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 じっさいに似たような社会的な情況や心的な現象があるのでしょうか? ないのでしょうか?

 《フンイキ》といった言葉になるのでしょうか?


 よろしくご教示ください。

 エピソードなどを聞けましたなら さらに感激です。

A 回答 (25件中11~20件)

> ☆ ははぁ。

高速道路と普通の道とで違うんですか。

ですね。欧米はエリートとその他一般大衆は明確に本人の意識から何から違いますね。
エリートは「俺はエリートなんだ!」という意識が強い。その分その地位を維持するために物凄く努力しますけど。



> 必ずしも場のクウキではなく 上司の意向なのですね。

上司の意向、と言い切ってしまうとちょっと語弊がある気がしますが、でも、そうなるのかな。
例えば大学の研究職なんかだと研究チームの雰囲気はそこのボスによって大きく変わりますね。
それぞれのチームのボスが「俺の研究チームに入った以上は俺の流儀に従ってもらおうか」という態度を取ります。
当然ながらそこに入った研究者は「前の大学ではこうやってたんだけど、ここでそうすると顰蹙を買うだろうなぁ」とクウキを読むことを求められます。うっかり自分のやり方を通してしまった結果、先輩に「きみきみ、ここではそういうやり方はボスに嫌われるよ」と忠告されたりすることもあります。
もちろんボスの性格次第では「データさえ出してくれれば好きなやり方でいいよ~」というゆるい雰囲気にもなります。
こういうところは日本とかなり近いところがありますね。





> とも限らないようですね 次のお話は。
> ★ また、当然ながら派閥争いも激しいものがあります。つまり、今迂闊なことをしたら干されるぞ、と場を読む能力が求められる訳ですね。
> ☆ 派閥争いは これだけを聞くと 日本と同じようにも思われます。


> ★ 日本のクウキとはまた違うとは思いますが「相手や集団の醸し出す言外の意志を読むこと」はどんな国でも人間が3人以上集まれば必然的に求められるのだろうと思います。
> ☆ ふむ。ということは それをまだ公表する前の段階においてということでしょうか?

> それとも 言外にほのめかしたことは それですでに公表したということなのでしょうかね。

> シミュレーションをしたりするといったことと似ていましょうか?


一般的なアメリカ人がクウキを読まないと感じられるのは、彼らが言外にほのめかしたことを理解できないからです。
そういう習慣がない。多民族国家であるアメリカでは「統一された言外でのほのめかしかた」がないんです。なのでほのめかしたくてもほのめかせられない。相手がそれを理解できないから。それが日本との違いでしょう。

ですがエリートたちは特有の教育を受けますので、ここに統一された独特の価値観が形成されるわけです。つまりは、ほのめかせば相手はそれを理解できるのです。なので、日本と同じではないにせよ、独特のクウキの読み合いが発生するのです。
ただ、日本とアメリカの違いは、クウキを読んだ上でそれに従わないと村八分にされるという恐怖感を形成するのが日本、クウキを読んだ上でそれを無視すれば明確に敵として扱われるのがアメリカと言えるでしょうか。
一見アメリカのほうが恐ろしい気もしますが、特定個人と特定個人の戦いという次元になるので、全体での同調圧力が発生する日本とはまた違うところですね。



> ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~
> 仕事によるかとは思います。技術関係など、上司や同僚に頼る必要のない業種なら一般的なイメージ通りかなりドライに仕事ができるでしょうし。
> 逆に同僚たちと密接な関係を保つ必要のある仕事なら御機嫌取りが大変なのは日本と同じでしょうね。
> ~~~~~~~~~~~~~~~~
> ☆ ううーん。ご機嫌取りは それほどしないのではないかとも思うんですけれど。日本では。一緒にいる時間が長かったり それに従わねばならなかったり何かと拘束されるような感じに見えます。いわゆる集団主義ですね。

ご機嫌とりという言い方がまずかったかもしれません。
ようはご近所付き合いってことです。アメリカでもホームパーティとかに同僚を招待し合うこともありますし、ご近所付き合いだってあるわけです。詰まらない雑談にも笑顔で答えて時にはちょっとしたお世辞を言う。そうやって仲良くしておかないと、嫌われたら仕事とかで不都合がおこるかもしれないし、職場の同僚と険悪な関係になったら気不味いし。
内心、こいつの主催のホームパーティなんて行きたくないなぁと思ってても断り切れずにいかざるを得なくなってしまう、というのはアメリカでも普通にあることです。
当たり前だけどアメリカでも思ってることをずけずけ言いまくれば相手は気分を害します。


