キリスト教、仏教、イスラム教などの巨大宗教は、無数の宗派に分裂していますね。 そのどれもが、自分たちが一番正しいやり方と信じていると思います。
そこで、感じるのですが、開祖が教えを始めた時には、当然、真理はたったひとつしか無かったはずなのに、時間が経つにつれて、どうしてこんなに無数の宗派に分裂するようになったのか、分りやすくお教え下さい。
たとえば、日本国憲法のように、それぞれの経典の文面が意味不明だとか、まるで反対のようにも解釈できる、といった理由でそうなったんでしょうか?
もし、開祖の考え方はこれだ、と何らかの方法で立証できれば、原点に戻ってどの宗教もたったひとつの宗派にまとまるでしょうか?
たとえは変ですが、もし100ある宗派の内、開祖の考えと同じである宗派が一つあるとすれば、残る99の宗派は、開祖を冒涜した事になるのでしょうか? たとえば、開祖の名をかたって、信者を誤った道へ導いたという理由で?
もしそうなら、どの宗派の信者も、真に開祖の教えに基づいているという確率は1%しかない、という結論になってしまうのですが ・・・
また、開祖の教えは、数学の定理と同じで、真理はひとつしかなく、それ以外は間違い、という考え方で良いでしょうか?
私自身、特定の宗教の信者ではないのですが、宗教というものをどう考えたらいいか、自分の考えをまとめたいと思いますので、宜しくお願いします。
No.6ベストアンサー
- 回答日時:
>宗教というものをどう考えたらいいか、自分の考えをまとめたいと思いますので、宜しくお願いします。
確か宗教学者の中沢新一さんの説明だったと思うの
ですが、例えば経典、バイブルというのは、
ロングセラーの小説とか、ロングランの
トレンディードラマと同じものだと考えると
理解できるんですね。
なんでトレンディードラマがうけるんしょうか?
見てる人がときに共感したり、何か学ぶことがあって
面白いからですね。
聖書って客観的によく考えてみると、ただの小説
です。今でも小説から何かを学んだりして、
感動することってありますよね。でも小説の
中身が本物だとか思い込んだりしないのは、
教育が行き届いていて、情報もあるからです。
旧約聖書、新約聖書の時代には、そういった
教育も情報もなかったので、話を聞いて感動や
共感を覚えた人たちが、それを真実かどうか
疑う余地というか、きっかけがなく世界に
広がったので、現実の生活に直接影響を
及ぼすようなったところが、ただの
大ヒット小説だというだけで済まなく
なってしまった要因です。
>宗教というものをどう考えたらいいか、
の答えですが、巨大宗教は世界に広がるくらい
だから、みなそれなりにいい小説をベースに
しているわけですから、少し真面目に
バイブルなど読んでみることは必要でしょう。
でも、こうゆう教えがあるから、実生活でも
厳密これを守らなければならないなんていう
人たちの話や、活動は無視すればいいんです。
>開祖が教えを始めた時には、当然、真理はたったひとつしか無かったはずなのに、
そこは違います。都合上、1つの神がこう言ったとか
キリストと言う一人の開祖がこう言われたということに
なっていますが、聖書も経典も複数の人間による
合作です。
キリストとその弟子たちというのは、今の小泉
首相と自民党みたいなものと考えればいいと思います。
形式的には総理大臣である小泉さんの発言があっても、
それは党内での調整をとったもの。また基本的な
意見は同じはずの自民党の人たちも、地方の遊説先で
小泉さんとは少し違った事を言ったりする。
宗教の教えというのも、同じようにもともと
複数の人の、統一が取りきれていない話に
基づいているので、1つ真理といったものに
まとまっててはいないのです。
さらに教えが広がる過程で、翻訳という作業
が入ったため、事態が複雑になっています。
英語が分かって、アメリカ映画の字幕を
見ていると、意味あいがかなり違う場合が
けっこうあることに気づくと思います。
仏教の経典の場合、サンスクリット語から
中国語に約した漢字の文を、日本語読みで
お坊さんは唱えていますが、内容はさらに
その中国語を日本語に訳して説明することに
なります。
旧約聖書の場合、原文はヘブライ語で、日本語訳は
その複数ある英文約やラテン語訳から約したものです。
概略は伝わっても、言葉のもつ微妙な意味あい
など全く違ってしまって当然です。
ご回答ありがとうございました。
> でも、こうゆう教えがあるから、実生活でも
厳密これを守らなければならないなんていう
人たちの話や、活動は無視すればいいんです。
私が共感を覚えたのは、この部分なんです。 日本でも、よく、○○をしなければ神様にしかられる、という言い伝えや、風習 (迷信とまではいいません)、儀式が多く、場合によっては、それを行なう人たちに多大な経済的・精神的重荷になっているケースがあるように思うですが、天や神は本当にその儀式をみて戴いているのか、もしやらなければ本当にお叱りになるのか、と感じる時があるわけです。
