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こんにちは。

J.S.バッハのミサ曲ロ短調は、名作として知られていますよね。
壮大な曲だとか・・・。
とにかく、ほかのカンタータや受難曲、あるいはオルガンやヴァイオリンなどなど・・・の曲と比べて、とても有名だと思います。

なぜこの曲はそんなに有名なのですか?
また、どういう点で「偉大な作品」とか「名曲(名作)」と言えるのでしょうか?


わかっていただけるかと思いますが、ミサ曲ロ短調を批判してこういう質問をしているのではなく、最近バッハに興味を持ったものの、感覚的にいい曲だ、と感じても、みなさんの言うそのすごさが、わたしにはまだ理解できないので、質問しました。

私がこの曲に関連することで知っているのは、
・晩年の作品であること
・バッハはルター派の教徒であったこと
・ミサ曲はカトリックの儀式(?)で用いる曲だということ、
これくらいです。


わたしは今のところ、マタイ受難曲が大好きです。
カンタータも、いくつか好きな曲に巡り合えました。

ミサ曲ロ短調のことももっと知りたいので、よろしくお願いします。

(バッハは大好きですが、まだまだバッハ初心者なので、お手柔らかにお願いいたします・・・)

A 回答 (4件)

バッハの時代の音楽はポリフォニーといって、全てのパートが主旋律になっています。

ダブルコーラスと言って、男女がそれぞれ四つのパートに分かれる壮大な曲ですが、全てが主旋律になっています。モーツアルトの時代にまで進むと、高音で主旋律、中低音がそれに合わせた和音という形が定着してしまいます。バッハの歌が好きな人は、そこに魅力を感じることが多いです。

「ヨハネ受難曲」も名曲ですよ。
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 バッハの宗教音楽は、崇高過ぎて、休日にちょっと楽しみのために何か聴こう、というときにはなかなか手が伸びません。


 クリスマスとか、復活祭とか、何かのイベントに際して、じっくりと向きあう準備と心構えができているときでないと、なかなかきちんと聴けません。襟を正して聴かないといけない、といった雰囲気があります。

 ブランデンブルク協奏曲とか、ゴールトベルク変奏曲とか、「音楽の捧げもの」といった世俗曲は、結構気楽に聴けるのですが。

 「偉大な作品」とか「名作」というのは、そのような、神に対する畏れと同じような「畏れ」というものではないでしょうか。


 ちなみに、バッハは、生存中はドイツ国内でもそれほど有名な存在ではなく、むしろテレマンの方が人気が高かったそうです。「マタイ受難曲」にしても、没後忘れられていたものを、作曲から100年後の1829年にメンデルスゾーンが復活上演して、やっと再評価されるようになったものです。

 バッハが「偉大」になったのは、ベートーヴェンを経てシューマンやメンデルスゾーンの時代、つまり19世紀のナポレオン後のナショナリズムの高揚とともに、「イタリアよりも、フランスよりも、ドイツ音楽は崇高で深遠で偉大だ」というドイツロマン派によって「ドイツ音楽の父」と持ち上げられたから、という説があります。イタリアのオペラは下世話で軽薄、フランス音楽は華美で表面的、それに対してドイツ音楽、特にハイドンが確立してベートーヴェンが完成した「交響曲」こそ、形式的にも内容的にも最高の音楽、というのがドイツ音楽学の「正統理論」なのだそうです。この流れの中に、ドイツ3大B(バッハ、ベートーヴェン、ブラームス)という呼び名も出てきますね。
 日本のクラシック音楽は、昔から「ドイツ音楽」が中心ですね。

 こんな本を、興味があれば読んでみることをお勧めします。

石井宏・著「反音楽史~さらばベートーヴェン」(新潮文庫)
http://www.amazon.co.jp/%E5%8F%8D%E9%9F%B3%E6%A5 …

 別に、バッハの偉大さに水を差したり、貶めたりするつもりは毛頭ありませんが、そういうドイツ中心の音楽美学の上での「偉大な作品」とか「名作」という呼び方と考えて、もっと素直にご自分の耳で聴かれるのがよいと思います。
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こんにちは。