> ★ ~~~~~~~~~~~~~~~
> アメリカの大人社会でもやっぱり陰湿な苛めはありますし。
> どっちが大変なのかは分かりませんけど。
> でもこれは当たり前と言えば当たり前のことのようにも思います。
> ~~~~~~~~~~~~~~
> ☆ なるほど。そうですか。パワハラとかでしょうか。

パワハラもそうですし、同僚同士の嫌がらせもありますね。


私もアメリカの雰囲気の全てを理解できているわけでもないのでひとまずこのへんで。
アメリカは州によっても雰囲気や国民性がかなり違うので、閉鎖的な雰囲気の州では日本的なところももしかしたらあるかもしれませんね。
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この回答へのお礼

 ありがとうございました。たいへん ためになりました。

 今回は ここらへんがおもしろかったです。 
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ただ、日本とアメリカの違いは、クウキを読んだ上でそれに従わないと村八分にされるという恐怖感を形成するのが日本、クウキを読んだ上でそれを無視すれば明確に敵として扱われるのがアメリカと言えるでしょうか。

 一見アメリカのほうが恐ろしい気もしますが、特定個人と特定個人の戦いという次元になるので、全体での同調圧力が発生する日本とはまた違うところですね。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ たぶん アメリカでは 宗旨どうしのたたかいだと言うと決めつけのようになってしまうでしょうから と言ってもさらに飛躍した言い方を思いついたのですが もしアメリカ人が互いに相手の下に立つことを嫌ったなら それはひょっとすると小さな神どうしのあらそいであるかも知れないと思いました。

 《全体での同調圧力が発生する日本とはまた違う》なら さらに上位の権限保有者のもとに共に入るというのでもなく あるいは 互いに同じひとつの神のもとに《兄弟どうし》になるというのでもないことになり それは 自分自身がちいさな一柱の神であるといったことになるかと。

 村八分がないとすれば おれが村だ おれが神だと互いに言って 対立するのかも知れません。これは 意外と均衡をたもつのでしょうか。

 そこでは 集団主義は 有効ではない。確かに個人主義だ。と見られます。




 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 内心、こいつの主催のホームパーティなんて行きたくないなぁと思ってても断り切れずにいかざるを得なくなってしまう、というのはアメリカでも普通にあることです。
 当たり前だけどアメリカでも思ってることをずけずけ言いまくれば相手は気分を害します。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ へえええ。タテマエとホンネの使い分けではないですか。もうひとつ へえええ。です。

 つまりたとえば 終業時間になれば ピッタリとその時間に仕事をやめて それぞれ家路を急ぐといったイメージのような情報が入っているのですが。つまりですから 誘われても いやなら《ことわる》。そしてそれはお互い様だと割り切っているというイメージでしたから。




 ★ ですがエリートたちは特有の教育を受けますので、ここに統一された独特の価値観が形成されるわけです。つまりは、ほのめかせば相手はそれを理解できるのです。なので、日本と同じではないにせよ、独特のクウキの読み合いが発生するのです。
 ☆ イギリスは《完全な》階級社会であると聞いていたものですから そして新天地のアメリカでは あたらしい世界が開けたのではないかと勝手に思っていたものですから。

 《エリートたち》は はっきりとほかの人たちから区別されて 存在すると言うべきなのですね。
 そして 《統一された独特の価値観が形成されるわけです。つまりは、ほのめかせば相手はそれを理解できるのです》。というふうに 生きるようになると。



 
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~
 うっかり自分のやり方を通してしまった結果、先輩に「きみきみ、ここではそういうやり方はボスに嫌われるよ」と忠告されたりすることもあります。
 もちろんボスの性格次第では「データさえ出してくれれば好きなやり方でいいよ~」というゆるい雰囲気にもなります。
 こういうところは日本とかなり近いところがありますね。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ という一面もみられる。ですね。《ボスの性格次第》という事態は 日本でも大いに見られるあり方だと思います。


 ★ アメリカは州によっても雰囲気や国民性がかなり違うので、閉鎖的な雰囲気の州では日本的なところももしかしたらあるかもしれませんね。
 ☆ そこまでの多様性があるとは と思いますね。じっさいそうだったとしたら また驚きますが。




 今回はあらためまして たいへんありがとうございました。ほかの多くのみなさんにもよいスレッドになれたかと思います。

お礼日時:2014/09/04 01:09

kuuki wo yomu とローマ字で検索したら、英語の表現が出ました。



In English we use similar expression like reading between the lines, sense the mood in the air, or feeling a good or bad atmosphere in a place.

