っています。

 ○ De trinitate:三位一体論
 ○ De civitate dei:神の国について
 ○ Confessiones:告白


 ありがとうございます。

お礼日時:2014/09/06 00:14

>そこには同じく日本文のものがないのですが これは 何だか著作権の問題らしいのですが。

いったい何を考えているのか? と言いたいです。

実は、日本語を含む各国語の聖書と朗読(PDFやMP3でダウンロード可)が出ているサイトを知っているのですが、某新興宗教のものです。私はそことは無関係なので、ご利用の際は自己責任でお願いします。

http://www.jw.org/ja/%E5%87%BA%E7%89%88%E7%89%A9 …

「空中の権能」の方の御質問について、ドイツ語のサイトでいろいろ調べました。なかなか興味深いものがあります。もし時間があったら、抜粋で拙訳をそちらの方にご提供します。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。


 ★ 実は、日本語を含む各国語の聖書と朗読(PDFやMP3でダウンロード可)が出ているサイトを知っているのですが、某新興宗教のものです。
 ☆ これは ある程度知っています。いえ。 サイトは知りませんでした。

 かなり大胆なというのか 一般とは別の翻訳語をつかっているようです。

 詳しくはもう忘れましたが アイオーンを何だか変な漢語に訳していたような。いくつかそういう例があるようです。

 何度かその《証人》たちと話し合いを持ったことがあります。
 一番の特徴は かれらは《信じる》ということを知らないことです。すべて 《ただしい知識》として聖書の文句を扱っていることです。

 ヨハネ福音の第一章に 《キリスト者は 肉の意志によらず 人間の意志にもよらず 神の意志によって〔信じる者として〕生まれた》とあります。これが かれらは分からない。《神の意志によって》というところです。

 《この聖句を知って知識として保ち実践することで生まれた》と答えます。いやいや もしそうだとするならそれは 《人間の意志によって》生まれたことになるではないか? と問い返してやると もう黙ってしまいます。





 ★ 「空中の権能」の方の御質問について、ドイツ語のサイトでいろいろ調べました。なかなか興味深いものがあります。もし時間があったら、抜粋で拙訳をそちらの方にご提供します。
 ☆ これは ぜひ知りたいですね。ドイツ人の考えるところ。気長にお待ちしています。ありがとうございます。



 ヘブライ語の朗読。ついて行けません まだ。速い。速い。読む速度が。

お礼日時:2014/09/05 23:45

こんにちは。

どちらの方の御質問に回答するべきかわからないのですが、plapotaさんがここで聖書のサイトを御紹介されているので、私の知っているサイトの情報を提供させていただきます。時間がないので、説明なしで御勘弁ください。

http://www.bibelwissenschaft.de/online-bibeln/ue …
http://www.bibleserver.com/
http://www.bibelkommentare.de/index.php
http://www.theology.de/schriften/bibel/bibelonli …

空中の権能の部分の注釈
http://www.bibelkommentare.de/index.php?page=com …

ドイツ語朗読
https://www.youtube.com/playlist?list=PLiDAGqeA0 …
http://bibel.myvnc.com/index4mp3n_elb.html
http://vorleser.net/luther_martin/autor.html

一日遅れのお誕生日プレゼントです。
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この回答へのお礼

 ご回答とお祝いのことばをありがとうございます。歳取りました。


 まづなぜか 次のサイトを見てみました。ところどころ分かるかたちで読んで行くと 次のくだりに目がとまりました。

 ▽ (Epheser 2,1–10) Entweder ist man tot in seinen Sünden oder sitzend in den himmlischen Örtern, eine Zwischenstellung gibt es nicht. Welches ist deine Stellung?
 ☆ 真ん中は無い。というんですよね? 天の国の王座の前で 右か左か 小羊か山羊かにはっきりと分けられるという。・・・

 よくもわるくも 西欧人のクセをかたちづくった発想なのでしょうね。あるいは そのクセが クリスチアニズムのもたらした発想である。ということでしょうか。



 たすてんかすてんさん こんにちは。(このお名前は 音楽関係のようですね)。

 この上の議論にからんで ちょうどいま 次の引用句を含ませたあたらしい質問を挙げたところです。善と悪あるいは罪とその償いにかかわって つぎのような議論――観想というべきでしょうか――が 成されて来ています。

 ▲ (アウグスティヌス:『ユリアヌス駁論』 1・5) ~~~
  かの全能者は 
  最初の人(アダムとエワ)からであれ 
  その後に加えられたわたしたちの意志からであれ 
  わたしたちに起こっている悪を
  その満ちあふれる恩恵によって
  滅ぼしている。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ わたしに言わせれば 欧米人は 宝の持ち腐れではないか? です。(アウグスティヌスは 400年前後をおもにローマ帝国のアフリカ領で生きた現地ベルベル人(セム系)のローマ市民です)。




