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日本古代史関連の質問なのですが、一昔前の教科書の記述だと古墳時代の始まりは、3世紀末から4世紀初めだったと書かれているものが多かったような気がするのですが、最近の教科書だと古墳時代の始まりは、3世紀中頃と50年位のずれが生じているというのは本当でしょうか?

邪馬台国のその後は不明ですが、3世紀中頃に日本国内に有力な勢力があって、古墳時代の始まりが早まったのだと思いますか?

A 回答 (3件)

「古墳時代の始まり」とは何かが問題ですね。


よく言われているのは、定型の前方後円墳が作られるようになってから。
遠く離れた地域に縮尺は違えども同一の形のものが作られるようになってからですね。

近年の考古学の成果で、それに当てはまるのが3世紀の中頃までさかのぼったということです。
箸墓古墳あたりがそれにあたり、邪馬台国との関連を指摘する説もありますね。

>3世紀中頃に日本国内に有力な勢力があって、

考古学の成果をもとに、離れた地域に同じ形の前方後円墳があったということは、同じ設計(測量方法なども)で作られたと考えられる。
だから、それぞれの地域の有力者が協力関係、連合関係にあったのではないかと推測されています。
それが大和政権なのではないかとも言われていますね。
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この回答へのお礼

回答有難うございました。

お礼日時:2015/10/28 22:45

昔の年代を絶対的に知る方法というのは限られていて、しかも結構不正確なんです。

炭素測定なんかが有名ですが、沢山やってるうちに時代によって元の量が違ってることが分かって、そのうち(地球的規模の)地域によって違うことが分かってきて、さらに海に近いとか遠いとかの局地的な部分でも違ってくるのが分かってきたりして、また測定する植物でこいつは元素を集めやすいとか集めにくいとかがあったりして・・
切り株年輪法なんて、米国かどこかでは結構上手くいってるようなのですが、日本では地域差が大きすぎて全くダメで、なんかそれを逆手に取って、出来ましたーでも方法は教えません、みたいな胡散臭いのが一人ほど言い張ってる状況です。

で、仕方ないから相対的な方法で年代を決めているのですが、これはこれでなかなか難しくって、この土器のスタイルが大体20年続いただろうみたいなのを連ねているようなのですが、時々炭素測定したものと比べてみると50年100年づれがあったり無かったり。まぁそんなのが多くなってきたら、やっぱりちょっとズレてるんかねーとか、または新しく見つかったものが○○時代の始まりを数年繰り上げそうだ、みたいなものもあったりするんじゃないでしょうかね。良く知らないのですが。

正直、古墳って私も良く分からなくって、そっちは墳丘墓だから古墳じゃない、こっちは円墳(=古墳)、とか言われても、違いがわかりませんw
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