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街中で年配の人を見ていると、
やけにひとりごとを言っていたり、
店の店員さんに横柄な口をきいたり、
赤の他人に話しかけたり・・・・・。
若いうちはそうでもなかったんでしょうか?
誰しも年をとるとそんな感じになっていくのでしょうか?
シニアの方はどう感じているのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • そうですね、「そういう年寄り」にならないように・・・・・。それにしても身近な人が年をとって変わっていくのを見るのは虚しい気持ちですね。

      補足日時:2015/04/04 13:43
  • どちらもよい回答でしたので、ベストアンサー迷いました。先の回答に。ホントはどちらもベストアンサーです。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/04/04 22:29

A 回答 (2件)

歳とると変わっていく、ように見えますが、もとをたどると結局、


もともとそういう人間、であることが多いです。
「そういう人間」が「そういう生き方」しかしてこないと「そういう年寄り」になるのです。
そうならないためには、そういう生き方をしないことです。(抽象的で済みません)

キチンと生きること。
人に感謝し、感謝される生きかたを選んで、「そういう年寄り」にならないよう、良い時間を沢山積み上げていきましょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。若いアルバイトの店員にどなり散らす客、人がお会計しているのに「早くしろ」と言わんばかりに後ろから品物を突き出してくる人、暴言を吐いて謝りもしない職場の人間、口を開けば愚痴ばかりのお年より・・・・・・。もちろん若い人だっていろいろですし、年配者でも良い人は沢山いると思いますけど、それでも最近はあまり年配の人には近寄らないようにしてしまいます。回答者さんの年齢はおいくつくらいなんでしょう?

お礼日時:2015/04/04 13:19

赤の他人に話しかけるのは「寂しいから」ですよね。


話し相手がいない、という場合が多いですね。
ただ聞いて欲しい、出来れば理解して欲しい、と思ってる。

しかし…問題は「そういう状況になった理由」にあります。
聞いてくれたら満足して、はいさようなら、ならいいのですけど…案外とこちらが素っ気なくすると食って掛かる人も結構います。
それは「同情されたい」という気持ちがあるからで、おまけに厄介なことに、そういう方の場合は自分の行いについて見ていなかったり、認めたがらないところがあるのです。
反省してない、ということですね。
反省の習慣を付けられないままで人生送ってきているので、自分の感情とそぐわない人に関しては「敵」とみなすという直情傾向が強いですね。
つまり「敵か味方か」の二元しか無くて、それを品定めするために聞き歩いている、ともとれます。

若いうちに芽はあったんです。
それが老いたことによって、自分一人で解決できるような事柄が減り、強引さが通らなくなり、周りから捨てられていく、という道筋をたどる。
自業自得というとなんですけど、そう「なってしまう」のですね。

老いてきて初めて、その人がわかるのです。
でも、わかってからじゃ遅いわけですよね?。
日々を大切に生きるべき、というのは、その時々を大事にするということ以外でも、未来の自分の待遇とかにも関わってくることだったりします。
…私も気をつけなきゃね(笑)。
嫌がられるジジイにはなりたくないね(汗)。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ありがとうございます。私は年配の人に話しかけれるのは、まぁいいのですけど・・・・・。子供の頃「どうして年取った人ってデリカシーがないんだろう」(当時はデリカシーなんていう言葉は知りませんでしたけど)とよく思っていました。老いてきて初めて、その人がわかる、ですか。なるほどですね。感謝の気持ちと謙虚な心が大切ですね。忘れないようにしよう・・・・・。

お礼日時:2015/04/04 20:10

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