10秒目をつむったら…

ソクラテス側にも、豚の快楽なんてろくでもないよね、と対抗している時点で、少し嫉妬交じりの感情が混ざっているわけですし
豚からしたら、ソクラテスが何を言おうと「それでも別に良いや俺幸せだし」と開き直られたら、ソクラテス側は負けてしまう気がするんです
「はいはい頑張って他人にも良いような行いしてね、俺はそれをどんどん消費するからね」と言われたら、なんかとてっても悔しいですし、それでも続ける気になれないのではないかとおもうのです、よっぽどの人で無いと

屁理屈に負けてしまいそうなんです・・・

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8641327.html
(回答番号15への質問者のコメント)

*** *** *** *** ***

教えて!gooで数数の名言を読んできましたが、これはベスト5に入る内容だと私は判断します。ちなみに私は回答番号17,23で参加してゐます。また私なら回答番号21をベストアンサーにします。

「不満足なソクラテス」による生産的議論、「満足した豚」の消費的理論、どちらを支持するか見解が大きくわかれるのはなぜですか。

質問者からの補足コメント

  • つらい・・・

    匿名の通報は困る、と書いたばかりなのですが、さつそく削除通知が届きました。ほんとうに困つたものです。特に今回は率直なご意見をうかがひたいと願つてをります。さきほど回答番号15として投稿してくださつた方には、お詫び申し上げます。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/10/09 22:49
  • うれしい

    豚の屁理屈が成立する要点は「豚には責任がない」といふことです。怠惰であつても、言ひたい放題、やりたい放題であつても、自分自身何も困ることがないのです。必然的に満足します。ところがソクラテスには責任や使命感があります。だれかが成し遂げなければならないときに、豚とソクラテスが存在した場合、豚は動きませんから、豚の分までソクラテスが働きます。

    生産的議論は消費的理論にはかなひません。ただのきれいごとに見えます。私がQ&Aサイトにおいてアホであることを正直に認めるのは、この「満足した豚理論」の応用です。賢い人にはさまざまな要求がなされますが、アホは何もできなくて当然です。何の負担もありません。何を言はれやうとも気楽です。

    No.24の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/10/10 18:41
  • どう思う?

    回答番号50のコメントは、共産主義の欠陥でもあります。といふより、共産主義ではさらに大規模な問題となります。富は、働いて働かなくても分配される、極端な表現ではさういふことです。資本主義だからこそ、今の状態で済んでゐる、といふだけのことです。共産主義とはまさに「人間とはどうあるべきか」に立脚したきれいごとに見えてしまひます。

    No.50の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/10/14 17:39
  • うれしい

    質問文の中に公約いたしましたとほり、このたびは回答番号21をベストアンサーといたします。

      補足日時:2015/10/14 23:06

A 回答 (58件中21~30件)

good数の総量がすごい事になっていますな。

そして、アホナも豚の利益について気がつき始めました(笑。ここらでひとつ豚氏に転職するのもありかな?
ソクラテスの探究を高さ、深さと表現するなら、豚氏の受容は横、広さと言えるのだろうか。ブヒブヒ言いながら、決して自分は舞い上がらず、ソクラテスの持ち帰る成果を享受して、当然のように憚らない。ソクラテスに感謝する。これはいいぞ!と私も思った。しかし、豚氏に欠けるたった一つの、しかし決定的な事がある。それを獲得する為には豚氏は豚生活から足を洗わなければならない。何かわかりますか?分からないなら、プラポチさんを百歩譲って豚氏であると認めます( ̄^ ̄)ゞ
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この回答へのお礼

>good数の総量がすごい事になっていますな。

ほとんどは私が押してゐます。哲学カテゴリと外国語カテゴリの80%くらゐは私の仕業です。ログインしなければ何度でも押せます。good数やベストアンサーはくだらないことだとは思ひますが、テレビの視聴率と同じで運営側が広告をとるのに貢献します。サイトに参加する以上は協力の意味で、ボタンも押しますし、質問すれば必ずベストアンサーを決めます。

>アホナも豚の利益について気がつき始めました

豚にとつての唯一の迷惑な状況がこれです。同調者が増えると、自分の取り分が減少します。理解されないことこそが幸福です。世界平和の実現を求める方とは違ふのです。

>当然のように憚らない。

これが豚の要件です。

>それを獲得する為には豚氏は豚生活から足を洗わなければならない。

なぞなぞですか。しばらく考へてみます。肉体労働者はこまめに体を洗ふので、頭脳労働者よりも清潔です。哲学者の多くの写真を見ればあきらかなとほり、ソクラテス側は不潔です。

