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夕されば野べの秋風身にしみて 鶉(うづら)鳴くなり深草の里
(『千載和歌集』巻第四 秋歌上 岩波文庫67ページ)

『千載和歌集』の選者、藤原俊成がみづから選んで入集させてゐる歌です。鴨長明『無名抄』によれば、俊成は、この歌が「これをなむ、身にとりてのおもて歌と思ひ給ふる」、つまり自分の代表歌だと言つたのださうです。(角川文庫77ページ)

『無名抄』では、そのあと、俊恵の批評が記載されてゐて、「身にしみて」の句が露骨な表現で残念だ、となつてゐます。私も同感です。

俊成はなぜ、この歌を代表歌としたのですか。

質問者からの補足コメント

  • ちなみに、ここで批評してゐる俊恵は、同じ『千載和歌集』の歌に以下のものがあります。

    よそにだに身にしむ暮れの鹿の音を いかなる妻かつれなかるらん
    (巻第四 秋歌上320 岩波文庫80ページ)

      補足日時:2015/03/26 22:06
  • このたびは、おふたりから多くの情報やものの見方を教へていただき、自分のかたよつた考へ方に気づかされました。ありがたうございました。ベストアンサーは、初めて回答をいただいたhanatsukikazeさんにします。

      補足日時:2015/03/30 19:43

A 回答 (8件)

俊成と俊恵は、ともに幽玄の美を確立した歌人ですが、例えば


桜の花がきれいだとか、北風が吹いて寒く辛いとかを歌に表してしても当たり前過ぎて、誰も見向きもしませんね。
俊恵は、情景だけを歌にして、それを読む人に、その印象から、寂しさや侘びしさを感じてもらう手法が、好きでした。
俊恵は、印象を重視した。

しかし、俊成は身にしむ風としてほんの少し感情を表し余情を表現した。

絵的なもの、物語的なものの差でもあります。

両巨匠の和歌の考え方の違いを鴨長明が、歌の論として記載した部分です。現代でもどっちが良いか別れるところです。
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この回答へのお礼

先日は「小野」について、疑ふことすらなかつた件に諸説あることを教へていただき、さまざまな見方が必要なことに気づかせていただきました。

>絵的なもの、物語的なものの差でもあります。

これは巧みな捉へ方と存じます。新古今時代には物語を下敷きにした和歌が数多く詠まれましたが、俊成は内容だけでなく、言葉においても物語的な要素を導入したとみるのですね。今では「散文詩」といふジャンルもあるくらゐですから、俊成は先取りしてゐたのかもしれません。

私は自分自身の固定観念で評価を下してゐたやうです。hanatsukikazeさんやTastenkastenさんの御意見を拝見して、もつと柔軟な思考の必要を感じました。実際に歌をおつくりになる方から御教示をいただき、納得できました。ありがたうございました。プロフィールに「新古今和歌集を勉強しております」とありましたが、御投稿を楽しみにしてをります。

お礼日時:2015/03/28 21:28

『無名抄』、および、俊成と俊恵の関係は、一筋縄ではいかないようですね。

俊成は、俊恵が主催していた歌林苑を評価していなかった形跡があります。また、定家は、俊恵の自讃歌「み吉野の・・・」に一度も点を入れていないようです。俊成と俊恵の間に確執があり、それが定家と長明の間にも続いていたという可能性があるようですね。俊成と定家が目指したのが王朝の典雅な宮廷和歌だったのに対し、長明は、「好士であること」を重要視し、方向性が全然違うようです。

定家と長明 小林一彦(13ページ以降)
http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s …

いずれにしても、俊成はこの自讃歌には絶対的自信を持っていたように『無名抄』には書かれています。「身にしみて」をどう評価するかは、身にしみているのはだれかという主語の問題、「詮」という観点から「言い過ぎ」とするか、「幽玄」「物語性」という意味から余情と評価するか、「句切れ」との関連でどう見るか、などなど、視点によって違うのだと思います。
ところで、俊成が「身にしみて」や「あはれ」を際立たせるのが好きなようだとお書きになっていたのですが、和歌データベースで見る限り、「身にしみて」の用例は一つしかありませんでした。ほかにもあるのですか。また、「あはれ」は確かに多いのですが、これもデータベースで見ると、ほかにも、為家、家隆、慈円、寂蓮、西行、定家などにかなり用例が多いですね。特に慈円と西行に多いです。回答No.7に、「万葉の歌ことば辞典」の説明を引きましたが、もう一つの本、「和歌の解釈と鑑賞事典」にも「あはれ」の用語解説があります。

