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衆生が生死を繰り返しながら欲界・色界・無色界を輪廻する世界三界(tridhātu)と云うのでしょうか?仏陀はこの三界での輪廻から解脱していると在りますのは三界に居ながらも輪廻から解脱しているということなのでしょうか?

天台の十界は六道+声聞・縁覚・菩薩・仏の四を付加したものであると思います。そこで輪廻から解脱 ているのは仏(如来)だけなのかと考えて良いのでしょうか?さすれば六道の上乍ら、声聞・縁覚は、輪廻からの離脱解脱していない考えて良いのでしょうか?

十界の仏(仏界)は三界のうちのどの世界なのでしょうか?少なくても欲界では無いはず、されば色界の内なのでしょうか? 無色界なのでしょうか?それとも三界のそれぞれに在るのでしょうか?

また極楽を始め 浄土・仏国土と言う処は三界の内の何処に在るのでしょうか? 少なくても欲界では無いはず、色界の内なのでしょうか?それとも無色界なのでしょうか?三界のそれぞれに存在するのでしょうか? 又は三界の内には無く、その外に存在するのでしょうか?

極楽は十万億土と云う遠い処に在ると聞きますが、そこは遠いとは云えども娑婆(堪忍)の隣の世界なのでしょうか? その世界(極楽)にも、娑婆と同様に 三界が存在しているのでしょうか?又は欲界・色界は無く、そこは無色界のみの世界なのでしょうか?

極楽浄土に托生した 者は既に輪廻から離脱した状態で、六道に戻ることは無いのでしょうか?六道に戻る可能性もあるのでしょうか? 極楽では 阿弥陀の説法を受け、授記を受け、次の世界で如来と成るロジックのみで、もはや六道に戻ることは無いのでしょうか?

此の疑問は考え方が間違って居るのでしたら どの様に考えれば良いのかお教えください。

A 回答 (1件)

三次元で考えていませんか?




三界に居ないから解脱だと思います。

十界は、基本は「道」です。
人生をどう歩くか。
生きながら地獄の道を歩くのか、餓鬼・畜生の道を歩くのか。

そう言う生き方の道を「地獄の生き方は、地獄の世界に住んでいる」
と言えましょう。

まず、それぞれを同列に置くのではなく
一つ一つを深く理解された方がいいと思います。

違う視点から、全く違う切り口で展開しているのですから
地球上の大陸の中にある国や地域的な考え方でしたら
意味は捉えきれないと思います。

もし、ご自分で思考を深められないのであれば
リアルで指導してもらった方が良いかもしれません。


個人的には、人は生きながらにして欲界・色界・無色界を
ずっと輪廻していると考えています。

ここで待ってると、運が良ければお坊様が
答えてくれるかもしれません。
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