Kuuki wo Yomu 空気を読む: Situational Awareness For Dangerous Foreigners
http://bujinkansantamonica.blogspot.jp/2012/03/k …
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 ▽ ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 in Japanese slang it(= KY ) refers to 空気を読めない人 Kuuki wo Yomenai hito,
   or, someone who can't read the air of a situation.
 
 The opposite and better way to be is 空気を読む Kuuki wo Yomu, which is

  to read the atmosphere,
  read the air.
  adapt to a subtle situation.

 In English we use similar expression like

   reading between the lines,
   sense the mood in the air, or
   feeling a good or bad atmosphere in a place.

  In combat scenarios we call it situational awareness or just keeping your head on a swivel.
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ read the air というふうに訳して そのあとさらに英語らしい表現と突き合わせて意味を確定しようとしている。




   reading between the lines

 も使われていますね。ピンと来ないのですが クウキについても用いられるのかも知れません。

 mood を添えたり あるいは atmosphere in a place というように 場の問題だとはっきりさせるように説明するとよいのでしょうか。


 そういうことですよね。つまり 日本語とひとつの外国語との両方をよく知っている人 これが 日本人としてもそして外国人としても 集まると いい情報が得られるでしょうね。

お礼日時:2014/09/04 00:06

☆☆ のように mood を添えると クウキの意味に近づくということなのでしょうか。


◇ダメですよ、わたしに辞書に書いてある以上のことを聞いたら……。
しかも、わたしは理系人なんですから(ポリポリ)。



~~~~~~
・ △△ can't read the air.
 ☆ こういう表現も 将来出来ないとも限りません。
~~~~~~
ではなく、むしろ
 KY

 KU-U-KI-YO-ME-NAI
の方が可能性は高いと思います。
アニメを通じて世界共通の言葉になる可能性がある。
名詞、形容詞として使われる可能性の方が高いと思います。


Hentaiだって、権威のあるOxfordの辞書に載るご時世ですから。
http://www.oxforddictionaries.com/definition/eng …

Mottainaiのように、そのままローマ字表記し、他の言語に取り入れられる可能性の方が高いと思います。
Mottainai
http://en.wikipedia.org/wiki/Mottainai


Oxford Dictionaryには、Mottainaiは収録されていないのに、なぜHentaiが(笑い)。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。


 英語が借用すると言いますか そのままよその言葉が英語に入って行くという場合 ふたつの種類があると思います。

 ひとつは Mottainai; Manga; Anime; Hentai などそのまま語句が輸入される場合。

 もうひとつは 言い回しや表現の発想として 英文の伝統を変えて入って行く場合。

 野球のナイターは night game と言わなれば通じなかった。けれども ひょっとすると採り入れられるようになるかも知れない。別の発想が食い込んで行くようなかたちです。

 ですから  to read the air という発想としても 《侵入》して行くかも分かりません。
 シンガポールなどで現地のマレー語などの発想で つい英語にして表現したという場合 それがやがて 破格であったものが 由緒ただしい文法のみとめる表現になるかも分かりません。

 そういう話を 昔むかし聞いた気がしているのですが じっさいどうであったか いまさだかではありません。


 このアイディアはよいとか この新製品はすぐれているといった意味で 行ける!と日本語で言う場合 これを This can go. とやって英語で表現したとしたら ひょっとすると ひょっとするかも知れません。

お礼日時:2014/09/03 23:47

No.1でお答えした、クウキを読む、の表現も、インターネットの和独辞典に出てきたものです(通常の和独辞典では出てきません)。



http://www.wadoku.de/search/%E7%A9%BA%E6%B0%97%E …
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この回答へのお礼

 こういうオンラインの和独辞典があるんですね。

 つかう機会が出て来るとすれば 勉強がすすむと思います。



 ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2014/09/03 23:14

根回しに関する表現のうち、



die Grundlagen schaffen
die Vorverhandlung führen
die Vorbesprechung abhalten
  
の3つは、日独口語事典(朝日出版社)の「根回し」の項に出ているもので、いずれも「下打ち合わせをする」という意味です。一番上の言い回しの用例として、

In Helsinki wurden die Grundlagen dafür geschaffen, dass die Beziehungen zwischen beiden deutschen Staaten sich normalisieren können.
ヘルシンキでは両ドイツの関係正常化のための根回しが行われた。