 ドイツと言えば とうぜん聖書学はさかんですよね。つまりわたしは ある程度英文の参考サイトを利用することがあります。そして ときにフランス語のサイトにも寄ってみて これらをすらすらとこなして行ければよいがなあと思っています。ドイツ語にかんしては 手が出ませんでした。

 ヰキぺの仏文にかなり慣れてきたように思っていますが まだまだです。日本文をベースにして長年やって来ました。タガログ語の聖書がたのしめるようになったらよいがなぁというのが 各国語の聖書を買いあさったときののぞみです。将来のたのしみに取っておいてあります。


 ただ このところようやく少しゆとりが出て来たかと感じられます。ですから 原文やそれぞれの国の人たちが どのように翻訳し受け取っているのか。これを 知ることが出来るとしたら たのしみになるかと思います。



 各国語への翻訳のサイトは 一つ見つけていますが ほかにもあったのですね。
 そこには同じく日本文のものがないのですが これは 何だか著作権の問題らしいのですが。いったい何を考えているのか? と言いたいです。



 コンメンタールが ちゃんと出ているのですよね。それより先に 質問をしてみるというおっちょこちょいです わたしは。

 
 でもですね。たとえばわたしは

 【Q:カイン再考】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa8225413.html

 という質問をしていますが 英文の注釈記事を見たときに肝心のところは触れていないと分かりました。
 つまりまた 《空中の権能》にしても ブルーレターバイブルのコメンタリーでは納得の行く解説には当たりませんでした。独仏語などのそれらは 参照していませんが。


 しかし・しかし 外国の聖書を注文して手に入れていたときのことを思えば 隔世の感がありますね。ヱブ上の参考資料には。



 ★ ドイツ語朗読
 ☆ は ぷらぽた氏のおしえてくれたヘブライ文朗読とともに これからのたのしみになります。ありがとうございます。

お礼日時:2014/09/05 11:54

「お礼」ありがたうございます。



>>どこで見られますか? つまり 本でなくて ヱブ上にあるのですか?
>>新約のヘブライ語訳は 見つけられませんでした。

私が愛用してゐるのは、フランツ・デリッチの訳です。ネットで探すと、下記のものがありました。丁寧に検索すれば、いろいろ見つかると思ひます。

http://www.iclnet.org/pub/resources/text/ipb-e/n …

朗読は以下のサイトが有名です。その他さまざまな言語の聖書音声データがあります。

http://www.divinerevelations.info/documents/bibl …

>>√’WR では ’or が《光》ですね。《照る》の動詞もあるようですね。
>>これは 関係ないんですか?

聖書ヘブライ語の知識では、語根はこれくらゐしか、思ひあたるものがありません。私には答へられません。すみません。
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この回答へのお礼

 お早うございます。ご回答をありがとうございます。


 いやぁ。そんなに通じておられるのですか。まいったなぁ。

 語句や一文づつをそのつど原語で参照するかたちを取りつつ あとは日本語への翻訳の世界として考え読み解く方針でやって来ました。
 
 極端に言えば 誤訳があっても それはそれで ひとつのテクストとして捉えて 読んで行くという方針です。

 これから 原文やほかの言語への訳文でも読み親しめたならよいなと思います。(けっこう各国語の翻訳本を買っておいてあるのに。インドネシア語の《聖書》は 《アル・キタブ( The Book )》というアラビア語です)。




 ぷらぽたのおっさんをもっと活用せんといかんなぁ。

お礼日時:2014/09/05 05:00

回答番号18のplapotaです。



他の人たちの反応がない、といふことは、私が《クウキ》を読めなかつたことを意味するのでせうか。

>>当然消されてしまいます。

「《クウキ》は 各国語でどう言いますか?」を日本語の場合でテストしたものが、回答番号18ですので、質問への回答として充分です。削除にはなりません。

>>めるし・ぼーくー。

こんなところで外国語を使用してはなりません。回答番号8のTastenkastenさんの御指摘どほりです。私はこのネタがおもしろくて、10回くらゐ書きました。

クウキは、現代ヘブライ語では、アウィーラー'awirahといふさうです。聖書には出てこない単語です。新約聖書のエペソ書 2:2「かの空中に勢力を持つ者」のヘブライ語訳は、「アウィール'awir空気」でした。おもしろい話が見つかつたら、投稿します。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。


 回答の中で触れた場合があったかも知れないけれど その言葉だけを書き込んだのを見たのは 初めてですね。



 ★ クウキは、現代ヘブライ語では、アウィーラー'awirahといふさうです。聖書には出てこない単語です。
 ☆ へええ。そうなんですか。(聖書に出て来ないという点)。

 ★ 新約聖書のエペソ書 2:2「かの空中に勢力を持つ者」のヘブライ語訳は、「アウィール'awir空気」でした。
 ☆ どこで見られますか? つまり 本でなくて ヱブ上にあるのですか? 新約のヘブライ語訳は 見つけられませんでした。

 √’WR では ’or が《光》ですね。《照る》の動詞もあるようですね。これは 関係ないんですか?