(・・・)余情としてのしみじみとした深い情趣を言う。平安朝を通じて重んじられた美的理念であるが、特に藤原俊成・定家は寂寥感のある美的情緒として「艶」とともに重要視した。中世に入ると哀感や寂しさとしてとらえる傾向が強くなり、そういう歌を「物哀体」と呼んだ。

つまり私の疑問は、この時代の「あはれ」は、「哀感」や「寂しさ」ではなく「余韻」のようなもので、多くの歌人に普通に常用されていたのではないかということです。和歌データベースの検索では、四千首以上ヒットしました。ですから、使用頻度だけで言うと、俊成は必ずしも特別ではないようです。ただ、歌の中での使い方が違うと言われると、そこまでは私にはわかりませんけれど。西行の歌の「あはれ」の使い方などはどうなのですか。相当多用しているようですけれど。

ほかに質問が出ないので、またお邪魔しました。OKWaveの方は、土、日にもかかわらず、質問者のほぼ全員が反応なしなので、見切りを付けました。明日以降は、よほど重要な質問以外、回答をやめます。また、両サイトとも、plapotiさんのスレッドのように、回答しながら自分も勉強できる質問が、最近ほとんどなくなりました。
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この回答へのお礼

「うたびとはうたびとどうし互いに妬みあう」(ヘロドトス『仕事と日』26行 松平千秋訳 岩波文庫14ページ)の言葉はギリシャだけではないのですね。御子左家と俊恵長明派の間に、御指摘のやうな相違があることは、初めて知りました。納得です。

解説書はほとんど読みませんし、もちろん研究はおこなつてをりません。ただ読んで自分の感じるままを書いてゐるだけです。「身にしみて」の他の用例は知りません。さういふ使用法が俊成においてより強く印象に残るだけです。重点がそこに行つてしまつてゐる。たしかに西行の有名な歌にも「あはれ」は多いですね。俊成に近いものがあります。多くの情報を提供していただいて、私が考へるほどには特殊ではないやうに思へてきました。

私のアホ質問にいつも回答を寄せてくださり、まことに感謝してをります。gooの独立で、質、量ともに低下したのは確かなやうです。

お礼日時:2015/03/29 18:16

No.4の回答を書いていたときに「幽玄」が出てきて、能との関連で興味があったので、もう少し調べています。



まず、No.6で訂正した自讃歌の作者ですが、リンク先の筆者のせいではないようです。「世阿弥花の哲学」(成川竹夫著)という書物に、両方とも俊成の自讃歌として書かれているので、それを参照したための誤りでしょう。

俊成の「幽玄」の理念は、時期によって変化があるという研究があります。最初のころは、歌の判定の時は、「幽玄」と「をかし」を持って「持」としていたようです。晩年は、「幽玄」と「景気」、「面影」の結びつきということがあるようです。下の論文で、まだ全部読んでいないのですが、今晩は回答ができませんので、締切りになる前にお送りしておきます。

武田元治 俊成歌論における「幽玄」について
https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc= …

結局、評価はいろいろなのでしょうが、一般的には、「幽玄」を表した歌のもっとも代表的なものとして知られているらしい記述がかなりありました。下のサイトは、一個人の独自研究なので、そのつもりで読む必要がありますが、俊恵の批評を非難して、俊成の歌はおそろしい名歌なのだと言っています。

http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/5293623.html

http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/5296264.html

一方、こんな見方もありました。白洲正子は、『無名抄』の中の批評を俊恵のものとして読むのは誤りで、俊成の自己批判の言葉であるというのです。

ことば雑記(五) 読むとは  榛名 貢

http://members3.jcom.home.ne.jp/mizugame100/koto …

この歌を弁護したい人がかなりいるようですね(笑)。

ところで、「あはれ」という言葉は、確かに俊成の歌にたくさん出てきますね。「万葉の歌ことば辞典」(有斐閣選書)というのがあるのですが、それに、

愛情、情趣などの詠嘆的感情を広く表現し、平安朝文学を代表する語とされるが、近世以降は、悲哀の意が強くなる。

とあります。俊成の歌の「あはれ」の用法についていけないとおっしゃるとき、近世のような意味を感じていらっしゃるということはないのですか。私よりはるかに和歌に通じていらっしゃるplapotiさんに、私から申し上げるようなことではないので、逆にその辺のところを御教示いただけるとありがたいです。
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この回答へのお礼

