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”I love you” において、なぜ、Iやyouを使うのですか? 
この英文に対応する日本文は、普通、“愛している”であり、“私はあなたを愛している”とは言いませんね。
質問は、英文では、なぜ、わかりきた“I”や“you”を使うのですか? もちろん、慣習や文法により、使うように強制されているのでしょうが、なぜ、そのようになったのでしょうか?
(なお、この質問に関連して、先日、国語カテで「折角、人称代名詞がきめ細かく数多く確保されているにも係らず、なぜ、使わない場合が多い、のでしょうか?」という質問をしています)

A 回答 (11件中1~10件)

英語の人称代名詞に対して、日本語は「人代名詞」とも言われます。



英語の1人称、2人称、3人称
(正確には第○人称というべき)
というのは、話者が第1、相手が2、そうでないものが3
(重要性の順番ではありません)という、それだけの関係を表すものです。

子どもでも大統領でも自分のことは I であり、相手は you です。

日本語で「私」「僕」などはそれぞれで話者自身という以上の情報が入るのとは違います。

そもそも、「彼」「彼女」という日本語はなく、英語などの he/she を訳すために
「彼方」から「彼」をとって、さらに「女」をつけて新しく「彼女」という言葉を作りました。

でも、やはり日本語にはなじみなく、「彼氏」「恋人」の意味に使われるようになって、
そちらで定着してしまいました。

I, you の前に、3人称で考えると、だれか決まっているけど、具体的に名前などを繰り返さない、
ただその人を表す単語です。
it はものでも「3人称」
あくまでも、I, you に対する第三者として「人格」を与えられたのが it です。
「もの」以外でも赤ん坊・子どもで使ったり、性別不明の場合などにも使われます。

そういう1、2、3という関係だけの単語が人称代名詞なので、
日本語では省略されて当たり前です。

逆に言うと、「私」のような日本語は人称代名詞とは違うと思います。
人称代名詞がたくさんあるのが日本語じゃなく、そういうのはないのが日本語だと思います。

でも、英語では必要な単語です。
「は」「が」「を」「に」「で」などの助詞が大きな要素を占める日本語に対して、
英語では「主格」「目的格」という格が重要です。
そういう「格」を含むのが英語の人称代名詞ですので、なおさら英語では不可欠です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
英語では、
<そういう1、2、3という関係だけの単語が人称代名詞なので、
日本語では省略されて当たり前です。>
特に必要あれば、
<話者自身という以上の情報が入る>
私や僕を使うのですね。英語では
<「格」を含むのが英語の人称代名詞ですので、>
不可欠必要なのですね。

お礼日時:2016/02/14 19:29

それぞれの文化。


NHKで明治維新のときの変化が非常に速かったことを取り上げていました。
詳しくは見ていませんが、島国だった、それが一番の原因言っていたようです。
原生動物から人に進化した、これを、どういう選択・どういう影響で、選んだ(選ばざるを得なかった)のか、が知りたいのです。
一冊の本が十分できると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
日本とういう狭い限定された文化圏では、文化(言語も含み)も一旦変化が起きると、時間的・地理的にその変化が著しくなることがありますね。生物の進化(単なる変化も含み)と同様に。日本の言語もある方向に進むと、そのままあらぬ方向に止まらなくなった、というような気がします。以上のように、fxq11o11様の難解なご回答から連想した考えですが。

お礼日時:2016/02/18 10:45

①既往の諌めざるを知る、②3軍も帥を奪うべきなり、匹夫の心奪うべからず。


ピサの斜塔、作り始めてから傾き始めた、基礎からやり直せば・・・だが当時の技術?または時間を惜しんでか?①を適用、重心をずらして建築を続けたらしい。
現在見れば、明らかに、何故わざわざ・・と誰もがが思います。
もし本当に危険なら、現在の技術を持ってすれば、撤去して似たような丸ビルは建設可能です。
形あるものなら、それが可能です、でも形のない文化が時間の経過とともに変化した現在の文化、都合が悪いからと言って、時間をさかのぼることはできません、もちろん形がないため即取り替えもできません②です。
現時点からどちらへ導くか・・・だけが可能です。
>なぜ、使わない場合が多い
西洋のマネする必要ありません、日本語のよいところを知り、もっと日本語に誇りを持つべきです。
追い詰める、のも一つの方法、でも実際は追い詰めたつもりでも抜け道を見落としていたが多いはず。
追い詰めるが、相手の逃げ道もこちらで準備する?、これが日本古来のやり方です。
完璧はあり得ない、という立場なら、日本古来の方法が人間的ではとも思います。
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この回答へのお礼

