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「人間どうあるのかという現実」か
「人間はどうあるべきかという真理」か。

このカテで、しばしば見受けられる議論ですが、さすが哲学カテ、
極めて重要な点ではないかと思い、私なりに思索をしてきました。

まだ、私自身理解が不十分なところがありそうですが、今の私の
理解では、この両者が「対等」であるということが良いのであって
どちらかに偏ってはならないと考えています。

皆さまのご高見を賜らば幸いです。

質問者からの補足コメント

  • 非常に重要な問題だと考えますので、
    様々な人の意見があるとおもしろいと思います。
    ここでは、「分かりやすいバージョン」としてやり取りで
    きたらいいなと思います。

      補足日時:2016/02/29 23:05

A 回答 (18件中1~10件)

対立関係じゃないと思うんですよ。



「人間はどうあるべきかという真理」というより、「人間はどうあるべきかという理想」と捉えると分かりやすくなるようにも思います。
その上で申し上げるなら、「人間はどうあるべきか」に思いを致さないまま「人間どうあるのかという現実」を見ようとすることに、どんな意味があるのか?
という気がします。
「人間はどうあるべきか」という理想についての模索を無視したまま、「人間どうあるのかという現実」に重点をおくからこそ、トランプ氏のような発想になるのでしょう。
「移民・難民は国民の雇用悪化につながる」という「現実(のみ)」を重視するから、「それにどう対応すれば良いか→壁を建設してでも流入を止めるとよい→そうだ、そうだ!」という思考過程になる。
「人間はどうあるべきか(という理想)」を模索しようという発想すら介入する余地が乏しくなるのは当然です。

こうした考え方を是とするのは、保守派じゃないですかね。
トランプ氏が不動産王であるように、現状を変えたくない人は、このような発想になりやすい。
現状を変えたくないというのは、(広義での)既得権益を守りたいということにすぎないのですから、「人間はどうあるべきか」などと考える必要性も特に感じないわけです。
たとえば、貧乏人は貧乏になった人の自己責任であり、そんな人が豊かになる方法を模索するより、貧乏人という現実を前提に(放置し)しつつ、それなりの生き方を探ること、あるいは利用することが大事だ、といった思考過程にもつながることでしょう。大雑把に言えば、これが共和党の姿勢。
必然的に、現状を変えようとする意図は、ほとんど無いか、後回しになる。

たしかに、「現実を無視した理想」は絵に描いた餅、机上の空論です。
ただ、だからといって「理想を無視した現実」が良いということにはならない。
人という現実について考えてみれば、本能(欲望)・自我(現実対応)・超自我(理性)といった3つの要素で構成されていると考えることができると思います。
「人間どうあるのかという現実」は、自我が主導権を握った視点です。
「人間はどうあるべきかという理想」の場合は、超自我の介入が必要になる。
どちらも重要な要素ですが、我々は常に自我を発揮した状態で現実社会に生きているわけですから、これを重視すると言うだけでは、[本質的には] 何も考えないのと同じことになるでしょう。
そもそも、
「人間はどうあるべきか」という理想についての模索は、「人間どうあるのかという現実」に立脚しない地点で考えることは(我々は現実世界に生きているのだから)不可能なわけですから、殊更、現実現実と言う必要性はないのです。
仮に、「現実を無視した状態での理想」というものがあるとしたら、それは単に、「現実」に対する認識が誤っているだけにすぎない。
あるいは、表面的にしか現実を見ていない、というだけにすぎない。
これは、思考に対する姿勢の問題であって、「人間はどうあるべきかという理想」を重視するので「現実を無視した状態での理想」が生まれるわけではない。
ここを勘違いして、だから現実重視が良いと考える人はいるかもしれません。