リンク先を拝見して驚いたのですが、近ごろは高校で『無名抄』を教へるのですね。『方丈記』より、はるかにおもしろい、そのうへ、他の古典に興味が湧く。教育のあり方も変化してゐるのでせう、リンク先では非難の言葉がありましたけれど。

「幽玄」については多くの分野で使用され、囲碁の世界でも用ゐられます。俊成の考へ方に変化があるといふのは初見です。明日は仕事が休みですので、じつくり拝見します。

Tastenkastenさんにもhanatsukikazeさんにも教へられましたが、一面的な見方は禁物だと改めて感じました。回答番号1のコメントに書きましたが、これが俊恵の見解そのままだといふのは私も疑問に感じます。

私は和歌にはまつたく通じてをりませんが、俊成の和歌の「あはれ」には少し「ねちつこさ」を感じます。何をそこまで、といつた感じです。hanatsukikazeさんの御意見をうかがひたいところです。

お礼日時:2015/03/28 21:51

No.4の2番目のリンク先の書き方がおかしいですね。

自讃歌として二首並べてありますが、あとの方は、No.1に書いた俊恵の歌でした(夕べ時間が遅かったので、うっかりしました)。
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この回答へのお礼

リンク先の方は、孫引きがお好きなのかもしれません。

もう一点、寂蓮が「侘連」になつてゐるのは、写本がさうなつてゐるのでせうか。

お礼日時:2015/03/28 20:51

>処理がうまいのは、定家です。



今回はネット検索をしなかったのですが、今ちょっとしたら、定家にも同じ題材の歌があるようですね。『新古今』ではないようで、出典はわからないのですが、

鶉なく夕の空を名残にて 野となりにける深草の里

これはどうですか。私は、和歌には弱いながら、定家には魅かれるものがあります。
ところで、俊成の歌は、能のワンシーンのようだと書きましたが、実際に謡曲に出てきそうな気がしたので、そう書きました。調べてみましたら、世阿弥の「融」という能に出てきます。実演を見た記憶もありますし、ヴィデオもたぶん持っています。

ワキ  先あれに見えたるは音羽山候ふか。
シテ  さん候あれこそ音羽山候ふよ。
ワキ  音羽山音に聞きつゝ逢坂の。関のこなたにとよみたれば。逢坂山も程近うこそ候ふらめ。
シテ  仰の如く関のこなたにとはよみたれども。あなたにあたれば逢坂の。山は音羽の峯に隠れて。此辺よりは見えぬなり。
ワキ  さて/\音羽の嶺つゞき。次第々々の山並の。名所々々を語り給へ。
シテ詞 語りも尽さじ言の葉の。歌の中山清閑寺。今熊野とはあれぞかし。
ワキ  さてその末につゞきたる。里一村の森の木立。
シテ詞 それをしるべに御覧ぜよ。まだき時雨の秋なれば。紅葉も青き稲荷山。
ワキ  風も暮れ行く雲の端の。梢も青き秋の色。
シテ詞 今こそ秋よ名にしおふ。春は花見し藤の森。
ワキ  緑の空もかげ青き野山につゞく里は如何に。
シテ  あれこそ夕されば。
ワキ  野辺の秋風
シテ  身にしみて。
ワキ  鶉鳴くなる。
シテ  深草山よ。

http://japanese.hix05.com/Noh/4/yokyoku402.tooru …

能と言えば「幽玄」ですが、定家は『毎月抄』で「幽玄体」ということを言っているようです。そして、俊成が幽玄、余情を表してすぐれているとした歌が、自分の歌を含めた以下のものです。