再三にご回答ありがとうございます。
今回は、弁解やら言訳けになります。
1.<時間をさかのぼること>
はできません、ですね。私は、遡ろうとは考えていません、ただ、どこかの時点で、ある分岐を選んで(あるいは選ばされて)、今の英語・日本語に進んできた、と思います。その際、どういう選択・どういう影響で、選んだ(選ばざるを得なかった)のか、が知りたいのです。
2.<西洋のマネする必要ありません>
について、この質問に関しては、真似をしたいと思っていません。英語の方が、日本語を見習って分かりきったIやyouを省く方が良い、と内心思ったいます。



1.

お礼日時:2016/02/15 09:58

>誤解が生まれる余地は、まず考えられない状況でも、Iやyouを律儀に使うのですね。




あなたは恋愛とかしたことが無いんですね

彼女(彼氏)に対して、愛って言いません
かならず愛してる、って言います
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この回答へのお礼

折角の回答ですが、わかりません。

お礼日時:2016/02/15 09:58

聞いた話ですが、アメリカでは毎朝妻に「愛しているよ!」もちろんアイ・ラブ・ユーと言う必要があるとか。


それが無いと、離婚話になっても何の不思議も無いらしい。
井の中の蛙大海を知らず、じゃあ無いが、知らない物は、当人にとっては存在しないのと同じ。
それと同じで、主張してなんぼの合理主義のもとでは、言わなくても分かる、はあり得ません、言わないのは、無いから言う必要がないんです。
愛しているよ、を言わない、何故、そんな実体が無いから言う必要がない、と相手は理解します。
また愛している私が存在しているから言う必要があるんです、私を主張しなければ、誰が愛しているか、の誰か?の存在が無くなるのが合理主義の文化です。
直接の当人ではありませんが、警察で苦情めいた話をしたとき、そばに来た警察官が警察官全体を弁護するつもりで、「貴方にはちゃんと権利はあります・・・」?、日本人はこれで満足するみたいですね。
権利なんて、主張して、行使して初めて、なんぼ、なんですがね、ある!だけでは屁の突っ張りにもなりません。
基本的人権、否定する人はいないと思います、つまり、みんな持っていますが、主張の機会も無く、ましてや行使なんて・・・、で惨めな思い、果ては死に至った人も少なくないと思います。
余談になります。
寒くありませんか?、全然、丁度良いです。
全然+肯定形の例としてNHKのテレビでやっていました。
私の解釈は、全然(寒く無いです、心使い全く無用です)、(暑くも無く)丁度良いです。()内が省略されていると理解します、そして全然は寒く無いと共に、心使い無用と感謝の気持ちもこもります。
西洋の人の場合は?想像ですが。
寒いなら、寒いと言うはず(言ってなんぼの文化)、尋ねる当人が寒いと感じなければ、「寒くありませんか」、の心使いは最初から無用かも?。
でも、敢えて訊かれたら?、ノー、寒くありません、だけで「全然」は使わないかも。
オット、イエス、ノーも日本と使い方が違いますね、この場合「ノー」で正しいかは自信がありません。
接待、西洋でも同じ意味の言葉、行動はあるはず、日本でも四国遍路では、「おせったい」がありますが、あえて「おもてなし」を使うのはなぜか。
表題の「なぜ」に直接の答えはどうかと思うが、敢えて言うなら、1本の線の国境のすぐ向こ側は隣国、と国境らしきものはあるが、その向こうは隣国ではなく公海、そんな違いのある国に根付いた文化、それに付随する言葉ということになるのかと。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
<主張してなんぼの合理主義のもとでは、言わなくても分かる、はあり得ません、>
なのですね。日本人にとっては、言外を察してくれよ、となるところですが、コンビニの応対マニュアルのように、全てを表現しなければならないのですね。
当たり前とはいえ、言語はその社会(歴史や地理)と密接に融合しているのですね。

お礼日時:2016/02/13 22:12

英語圏での「You」や「I」は、日本人には無色透明と考えたほうがいいのです



英語圏では目の前にいる人なら、誰でも「You」と呼んでもいいのです
会話の中でなら、先生にたいして「You」と呼んでもいいですし、大統領にたいしても「You」と呼んでもかまいません