コブタンさんに参戦依頼したことは反則技だとの抗議を受けるかと思つたのですが、そのやうな素振りもなく、a_hona_gooさんはやはり永遠の求道者です。

お礼日時:2015/10/14 10:11

見落としていました。



>「不満足なソクラテス」による生産的議論、「満足した豚」の
>消費的理論、どちらを支持するか見解が大きくわかれるのはなぜですか。

どちらかを支持する事を選ぶ人が居るからではないでしょうか。
誰でも選びたいものを選んでる。
それ以上でもそれ以下でも、それ以外でも無い。
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この回答へのお礼

ご丁寧にありがたうございます。私の質問ページは関連した内容であれば何を書いていただいてもかまひません。ばかな質問だといふ評論をふくめ、広く意見をうかがひたいと存じます。

>誰でも選びたいものを選んでる。

結局はさうなのでせうね。

お礼日時:2015/10/14 09:43

人間のやることだ。

この問題も多面的で、どこの切り口から見るかで議論の発展の仕方によってはトンボにも、またそれとは全然違ったチョウチョにも進化できそうですね。

後で別の切り口について触れてみますが、その前に、一つの切り口として、誰にでも起こる成長ってな観点から触れてみることにします。

理屈か事実かと言う切り口:

 人間オギャーと産まれて、そのうちに言葉を話し始める。言語中枢は猿の脳味噌の手を司る部分の一部が突然変異して出てきたそうで、だから、ゴリラは喋れないけど手話が出来るとのこと。んで、4、5才頃になると子供って、うんち、だとか、お尻だとか、汚い言葉をやたらに言うようになる。電車の中で幼児がそんな言葉を大声で囃したて、お母さんを困らせている場面を時々見かけことがるでしょう。これが言葉に対する一回目の相転移なんだね。要するに、言葉が人を動かす力があることを4、5才頃目覚めるようだ。

次ぎに来るのが思春期の相転移だ。言葉って論理であることに気付く。そして、理屈を言い出すんだね。屁理屈ばかりで五月蝿くってしょうがない。まあ、ソクラテスを発見する訳だ。これ、人間ならほとんどの人が経験することだから、別に上級国民になった訳でも知性派になった訳でもない。

そして、学校教育が終わって社会に出てしばらく夢中で働くようになると、屁理屈通りには行かないことが段々に判って来る。そんなことが20〜30年ぐらい続くと、大抵の人に次の相転移が来るようだ。そう、理念よりも、事実の方が圧倒的に重みがあることに気づくようになる。んで、

「俺って豚で何が悪いんだ、豚でいいじゃん」

て言い出す。だから、俺は豚派だって奴らも、別に反知性派になった訳でも何でもない。

まあ、この最後の相転移は誰にでも遅かれ早かれやってくるんだけど、統計集団にはゆらぎが付きものだ。だから、意外にこの相転移が遅くやってきて、場合によってはそれがやって来る前に死んじまうなんてのもいて、あいつは死ぬまでソクラテス派だったなんて奴が時々いるんだろう。

あたしの日本での師匠だった故三島信彦先生は、

「俺は日本の男だから、日本の男っきりわかんないが、人間誰でも各年代で考えることは皆同じなんだよ。20代は皆夢を見ている。30代は仕事のことっきり考えない。40代は皆健康のことで頭が一杯になる。50代では、もうすぐ迫って来る引退後どうしようかって考えているんだ」

ってなこと言ってたけど、これって、上に述べた言葉の相転移と繋がっているよね。孔子様の、

吾れ十有五にして学に志ざす。 三十にして立つ、、、

なんかよりも、よっぽど芯に迫っている。だって、孔子様のは我々凡人用の言葉じゃなくって、俺は上級国民だってな奴ら用の言葉だもの。


もう一つの切り口、好奇心か恍惚かという切り口:

  リルケが若き詩人に向って、詩が書けなくなったら自分の子供の頃を思い出してご覧と言っていましたね。

今回の質問に関してもわたくしめがご幼少の頃、何を喜んでいたか思い出していたら、二つのことが思い出された。一つがトラック野郎が言うソクラテスで、もう一つが豚なんかなと思い至った。でも、それってトラック野郎が言う不満と満足の対比じゃなくって、子供の頃は好奇心と満足の対比だったことを思い至った。どう言う動機でそんなことになっちまったか全く理由は判らなかったけど、なんかに異様に興味を持ち出した。そして、そのことの知識が増えることや、その好奇心の邪魔になるものを取り除こうとする工夫に夢中になり、それが巧く行ったときの喜び様ったらドーパミン全放出の恍惚状態だった。皆だれでもそんな経験してきたよね。この工夫のことをソクラテスって呼んで、ドーパミン放出状態を豚さんて呼んでんじゃないかな。