お礼日時:2014/09/04 22:53

誕生日、おめでたうございます。

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この回答へのお礼

 めるし・ぼーくー。


 ほかに一件 投稿として寄せてくれたのがあったんだけど――うれしかった―― ほんとなら当然消されてしまいます。

 大胆だなぁ。


 (プロフィール ぜんぶ公開してみるもんですね)。

お礼日時:2014/09/04 21:32

    #2です。

補足です。

>>けれども もしアメリカ人が 上司とのあいだにヘイコラせざるを得ないような権限関係があるとしたら それでも それは個人のそういう態度なのだと思うと 何だか個人主義ということにかんして 変な感覚を抱きました。まだ 分からないところもあるかと思いますが。

    これは、こう言う見方もあるのではないでしょうか。1945年を境として、それまでの日本が悪く、アメリカがいいという教育というか洗脳が始まった。

    米国こそ男女同権、人種平等、個性尊重、民主主義の源で、どこへ行っても女性蔑視や人種偏見はなく、上司にヘイコラする、アメリカ人などは居ない、という広告に踊らされている。

    ま、見ると聞くとは大違い、ってこともあるんじゃないでしょうかね。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 ★ 1945年を境として、それまでの日本が悪く、アメリカがいいという教育というか洗脳が始まった。
 ☆ ええ。そのことは 事実として そうしたか またはそうなって行ったと思います。日本について総じて言ってです。

 外国として国が アメリカしかないとまでは思わなかったでしょうが 外国語と言えば 英語だけだと思い込んでいたという場合は けっこう多いのではないでしょうか。(そういう漫才のネタがありました)。

 洗脳だけではなく じっさいにアメリカが好きになったところもあるのではないでしょうか。

 いちばんは 風通しがよいということ。あるいは そう見えたというところです。

 
 わたしの場合は これが 高校生のときまで続いたでしょうか。大学に入れば薄れて行きました。
 その一番の《貢献者(物)》は ポップ・ミュージックの歌詞にあります。どこまでも行っても 惚れた腫れたであるとか あぁ さびしい あぁ かなしいであるとかのオンパレードであったからには 飽きないわけがなかった。

 ★    米国こそ男女同権、人種平等、個性尊重、
 ☆ を主張する人たちであるという認識でした。

 ★ 民主主義の源で、
 ☆ ほとんど何もなかった土地で自分たちの好きなように思うように自由でよりよき社会をつくって行けたはずだという前提を受け取った限りで 民主主義を走らせて行く国だと思っていました。

 ★ どこへ行っても女性蔑視や人種偏見はなく、
 ☆ 黒人奴隷のことは 誰でも知っていると思います。日本人がです。

 《女性蔑視》については あまりそういう主題として受け留めていなかったような。
 言いかえると レディーファーストの国だという受け取り方ですね。男尊女卑かどうかには 注意していなかったような。

 ★ 上司にヘイコラする、アメリカ人などは居ない、という広告に踊らされている。
 ☆ そうですね。サルタンバンコの系統と言いますか その技芸のほうではなく 道化という役目の人間がいましたね。ふるくヨーロッパで。

 王に対しても ほかの臣民とは違って あたかも対等な立ち場から話の相手をしたり助言を与えたりする役目としての道化。冗談をも言うわけです。アルルカンでしたか。

 そういう三枚目が アメリカ社会にも その部分的な集団ごとに一人ほどいるのではないかと思っていました。
 たいていは自分を卑下し おもしろおかしく話をすすめたりする。ただし たぶん互いに対等の精神に立つのだといったかたちで。


 まとめるなら 《三枚目の役をになう者はいるであろうが それも 互いに対等である》と思っていました。

 《ただただ上司にヘイコラする》とは思っていませんでした。

 そのツテで言えば むしろ品格(特には すがたかたちの方面)も人格も高いという人に対して――つまりその高潔さというのは よき文章が書けてよき演説が出来ることを条件とするのだと見ていましたが―― 人びとはあたかも無条件であたまを下げ その人物に権威をあたえる。こういった意味合いでの・どちらかと言えば《ヘイコラ》振りは 食わせ物だとは 思っていました。いつ化けの皮がはがれるかという問題でしかないと。



 実際の生活体験の有無から生じるギャップは わたしにかんして こんなふうなところでしょうか。

 

お礼日時:2014/09/04 09:37

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