幼児がお母さんのことを「Hey You!」と呼ぶこともありますしおかしなことではありません

しかし日本で相手を呼ぶ場合は、相手と自分との関係や上下関係などで変わってきます

生徒が先生に呼びかけるときには「先生」とは言いますが
先生は「生徒」とは呼びません

社員はボスに対しては「社長!」と言いますが
名前では呼びません
名前で呼んだとしても「◯◯社長」と
かならずうしろに役職をつけます

お兄さん、おねえさんは普段つかいますが
弟さん、いもうとさんとは言いません

日本には上下関係がこまかいところにからまっているのですね

つまり
日本では、自分の呼び方や相手の呼び方は、つねにお互いの関係性が要求されているのですが
英語圏では人間がお互いに対等な関係なのです

ここらでむずかしいことは省きますが
英語圏では一人でいても「I」は存在しますが
日本では、先に書きました対象がないと自分の存在感がないので
私なのか俺なのか僕なのかわかりません
(だから、なぜかは省きます)

だから
日本の「愛している」は、そこでもう立場が出来ているので「私は」や「あなたを」を省略してもいいのです

しかし
英語の「I Love You」は、お互いが対等な関係なので、もう一度確認のために「I」や「You」が必要なのです
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
<英語圏での「You」や「I」は、日本人には無色透明>
で、わかりきっていても手軽に使うのですね。一方、日本人・語では、
<相手と自分との関係や上下関係など>
が重要な影響をもっており、「あなた」や「私」を安直に使えず、使うとすれば、ぴったりとした「私」「俺」「僕」などを使うのですね。

お礼日時:2016/02/22 15:42

日本語でも、特殊な場合は、わかりきった語を使います。

「表彰状 あなたは、、、、ここに表彰します 平成、、、内閣総理大臣、、、」

I love youは My hands caress your body ではなくて、「あなたを愛している私という存在がある」or「私が愛しているあなたがこのヒトである」「あなたを愛おしく思っている状況に私はあります」のような意味です。存在の状態を表現している、一種の修飾、関係節的説明です。
 (広い世の中には、日本語と違って)用言は接辞を伴って使うことになっている言語があるんじゃないですか。 フランス語のJeなんぞは、日本語の名詞の私と同じではないと考えた方がイイらしいです。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9 … 動詞が格変化するなどのことも、そうしたことと関係してるんでしょう。You love me. I love You. He loves her. She loves him. 述語と名詞がそれぞれ独立して存在し、それらを組み合わせると意味が新しく作られるというものとはかぎらないのでしょう。 そうであれば、動詞だけ使用する(愛してる!、愛してる?)という感覚は、英語を日常語にしているヒトにはぴんとこないでしょう。 
日本語で、君は彼女を愛している/彼女は彼を愛している。も可能になっているのは、日本語の動詞はそれだけで十分に独立性が高くて、行為、行為主体や客体、状態や概念定義、名詞と動詞の関係説明をするときには、は・に・を・へ・がなどを使えば、どの位置にも配しても、日本語だと問題ないという状態です。しかし、そうなる言語は少ないのでしょう。 訳語としては、愛する・愛でる=love なのでしょうが、語の持っている役割や語の用法が、言語圏で異なるので、ただ置き換えて同じ用法でないと疑問を出しただけでは、どうにもならないという面はあるでしょう。

