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原爆投下は正しかったと思いますか?そうではありませんか?

すごく難しいです。
感情、道徳的に考えれば簡単だと思ったんですが・・・・・それで終わればとっくに世界は平和だしなぁ・・・・。


平和祈念式典に参加している人々の前で背筋張って正しかった!なんて言えないですけど、かと言ってひどいことをしてきたことを棚に上げて可哀想な被爆国って被害者ぶる感じもして、謝れっ!とかアメリカに大きなことも言えないです。

この問題には平和主義の考え方が関わってくると思うんですけど、違いますかね。
頭悪いのでわかりません。だけど、簡単に学校の先生の言う平和をすべて鵜呑みにするのは嫌です。教えてください。さまざまな意見が必要です。

A 回答 (66件中11~20件)

No.52で、


「中国空軍の上海無差別空爆、その報復として日本海軍航空隊の南京無差別空爆」
と書いたが誤りだったので次のように訂正します。

~~~~~~~~~~~~~
【訂正後】

1937年8月14日、中国軍機が上海の日本租界へ無差別空爆。日本領事館も爆撃された。
中国軍機による日本租界への無差別空爆に対する報復として、日本軍機は、1941年末から1943年にかけて、断続的に重慶の戦略目標に対する絨毯爆撃を繰り返した。絨毯爆撃とはつまり無差別爆撃である。

この期間、重慶における中国一般市民の死者は1万人ほどだった。しかし、その死因は、日本軍の空爆によるものではなかった。中国国民党政府(蒋介石政権)は充分な重慶市防御策を取っておらず、防空壕の不足や換気装置の不備による避難者の大量死などの事故もあり、おびただしい数の犠牲者が発生した。そのほとんどが一般市民であった。

1万人規模の民間人犠牲者が出たという事実は、日本が無差別大量殺戮を意図した非人道的行為として東京裁判で弾劾された。つまり、「中国国民党政府の失策による犠牲者」が、「日本軍の無差別爆撃による死者」にすり替えられた。さらに、米軍による、東京など日本の各都市への無差別爆撃や広島・長崎への原子爆弾投下の正当性の根拠としても悪用された。

いずれにせよ、第二次世界大戦では、どの国も無差別攻撃を
1.一般人を巻き込むことを目的として、故意に、あるいは、
2.一般人が巻き込まれるであろうことを予期した上で(未必の故意)、
行いました。日本軍も重慶の戦略目標に対して「中国一般市民が巻き込まれるであろうことを予期した上で」絨毯爆撃を行いました。
~~~~~~~~~~~~~
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正しくはないでしょう。


一般的な理由としては、軍人のみならず非常に多くの民間人が犠牲になっていること。それまでの兵器と比べ被害があまりにも大きく、かつ後の世代まで後遺症を残したこと。
これらを見れば戦争という無法地帯であっても最低限守られなければいけない一線を越えているのではないか、という疑問が生じるのは当然だと思います。
ひどいことをしてきた、といっても民間人、特に子供は直接的にも間接的にも何をしたわけでもありません。
そういう子供たちを犠牲にして正しかったなどというのは、やはり違うでしょう。

ただ私はそれ以前に、原爆投下はもっと普遍的な意味で正しくないと言いたいです。
原爆を無くせ、と言って、では他の爆弾は、銃は無くさなくて良いのか。核はダメで、ダイナマイトを投下するなら良いのか、という話です。
爆撃や銃やナイフで人を殺すのは一般的倫理観から見て正しくないというのと同じ意味で、原爆投下は正しくないと言いたいです。
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私は「現実論」とは、強者に媚びて現実の無法を追認したり、強者に媚びて事大する事ではないと思っています。





>感情、道徳的に考えれば簡単だと思ったんですが・・・・・それで終わればとっくに世界は平和だしなぁ・・・・。

「それら」は国どころか個人レベルで違うので平和になどなりません。
(そもそも感情は思考ですらありません)
「正義」の対義語は「悪」ではなく、「別の正義」です。



日本も原爆の研究をしていたという反論も過去の質問で出ています。
枢軸国も原爆の研究・開発をしていたことは事実です。
しかし、それによってアメリカの「原爆投下という行為」の評価は変わりません。

