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16世紀後半の中国、明が弱体化していたころは南倭北虜といって北からは北方民族(満州族も含まれる)と南からは倭寇から襲撃されている状況にありました。
一方で16世紀後半といえば戦国時代も終わりに近く、信長・秀吉の統治のもと日本は軍事的に最盛期にあったといえます。

朝鮮出兵の結果を見ても、日本の軍事力は明より上であり(加藤清正は明の大軍を破っています)、その後の明の弱体化につけこめば火縄銃をもっていたかどうかも怪しい満州族より先に中国本土を支配してしまうことも可能ではなかったと思いますが、その可能性はあったと思いますか?

武力でいえば満州族より(戦国時代から実戦経験豊富な)大和民族の方が上であり、倭寇を通じての足掛かりを築くこともできたと思うのですが。

質問者からの補足コメント

  • すみません。李氏朝鮮の首都を陥落させ、明の大軍も打ち破っていますよ。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%97%E5%B7%9D …

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/08/29 15:29
  • 満州族は中国を征服しています。満州族が征服できるくらいなら、当時の日本も征服できる可能性があったのではないでしょうか。
    満州民族にできて大和民族にできない理由は何でしょうか。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/08/29 16:07
  • だとすれば、人民解放軍が東シナ海を越えて現在の日本を占領するのも不可能だと思いますがいかがでしょうか。どちらも同じですからね。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/08/29 16:40
  • 海を越えるのは難しいといったそばから、日本は無理だけど中国は簡単にできると矛盾したことを言っていますね。頭は大丈夫ですか?
    日本は東シナ海を封鎖されても太平洋に出ればよいですが(そもそも東シナ海の封鎖の意味がわからない)、中国の場合は太平洋に出られなくなり、そちらの方が影響がでかいです。
    また、日中断交した場合は中国経済も大混乱になりますね。まあ、別に経済が混乱したからといって軍事力には大した影響はないわけですが。
    経済的に混乱状態にあるロシアが未だ軍事大国であることがその証明です。

    もうちょっと論理的な回答を頂けませんかね。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/08/29 18:32
  • 当時の満州族は日本より軍事力が弱く、人口も少なかったように思いますが、広大な中国大陸を占領することができました。
    日本も中国の将軍と手を組んで軍事と外交を織りまぜてうまくやれば、満州族に代わって中国を征服できたのではないでしょうか。
    満州族にできて大和民族にできない理由はなかったように思います。

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/08/30 17:52
  • 満州族は17世紀前半に広大な中国大陸を征服しています。
    満州族は日本より人口も少なく、軍事力も小さかったと思われるのにです。
    弱小な満州民族にできて、強大な戦力を持っていた日本にできなかったわけはないだろうと思ってこの質問をしたので、満州族の中国征服と絡めた回答を頂ければと思います。
    今のところ、回答の中に満州族に言及のあるものはゼロです。タイトルにも書いてあるので、なぜ満州にできて日本にできなかったという質問に対する回答をお願いします。

      補足日時:2015/08/30 18:08
  • あなたは先ほど可能性がゼロに近いとか言っていませんでしたっけ???別にいいですけど。

    No.10の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/09/04 22:21

A 回答 (10件)

未来人の立場で後付けで見るなら、実際問題、秀吉本人が朝鮮に渡ってきて踏ん張りどころで攻勢をかけていれば可能性はあったとは思いますが。


結局のところ、秀吉の覚悟が足りなかったってことだと思います。明を甘く見すぎていたってことですかね。
それこそ、三成なんかが来ないでくれ、と嘆願したときに無視して朝鮮に渡っていれば。
現状維持タイプの三成に、蛮勇を期待するのは無理ですね。そういう意味で人選を誤ったのでしょう。あるいは、若い頃の秀吉であれば、無視して渡海していたはずです。
三成は三成なりに、豊臣家や日本のためを考えて最善と思う策を提案しているのは間違いないでしょうが、
そういう視点で考えるなら、そもそも、最初から朝鮮に出兵なんてしないほうがいいに決まってるわけで、
無理スジの朝鮮出兵を強行しながら最後に秀吉本人がビビッてどうする、って感じですね。

あるいは、2度目の慶長の役は、日本軍は終戦一方というイメージがあるような気がしますが、実際には終戦(秀吉の死)の時点でも、もし、豊臣政権に強力な独裁者が後継者としていて、強引に大攻勢に出れば可能性はあったとは思います。その時点で、日本もそうですが、明もそうとうな限界になっていました。

ただ、中国を制した異民族政権は、結局のところ中国に取り込まれるだけ、というのが歴史の結論なわけで、もし明征服の成功していたら日本にとって良かったか?は個人的には相当疑問です。
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可能性はある程度はあったと思います。


論点は2つです。
日本の軍事力と民の軍事力です。

(1)日本が送り出した軍隊には温度差がありました。秀吉の近い部隊は
善戦していますが、全てがそうではありません。
No.9の方がおっしゃるように、秀吉自身が渡海していれば状況が
変わった可能性があります。
また、秦、元、清は中華の周辺国家であり、言語や文化の共通性もあり、
落城させた後の統治が比較的楽ですが、日本はそうではありません。
ですから、負けると兵力が激減するのは当然ですが、買っても兵力が
漸減していきます。