英語で、冠詞a・an/theを使い、日本語では某・或る・その・この・あの・先の・例のなどは使わないことが多いのは何故かと問題にされても、名詞の用法が違うんだとしか言いようがない。「家康が江戸に幕府を開いて」と「何か臭うからあなた窓を開いて」と時制を気にしてないようになるのは何故かと問題にされても、そういうように日本語は使うんだとしか言いようがないでしょう。
  ~~~~~~  ~~~~~~
言葉の使い方が気になるのでしたら、とりあえず、テレビドラマを見て聞いて、小説やアニメ、さらに新聞や論評、科学や経済などの解説書をたくさん読んで、どのように言葉を使用するのが"現在の身のまわりの日本語"なのかを自分で観察し、見直して考察するのが一番です。

言葉は、その社会で生きて使われるのです。方言もあれば、仲間内の言い方、訪問時や公式な場での言い方、文章にする場合の構成法や用語の選択も様々に違ってくるので、それを習得するしかないです。 時代によっても、言葉は変化します。 英語だって、単一の言葉ではないです。 時代と地域、社会階層や職業集団によっても変わります。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%B1%E8%AA%9E …
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この回答へのお礼

他の質問に引き続いて、ご回答ありがとうございました。
じつは、この質問は、英語カテに投稿するつもりででしたが、手違いでこのカテに提示してしまいました。時期が来たら、英語に関心の強い方が集まっている英語カテにも、同じような内容で、再び投稿するつもりです。
<日本語でも、特殊な場合は、わかりきった語を使います。>
たしかにそうですね。I love youのIは、単なる私でなく、また軽い意味の私でもなく、”この”わたしなのですね。各言語は
<ただ置き換えて同じ用法でないと疑問を出>
すわけにはいかない、の承知しています。しかし、重箱の隅を突っくようにして、疑問点を解決してゆくと(実際には、識者に教えてもらうしかないのですが)、その狭い点から、思いもかけない広い青い空が見えてくる、のが楽しみです。
博識であるmoto koukousei様には今後も宜しくお願いします。

お礼日時:2016/02/13 21:52

日本語ではひ一つも複数も、ものを表す単語は同じ、英語では複数形なんてありますね。


生き物に限らず、無生物の物にまで、男性、女性の区別をつける言語もあるらしいです。
会話も、ビジネス文書も法律の文書も、ほぼ同じ感覚で作成できます、文学作品はどうでしょう?、ひょっとしたら可能かもしれません。
言語だけの問題でなく、それが西洋合理主義につながります。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
他カテでも、お世話になっております。
<西洋合理主義>
によるかもしれないのですね、わかりきった、疑問がまずないことでも、念を入れて誤解されないように、表現する、ということですね。

お礼日時:2016/02/13 19:25

言語の違いと言うことでしょうね。

と言っても外国語などほとんど知りません。少しだけ習った英語も時間を掛けた割にはほとんど分かっていません。というわけで、ちょっと面白い話を引用しておきます。引用元は「日本語に主語はいらない」(金谷武洋)からの孫引きです。伊丹十三という映画監督がいました。この人が「パパ・ユーア クレイジー」(W.サローヤン)を翻訳しました。その時、「わたしはこの小説を翻訳するに当たって、一つのルールを課すことにした。すなわち、原文の人称代名詞を可能な限り省略しない、というのがそれである」
 その結果は惨憺たるもので、日本語と呼べる代物ではない、と金谷は言います。
(甲)「ママは車で送ってくれると言ったがパパは断った」
(乙)「僕の父は、われわれを僕の母の車で送らせようとはしなかった」
(丙)「僕の父は、僕の母に、彼女が僕と僕の父を彼女の車で送ることを断った」
 (甲)は「登場人物の性格を伝えるために」伊丹が拒否したものである。そして(丙)は伊丹自身がそう翻訳すると予告したもの。 (乙)は実際に本になった時の文。
 (丙)をみると、「なるほど、英語だったらこう書くかなあ」と思います。「僕は僕の手を上げた」というのを日本語の立場からみると、少し滑稽にも思われ、他人の手や犬猫の手だったら区別する必要があるけど、自分の手など単に「手」と言えばいいのにと思います。しかし、そこが言語の違いです。要するにこんなにしばしば使われるから、「I・my・me」の一系列だけで十分であり、それに対して日本語では「主語」が省略されることが多い上、主語は不要だと主張する人もあるとおり、所有格に相当する場合は、「パパ」と言えば他人の父ではないと分かっているため、使わない分使う時にはいろいろ変化をさせたい時があるわけです。もっとも、実際に使うのは「わたし」「僕」「おれ」(男性の場合)に限られていますが。
 外にも言語の違いはあり、英語はそれほどではありませんが、ラテン語系の言語は「格変化」が多いのですが、日本語ではその役割を「格助詞」が引き受けていたりするのですから、多分世界の言語はいろいろな性質のものがあるのでしょう。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
「日本語に主語はいらない」は、以前読んでいましたが、内容はほとんど思い出せません。目的を抱いて、再度じっくり読んでみます。
日本語のパパは、単なる父でなく、その家庭などまで含んだ表現なのですね。すなわち、おそらく呼んでいる人は、子供である、などを、他の単語を使わず表現しているのですね。言葉は、
<役割>
をあからさまに表に出しているものもあれば、他の単語の中にこっそりと忍ばせているのもあるのですね。
<多分世界の言語はいろいろな性質のものがあるのでしょう。>
ですね。

お礼日時:2016/02/13 10:10

>”I love you” において、なぜ、Iやyouを使うのですか?



loveだけだと、何かわからなくなるから
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
不思議なことに、男女二人しかいない状況で、誤解が生まれる余地は、まず考えられない状況でも、Iやyouを律儀に使うのですね。

お礼日時:2016/02/12 17:12

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