という文が出ていますので、だいたい日本でいうところの根回しに近いのでしょう。ほかの表現も、インターネットの和独辞典で、根回しの訳として出てきたものです。この中の[1]の訳語は、植物の根回しに関する語なので、該当しません。

http://www.wadoku.de/search/%E6%A0%B9%E5%9B%9E%E …

welche führungsstile berücksichtigen die situationですが、これは、職場などでの状況対応、統率力に関するもののようなので、今回の御質問とは大きく離れます。お忘れください。

同じドイツ語圏でも、オーストリアはドイツとは全然違いますよ。ある意味、日本人と似ている面があるかもしれません。真面目ではないので、何か聞いても必ずはぐらかすようなふざけた答えが返ってきます。その分、柔軟性もあるかもしれません。親しくなると、会話は面白いです。今度、クウキについて、だれかにメールで聞いてみます。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。


 ・ die Grundlagen schaffen
 ☆ このまま《根回しをする》に用いるのですね。基礎一般を意味するように思ってしまいました。




 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 同じドイツ語圏でも、オーストリアはドイツとは全然違いますよ。ある意味、日本人と似ている面があるかもしれません。真面目ではないので、何か聞いても必ずはぐらかすようなふざけた答えが返ってきます。その分、柔軟性もあるかもしれません。親しくなると、会話は面白いです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ なるほど。同じドイツ語圏でも お国柄ですか。




 クウキを読めないゲルマン語圏という主題が ふたたびみたび出て来ました。
 そのような個人主義でも 下準備や打ち合わせはするのだと。


 こんなところでしょうか。

お礼日時:2014/09/03 23:08

英語ですと、


この他に
~~~~~~
vibe

本能的に経験される特有の感情的な雰囲気

(a distinctive emotional aura experienced instinctively)

http://ejje.weblio.jp/content/vibe
~~~~~~~

あと、moodとか。

airにも「場のクウキ」と似たような意味があることはある…。
ただ、
 △△ can't read the air.
で通じるかどうかは、海外で暮らしたことがないので分かりません。
こういう表現はない、とは聞いていますが…。


weblioによりますと
~~~~~~~
空気を読めない

読み方:くうきをよめない
文法情報(表現)
対訳to be unable to read the situation; to be unable to pick up on the mood of a conversation (e.g. A and B are complaining about C, and D joins the conversation praising C)

http://ejje.weblio.jp/content/%E7%A9%BA%E6%B0%97 …
~~~~~~~
situationをatmosphereに替えても通じる(らしいです)。



空気を読まないラテン圏、空気の読めないゲルマン圏
http://ameblo.jp/arroz-con-leche/entry-105206222 …
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 ▽ ( weblio : vibe ) ~~~~~~~~~

 本能的に経験される特有の感情的な雰囲気
 (a distinctive emotional aura experienced instinctively)

 △ ( wikitionary: vibe )~~~~~~~~~~
 http://en.wiktionary.org/wiki/vibe

 (New Age jargon) An atmosphere or aura felt to belong to a person, place or thing. [later 20th c.]

 The atmosphere or aura of a person or place as communicated to and felt by others
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ということは 《ひと・場・もの》のいづれにも用いられるとのこと。
 何だか まだうんとあたらしく出来た語でもあるようですね。知らなかった。


 ▽ to read the situation / atmosphere
 ☆ でしょうか。

 □ (回答No.1) ~~~~~~~~~~~~
 ・He picked up on the awkward situation/atmosphere.
 (彼は状況・雰囲気が何かおかしいと気づいた。)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これに対して 
 ▽ to pick up on the mood of a conversation
 ☆ のように mood を添えると クウキの意味に近づくということなのでしょうか。



 ・ △△ can't read the air.
 ☆ こういう表現も 将来出来ないとも限りません。



 

 ○ ~~~~~~~~~~~~~
 「空気を読まない」ラテン語圏

 「空気を読む習慣がない」と言うのは、言い換えれば「自己主張の強い」ということにあたると僕は考えます。
 ~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ クウキになりうる気持ちや主張をすべて 話すということでいいのでしょうか。

 ○ ~~~~~~~~~~~~
 「空気を読めない」ゲルマン語圏

 身内(英語が話せる人)以外寄せ付けないオーラが漂っているので近づきにくいです。
 ~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 《クウキを読んで 相手に合わせる》ことをしないということを 《オーラ ないし クウキ》で示そうとしている。と思うと おもしろいように思いました。