だから

>ミルは豚の何たるかが理解できてゐません。

てえのは、我がご幼少のときの深い思索に基づくと、全く以て同感だと思います。人間いつまでたっても、生きざまの工夫をつづけている。要するにソクラテスなんだね。んで、いろんなところで、ドーパミンを放出してもいる豚さんでもあるんだね。

あと蛇足なんだが、これでもか、これでもかって考えている奴に役に立つ言葉を一つ紹介しておきましょう。二条良基が書いた連歌上達法のハウツー物の『筑波問答』か何かに確か書いてあったん意見だ。将来連歌が巧くなる奴って筋が決まっていて、

「何とか巧い歌を作ろうと、これでもか、これでもかって考える奴は駄目」

なんだそうだ。余り考え過ぎす成り行き任せで歌作っている奴の方が、余程巧い歌が作れるようになれるんだそうだ。二条さんの言葉って、

「30過ぎたら仕事に夢中になって成り行きに任せて生きていた方が、30、40になってまだ夢だ何だと言っているよりも、幸せになれんじゃないかい」

っていっているような気がしないでもないでもない。
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この回答へのお礼

回答を拝見していつも思ひます、学者にしておくのがもつたいない。「世間」以上に「世間」がわかつていらつしやる、と感じます。「人間とは実際にはどうあるのか」が大切だといふ主張は別の視点から私もずつと書いてきたことなのですが、なかなか理解されないやうですし、それがまた人間なのでせう。みんな同じ考へになつたらおもしろくありません。

「生産的」といふ言葉をしばしばお使ひになりますので、私の強固な立場である「消費的」と対比させて質問にしました。この世界は消費側に有利なやうに作られてゐるのではないでせうか。消費側は「濡れ手に粟」で満足しそれゆゑに感謝の念を抱きます。生産側はそれを見て怒りを感じて攻撃的になります。

>人間のやることだ。この問題も多面的で

すべては状況次第です。豚とソクラテスの両方が必要だと思ふのですが、一般にはソクラテスが「善」で、豚が「悪」だとして切り捨てる姿勢が顕著です。これこそがまさに諸悪の根源に見えてきます。ソクラテス側の一方的な「正義」が多くの不幸を招いてきたのではないでせうか。「正義」とは究極の個人的「好き嫌ひ」にすぎないと思へてきます。私自身、反省するところです。

>理屈か事実かと言う切り口:

手と脳の発生学的な説明は初めてうかがひました。その後の人間の変化の過程はすこぶる理解しやすく納得いたしました。「理念よりも、事実の方が圧倒的に重みがあることに気づくようになる。」まさしくおつしやるとほりです。

>もう一つの切り口、好奇心か恍惚かという切り口:

ミルや私の持出した用語よりも、こちらのほうが鮮やかです。人間の肯定、世界の容認です。連歌はほとんど読んでゐないのですが、最後にいただいた言葉は同感です。

お礼日時:2015/10/14 09:26

お久しぶりです。



不満足なソクラテスと満足な豚を、plapotiさんの解釈でしたら
そう言う答えになるのでしょうね。

それはそれでいいのではないでしょうか。


私の解釈は、不満足なソクラテスは自分に不満足であり、他者に及ばない。
つまり、学ぶ意識を持っている。
他者に不満足をぶつけない。

満足な豚は自分に満足であり(満足と思い込もうとしていたり
できない言い訳に終始するも含む)、学ぼうとする目線も意識も無い。
一見有るように見せかけても実は持たない。
つまり自分以外に不満足であります。

ここに挙げられるソクラテスは、対抗も嫉妬も無縁でしょう。
実在のソクラテスが、そうだったかは別の話しとなりますけどね。

理論を消費すると言うことは、個人的にはよく分かりません。
打ち立てられた理論は特段消耗されないので、消費されることは
無いように思います。

物質的消費は、それなりに良さがあります。
生産者側がデメリットの対策を考えて提供して行けば済む訳です。
公害とか様々な不利益に対してです。

満足な豚さんは、外に向けての充足を強く求めますから
ある意味よき消費者となります。
求める欲求は高いですからね。

多くはソクラテスも豚も、両方持っています。
それで自己矛盾が生じています。
ソクラテスである事も豚である事も手放した時、自分と言う存在になると思います。

しかし、学びの最初の段階ではソクラテスを目指すのは
それはそれなりに有りだと思います。
学びの最初は真似る事ですから、そこから得たもので再構築して
自分に成って行く訳ですから。