心なき身にもあはれはしられけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ(西行)
津の国の難波の春は夢なれやあしのかれはに風渡るなり(西行)
茂き野と荒れはてにける宿なれやまがきが暮れに鶉鳴くなり(侘連)
夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里(自讃歌)
み吉野の山かき曇り雪降ればふもとの里は打ち時雨つつ(自讃歌)

http://ja5uxr.web.fc2.com/uta-top-2.htm

ただし、俊成の言う幽玄は、複雑な内容だったとのことで、繊細さと壮大さの両方を含むというのですが、そう言われると、上の歌の選び方がわかるような気もします。

http://nobunsha.jp/blog/post_50.html

俊成の「幽玄」については、下の文献にも興味深い記述があります「やさしく艶に、心も深くあはれなるところもありき」と言っているそうです(2ページ目、下段)。

http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all …

もしかすると、この辺が俊成理解の鍵なのかもしれません。
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この回答へのお礼

詳細な内容をありがたうございます。定家の鶉は『新拾遺和歌集』です。後代の勅撰集にふさはしい、さらりとした詠みぶりです。美意識の変化がみてとれます。

「融」は岩波文庫『謡曲選集』にありました。読んでゐないことがばれてしまひます。

>俊成の歌は、能のワンシーンのようだと書きました

Tastenkastenさんの感覚には驚かされます。幽玄とされる歌については、歌合の判詞ですね。元ネタにあたりました。ごもつともと存じます。

>やさしく艶に、心も深くあはれなるところもありき

俊成は本居宣長以上に「あはれ」が好きなやうです。時代ごと、人物ごとに美意識はことなりますから、自分の固定的な価値基準で勝手な判断をくだすのは問題なのでせう。

お礼日時:2015/03/28 20:45

>三句切れで「身にしみて」がめだちすぎます。

せつかくの秀歌が、少し興ざめに感じられます。

ああ、そういうことがあるのですね。普段和歌に親しんでいない私は、そういう感覚がダメです。俊恵の批評にしても、違う時代ならともかく、同時代の歌人なら、和歌に対する感覚は共通の部分が多いはずですから、一理はあるのかもしれません。もっとも、、和歌に限らずなんでもそうですが、人それぞれ創造の美学も理論も違いますので、俊成のスタイルがそういうものだということなのでしょうか。俊成のほかの歌はどうなのですか。
『和歌の解釈と鑑賞辞典』はよい本だと思います。1979年刊なのですが、今でも新版となって売っています。古代から現代までの和歌の傑作を集めて、解説したものです。俊成の歌は六首取り上げられており、その中にこの歌も入っているので、やはり代表作なのだとは思います。ほかの歌人がどう評価しているのか知りたいですね。時間があるときに、斉藤茂吉の歌論にでも出ていないか見てみます。ちなみに、俊恵の歌は二首しか収められていません。

OKWaveはダメですね。たくさん回答したのに、何日たっても、一人も応答がなく放置されています。今月いっぱいは回答しますが、来月からは、よほど有意義な質問や知り合いの質問以外はやめるつもりです。
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この回答へのお礼

何度も回答を寄せてくださり、感謝してをります。Tastenkastenさんの全体を見る眼には教へられました。

>俊成のほかの歌はどうなのですか。

(笑、笑、笑) 俊成は、「身にしみて」とか「あはれ」とかいふ語をきはだたせるのが好きなやうです。さういふ感性なのでせう。散文ならともかく、和歌ではどうかと思ふのですけれど。大歌人なのですが、これだけは、ついてゆけません。例は挙げないでおきます。処理がうまいのは、定家です。

白妙の袖のわかれに露おちて 身にしむいろの秋かぜぞ吹く
(『新古今和歌集』巻第十五 巻頭歌 1336 岩波文庫220ページ)

鶉の歌は、「古文の醍醐味」の質問に回答したとき引用したので、今回とりあげてみました。狂歌のネタになるくらゐですから、やはり代表作なのだとおもひます。

回答に反応がないのは、おもしろくありませんね、自由とはいへ。

お礼日時:2015/03/27 21:45

もうお休みのようです。


俊恵の「夜もすがら・・・」の歌は、『千載和歌集』巻十二・恋・七六五です。
「語意」は「語彙」の変換ミスです。
俊恵の誤解説は、ネットなどに出ている素人の意見ではありません。『和歌の解釈と鑑賞辞典』(旺文社、旧版)に、俊成の歌についての詳しい説明と、俊恵の「み吉野の・・・」との比較があります。
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この回答へのお礼