お礼日時:2014/09/03 22:55

> たとえば映画などで――と言って思い出すのが 何故つぎのものが出て来たか分からないのですが―― 国王や王妃・王女に仕える小姓などは けっこう気軽ですよね。

しっかりと言いつけを守りそれを果たすとは見られるのですが あとは(自由時間は) けっこうあそんでいる感じです。ヘコヘコする感じは あまりなかったような。

ファンタジーですからね。リアルな会社員という設定とはまた感覚が違うのかなと思います。



> ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~
> アメリカだと人事課ではなく直属の上司個人が自分の意志で部下の人事や評価を全て決定する権限があるので部下は上司の機嫌をそこねると日本以上に非常にまずいそうです。
> なので上司のホームパーティなどに呼ばれたらどんなに趣味の合わないことでも上司をほめそやして御機嫌を取るのが普通だとか。
> ~~~~~~~~~~~~~~~~~
> ☆ ほんとうですか? つまり そうだとするといわゆる個人主義は いったいどこへ行ってしまったのか?

> むしろ日本人よりも 《社畜》ではなくても 《上司の飼い犬》っぽいように感じてしまいます。人事権がその上司にあったとしてもです。


個人主義だからこそ社畜ではなく上司の飼い犬になるのが必然なのかもしれませんね。
ただ、会社やその個々人の業務形態によるかもしれません。
契約社員みたいに決められた仕事をするだけの業務の人は例え上司の命令でも「契約にありません」で済ますでしょうし、上司の側も契約外の仕事はさせないでしょう。自分が訴えられる恐れがありますし。
そういう意味では日本人のような場のクウキを読んで、人の手伝いをしてあげたりはしないですね。
というよりも、そもそも他人の方が言外に自分を手伝ってほしいというクウキを作りませんから。

でも幹部を目指すエリートなどであれば日本のサラリーマンがびっくりするくらいむちゃくちゃ残業もしますし、上司の言外のクウキを読んで働く必要もあります。頑張らないと業績も上げられないし、上司に気にいられないと出世できませんから。
また、当然ながら派閥争いも激しいものがあります。つまり、今迂闊なことをしたら干されるぞ、と場を読む能力が求められる訳ですね。
日本のクウキとはまた違うとは思いますが「相手や集団の醸し出す言外の意志を読むこと」はどんな国でも人間が3人以上集まれば必然的に求められるのだろうと思います。




> ★ 自己主張をどんどんするのが一般的なアメリカでも明確な上下関係のあるところでは自分の意志を殺してクウキを読む必要はあるのでしょうね。
> ☆ いやあ もしそうだとしたら 何だか 仕事のしづらい社会ですね。もしわたしなら 若いときなら何にでも挑戦してみようと思うからまだしも いまでは おそらく一日でいやになってしまうかも知れません。

仕事によるかとは思います。技術関係など、上司や同僚に頼る必要のない業種なら一般的なイメージ通りかなりドライに仕事ができるでしょうし。
逆に同僚たちと密接な関係を保つ必要のある仕事なら御機嫌取りが大変なのは日本と同じでしょうね。
アメリカの大人社会でもやっぱり陰湿な苛めはありますし。
どっちが大変なのかは分かりませんけど。
でもこれは当たり前と言えば当たり前のことのようにも思います。



アメリカと日本を行ったり来たりしていた日本人の子育て体験で面白い話がありました。
その人の子供は日本の幼稚園ではとても大人しく引っ込み思案なのでアメリカに連れて行っても大丈夫だろうか、と悩んだのですが、その子供をアメリカの小学校に入れると、どんどん発言し、活発に議論をし出したのでご両親はとても驚いたそうです。ところがその子供を日本に連れて帰ると、日本の学校では途端に大人しくなったそうです。
理由を聞いてみると「アメリカではなんでも発言して議論をしないといけない雰囲気があったから」ということでした。

もしかしたらアメリカではKYであることこそがアメリカなりのクウキの読み方、あるいはアメリカ固有のクウキを読んだ結果なのかなとちょっと思いました。
クウキを読む、の意味とはずれますけど。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。


 ★ ファンタジーですからね。リアルな会社員という設定とはまた感覚が違うのかなと思います。
 ☆ ええ。まぁ 昔の話ですね。



 ★ 個人主義だからこそ社畜ではなく上司の飼い犬になるのが必然なのかもしれませんね。
   ただ、会社やその個々人の業務形態によるかもしれません。

 ★ 契約社員みたいに決められた仕事をするだけの業務の人は例え上司の命令でも「契約にありません」で済ますでしょうし、上司の側も契約外の仕事はさせないでしょう。自分が訴えられる恐れがありますし。

 ★ そういう意味では日本人のような場のクウキを読んで、人の手伝いをしてあげたりはしないですね。
   というよりも、そもそも他人の方が言外に自分を手伝ってほしいというクウキを作りませんから。