自認がソクラテスであれ豚であれ、自分に成ると言う事に至れば
最終的に問題は解決しているでしょう。

また、解決しなければいけないと言う事もありません。
人は、受け取りたいように受け取り、生きたいように生きますから。
自分の真の満足を理解したら、その人の人生は真の満足で満たされる。
ただ、それだけの話しだと思います。

満足は、他者に与えられるものではない。
自分で作り上げて行くものだと、気づいた人から
喜びの人生を謳歌できるものだと思います。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり、申し訳ございませんでした。週の初めは仕事が忙しくて、Q&Aの質問は日曜日の夜には締切ることが多いのですが、今回はしばらく待つてみました。

>私の解釈は、不満足なソクラテスは自分に不満足であり、他者に及ばない。

おつしやるとほりと存じます。kanto-iさんのいつもの主張でもありますね。良い意味でも悪い意味でも、不満足なのは自分自身の問題です。

>理論を消費すると言うことは、個人的にはよく分かりません。

今回はそのことに意味があつたわけではなく、単に生産側と消費側ではどちらが有利なのか、といふ質問です。あへていへば、独創的発見と、それのパクリでせうか。cyototuさんがその点についても回答を寄せてくださつたのですが、豚をよく理解した御意見でした。下記回答番号19の末尾。学問ひとすぢなのに、「世間」がわかつていらつしやいます。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/9074422.html

私のやうな不届き者が安心してアホ投稿ができるのも、真面目な利用者のかたがたのおかげですので、今後とも御指導よろしくお願ひいたします。豚にはありがたいことです。

お礼日時:2015/10/14 08:35

★(№31お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~


   >人間は「知らぬが仏」で、「知ったが病」です。

   〔*回答者註: この文は 質問者のものです。それを自分でそのまま肯定して次のように議論を運んでいます。〕

 そのとほりです。少なくとも近隣の大国はさうしなければ統治不能でせう。老子が尊ばれるわけです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ここでは 愚民であること(満足した豚)と愚民政策(ソクラテスのではないと見なした統治術)とは 別です。

 そして 愚民政策ではなく 教育を互いにほどこし情報を公開するという共同自治のやり方もあります。
 不満足のソクラテスもいると言えばいるのでしょうし 満足したソクラテスもいることでしょう。

 つまり 質問の趣旨では こういった社会の情況についてほとんど無視して対立する必要のない二者を持ち出しています。



 この二者は 対立するのだとなお見ているようで 次のような話として弁明があるようです。



 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  >われわれ回答者もなめられたものです。

 それだけではありません。豚は社会をなめてゐます。豚は人生をなめきつてゐます。

 gaituさんや私が見てゐる豚を仮定の話としてたとへてみます。戦争があり、敗戦国が隣国に賠償をおこなつて、すべて完結したといふ約束をしたとします。ところが隣国は女性に関する問題などをとりあげてさらに賠償金をむしり取らうと考へます。このあくまでも仮の話の隣国に相当するのが豚です。そして今後もいくらでも賠償金を拂ひますよ、と応じるのがソクラテスです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 《賠償金》ではありません。賠償金でありえた国のばあいは 《侵略の仕返し》が問題になっています。

 問題は このような・お人よしだと思われるソクラテスが 過去の自分であったというだけのことです。そういう部分があったと。

 そして 満足した豚の問題でもありません。不満足な豚の事例です。さらには 不満足なソフィスト・ソクラテスたちとの共謀です。

 ★ 豚は社会をなめてゐます。豚は人生をなめきつてゐます。
 ☆ これも 鼓腹撃壌の満足した豚とは イメージが違います。

 質問の趣旨がさだまっていず ゴール・ポストが移動します。




 ◆ 屁理屈に負けてしまいそうなんです・・・
 ☆ ではなく 屁理屈も理屈も いま提起されている二者対立は そもそも成り立たない――《満足した豚は 無敵なり》という命題ですでに完結しているゆえ――というのが 答えです。

 そのあとは 焦点も論点も拡散しています。
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この回答へのお礼

こんばんは。昨日は仕事が忙しくてコメントが書けませんでした。それにみなさんからいただいた回答のいくつかの内容を読み取れず、てこずりました。ぶらげろさんは、お仕事はどんなことをなさつてゐたのですか。民間企業に勤めてゐると、ほとんど仕事でいつぱいになります。豚の意味がわかるやうな仕事をしてゐる人は、Q&Aサイトに投稿する時間などありません。このサイトの利用者の多くは、企業内の職場の実態がわからない人が多いのではないかと思ひます。

