用の美と機能主義
坂口安吾の日本文化私観や柳宗悦宗理親子のいう用の美というのと機能主義とは全くの別のものなのでしょうか?
両方とも、必要性のみを突き詰めて余計なものをすべて排除している、という気がするのですが。
坂口のこの本は読んでないので,抜粋を参考に
考えてみたい
ブルーノタウトのいわゆる洗練された日本伝統文化における美の世界に対して
坂口は戦後の日本のバラック小屋をむしろ
生活から生まれたと言う点で美しいと云った
その点では柳の用の美とも共通しているようだ
両者とも既成の権威に対しての反発が
あるような気がする
ただ、柳の用の美はいわゆる民芸風という
庶民の生活があればなんでも美しいということになって
形式に流れて行った
機能美というのは確かにあります
合理性を追求していくと
自ずから余計なものを排除していくという
ハタラキがあるようです
問題は、そうして名人がでてきて、
評価があがるにつれ終いには権威になっていきます
坂口の批判というか不満というのは
そこにある訳です
カタチはなくとも
生きるエネルギーさえあれば
いつでもつくれるぞ、というのが
坂口の今日へのメッセージかな
言われている文献を読んだ事がないのでわかりませんが、一応美術大学出たから一言。
恣意性の問題ではないですか。伝統工芸というか、昔からある用具の美しさは、その器具に必要とされている機能だけが純粋にあるわけでこれが用の美。
機能主義は機能性を追求するという目的があり、さらにそのことで作品/製品を美しく見せようという、言葉どおり”主義”という恣意性がありますよね。
対して、昔からの用具の美しさは結果であって、そういった主義から生まれたものではない。ただただ必要な道具を作って言ったらそうなった。装飾やデザインの必要性を感じずに製作された結果が美しい。
機能主義のある種の美しさは恣意的デザインの一種ではないでしょうか。
ということで私見ですが、ご参考まで。
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