 ☆ 一つひとつ なるほどと思えますね。そして 確かに個人主義の上に成り立っているようです。ふうーむ。




 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~
 でも幹部を目指すエリートなどであれば日本のサラリーマンがびっくりするくらいむちゃくちゃ残業もしますし、上司の言外のクウキを読んで働く必要もあります。頑張らないと業績も上げられないし、上司に気にいられないと出世できませんから。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ははぁ。高速道路と普通の道とで違うんですか。

 必ずしも場のクウキではなく 上司の意向なのですね。

 とも限らないようですね 次のお話は。
 ★ また、当然ながら派閥争いも激しいものがあります。つまり、今迂闊なことをしたら干されるぞ、と場を読む能力が求められる訳ですね。
 ☆ 派閥争いは これだけを聞くと 日本と同じようにも思われます。


 ★ 日本のクウキとはまた違うとは思いますが「相手や集団の醸し出す言外の意志を読むこと」はどんな国でも人間が3人以上集まれば必然的に求められるのだろうと思います。
 ☆ ふむ。ということは それをまだ公表する前の段階においてということでしょうか?

 それとも 言外にほのめかしたことは それですでに公表したということなのでしょうかね。

 シミュレーションをしたりするといったことと似ていましょうか?


 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~
 仕事によるかとは思います。技術関係など、上司や同僚に頼る必要のない業種なら一般的なイメージ通りかなりドライに仕事ができるでしょうし。
 逆に同僚たちと密接な関係を保つ必要のある仕事なら御機嫌取りが大変なのは日本と同じでしょうね。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ううーん。ご機嫌取りは それほどしないのではないかとも思うんですけれど。日本では。一緒にいる時間が長かったり それに従わねばならなかったり何かと拘束されるような感じに見えます。いわゆる集団主義ですね。


 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~
 アメリカの大人社会でもやっぱり陰湿な苛めはありますし。
 どっちが大変なのかは分かりませんけど。
 でもこれは当たり前と言えば当たり前のことのようにも思います。
 ~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ なるほど。そうですか。パワハラとかでしょうか。



 最後におもしろいお話がありますね。
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~
 [・・・]
 理由を聞いてみると「アメリカではなんでも発言して議論をしないといけない雰囲気があったから」ということでした。

 もしかしたらアメリカではKYであることこそがアメリカなりのクウキの読み方、あるいはアメリカ固有のクウキを読んだ結果なのかなとちょっと思いました。
 クウキを読む、の意味とはずれますけど。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ そうですか。

 ううーん。ちょっと思考実験してみますと。《自由に発言するような場がつねにある》というのは 雰囲気であるかも知れないけれど 人をそこへと促すという意味でのクウキではないように思います。

 言いかえると 《みんなの集まる場では まづ第一におとなしくして あまり自由勝手に発言をしないようにする》というのは やはりそのように誘導するクウキであるように思います。


 そして もし
 ★ もしかしたらアメリカではKYであることこそがアメリカなりのクウキの読み方、あるいはアメリカ固有のクウキを読んだ結果なのかなとちょっと思いました。
 ☆ ということであるなら 《アメリカ式のクウキ》ですね。つまり 《自由に発言する場がつねにある》のは 自然であるとして その上に《特にみんなと違う内容のことを発言するよう促されている》としたら それは 人為的で人工のクウキですね。

 つまりは その対極としてのように日本では マイナス方向へ誘導路が出来ている。必要がなければしゃべらないようにし 必要があっても その場が静かであればまづじっとそのまま同じようにしていることへと導かれる。としたら まさに人為的なあるいは作為的なクウキでしょうね。

 おまえたちは 上の者の言うことをよく聞いて 何ごとも振る舞いなさい。とでもクウキは 言っている。かも知れません。

 
 果てさて どうなりますやら。

お礼日時:2014/09/03 22:26

>辞書を引かなきゃただちに自信のある読みは無理なんです。



そうでしたか。それは失礼しました。私は横着なので、相手がドイツ語ができそうだと思うとそのまま張ってしまいます。plapotaさんにも散々なじられました(plapotaさん自身がほかの方の質問の回答にドイツ語を張っていたので、私のせいじゃないんですが)。

die Rück­sicht:
Verhalten, das die besonderen Gefühle, Interessen, Bedürfnisse, die besondere Situation anderer (Menschen) berücksichtigt, feinfühlig beachtet

feinfühligは、敏感な、細やかな、つまり繊細ということです。anderer (Menschen)はその前すべてにかかります。Menschenは、わかりやすくするために私が補足しました。