>《満足した豚は 無敵なり》という命題ですでに完結している

豚は最強だ。

お礼日時:2015/10/13 21:34

#19,30です



質問者様は、回答者の過去の行動をも含め、全体的に判断しようとしておられるようにお見受けいたします。

非常に素晴らしいことだとは思いますが、ネット上でのQ&Aは、第三者の方が閲覧するとき、一つのQ&Aにて完結していることを望むことになります。

個々の投稿者の思い入れや経歴等の背景事情を排除した上で、質問の内容に応じて「ごく表面的な」字面レベルで解釈できるということも重要な要素になるということです。

===>>>#30お礼欄
>人間にとって生まれて間もない頃は「知的にも物質的にも経済的にも」完全に消費側にいます。

わかりやすい例で助かります。以降の御説明もまつたくおつしやるとほりです。
<<<===

結局のところ、哲学カテだからといって言いたいことを素直に書かずに「ソクラテスとブタ」という比喩を安易に使うと論点が発散してしまいます。ブタという表現にて「知的にも物質的にも経済的にも」完全に消費側なる方々は、赤ちゃんや一部の高齢者を含め人権を否定された状況にあると見做されかねません。

たとえば
===>>>#30お礼欄
>知識が無いという理由を振りかざして責任のある立場には就かず、ネットで言いたい放題という方々を想像する場合にも当てはまります。

こちらの例が、私のいふ豚に近い存在です。回答番号6のコメントに記したのが、まさしく「満足した豚」です。赤の他人に対して、自身の限界をこえて無償で生産提供する立場になつたとき、どうなるのか、といふ問です。その立場をつづけることを支持するのでせうか。私は自分の経験だけではなく、そのやうな状況をあちこちで見てきました。常に消費側の勝利です。
<<<===

にて、対象者を「赤ちゃん」に置き換えたとき
>>>
「赤ちゃん」が、まさしく「満足した豚」です。赤の他人に対して、自身の限界をこえて無償で生産提供する立場になつたとき、どうなるのか、といふ問です。その立場をつづけることを支持するのでせうか。私は自分の経験だけではなく、そのやうな状況をあちこちで見てきました。常に消費側の勝利です。
<<<
といった文面でも成立してしまうことを常に意識されるべきです。

もっと良い例がありました「泣く子と地頭には勝てない」というのをご存知でしょうか?
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/2637529.html

おっしゃりたいところの対象者は歴史的には農民(生産者)に対する地頭(消費者)に相当すると思われます。

ブタという表現で十把一絡げにしてしまうと、「泣く子」(赤子)も「地頭」も同一レベルで扱ってしまうことになります。両者の違いは「知恵」の差ともいえます。実のところ、おっしゃりたい対象者には「知恵」があります。非常に狡猾な生きるための「知恵」であり、どのような状況になっても生き抜いていくために本能的に持ち合わせている「知恵」です。

同一の土俵に立たない限り、知的論争には終着点はありませんし、勝敗もありません。仰りたい対象者は土俵の外にいます。土俵の外には赤ちゃんもいます。彼らを土俵の上に無理やり引き上げて、土俵の外に押し出して「勝った」と叫んでみても虚しいばかりでしょう。彼らはそうされることで「勝った」とほくそ笑むばかりです。

では、土俵を大きくして、彼らをもすっぽりと包みこむという手段ではどうなるでしょうか?
垂直方向(時間軸方向)に拡大すれば、彼らを養っていた人々も老人となり消費者となっていき、彼らが搾取したい対象も消えていきます。出生率が改善されない限り、さらに若い世代から搾取することは困難になっていくことでしょう。あるいは逆に彼らが搾取される側に回らざるを得なくなるかもしれません。水平方向(空間方向)に拡大すれば、まさにTPPやらの問題を含めグローバル化真っ只中であり、搾取対象が国内に居なくなるようであれば、彼らは海外に飛び出していき、テロの組織に入り込むかもしれません。
歴史的に「地頭」がどうなったのか?を調べてみてもいいでしょう。

仰りたい論点が、上述の様な方向性にて思索すべきものであるのなら、別に質問を立て直すべきだと考えます。

なお、土俵を広げる方向性にて、個人的には、「未来少年コナン」にて描画されているハイハーバーのオーロの状況とその後の変化を重ねてしまいます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AA%E6%9D%A5 …

DVDにて見ることができますが、未来少年コナンの世界では、地球規模の破壊を招いた後、生き残った人々が複数の島に分散して住んでいる状況を物語の舞台としています。
自給自足が可能な一つの島にて、不良少年達(消費者)が生産者から略奪することで生活しています。オーロ達と島の住人達との関係には歴史的背景と「情」が残されています。そのことが物語の中での問題解決に繋がっています。

