アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

1. ひとを生かすためにすすんで犠牲となる場合における死は たたえるべき意志行為であるか?

2. 犠牲死に よい死とわるい死とがあるか? いや 意志行為としての死はすべてのろうべき行為ではないか?

3. 自死も――たとえば イジメに遭っての自死も―― ひとごろしであって のろうべき意志行為であるのではないか?

4. ひとの自由意志を踏みにじるのが 非人間性としての暴力であり 自由意志の主体たる存在を消し去ることは おのれ自身についても他人についても 愛の死ではないか? 死の愛ではないか?

5. 文脈・情況にかかわりなく無条件に(3)の命題が成り立つのではないか?

6. 緊急避難などの条件は そのあとに来るとすれば来るのではないか? 別建てとなると考えられます。

7. 原発事故における自己犠牲的行為は ほかの人を生かすためにおこなったゆえ讃えられるべきだと見るのではなく 必ずしもそうではなく のろうべき行為をも欲してそのような目的をも持っておこなったと解釈すべきではないか? そののちに讃えられるというのではないか?

質問者からの補足コメント

  • プンプン

    ご回答をありがとうございます。取り急ぎしたためます。

    15. (6)の《緊急避難などの条件》というのは 《死につながる犠牲行為のための条件》
    のことです。

    16. (2)★ 自ら死を選択するのですから、これは究極の実存です。
    ☆ ということは 《いじめによる自殺》も 《究極の実存》だとなります。

    17. (同上・承前)★  それが犠牲死なら、良い死です。
    ☆ なら 自爆テロは ほかの同朋・信徒仲間のためになるように犠牲となるということのよう
    ですから 《たたえられるべき良い死》なのですね?

    18. ジハードは まさに《聖戦》だというご見解なのでしょうか。

    19. ★(前書き) 命など手段に過ぎない、と考えてこそ人間です。
    ☆ と言う時には そのことが《絶対的な価値を持つ》と言っているのではありませんか? 動
    物との対比において。

    あとで見直します。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/12/05 09:13

A 回答 (4件)

命は何の為にあるのか、命は目的なのか


より良く生きる為の手段なのか、という
ことだと思います。

命が目的だ、と考えるのは動物と同じです。
生きることに絶対の価値を持ちます。

命など手段に過ぎない、と考えてこそ
人間です。

人は必ず死ぬのです。
生きることに絶対的価値を見いだす考えは
すでにこの時点で間違っています。


1. ひとを生かすためにすすんで犠牲となる場合における死は 
 たたえるべき意志行為であるか?
     ↑
讃えるべき意思行為です。


2. 犠牲死に よい死とわるい死とがあるか?
 いや 意志行為としての死はすべてのろうべき行為ではないか?
      ↑
自ら死を選択するのですから、これは究極の
実存です。
それが犠牲死なら、良い死です。



3. 自死も――たとえば イジメに遭っての自死も―― ひとごろしであって のろうべき意志行為であるのではないか?
      ↑
いじめによる自殺ほど恥ずかしく、情けなく、醜いモノは
ありません。
逃避に過ぎないからです。
人を殺せないから、自分を殺したのでしょう。


4. ひとの自由意志を踏みにじるのが 非人間性としての暴力であり 自由意志の主体たる存在を消し去ることは おのれ自身についても他人についても 愛の死ではないか? 死の愛ではないか?
      ↑
だったら、自由意志で死を選ぶのは、最高で
ないですか。
いじめによる死は、自由意志ではありません。


5. 文脈・情況にかかわりなく無条件に(3)
 の命題が成り立つのではないか?
     ↑
成り立ちません。


6. 緊急避難などの条件は そのあとに来るとすれば来るのではないか? 別建てとなると考えられます。
     ↑
緊急避難は犠牲死の対局にある考えです。



7. 原発事故における自己犠牲的行為は ほかの人を生かすためにおこなったゆえ讃えられるべきだと見るのではなく 必ずしもそうではなく のろうべき行為をも欲してそのような目的をも持っておこなったと解釈すべきではないか? そののちに讃えられるというのではないか?
        ↑
自己犠牲なら、讃えられるべきです。
この回答への補足あり
    • good
    • 2
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。補足欄からのつづきです。