他人の特別な感情、興味、要求、状況を考慮し、細やかに注意を払う、という意味です。列挙した中で、Situationだけが単数形なので、そこでもう一度die besondere(複数形ならdie besonderen)と言い直さなければいけないので、このようになっています。思いやる、ということで、日常的にも、Rücksicht nehmenとよく言います。

>会議や集まりで 先にクウキを醸し出しておいて何らかの同意・合意を取りつけるというような方式は あまりしないのでしょうかねぇ。そう言えば 根回しとも言いますね。

実際にどのようなことが行われるのかはわかりませんが、根回しにあたる表現はあります。

Kontaktpflege betreiben
die Vorverhandlung führen
die Vorbesprechung abhalten
die Grundlagen schaffen
Konsens-Bildung

こういうことが事前に行われていれば、クウキを読まない発言は抑えられるのかもしれませんね。

>いちどそういった人間関係をあじわってみたいものだと ちょっぴり思います。

bragelonneさんに向いていると思います。私も帰国後、日本人との対話には疲れます。クウキばかり読んでいると、建設的な対話になりません。この点は、ひょっとして共感していただけるのでは?
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 ドイツ語をありがとうございます。
 そう言えば ひとつの言い回しを抜かしてしまいました。

 ★★(回答No.6 末尾) ~~~~~~~~~~
  welche führungsstile berücksichtigen die situation?

 という問いかけも見かけますが、これは集団内での行動に関することだと思います。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ いまの情況で どんな行動の仕方をすればよいか? かな。いや こなれていませんね。


 
 根回しは あるんですね。確かに会議なら会議のための準備はするものですね。
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~
 実際にどのようなことが行われるのかはわかりませんが、根回しにあたる表現はあります。

  Kontaktpflege betreiben
  die Vorverhandlung führen
  die Vorbesprechung abhalten
  die Grundlagen schaffen
  Konsens-Bildung

 こういうことが事前に行われていれば、クウキを読まない発言は抑えられるのかもしれませんね。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ Konsens-Bildung は 話し合いをめぐって一般的な準備のように受け取られます。あるいは いくつかの見解や案を照らし合わせておくことも含まれるでしょうか。

 die Grundlagen schaffen は もっと広い一般的な基礎づくりのように思われますが。

 Kontaktpflege betreiben は 感覚として 幹事役が参加者のあいだを走り回っているイメージを受けます。

 die Vorverhandlung führen : あらかじめ段取りを決めておく でしょうか?

 die Vorbesprechung abhalten :ううーん。事前協議? リハーサルでしょうか?


 違っていたら 指摘していただくとして 根回しは Konsens-Bildung のために Kontaktpflege betreiben しているといったイメージになるかと思うのですが どうでしょう。





 ドイツ人の人間関係。そう言えば どこかの本で読んだことを思い出しました。
 保険のことは きちんと契約しておかないとダメだぞといった話でした。

 健康保険だったか よく覚えていませんが とにかく細かい事項について一つひとつしっかりと決め合っておかないと 取り返しがつかなくなるとかどうとか。

 たぶん そうだとすると この几帳面さに合っているかどうかで 決まるんでしょうね。まぁ いまはもう歳を取った段階なので。・・・

お礼日時:2014/09/03 19:12

繰り返し申し訳ありません。



> クウキの問題というのは たいていは その場の結論として必ずしもみんなに都合のよい内容ではない提案がすでに――上層部から――出されていて これを飲むことに甘んじる》といった意味合いがあると考えます。それを読まない・従わないのが KY であるのだと。

ドイツのドラマや映画を見ていると、まじめな内容であってもコメディーであっても、人間同士のぶつかり合いはかなり激しいですよ。たぶん、アメリカとはだいぶ違うと思います。日本では放送されることがないので、なじみはありませんが。
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この回答へのお礼

 ★ ドイツのドラマや映画を見ていると、まじめな内容であってもコメディーであっても、人間同士のぶつかり合いはかなり激しいですよ。たぶん、アメリカとはだいぶ違うと思います。
 ☆ それでしたら れっきとした個人主義であると思われます。一貫性があり 整合性を持つと考えられます。

 ご回答をありがとうございます。こちらから先にお応えします。


 いちどそういった人間関係をあじわってみたいものだと ちょっぴり思います。(若いときなら 飛び込んで行くかも知れません)。

 アメリカは いまのところお化けの様相を呈しているようです。




 みんなに都合のよい内容であれば その結論に合意するに到るのに何の困難もないでしょうから クウキを読まなくても だいたいみんなハッピーでしょうね。
 

お礼日時:2014/09/03 17:02

コメントありがとうございました。



私は、結局のところ、こういう場合の「クウキ」という感じ方は、少なくともドイツ語圏ではないように思います(ほかの国では生活したことがありませんので)。ですから、クウキを読んで、言いたいことを言わずにおく、という考え方はほとんどないでしょう。

 Das gehört nicht hierher.
 Dieses Thema gehört nicht hierher.
 Das gehört nicht zur Sache.