ちなみに、ジムシーが食べようとしていた子豚(うまそう)がどうなってしまうのか?というのも本質問に関連してみることができると思います。
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この回答へのお礼

有用な助言をいただきありがたうございます。質問の方法はむづかしいものです。

>赤ちゃんや一部の高齢者を含め人権を否定された状況にあると見做されかねません。

「赤ちゃん」で連想されるのはルイス・キャロル『不思議の国のアリス』第6章です。赤ちゃんが豚に変身するのをアリスは目撃しました。やはり豚になるのは幸せなやうです。

アリスは、知り合いの子どものなかでブタになったら似合いそうな子のことを思いうかべて、こう言いました。「あの子たちをブタに変えてあげられる方法がちゃんとわかりさえすれば」
(河合祥一郎訳 角川文庫85,86ページ)

いくつか例を挙げていただきましたが、どの場合でも消費側に有利なのではないでせうか。特に赤ちやんの場合には親は自分の命をも投げ出します。

私の表現が不正確だつたのですが、豚は「勝つ」といふ意識はありません。ただ満足するのみです。ソクラテスのほうが一方的に「負けた」と感じます。これは「赤ちやん」の例ではあてはまりませんけれど。

>「未来少年コナン」にて描画されているハイハーバーのオーロの状況とその後の変化を重ねてしまいます。

ラナちやんの話ですか。それ以外は存じてをりません。すみません。

お礼日時:2015/10/13 00:13

no.5です。


人類が未熟な段階から歴史を刻むことしかできなかったという
経緯から考察してみました。

「満足した豚」という表現が出てきたこの時点ですでに
二つの立場に感情的なしこりが生じていたと考えることができます。

さらに未熟な段階に端を発する二つの陣営の対立が始まった時に
歴史の成果というものを実感できないという時代の限界から
両者に入った亀裂が溝を深める形で
時間軸を進行してきていたのだと思います。

そこに修正を入れることができるのが現代です。
一歩深い起点に立ち戻った上で
歴史の成果という視点から
現代の繁栄への寄与と
進歩への模索の両方が
大切だということを理解して
尊重し合って共存することができれば
「満足した豚」という表現が出てくるほど対立して
感情的しこりにしないで済むのではないかというのが現時点の考えです。
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この回答へのお礼

ふたたび御回答をいただき、ありがたうございます。

>「満足した豚」という表現が出てきたこの時点ですでに二つの立場に感情的なしこりが生じていたと考えることができます。

このあたりが読み取れなかつたのですが、豚は満足してゐますので「感情的なしこり」はありません。ありがたく消費するのみです。

>尊重し合って共存することができれば

前記のとほり豚はソクラテスの繁栄を願ひますが、ソクラテスは生産したものを一方的に豚に消費されるだけですから尊重することはありません。私はソクラテス側に問題があると考へます。

お礼日時:2015/10/12 23:54

> ミルは豚の何たるかが理解できてゐません。



まったくそのとおりと存じます。英才教育で育てられて学校にも行かないまま優秀でお金持ちの人生、頭脳明晰魂高潔な人妻の手を握って喜んでいるようでは、人間がどんなに忌まわしいものか知らないに決まっております。

> 私は命がけで自分の限界まで挑みましたが、軽くあしらはれただけでした。今では豚から学ぶことが最良の道だと思つてゐます。

労組の組合長でもなさったのですか。

ところで、行動における動機が快か苦であることは、カントもテーマにしておりますね。(「純粋理性批判」) こんにちの実験心理学や行動分析でも利用されています。マウスの行動をどう制御しうるかという実験では、餌箱から餌を取ることを覚えさせた後、餌を取ると電流が流れるようにしますと、はじめびっくりしてすくんでいただけで、そのうち、電流が流れてまでも餌を取るようになります。快楽のまえに抑止力は機能しないのでした。

で、まあ餌を取るなと言ったところでマウスでは理性を問うことはできませんが、カントが「~であるべき」の正体とは何なんだと小難しく考える時、この可哀想なマウスのことを知っていると話は単純です。
「~である(状態)」世界は「~であるべき(目標)」世界の影響なんて受けないとか、「欲する」は「べき」を産み出さない、なんてねちねちと論述するまでもありません。
「べき」世界など、マウスの檻の外で都合に応じて作られたモデルです。しかも、
餌を取らぬべき→電流が流れないから
では、現象を支えているばかりで、ではどういう世界なのかがわかりません。猪突先生ふうに言えば何も起こらない熱死の気配です。わかることを言えば生きていて餌が取れない世界です。

ベンサムの「最大多数の最大幸福」なるべきも、資本主義の現象を支えているばかりで、檻の外の都合に応じてはいるでしょうが、するとどういう世界なのかがわかりません。資本主義だと何だというのでしょう。わかることを言えば最大多数が最大幸福な世界です。