結論としては、
「人間どうあるのかという現実」を見据えることを前提にした上で、「人間はどうあるべきかという理想」を模索することが大事、ということになるでしょう。
重要なのは、
▼「人間どうあるのかという現実」を見据えること▼
は、あくまで前提にすぎず、
▼「人間はどうあるべきか」についての「理想」を模索すること▼
が目的である、という点。
そして、そのような模索を繰り返す過程で、少しづつ「人間はどうあるべきかの真理」に近づいていくことを目指すのが自然な営為ではないかという気がします。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「対立関係ではない」のですが、対立軸になっており、しかも「現実派」
に簡単にひねりつぶされそうな危機感を持っています。
そうした意味で、今回のアメリカ大統領選はかつてない興味をもって見て
おります。

仰ることに概ね同意いたします。特に「既得権益を守るため」に理想とか
改革を認めたがらないという世相があるということについては、強く共感
します。

既得権益を持つ人間のみならず、そうでもない層の人々も「今ある位置を
失いたくない」という心理が強いように思います。その表れの一つが、「
変わって人を排斥しよう」という風潮なのでしょう。

こうした世相の背後にあるものが、現在の消費文明の限界であると思いま
す。
科学の限界はもう何十年も前に、露呈されているのです。
資源は枯渇するのです、いずれ。地球環境の変動あるいは汚染によって、
食料、水などもどうなるか未知数でしょう。人の住む土地もしかり。不足
すれば、奪い合いになるしかないでしょう。

そうなれば、もはや「理想」の入り込む余地はないでしょう。そうなる前
に「何とかしたい」と、我々「理想派」の人間たちは主張したくなるとい
うことですね。

お礼日時:2016/03/05 15:29

未知のものに対する恐れは感じますが、人間に都合の良い神を信じるつもりはありません。


一般では、神は人を越えた存在と、考えられていると思っています。
人の言った言葉を引用、伝えただけの人を神呼ばわりする人って、どんな位置にいることになるのか、他人の事ながら気にもなり心配すらします。
つまり、神は人を越えた存在、とするとき、神を人の位置まで下げたなら、相対的に下がる元の人はどんな位置になるのか?。
>大人になってからいらっしゃい
そのようですね、どだい格が違っているようです
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>いきなり神目線なんだ


ふーるいことわざの引用ですよ、つまりはるか昔の人間のいった言葉ですよ、私はその中に真理?に近いらしきものを感じただけです。
それが、神目線に見える方こそが問題?。
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この回答へのお礼

はい、おしまい。
大人になってからいらっしゃい。

お礼日時:2016/03/11 09:05

№6ですが あらためて ひと口メモです。



つまり 政教分離という決まりがあります。

これなどは 《教》としての《あるべき理想(当為)》を政治ないし公
共の務めにあっては 押しつけてはいけないし持ち出してもいけないと
いう取り決めです。みんなが認め合っています。

では 公務ではなく民間どうしの話し合いでは 《べきという理想》を
持ち出してもよいか? 自由に理想論を推し出すことが出来るのか?


そうして ぎゃくにひるがえって 人間はみな平等であり 表現の自由
が――ほぼ無条件で――みとめられている。

実際には そのような自由や平等は 軽んじられている場合がしばしば
のようですが だとしたら この取り決めは 理想論か? ただの理想
論か?

というメモでした。
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この回答へのお礼

ご回答というか、いきなりここで「政教分離」を持ち出した
ということは、どうせ魂胆があるんでしょう。

そして、「ひとくちメモ」だなどと但し書きをつけて、こち
らに考えさせるという見え透いたテクニックを使っている。

今、ちょっと忙しいので、今回のお誘いは見送らせていただ
く。

お礼日時:2016/03/10 16:37

>仏教用語を使って虚無的なことを言う


真理、これこそが虚無であることにまったく気が付いていない
井の中の蛙大海を知らず。
知らなければ存在しないのと同じ
>自分の構想で物事を進めてゆく
学ぶのみでば暗く、習うのみでは危うい、虚無と決めつけ習うことなく、偏った自分の構想のみのなんと危ういことか・・・。
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この回答へのお礼

君に質問だ。
君は何故、いきなり神目線なんだ?