20. ★ 命は何の為にあるのか、命は目的なのか / より良く生きる為の手段なのか
☆ 質問者の命題(趣旨説明)については この目的論からの帰結ではありません。

21. いのちをとうとぶのは 生まれて来ている存在(つまりは ものごころが着い
た《わたし》)というところから出発しています。

22. いままでそこにいた存在がいなくなったときそれを《かなしぶ》ということ。
ここからです。

23. その何かをおこなわなければ わざわざ本人も周りの人間も悲しぶことなく
存在を生き切って行くことができたのにというとき そのような《要らざる中断》とし
ての何かをにくむ。忌み嫌う。

24. すなわち 《自由なる意志行為を踏みにじる》また《その意志の主体である存
在じたいを消し去る》 このような反‐存在的行為を 愛(人と人との関係性=カカハリ)
の死と捉えます。これが 前項の《何か》です。

25. 人びとが社会を成してともに生きることからは そのナラハシとして このよ
うに《いのちをとうとぶ》ことが存在論の中核として――事後の思索において――導か
れます。

26. もしそうなら 《おのれみづからの愛の死も 他人のそれも 人間の為すまじ
きものとして のろうべき行為》であると見ます。

27. 動物のばあいは 存在についての《要らざる中断》ということにほとんど考え
およばないのだと思います。ただ人間のよく成すところでしょう。これが 実存の一環
です。

28. この命題が
★ 生きることに絶対的価値を見いだす考え
☆ であると見えるのは ひとのいのちがその一生という期間において事実上限られて
いるので その一定の期間のすべてにわたっていまの命題が当てはまるからには その
生涯をつうじて該当するということは すでに《絶対的》なものとして効力を持つと見
られるというだけのことです。

29. 必ずしも倫理規範や道徳ではないのです。つまりは やはり実存の一環として
《いのち》の問題ははたらいています。

お礼日時:2015/12/05 12:09

思考放棄でないよ。

君はまだ「うろうろ」してるんだよ。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

回答をどうぞ。

お礼日時:2015/12/04 11:39

全ての人の遺伝子には、テロメアというくり返し配列があり、1回細胞分裂


するごとに1つずつ減って、なくなるとそれ以上細胞分裂できなくなり、
新陳代謝が不活発になって老化し、死に至る。
つまり、そもそも全ての人は、進化(交配による遺伝的多様性の創出&世代
交代)=種のために自死するようになっているのだ。
今さら社会のための自死が是か否かと問うのも何だが、より多くの人を生かす
ために絶対誰かが死ななければならない状況において、最も社会の損失が
少ない形で誰か死ぬ人を選ぶのは、妥当な判断だ。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

9. ★ テロメア・・・が・・・1回細胞分裂するごとに1つずつ減って、なくなると
・・・老化し、死に至る。
☆ テロメアだけでそのようなことが起こるとは 考えられないのでは?

10. ★ より多くの人を生かすために絶対誰かが死ななければならない状況において、
最も社会の損失が少ない形で誰か死ぬ人を選ぶのは、妥当な判断だ。
☆ は 妥当な判断ではありません。

11. そういう判断は たとえ誰かがするとしても 《妥当かどうか》は 決められない
はず。《社会の損失》と《ひとの命》とは 次元の違うふたつのものごとです。

12. 《より多くの人を生かすために絶対誰かが死ななければならない状況》というのは
あなたがそう認識し判断しただけのことです。決して決まっているわけではありません。

13. あなたの考えは 一般にそれとして考慮に入れられるでしょうけれど それは 考
えというより ものごとを計算したというだけのことのように思われます。

14. たとえば 《自死》は ひとごろしであると捉えるかどうかの問題です。やがて死
ぬのだからその時が 早くなっただけだという計算をしているのではないでしょうね。

お礼日時:2015/12/04 11:38

考える、とらえる人によって千差万別です!

    • good
    • 2
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

8. 思考放棄と見なします。

お礼日時:2015/12/04 11:11

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す