裁判とは個々の【行為】に対して【法】を唯一の根拠として評価するものです。
「相手もしただろうという『推測』」や、相手の違反行為を理由に、現実の行為の評価が変わる事はありません。

当時の条約では、毒ガス・細菌兵器の使用は禁止ですが研究・所持は認められています。
これは、相手が使った場合の対抗・報復手段(抑止力)や、治療法の研究の為に必要だからです。
ならば、原爆に対しても同様のはずです。



歪曲した論理で焦点を逸らしたり、無関係な薀蓄を語るような読解力のない真似はしたくないので確認させていただきますが、質問の主旨は↓でよいのでしょうか。

A:>原爆投下は正しかったと思いますか?そうではありませんか?

そして、その解釈は【大東亜戦争時の連合国の日本への原爆使用への評価】 でよいのでしょうか。
(→「原爆の開発史」や、「第2次世界大戦」とか「戦争そのもの」への考察ではない)


回答A:原爆は無差別に民間人も対象にしたものであり、戦争犯罪です。

日本の裁判所もそのような判決を出しています。

【原爆判決(下田事件、下田判決)全文】
http://www.geocities.jp/bluemilesjp/genbaku.html
(二、国際法による評価
 原子爆弾の投下は、当時日本国と交戦国の関係にあつた米国によつてなされた戦闘行為であるが、それは当時の実定国際法(条約及び慣習法)に反する違法な戦闘行為である。)


東京裁判は裁判の名を借りた戦勝国による私刑ですが、それには以下の「人道に対する罪(いわゆるC級戦犯)」が設けられています。

【国家もしくは集団によって一般の国民に対してなされた謀殺、絶滅を目的とした大量殺人、奴隷化、追放その他の非人道的行為】

↑の「C級戦犯」とやらの罪が認められるなら、原爆も対象になる筈です。


これらに対して、原爆に限らず戦勝国の戦争犯罪が裁かれない事に対して、戦争を勝敗という結果のみで評価して、「勝てば何でも許される」とか「降伏しなかったのが悪い」や「負けると酷い事をされる(だろう)からやってもいい」という意見も過去の質問ではありました。

しかし、それらの意見は「現状がそのような状態であると認識するに過ぎない事」と、「現実だから正しいと認めて思考停止する事」とを混同していると思います。

私は、後者の方が現実だけではなく未来に対しても目を逸らしていると思います。

更に、WW2は公平な第3者がいなかった為に、戦勝国の犯罪行為がスルーされたという異常な戦争であったという現実からも目を逸らしているとも思います。

そもそも、「負けるのがイヤ」→「勝てばOK」→「その為なら何でもする」 が許されるなら、
大量破壊と「再度の国際法の制定」のループを繰り返すだけになるか、無法な戦争ばかりになると思います。
そして、その「無法な戦争」は必ず大規模でより悲惨になっていくと思います。


それらを、「正しい事」として受け入れられる方は、私のような臆病者とは違って覚悟ができていて、中国様の自治区内での政策もそのように考えられる方なのだと思います。
「原爆投下は正しかった?」の回答画像54
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「中国空軍の上海無差別空爆」はそのまんまですが、日本軍の南京爆撃は無差別ではないと思います。



【支那軍の上海爆撃で犠牲者多数!1937年8月14日、支那軍機が上海国際租界のパレスホテルとキャセイホテルを爆撃】
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/4160 …

【第二次上海事変】
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-28 …
(夕刻、支那の爆撃機十数台は黄浦江に停泊中の日本軍の旗艦「出雲」に隊爆撃を試みるが命中せず、日本の高射砲や機関銃の猛射により一機は撃墜され、他の爆撃機は血迷って共同租界、フランス租界へところ構わず爆弾を投下して逃げた。このため無辜の市民多数が犠牲になった。