などの表現も、「その場違いな発言者に対して クウキを読んで欲しいとみんなの要望として言おうとしている」のではなく、はっきり「そんなことは関係ない」という意味ですね。

etwas durch die Blume sagen

も、おっしゃる通り、クウキの問題とは違いますね。これは、「注意深く、友好的な批判の仕方」という意味で、言われた方が批判されたことに気付いた場合、皮肉っぽく、

Vielen Dank für die Blumen

と応酬したりします(あからさまに批判された場合にも使う表現とのことです)。また「etwas durch die Blume sagen」の由来として推測されているのが、「Blumensprache」、これは、恋人同士が、言葉を使わず、花などでその気持ちを伝えることからきているという説明を読みました。したがって、そこに張ったリンクの最初の回答にある、

zwischen den Zeilen lesen

は、婉曲に言われた批判の行間を読んで真意を知る、ということになるので、私の早とちりだったようです。

結局、クウキを読むに相当する表現は見当たらないのですが、平凡なところで、次のような語に落ち着くのではないでしょうか。

die Rück­sicht:
Verhalten, das die besonderen Gefühle, Interessen, Bedürfnisse, die besondere Situation anderer (Menschen) berücksichtigt, feinfühlig beachtet

この説明の「Verhalten」を、言動まで含めて解釈してよいのなら、クウキを読むに近くなるかもしれません。

ほかに、

welche führungsstile berücksichtigen die situation?

という問いかけも見かけますが、これは集団内での行動に関することだと思います。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

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 私は、結局のところ、こういう場合の「クウキ」という感じ方は、少なくともドイツ語圏ではないように思います(ほかの国では生活したことがありませんので)。ですから、クウキを読んで、言いたいことを言わずにおく、という考え方はほとんどないでしょう。
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 ☆ あんがいわたしが推測で述べたことが当たっていましたでしょうか。(でもいまだに 分離動詞が苦手だったりして けっきょくドイツ語全体に対して 億劫です)。

 ということは――ちょっと手前味噌になっていますが―― 会議や集まりで 先にクウキを醸し出しておいて何らかの同意・合意を取りつけるというような方式は あまりしないのでしょうかねぇ。そう言えば 根回しとも言いますね。


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  etwas durch die Blume sagen

  [・・・]これは、「注意深く、友好的な批判の仕方」という意味で、言われた方が批判されたことに気付いた場合、皮肉っぽく、

  Vielen Dank für die Blumen

 と応酬したりします(あからさまに批判された場合にも使う表現とのことです)。
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 ☆ このやり取りは おもしろそうですね。しゃれていますね。

 日本人のあいだなら 皮肉りやがってという反応を招くかも知れません。いや 違うかも知れません。でも 《遠回しに言ってくれてありがとう》とは あまり言わないでしょうね。



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 die Rück­sicht:
 Verhalten, das die besonderen Gefühle, Interessen, Bedürfnisse, die besondere Situation anderer (Menschen) berücksichtigt, feinfühlig beachtet
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 ☆ 《思いやり》でしょうか? これでも自慢ぢゃないですが 辞書を引かなきゃただちに自信のある読みは無理なんです。

 《 Feinfühligkeit 》は 繊細の精神 あるいは 情感の共同性といった概念と親和的でしょうか。どうなのでしょう。

 《 anderer (Menschen) 》は Situation にのみかかるのでしょうか? いや 全部にでしょうね。

 《相手の気持ちなどをおもんぱかり こまやかなところにまで気をつける》というように おのれの意志を発動する以前にすでに 人びとは互いに同じ場・同じ地面のうえに居合わせているというのが 情感の共同性ではないかと考えます。気持ちが地続きであるといったような。

 ということは 何か悲しかったり辛かったりすることがあったときには 相手や周りから思いやられるその前に そのような心配をかけないようにと自分が思いやって何らかの措置を採る。これが 日本人のあいだに見られる繊細の精神――もののあはれを知る心――なのでしょうね。



 ちょっと要らぬことをほざきました。ゆるされたし。
 
 

お礼日時:2014/09/03 17:40

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