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知見の限りでは〜
と使いますか?私の知る限りでは、という意味で使いたいのですが・・・

A 回答 (6件)

#4です。


#5さんのご回答を拝見して、もういちどお邪魔致します。

「知見の限り」には偉そうなニュアンスがある、とのご指摘でした。
仮に、この表現が偉そうに聞こえるとすれば、「知見」という語のせいではなく、「限り」という語のせいだろうと思います。
たとえば、「私の知っている限り」などという表現を使う場合、暗に、「私は、ある程度ものを知っているつもりですが、その私の知っている範囲では~」というニュアンスが含まれているはずです。
つまり、「ある程度の広い範囲」を想定しなければ、「~の限りでは」などという表現はできないはずなのです。
自分の知っている範囲を広い、と想定するわけですから、その意味ではたしかに「偉そう」なのかもしれません。
しかし、これは改まった表現をする場合、この程度の「偉そう」な表現は、暗黙的に認められているのではないでしょうか。
「~である。」「~だ。」という文末表現も「偉そう」と言えば言えないこともありませんが、それに対して目くじらを立てる人は少ないと思います。
また、それを言い出してしまうと、たとえば、
「知っている限りでは」
「聞いた限りでは」
「見た限りでは」
などもすべて「偉そう」ということになってしまうでしょう。
たしかに、「知見の限りでは」に謙譲の意味が含まれているわけではありません。
謙譲の意味を表わしたい場面では、「管見の限りでは」を使えば良いでしょう。
しかし、謙譲表現を使わないからといって、即「偉そう」と判断する必要はないと思いますし、実際にもそう判断する人は稀でしょう。

さらに、私の感覚としてですが、「管見」という言葉を知っている人は、「知見」という言葉を知っている人に比べた場合、圧倒的な少数ではないでしょうか。
単純には比較できませんが、ネット検索すると、
・知見⇒23,600,000件
・管見⇒229,000件
で、管見の使用例は、知見の約1%にすぎません。
「管見の限りでは」と言った場合、「管見って何?」と疑問を発する人は、おそらく多いはずで、このように自分の知らない言葉を使われたことによって「偉そう」という印象を受けるひとは、むしろ多いのではないか、という気がします。
ただ、固い論文などで使うのは有効かもしれませんが。

いずれにせよ、シチュエーションによって使い分ける、ということが最も大事だと思います。
まあ、個人の見解を押し付けるつもりは全くありませんが、「知見の限りでは」が「偉そう」というのは、ちょっと違うんじゃないかな、と思った次第です。
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No.3でコメントした者です。



「知見を広める」なら異和感がないのに、「知見の限り」だと異和感があるのはなぜ、と考えていました。
 No.4のかたのコメントが非常にいいヒントをくれました。ありがとうございます。

「知見」で検索してみました。
「青空文庫」のヒット件数。24件。
http://www.google.co.jp/search?q=%E2%80%9C%E7%9F …
「少納言」(No.3の検索結果も「少納言」でした。訂正します)のヒット件数。412件。

「管見」で検索してみました。
「青空文庫」のヒット件数。42件。
http://www.google.co.jp/search?q=%E2%80%9C%E7%AE …
「少納言」のヒット件数。30件。
 ネット検索は省略します。

 どうやら、「知見」も「管見」も「〜の限り」の形で使われる例は極端に少ないということのようです。
「知見」に関しては、「知見を広める」などの使い方なら「知識を広める」とほぼ同様に使えそうです。


 ここから先は当方の主観です。
「知見の限り」という言葉にはかなり偉そうな響きがあります。意味としては「私の知識では」くらいですよね。これは相当自分の知識に自信がある人でなければ使えません。
 フツーの人は「自分の狭い知識では……」というニュアンスで「管見では……」と言うのでしょう。
 そういう意味では「私の知る限り」という言い回しも少し偉そうです。「知見の限り」よりはずっとマシですが、当方が使いにくいと感じるのはそのせいかもしれません。「不勉強なせいか見聞したことがありません」くらいですかね。
 石原慎太郎氏くらい高齢で博識で自信があるかたなら「知見の限り」と使ってもおかしくないかもしれません。
 質問者があえて偉そうなニュアンスを出したいなら別ですが、やはりやめたほうが無難では。
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#2です。


#3さんのご回答を拝見しましたが、少し補足しておいたほうが良さそうですね。

・青空文庫
「知見の限りでは」→0件
「管見の限りでは」→0件
・中納言
「知見の限りでは」→0件
「管見の限りでは」→3件
という検索結果。
これらの結果に有意な差があると考えるのが妥当か否か・・・、ということ。

ネット検索の場合、「知見の限りでは」は、「管見の限りでは」に比べて、たしかに検索数は少ないようです。
ただ、大学や企業の論文にも結構使われているようですし、何より、あの石原慎太郎が使っていますからね。
「飛行場というのは1つの大きな案件だというから、これは多分、かなり難しいでしょうと、私の今までの知見の限りでは、できないでしょうという話をしましたら、・・・」
http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/ARC/20121031/ …
あの日本語にうるさいお方が使っているのですから、安心して使っていいような気がします。
まあ、これは個人的見解の相違、ということになるのかもしれませんが、一応、データとしてご紹介しておきます。
因みに、どうしても謙って言いたい場合には、「管見の限りでは」と表現すると良いでしょう。
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まず結論を書くと、やめておいたほうがいい気がします。


 代案をあげます。
「(私の)知る限り」でよいでは。
 先行回答にある「管見の限り」はよく目にします。
「私見では」でもほぼ同じ意味のような気がします。

 Web辞書を見る限りでは使えそうです。
https://kotobank.jp/word/%E7%9F%A5%E8%A6%8B-5656 …
==============引用開始
デジタル大辞泉の解説
ち‐けん【知見/×智見】

1 実際に見て知ること。また、見聞して得た知識。「―を広める」
2 見解。見識。「―を異にする」
3 (智見)仏語。事物に対する正しい認識。また、知識によって得た見解。正智見。==============引用終了

〈知見の限りでは〉は〈(自分が)見聞して得た知識の限りでは〉くらいの意味になりそうです。
 ただ個人的には異和感があります。
 こういうとき、ネット検索である程度の判断ができます。
 以下は下記の手法に準じています。
【ネットで言葉の正誤を調べる方法〈1〉〈2〉】
http://ameblo.jp/kuroracco/entry-12046816579.html


【知見の限り】ネット検索の結果。
約9,950,000件
 ただし、よく見ると「知見の限り」ではない使用例を大量に拾っています。
 こういう場合、“ ” でくくると検索精度が上がります。
【“知見の限り”】ネット検索の結果。
約4,750件
 そこそこヒットしますが、個人ブログが多いようです。しかも「知見の限りを尽くす」(こうなると、かなり異和感があります)という使用例が多いような。
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E2%80%9C%E7% …

 ほかの検索方法を試してみます。
「青空文庫」での検索結果。0件。文学作品に使用例がないようです。
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&lr=lang_ja& …

「中納言」での検索結果。0件。一般の書籍には使用例がないようです。
http://www.kotonoha.gr.jp/shonagon/search_result

 こうして見ると、まともな文章では使用例が少ないと考えるほうが無難でしょう。「間違い」ではないでしょうが、無理して微妙な言葉を使うのはおすすめできません。
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普通に使うと思います。


https://www.google.co.jp/search?q=%E7%9F%A5%E8%A …
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「管見(かんけん)の限りでは」


と言います。
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