クラシックの音楽家です。

若いころ、バッハの宗教曲をよく聞いていた時期があり、そのころは、あなたと同様、マタイ受難教が一番好きでした。ヨハネ受難曲やクリスマスオラトリオも聞いていました。ドイツから指揮者が来て、クリスマスオラトリオをやった時は、リハーサル・ピアニストとして参加したこともあります。ただ、ロ短調ミサに関しては、ほかの曲ほどなじみがなく、理由は何だろうと思っていました。今、これら4曲の楽譜を出してきて眺めてみると、ロ短調ミサ以外の曲の方が変化に富み、かつドラマティックなのではないかという印象を持ちます。もちろん、もう一度全部聞き比べて回答するべきなのでしょうけれど、さすがに時間がかかりすぎるので、これは保留します。

ロ短調ミサの高評価の原因はいくつかあります。一つは、バッハが30年にわたって書き続けた宗教音楽の諸様式の総決算、百科全書としての評価です。バッハのあらゆる作曲技法が結合された、円熟期の最高傑作として評価されています。

もう一つの評価は、器楽の部分が、単なる伴奏ではなく、歌詞の神学的、象徴的意味を独自に表現する役割を担っていることにあります。

3つ目の評価がちょっと厄介なのですが、ラテン語によるカトリックのミサ通常文の全てを完全に含んでおり、ほかに前例がないということによる評価です。ただ、この点に関しては異論があります。音楽之友社から出ている名曲解説全集では、この曲がプロテスタント教会のためにまとめられたものではないと書かれていて、カトリック、プロテスタントを超えた汎宗教的な壮大な作品、と説明されています。ところが、バッハの楽譜の全集を出版している、ドイツのベーレンライター社の解説によると、この曲は、4つの別々の曲とみるのが妥当であるということです。第1部「ミサ」は1733年成立、第2部「ニケア信条」はその前年、第3部「サンクトゥス」は1736年、最後の「ホザンナ」は1739年です。区分けや語法の点で、ローマ・カトリックの典書とは異なり、バッハの時代のルーテル(ルター)派教会の典礼文と正確に一致するため、バッハがこれらの曲をライプツィヒの教会で用いるために作曲されたものと考えられるそうです。バッハ自身がこの4曲を合本にしたことは事実ですが、ただ同じ種類の、内容的に関連深いものをまとめただけで、ひとまとまりの作品として扱うべきではないという説が出されています。バッハ自身も、全4曲をまとめる題名はつけていません。詳細は省きますが、いろいろな事情から、ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ)」と同格に扱うようになり、この曲をまとまりのある一つのミサとして初めて表題が与えられたのは、1845年とのことです。

なお、最後の第4部に関しては、技法的に、先行する3つの部分ほど高水準ではないということで、実際、楽譜をぱらぱらめくってみても、その印象があります。

ロ短調ミサの魅力を理解するためには、宗教曲だけではなく、器楽曲、例えば「フーガの技法」や「音楽の捧げもの」などをお聞きになると、よりなじめるようになるかもしれません。

以上、御参考になれば幸いです。
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    僕はその曲二三持っていますが、長いから放っとけば2時間ぐらいやっているので、仕事をするには便利です。

同じのも退屈ですから、マタイ伝、など適当に混ぜて聞いています。

    人が名曲と言うか言わないかにはあまり気を使っていません。バッハでなくてもいい曲を書いた人はいますし、バッハの背景を知りたければどこかに書いたものがあると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

二三持っている、というのは、CDなどの別の録音を、ということですよね?

たしかに私も、マタイ全曲きくうちに何か作業したりしますが、どうしても聞き入ってしまうこともあります(^_^;)


わたしかこの質問をしたのは、「大勢の人が名曲というからには、なにか理由があるはずだ」と思ったからです。
背景を知りたい、とかいうより、なぜミサ曲ロ短調がこんなに絶賛されるか、について知りたいのです。

その答えに、もしかしたら彼の生きた時代背景や彼の生き方など関係するかと思って、「知っていること」としてすこし書かせていただきました。

うまく説明できず、ごめんなさい(^_^;)

お礼日時:2014/09/06 02:28

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