(2)中国の王朝の変遷は、外部勢力が強くなったというよりも、
内部からの瓦解の方が大きいです。明の末期で、万歴帝の浪費が
始まった頃だと思いますが、まだ国庫に余裕はあったでしょう。
徳川家康が豊臣政権を倒したときも、秀吉の没後すぐではなく、
かなり時間をおきました。あり余る財貨を消費させるためです。
文禄・慶長の役もあと20年遅かったら明軍はもっと弱体化していた
でしょう。
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まずは東シナ海からの回答から行きます。


日本の輸入は船で東シナ海経由が一番安いし早いコースです、その他のコースは日数やコストが掛かり物価が上がり輸入量が減る可能性があり、軍備の回す費用も減る可能性があります。

満州族は移動民族であり、女子供以外は戦士であるし、民族全体で移動します。
それに中国は多民族の集まりですから、民族ごとに孤立させていき、占領して生きました。
満州族は戦士は皆殺しをしていきましたし、戦かわずに降伏した民族は反撃がないので、占領した民族を管理することがいらないから、民族全体で移動しながら進軍したからできたことです。

秀吉が朝鮮を攻めるころには、民族を超えて国を作っていますから、満州族の時とは条件が違います。
第2次世界大戦の時は、満州国を作っていますが、国内が敗戦が強くなってきたから引き上げています。

日本は国内もしっかり守らなければならないが、満州族は民族全体で移動しますから、守るのは移動する民族だけですから、占領しながら移動するからできることです。
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可能性は0では無かったですが、ほぼ0に近いものだっと思います。



質問者様がおっしゃるように、当時の日本の軍事力は世界的に見ても
非常に高いものでした。日本が総力をあげれば、中国の東北部または
南東部は占領可能だったように思います。

ただし、以下の点で実現は無理でしょう。
(1)日本の総力をあげることができなかった。
日本が侵略されたわけでなく、秀吉の思いつきだけで行った遠征です。
出陣している大名の多くも温度差があり、秀吉子飼いの大名は活躍
しましたが、外様の大大名はほとんどやる気がありませんでした。

(2)国土と人口の問題
中国大陸は広大です。
それに比べ、日本は兵農分離が進んだが故に、兵士の人数は
それほど多い訳では無く、緒戦に買ったとしても押さえの人数を
残していかなくてはならず、広大な中国ではいずれ戦闘要員が尽きます。
押さえの人数を減らせるほど、日本と朝鮮、中国東部は親密では無く、
1戦ごとに2割前後の人数を置いていかなくてはなりません。
ですから、1つの軍団はいいとこ、3~4城しか抜けません。
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決断一つでできたでしょう。

しかしまあその決断の弱さが、ヨーロッパ列強国との違いで、いまだ謝罪要求されているのと今なお堂々と植民地化している違いでもあります。
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人民解放軍とは中国のことですか、それで東シナ海を超えてくるなら、条件が違います。


それなら日本の占領は簡単です。米軍がいなければですが。

まず東シナ海を封鎖して、日本の経済を混乱させてからの進軍ですから簡単でしょう。
いま中国はそれを狙って、東シナ海に軍事施設を増やそうとしています。
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秀吉も成算があって出兵したのですし、やり方次第では、わずかながら可能性有り。


 とりあえず橋頭堡を築き、優秀な軍師を派遣。兵糧の確保も現地で可能なほど力を蓄えてからの長期戦の構えでしょうけど。
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だから戦争とは機動力です。


攻めるも一時退却も即断がものを言います決めます、援軍を出すにも船で行かなくてはいけませんし、本部に打診をするにも、すべて船で行わなければなりません、船を往復の時間のうちに、すべての状況が変わっています。

陸続きの作戦とは違うのです。
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まず無理でしょう。


なぜなら、日本から行くにはすべて船で行かなければなりません、物資・兵士・食料・援軍はすべて船で運び来なければなりません、時間と危険が関わりますから、思うようには作戦通りのはいかないでしょう。
ところが朝鮮は援軍を頼めば、陸続きですからすぐに来ます。
いくら敵対していても日本は他国です、国内でいくら戦争していても、他国から攻められると、団結して他国を排除してから、また国内の戦争をするかもしれませんが、それは他国の脅威がなくなって初めて考えることですが、国外の脅威には団結するものです。

国内の商売でも見受けられる傾向です。
地域内での同豪奢は普段は競争していますが、他地域から同業者が来た場合は、今まで協力をしなかった会社も、団結して他地域から来た業者を、締め出すように助け合います。
そのあとで、他地域の業者がいなくなれば、また以前のように競争をします。
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微塵の可能性もない。


 豊臣秀吉は総力を挙げて朝鮮半島に攻め入ったが、朝鮮半島で返り討ちにあった。
 朝鮮民族に敗退したのに、どうして大陸で勝てようか?勝てないであろう。
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