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裁判員裁判になってから、求刑より重い判決が目立つようになりましたが、これは市民感情を反映させるためのものですよね。
ですから、法律で定められた刑の範囲であれば どのような判決をしようと問題ないと思います。
これまでが、検察官 裁判官を含め 犯罪者に甘すぎたのです。その反省から この制度ができました、そこを考えるべきでしょう。
犯罪者には 最高限度の刑を科し 出来る限り娑婆に出てこないようにすべきです。

みなさんは 裁判員裁判についてどう思いますか?

A 回答 (3件)

No.2です。



私は、それほど愛深い崇高な人間ではありませんから、

可愛い我が子を殺されたら、もちろん、殺し屋を雇っても

復讐しますよ。

我が子を殺されても、、指を加えて何もしない、、なんて

無慈悲な親ではありません。

とても愛深い方崇高な人なら、我が子や夫や、親など大事な人を

無残な殺され方で痛めつけられても

心も痛まず、加害者を許したまえ、、、なんて祈りを

するかもしれませんが、

私は、そんな素晴らしい人間ではありませんから

「目には目を」ですね。

私がバンベルスキーさんなら、とうぜん、クロムバッハを

自分の手を汚さず殺しますね。


と言っても、バンベルスキーさんも、娘を殺されるようなことを

前世で行っていたのでしょう。

前世では、バンベルスキーがクロムバッハの身内の誰かを

殺したので、今世で、クロムバッハから大事な娘を殺されたのでしょう。

バンベルスキーが前世で起こした殺人を今世で刈り取ることに

なったのです。

世の中には「偶然」ということはありません。

貴方の叔父さんも「偶然」交通事故に遭遇して亡くなったのではなく

叔父さんは、前世で、人を殺すようなことをしておられて

今世で、その罪を、交通事故という形で償ったのです。

「偶然」事故に遭遇したり、「偶然」路上で精神のイかれた人間に

殺されることなとはありません。

殺されるには、殺されるなりの理由があるのです。

人の人生が、一生が「偶然」などというもので決まってしまったら

人は、何のために生きているのでしょう?

ということで、私の一生の中で「殺されたり」「騙されたり」などの

不幸は近寄っては来ない、、と確信しています。

罪を犯したのなら(殺人など)、その罪を償うために自分の死でもって

償わせなければ、今度、生まれ変わった時、その殺人犯は、

罪の償いをしなかった、、、ということで

さらなる重い罪を背負うことになり、再び生まれ変わった時、

大量殺人犯になることになります。


人の人生は「縁」がなければ、殺したり、殺されたり、、に

巻き込まれることはありません。

前世で悪行を行っていたとしても、今世で人のために役に立つ行いや

人を助けることをすれば過去世の罪は消えてなくなります。

ということで、常に人のために、人が喜ぶことをして

社会の、人の為になる人生を送る人には不幸は近寄っては来ません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>我が子を殺されても、、指を加えて何もしない、、なんて無慈悲な親ではありません。
なるほど。では、kurikuricyanさんのお子さんが冤罪で死刑になったら、殺し屋を雇って 国家に復讐しますか?

>「目には目を」ですね。
同害報復の考えですね。↓のアンケでは kurikuricyanさんはどれを選びますか?
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/6511326.html

>世の中には「偶然」ということはありません。
#2さんが 神戸小1女子殺害事件について言及されていますが、 犠牲になったこの女児も 殺される理由があったと言うんでしょうか?

お礼日時:2016/03/23 09:56

ごく最近では神戸小1女子殺害事件において、地裁で死刑判決が出ましたね。


児童1人が犠牲になった事件の裁判員裁判で、死刑判決は初めてなんだそうですが、弁護側はさっそく控訴しました。
今回は、被害者が1人でも死刑の選択は十分に許容されるというものですが、この裁判員裁判の判断が上級審で覆れば、いわゆる「法律バカ」の理論をやっぱり覆せなかったことを意味します。
地裁レベルで裁判員の意向を加味した判決が、そのまま上級審でも継続されればいいのですが、必ずしもそうなっていないのではないでしょうか?
地裁は法律バカと呼ばれないための「ガス抜き」のような気がします。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/03/19 11:27

市民感情が反映された、なかなか良い制度だと思います。



神戸女児殺害の犯人にも死刑判決が出されましたね。

人を殺めたら、自分の命で責任を取る、、、。

そういう、当たり前の国にようやく日本もなり始めました。

弁護側は、すぐに控訴などしないで、「被害者側」の

立場を重視すべきです。

ただ、これも状況によります。

パワハラでいつも夫から暴力を受けていた妻とか、

子どもから虐待されていた親、また、その反対。

など、その暴力から逃れようとして殺害してしまった場合などは

考慮すべきです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>人を殺めたら、自分の命で責任を取る、、、。
これって 封建的、または 極道の考え方ではないですか?
人間の命は チェスやババ抜きとは違うと思います。
そう言えば、昔、私の叔父さんが飲酒運転の車で轢かれて死亡しました。
数日後、犯人は見つかりましたが、↓の様な遺書を遺して自殺していました。
「私は取り返しの付かない過ちを犯しました。どうせ、私は死刑にはならないし、死んでお詫びします。」
極道の落とし前なら これでも通用するかもしれませんが、法治国家においては 死刑に有無に拘わらず、然るべき法の裁きを受けることではないでしょうか?
ところで、クロムバッハ事件はご存知ですか?
http://www.afpbb.com/articles/-/2655195
フランスもドイツも死刑はありません。kurikuricyanさんが バンベルスキーさんだったら、殺し屋を雇って
クロムバッハの抹殺を依頼しますか?

お礼日時:2016/03/19 10:20

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