みんなが気持ちよく、とは、日本のトイレ事情、地下鉄事情などに先鋭的に実現されておりますが、こうした質的快楽によるユーティリティ重視は、ミルの望むところです。一過的にしか関わらない自分はどこまででも汚す、という海外諸国の豚は、なぜ綺麗に使おうと声をあげないのでしょうか。それには不満足な人間が登場しなければなりません。資本家と事業主としては、お金を払わせて綺麗なトイレが使えるシステムを導入し薄利多売の大儲けです。またしても、べき論から資本主義の現象が支えられる構図です。「不潔である」トイレや地下鉄は「みんなが気持ちよくあるべき」仮想トイレの影響を受けないのでしょうか。

餌箱に餌を取りに行けるあいだは、満足な豚です。しかし、システム導入なんかさせない、餌箱に電流流すなーッ、われわれは真実のユーティリティを要求するーッ、餌箱に行かないならメリットがあるなどという条件付きの幸福など断じて受け入れないーッ、と、餌がもらえているあいだに言い出すのが、ソクラテスなんだと思います。
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この回答へのお礼

追加回答をありがたうございます。

>英才教育で育てられて学校にも行かないまま優秀でお金持ちの人生、頭脳明晰魂高潔な人妻の手を握って喜んでいるようでは、人間がどんなに忌まわしいものか知らないに決まっております。

ミルの背景については知らないのですが、著書から受ける印象はおつしやるとほりの世間知らずです。解説書を読むのが面倒で、こまかい知識のもちあはせがありません。このサイトでいろいろ教へていただいてゐます。

>労組の組合長でもなさったのですか。

いいえ。私は労働組合は「不満足な豚」だと思つてゐます。働かない者の解雇に反対し、給与・賞与の均一化を要求して働きに応じた報酬を否定します。豚に完璧な満足を与へ、安住の地としてゐる要因のひとつは労働組合です。労働基準法なども私は給料を下げるためのばかばかしい法律だと思つてゐるのですが、長くなるので書きません。

>快楽のまえに抑止力は機能しないのでした。

カントは1冊も読んでゐませんが、そのとほりでせう。例を挙げればきりがないと思ひます。私のアルコールの場合は快楽のためではなく、頭の治療のためにやむなく服用してゐるだけですけれど。

>猪突先生ふうに言えば何も起こらない熱死の気配です。

この文だけはわかるのですが、前と後の文とのつながりが読み取れませんでした。呑みやうが足りなかつたのかもしれません。あとでまた読んでみます。

>餌がもらえているあいだに言い出すのが、ソクラテスなんだと思います。

これこそまさしくおつしやるとほりで、生産に不可欠な要素です。そしてそれをありがたく消費するのが満足した豚です。

お礼日時:2015/10/12 23:41

負け犬の・・・・・理論!



plapotiさんは「不満足なソクラテス」から脱皮出来て居ません。「満足した豚」はまだ願望の世界です。
"本質"はそう簡単には変えられないのです。精神的脱皮は"極限"を実験(実体験)してこそ、です。
plapotiさんの体験した極限は肉的精神の極限なので、本質は変わりませんし、また変えられません。

私はplapotiさんの回答への返事を何度も読みました。回答は読んでませんが。
何度も読んでいるうちに何故か泣けてきました。

頑張りすぎましたね、plapotiさん。
その反動が「満足した豚」に価値を見出したくなったんだと思います。

ここで「価値の転換」をしましたね。

こんなことを考えて居たら・・・
なんの事はない、自分こそが「満足する豚」なんじゃないか、と気づいたんです。

社会的責任はほとんど無いし、先の事は全く考えないし、普通には心配になって当たり前の事柄にも無頓着だし、苦労は避けてきたし、休日には嫌いな人付き合いはせず、する必要も起きず、アムロの世界に没頭して、癒す必要もない心を更に癒し、だから今のこんな自分であるのに、それさえも気にならず、だから頭に「超」が付くほどの楽天家である私こそ「満足する豚」なんだと。

「満足する豚」は自身の生き方に"疑問"なんて起こすわけもなく、理屈も必要なく、だから長い事ここに棲んでるけれど、一度も"相談"なんてした事はありません。
でも、と云うか、だからと云うべきか、他者の人生相談への回答は好きで、たびたびしてBA貰ったりはしていますが。(最近はありません)

 まあ、こんな私から見ればplapotiさんはまだまだ。
 「不満足なソクラテス」そのものです。
 
 そう思うから、plapotiさんの「満足する豚」は「不満足なソクラテス」と、なりました。
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この回答へのお礼