追加回答をありがたうございます。

『和歌の解釈と鑑賞辞典』といふ本があるのですか。私は解説書はほとんど持つてゐませんので、かうして教へてくださると勉強になります。専門家は「み吉野の」と比較するのですね。アホは「よそにだに」を持ち出します。たしかに、自讃歌どうしであるべきです。『無名抄』のつづく部分に書かれてゐる話で、「かくこそいひしか」と言つてくれ、と俊恵が述べたことになつてゐました。

>『万載狂歌集』『徳和歌後万載集』両方とももっていて呆れました。

私もよくあります。

>四巻から成るナントカいうインドの叙事詩

インドの書物の名前は覚えにくいものだらけです。

>『竹斎』、『神信仰の生成』、歌舞伎の原作

歌舞伎の関係はさつぱりわかりません。

お礼日時:2015/03/27 20:50

こんばんは。



毎回同じ回答者でがっかりされるかもしれません。
俊恵の批評は誤解ではないかという指摘があります。俊成は、慈鎮和尚自歌合のおり、この歌は『伊勢物語』第百二十三段の話を典拠にして詠んだと、構想を明示しています。男に捨てられかかった深草の里の女が、「私が出て行ったら、ここは深草の名の通り、草深い野原になってしまうだろう」という男に対して、「それなら私は見捨てられた場所にふさわしいと言われる鶉になって鳴いていましょう。時にはあなたが狩に来ることもあるかもしれませんから」と答えたので、男はそれに感動して、出て行くのをやめたという話です。俊成はこの話を発展させ、結局捨てられて鶉に変身した女を晩秋の夕暮れの深草に置いて、寂寥の情感を表しました。つまり、秋風を身にしみて感じているのは鶉になった女で、作者が直接感じているわけではありません。主観ではなく、物語の世界です。俊恵が「身にしみて」を生で浅いと難じたのは、話主を主語と解したからであろうという指摘です。「身にしみた鶉が」ととれば客観的描写で、露骨というのはちょっと違うかなと思います。
ちなみに、俊恵自讃の歌は、主観的な語意を一切使っていない次の歌ですね。

み吉野の山かき曇り雪降れば麓の里はうちしぐれつつ
(『新古今和歌集』巻第六 冬歌 岩波文庫107ページ)

ずいぶん趣が違うものです。俊成の物語世界は、能のワンシーンを思い浮かばせるようで、私は悪いとは思いませんけれど。『新古今』の方は、若いころ、定家に興味を持ったことがあります。『千載和歌集』のもう一つの俊恵の歌、

夜もすがら物思ふころは明けやらで閨のひまさへつれなかりけり

よりは、俊成の鶉の歌の方が幻想的で、私の好みに合います。
************
正直に言うと、私は日本の古典文学にはあまり強くありません。先日から狂歌の御質問が続いていましたが、書名になんとなく見覚えがあるなと思って一昨日調べてみましたら、『万載狂歌集』『徳和歌後万載集』両方とももっていて呆れました。若いころ好奇心で買ったのですが、読んでいなかったのです(ほかにも、四巻から成るナントカいうインドの叙事詩とか、『竹斎』、『神信仰の生成』、歌舞伎の原作など、変なものがたくさん出てきました)。注釈なしではどうにもならないので、きのう図書館で、小学館の日本古典文学全集(岩波がなかったので)と、『蜀山残雨』(野口武彦)を借りてきました。
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この回答へのお礼

私の質問にはほとんど回答がつかないので、助かります。ありがたうございました。

慈鎮和尚自歌合の件は角川文庫『無名抄』の注にあります。Tastenkastenさんのおつしやるとほりとは存じますが、三句切れで「身にしみて」がめだちすぎます。せつかくの秀歌が、少し興ざめに感じられます。さりげなく流す程度に入れてあればいいのですけれど。私の見方は細部にとらはれすぎで、Tastenkastenさんの歌全体を見渡す姿勢が正当なのだと思ひます。

補足に書きましたが、『無名抄』の俊恵の話は、信憑性にとぼしいのではないでせうか。鴨長明が大げさに紹介しただけなのかもしれません。俊成と俊恵では、やはり格の違ひもあります。

歌舞伎の回答も拝見しました。私には、チンプンカンプンです。

お礼日時:2015/03/27 20:28

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