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江戸時代にいる老中って、誰が決めるものなのですか?

A 回答 (5件)

形式上は将軍が決めますが、実際は


先輩の老中や側近、場合によっては
大奥の権力者などが、権力闘争して
決めます。

老中になるためには、通常5万石以上の譜代大名という
規定があった。
しかし例外もあり、3万石以下の大名でも老中格から
老中になる例もあった。
また、実際に役職に就くのは不可能である外様大名でも、
願い譜代(外様から譜代扱いにしてもらうこと)の大名もおり、
おおむね側用人や京都所司代、
大坂城代など将軍直属の役職からなる大名が多かった。
(wik)

権力の集中、つまり独裁を懸念して、あまりに
大きな石高の大名は選ばれないようにしていました。
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先輩の老中や将軍の側に仕えている側近達が助言して決まる



2百年以上の期間に渡っているので、当然初期の状況と後期の状況とは異なる
初めの頃は将軍に決定権があるが、代が進むにつれて実質的な決定権は失われる

今時代と基本的な違いはなくて、出身となる家格とコネがスタート時点では重要と成る
で、特有のポストを歴任するというコースが存在して、最初は競争相手も多いが
その出世コースを歴任する中で、能力のない人間がふるい落とされる仕組みになっている

当然、能力だけではなく派閥に加わるとかコネを活かすとかそう言うのも重要なポイント

そうやって出世競争を生き残った何人の中から選ばれていく
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将軍だけど、その決定にはいろんな人の意見が入れられていると思います。


今の北朝鮮の将軍様よりも100倍ぐらいは優れたシステムだと思います。
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老中になれたのは、徳川家に関が原以前から家臣として臣従していた譜代の大名家だけで、外様や親藩は基本外されていました。

家柄が良ければ誰でもなれたわけではなく、その中でも一定の人物評価は考慮されたようです。
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そりゃ将軍でしょう。

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