お礼日時:2016/03/07 13:30

>人間がずるくなって、裏切られてばかりだから


「真理も糞もねえ」って、「真理」を恨んでい
るんじゃないの?
なんと、なんと、のたまう薀蓄に対し是ほぞ俗っぽいとは!。
これって真理なんかでなく現実ですよ、真理の何たるかもわからず真理云々ですか。
もちろん私にもわかるはずありませんので、恨みたくても恨みようがないんですけど。
恨みもなければ、恨みのないこともない、色即是空、空即是色です。
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この回答へのお礼

あなたみたいに、仏教用語を使って虚無的なことを言う人
はすごく多いね。
個性がない、つまり「コピペ」で満足しているのでしょう。

人間、自分の頭で考えて、自分の構想で物事を進めてゆく
のが楽しいのよ。
そうすれば、自ずと個性が出てくる。グチもなくなるし、
人に絡む必要もなくなる。おわかりかしら?

お礼日時:2016/03/05 08:24

人間である以上、真理云々は無駄なこと。


今だけ、ここだけ、あなただけ、真理、真実、正しい、絶対・・・・信用するに値せず。
人間である以上、屁もひりゃ糞もする現実、空に帰するを選択するならどうかは・・・?。
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この回答へのお礼

人間がずるくなって、裏切られてばかりだから
「真理も糞もねえ」って、「真理」を恨んでい
るんじゃないの?
「屁も糞も真理」。「真理」に包まれて生きて
いるんじゃないだろうか?

お礼日時:2016/03/04 11:26

>>すると、何が残る?



何も残らない。はじめから何もないのだし、残す必要さえもありはしない。
そもそも、現実も、真理も、残ったためしはない。
現実や真理がどちらかに偏ることもなければ、偏ったこともない。

何かの目的やら思惑によって人が右往左往するがそれは好きにしたらいい。
「~である現実」「~すべき真理」はありはしない。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

あなたの「生命観」はやはり、かなり「虚無的」に思えます。

「何もない」といったって、意識とか実感はあるでしょう?
それに、死ぬまで生きるわけだから、その間を楽しくさせるた
めに、嘘でも「理想的」生きたほうが、というか「思い込んで」
生きたほうが、よくない?

お礼日時:2016/03/05 15:36

「人間どうあるのかという現実」②


「人間はどうあるべきかという真理」③
の前に「人間はどういう存在かという真理」①というものがあると思います。
その上で土台の方から①>②>③と並べて考えると
自然科学的に①を詰めながら
その①と②を突き合わせて無理のない範囲で浮き彫りになってくるのが
その都度その都度の時代の限界としての③
なんだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

いつも、スッキリ整理をしていただいています。
①②③の関係はよろしいかと思いますが、我々は
時代に対して、挑戦してもいいと思うのです。

時代に対して危機感をうったえる人が少なくなっ
ている中で、かの大前研一氏は強烈な警鐘を鳴ら
しております。

「人間どうあるのかという現実」という言葉の中
に、「そんなに頑張らなくてもいいんだよ」とか
「諦めたっていいんだよ」という悪魔の囁きが、
聞こえてきます。

お礼日時:2016/03/03 17:12

そんなの関係ない。


自分が何をすれば幸せか、それだけだ。
余命が長いほど、認識を深め、社会に貢献し、全体の繁栄の中に
自己の充足感を見出す必要が出てくるだけで。
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この回答へのお礼

はい、オッパッピー。
え?古すぎる?大変失礼いたしました。

一人一人が、「自律的」に生きれば、全体が繁栄するはずである、
とのお考えであろうと思います。そして、それは正しいと私も考え
ますが、現代人がそれをできるのかという問題があるでしょう。

その「真理」「理想」を実現するために、現実を見れば、「欲望に
振り回されている精神性」があり、「それを肯定しようとする思想
」を支持し始めているということがあると思います。

それらを、解決しなければ理想には届かない。理想を無視すれば、
人々のエゴはさらに解き放たれ、社会が繁栄してゆくことはないの
だろうと思います。そこに「理想」というものの存在意義があると
思います。

お礼日時:2016/03/03 09:41

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