読んでいただき、まことに感謝いたしてをります。私のこのサイトでの投稿内容のほとんどは職場での経験にもとづくものです。本を読んでもそれはそれで勉強になりますが、あくまでもヒトゴトにすぎません。私の質問ページは関連した内容であれば直接の答でなくても回答者の自由です。ひとつでもあればいいかな、といつた程度に考へてゐます。ありがたうございます。

>plapotiさんの「満足する豚」は「不満足なソクラテス」と、なりました。

bragelloneさんやa_hona_gooさんだけでなく、yy8yy8azさんも私をソクラテス側に引き込む作戦なのですね。すでに記しましたとほり、豚はQ&Aサイトの釣り質問以外のものには釣られません。

ブログをふたつ開設なさつてゐるのですね。ときどき拝見します。

>他者の人生相談への回答は好きで、たびたびしてBA貰ったりはしていますが。

私はしばしば質問者のクリックミスでベストアンサーになります。
先回の哲学カテゴリの質問ではamaguappaさんをベストアンサーにしたのですが、選び方に対して苦情がきました。今回はそのやうなことを防止するため、あらかじめベストアンサーの選択方法を公開し、だれもが納得できるやうにいたします。

お礼日時:2015/10/12 23:00

№27です。



 1. Ignorance is bliss.《無知は至福である》≒ 満足した豚は 無敵なり。

 2. このひと命題で 世界は泰平なのです。存在は いかに豚扱いされたとしても とうとばねならないからです。

 3. それで事足れりでありすでに内容が完結している命題を わざわざさらに際立たせようと図る人間がいました。

 4. 《至福には達していないところの――ただし そのことは誰にも当てはまります それなのにその――不満足なソクラテス》を 登場させ対比させることによって 豚を際立たせようとするわけです。

 5. けれども そのしわざを考えついた人間は それだけには終わらせたくなかった。ソクラテスに何かの恨みでもあるのかどうなのか そのかれの《不満足なこと》をいいことに 満足している豚のありさまをうらやましがらせようとします。

 6. ここまでのワザが図られたことになります。あとは 反論に対してのらりくらりと・延々とお相手していればよいという心根を持った人間の考えることが続きます。

 7. まづ:
 ★(№27お礼欄) 庶民の知恵として発達してきたコトワザは、知恵あるものより知恵なきものに対して、愛着の心を寄せます。
 ☆ すなわち 項目(1)および(2)のことです。

 8.そこで 項目(3)以降が現われます。:
 ★ 見出しのコトワザや次に取り上げるいくつかのものは、すべて無知は幸せであるという、無知礼賛のコトワザです。人間は「知らぬが仏」で、「知ったが病」です。
 ☆ 《知った》状態 にある人間 を登場させ 問題をつくって行きます。あるいはつまり:
 ▼  Where ignorance is bliss, 'tis folly to be wise.[Thomas Gray] 《知らないのが幸福なら、知ることは愚か》

 9. このあとは どうなりましょう。:
 ★ 豚はソクラテスを必要としますが、ソクラテスにとつて豚は迷惑千万です。そのためソクラテスは「豚を更正しなければならない」「豚を援助します」「豚を正しい方向にみちびきます」「改心してください」などと言ひます。しかし豚はすでに満足してをり、甘い汁を吸ひつづけてゐますので、甘い言葉には釣られません。豚が釣られるのはQ&Aの質問だけです。
 ☆ われわれ回答者もなめられたものです。
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この回答へのお礼

今回は日本語訳をつけてくださつてゐるのですね。ありがたうございます。私の質問ページでは訳なし外国語の投稿は禁止されてゐます。私のやうな弱者の立場を考慮すべきです。

>存在は いかに豚扱いされたとしても とうとばねならないからです。

これはyunikoさんの思想への共感ですね。

>人間は「知らぬが仏」で、「知ったが病」です。

そのとほりです。少なくとも近隣の大国はさうしなければ統治不能でせう。老子が尊ばれるわけです。

>われわれ回答者もなめられたものです。

それだけではありません。豚は社会をなめてゐます。豚は人生をなめきつてゐます。

gaituさんや私が見てゐる豚を仮定の話としてたとへてみます。戦争があり、敗戦国が隣国に賠償をおこなつて、すべて完結したといふ約束をしたとします。ところが隣国は女性に関する問題などをとりあげてさらに賠償金をむしり取らうと考へます。このあくまでも仮の話の隣国に相当するのが豚です。そして今後もいくらでも賠償金を拂ひますよ、と応じるのがソクラテスです。

お礼日時:2015/10/11 21:44

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