たとえば、同じ仏教でも日本では重要視されても、チベットやミャンマーなどでは価値観が全く異なる場合が中にはあると思うのですね (仏教徒ではないので、断定はできないですが)。
その場合などは、同じ開祖から出発した宗教ではないのか、と感じます。 つまり、お釈迦様が現在の姿をもしご覧になったら、何とお感じになるのかな、とか ・・・
No.5
- 回答日時:
宗教に関する一つの考え方を紹介します。
宗教の根本は同じである。しかし、宗教の真理は言葉を越えている。
それで宗教の違いは表現の違いということになります。
たとえて言えば、山に登る入り口はいろいろ違うけれど、登り終えれば頂上は同じという事です。
開祖の考えかたに戻れというのはキリスト教でも仏教にもあります。キリスト教でいえば公認の体系的な神学理論=数学の定理のようものが構築されると、反動としてイエスに戻れという運動が起こりやすいようです。イエスは理論化や体系化はしていません。逆に聖典や言葉に捉われれるなといってます。
開祖は真理は一つと考えてないと私は思います。宗教が陥りやすい罪に自分の宗教の絶対化がありますが、開祖はそういう宗教の批判から始めた場合がおおいです。開祖は真理をむしろ生き物のように考えたのではないでしょうか?固定すると死んでしまう。変化して成長して活きるものだと。
なお、優れた宗教者は自分の宗教が一番正しいやり方とは思ってないですよ。自分の内にその宗教に対する批判の視点を保持してないと、その宗教は自分の中で深化していきません。ここに宗教を実際に生きる難しさがあります。
ご回答ありがとうございます。
> 開祖は真理をむしろ生き物のように考えたのではないでしょうか?
宗教の真髄は、この辺にありそうですねえ ・・・ もう少し勉強したいと思います。
No.4
- 回答日時:
キリスト教、仏教、イスラム教などの3大宗教というのはもともと教えが違います。
そしてキリスト教などの宗派の違いは聖書の言葉をどのように理解するのか?どうのように見ていくのか?
歴史的な流れによって違いがあり、必然的に出来たものだと考えていいと思います
仏教においても用いられる仏典が違い、それぞれ時代の流れによって、解釈の相違によって発生したものもあります。
真理はみな一つなのですが表現が違う。というかんじと思ってもいいかもしれません。
ただ、新しく出来た宗教は金儲けで単に宗教を利用している。所もありますのでご注意を
参考になれば幸いです
ご回答、ありがとうございました。
> 真理はみな一つなのですが表現が違いがあり、 ~
私が迷うのはそこなんですね。 つまり、開祖が説いた真理が一つしかなければ、こんなに多くの宗派に分裂するわけがない、という結論になってしまうのです。 つまり、教義の解釈による違いなんて起こるはずがない、と思えてくるわけです。
たとえは変ですが、もし1プラス1は2というのが開祖が説いた真理と仮定したとすれば、1.9も2.1も、間違った解釈になるのかな、と感じています。
もちろん、数学と宗教を同じレベルで比較できないのは、分かっているんですが ・・・
No.3
- 回答日時:
宗教には,真理追究と教団経営の2つの側面を持っています。
真理追究から離れ,教団経営に専心するようになると復古運動が起こります。この復古運動によって教団が軌道修正する場合もあれば,分裂をすることもあります。このようなことを繰り返して,いくつもの宗派に分かれています。また当然に時の権力によって分裂させられたこともあります。さて,真理はたったひとつしかないという考えが正しいかどうか検証する必要があるかも知れません。
また,真理はたったひとつだけれど,それに至る考えもたったひとつかという疑問もあります。
よく言われることですが,真理を山の頂に例え,その山の頂に至る道はひとつしかないの?いろんな道があるでしょ。そのいろんな道ひとつひとつが宗派なんですよ。と。
○か×か。真理か否か。嘘か誠か。といった二項対立で物事を判断するのは間違いだと言っている宗教もありますから,多角的に研究してみてください。
ご回答いただき、ありがとうございました。 おっしゃるように宗教における真理とは何か、という事を多角的に考える必要があるかも知れませんね。
No.2
- 回答日時:
簡単なことです。
権力争いと、本当の解釈の差でしょう。
宗教指導者が世襲制になるのは、珍しくありません。
そこで、長男と次男が対立し、(長男と後妻の息子なんて場合もあり)それぞれが信者を取り合って宗教を2つに分けてしまいます。
そこには自分の利益のみを追求する心のみがあり、神を敬う心など皆無です。
これが何度も繰り返され、いくつもの分派ができたのでしょう。
史上最大の帝国、モンゴル帝国も兄弟で領土を分け合っています。
あとは、本当に解釈の差でしょうね。
大きな宗教には必ず研究者がいて、その研究者が新しい解釈を発見して、新しい分派を作ってしまうことがあるのでしょう。
さらにカルト宗教が勝手に大きな宗教の分派を名乗ると言うこともります。
オウムも仏教用語を多用したり、ダライ・ラマに会ったことを写真入りで宣伝したり(実は金さえ払えば誰でも会える)して、いかにも大きな宗教に関係あるように宣伝して、多数の信者を獲得しました。
まあ、宗教は金になるので、今では商品のようなものなんでしょう。
ご回答いただき、ありがとうございました。 現実的にはおっしゃるとおりだと思います。 本来宗教は 「心」 という極めて内面的なものから出発したと思うのですが、何とも利権の対象になっているんですねえ。 ある意味、各宗教において、原理主義が生まれるのは、そういったところに原因というか理由があるのかも知れないな、と感じました。 ありがとうございました。
No.1
- 回答日時:
ladybegoodさんこんにちは。
私は宗教については疎いんですが、詳しい話は識者にまかせるとして、基本的なことを書きます。
宗教というものはそもそも人民救済の思想なので、人民の悩みや苦しみが変化すれば、当然それに対応していかなければならなくなります。しかし社会の変化に伴って、その教えや活動自体が時代と共に古くなり、実効性を失った場合、もはやその宗教では人を救えず、その結果新しい宗教が求められて新興する場合があります。
例えば仏教の「大乗」などは、まさにそういった時代の流れで生まれて来たもので、既に釈迦の時代の教えでは時代に合わなくなって来ていたもの(「小乗仏教」という)を大乗によって救済する、というような、時代の流れの元に新興されたものであると言われています。
また、キリスト教などは国家安定の手段として公布されて広まったもので、政治的色彩が非常に強いです。
政治的色彩をもった宗教は、もちろんその為政者が変われば変わる事があります。目的は国家的な政略による部分が大きいので、神を敬わせると共に、国家の皇帝を神、あるいはその使者として敬わせる、というようなことも行われます。
現実的には一人の人間の語った真理のようなものが永遠不変であることは無く、時代の変化に対応する為に色々な宗教やその宗派が生まれて来るわけです。
これはわかりやすく言うと、PCのOSが時代の要求に合わせてバージョンアップして行くのと似ています。
そういう意味で、旧来の宗教の教えに従い生きるのは人間の本来的な部分では意味があるかもしれませんが、現代の悩みや問題を解決する為には力不足になりがちです。
日本の某テロ型新興宗教があれだけ勢力を拡大できたのは、正にこの時代性をうまく捕らえたからだと言い切ることができるでしょう。
この辺りは伝統的宗教関係者が深く反省すべき点だと思いますし、伝統的宗教関係者本人達もそう思っているようです。
現在はこの時代性を悪用して利益を貪る悪徳宗教が多数新興している時代ですので、今ほど伝統的宗教関係者の立場が重要な時代も無いでしょう。
もう少し、伝統的宗教関係者が社会性をもって活動してくれたら、世の中は良いものになると思うのですが。
自分達の枠の中でのみ座して唱えるだけの伝統的宗教家が多いのも、現代の一つの問題かもしれません。
逆に、利益を貪る新興宗教の方が強い社会進出をしているというのも、皮肉です。
話が逸れました。結局、宗教の教えというものは人間の優れた知覚能力で知り得た情報で、個性があり、完全な「定理」とか「原理」というようなものでは無く、人の心の行いを良く説明する「お話」として理解するのが一番冷静な判断だと思います。
杓子定規に言葉を信仰すると、テロが起る事は既に実証されています。真理は人の書いた文章の中に求めるのではなく、自分の良心に求めるべきではないでしょうか。宗教は、ただその手助けになるだけだと思います。
そういう意味で、「開祖の教え」が絶対だとする考え方は、宗教本来の「人民救済」の観点からして間違っていると言えるのではないでしょうか。
以上、少しでも考える手助けになれば幸いです。
とても詳しくご説明頂いて感謝しています。 宗教とは時代と共にバージョンアップするもの、というのは私にとって新鮮なご意見でした。
実は、人間社会の抱える悩みや問題というのは基本的に数千年前から何ら変わるものではない、従って各宗教の開祖たちの直接の 「教え」 は現在でも通じるものではないのか、という単純な考え方としていました。
というか、もし彼らが後継者たちの宗教活動や分裂・分派を、今みたら何と思うかな、という想像をしていました。
うまく言えませんが、宗教に対する考えを考え直さなければいけないかな、という気持ちになりました。 ありがとうございました。
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