イギリス人経営のパレス・ホテルとカセイ・ホテルも爆撃され、外国人を含め、2百数十名が殺害される。
この中には後の駐日大使となるライシャワーの弟も含まれていた。

結局、空爆により計3600名あまりが死傷。)



南京が無差別爆撃された というのは、外国の報道機関の悪意による捏造でした。

1937年9月20日
長谷川清海軍中将は、予定していた南京爆撃について、以下の警告をしています。
「友好的な列強諸国民の生命と財産の安全は十分に考慮するが、より安全な地域へ自発的に移動して欲しい。
外国の軍艦及びその他の船舶は、下三仙のもっと上流に停泊して欲しい」

↑へのニューヨーク・タイムズの報道(9月21日付上海発信)
「日本が大都市としての、そして政府所在地としての南京を破壊し尽くし、この中国の十年に及ぶ首都の壮麗な新しい建造物を全て灰燼に帰させるつもりであることは、長谷川中将の『敵に決定的な打撃を与え、それによって戦闘の終結を早めたいと願っている』という宣言によってはっきり示された」

爆撃後の1937年
日本軍の南京入城時でも、市街は無傷で残っていました。(中国軍の逃亡前の放火を除く)

ソースは↓
【南京の爆撃・諸外国の報道(誹謗中傷運動)と現実(真相)】
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/1543 …
「原爆投下は正しかった?」の回答画像53
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No.50の続きです。



人間に生存本能があるように、国家にも生存「本能」があります。だから日本も米国も、互いに「勝とう、負けたくない」という気持ちで戦争を続けました。あたり前のことですが。

日米両国はお互い、武器の研究、開発及び製造をしておりましたから、戦争が長引けば新しい武器や装備が造られてどんどん戦場へ投入されます。

原子爆弾の研究もそうでした。日本は日米戦争が始まる半年以上も前、1941年4月に(対米開戦を念頭に)陸軍が理化学研究所に、同年5月には海軍が京都帝国大学に「原子爆弾」の開発をそれぞれ委託して始まりました(=原子爆弾の理論的可能性の検討を開始)。米国陸軍の原子爆弾開発プロジェクト(マンハッタン計画)は、1942年10月、大統領の承認を得て始まりました(=原子爆弾の理論的可能性は確認済み)。

米国は、外国の優秀な物理学者、技術者を多く抱えていた。1945年5月8日にドイツが降伏してからは、ドイツの物理学者、技術者を米国に連れて来て原爆開発に従事させた。同年7月16日、最初の爆発実験に成功した。同年8月6日、初めて実戦で使用した(広島)。

原子爆弾開発競争で日本が負けた理由は、
1.彼我の原爆開発資金の額に雲泥の差があった。米国の資金は、日本のそれの10倍よりも遥かに多かった。
2.原爆開発に携わる人材(物理学者、技術者)は、米国の方が質的にも量的にも勝っていた。


ところで、広島、長崎への原爆投下は無差別爆撃だからけしからん、戦争犯罪だ、という意見が多く聞かれます。ゆえに、原爆投下は正しくない、と言いたいのでしょうが。私も、基本的には同意するものの、人間に生存本能に着目するならば、米国の原爆投下は戦争の成り行きとして、やむを得ないことだったと言わざるを得ない。原爆投下は、法律的、道徳的正邪を論じるような性質の問題ではありません。戦争は勝つか、負けるか、です。

これは結果論ですが、ドイツが降伏した時、同盟国の日本も、同時に降伏すべきでした。それなら、広島、長崎の原爆はありませんでした。No.50で書いた領土のうちの南樺太、千島、太平洋の島々は失わないで済んだでしょう。在外資産も半分くらいは残ったでしょう。

それなのにドイツ降伏の翌日の5月9日、日本政府が、ドイツの降伏後も日本の戦争遂行決意は変わらないと声明を出しました。そのまま8月15日まで降伏の機会を失ったのです。

ついでですが、一般市民を巻き込む無差別爆撃について一言。

米軍の爆撃機は、日本の都市を空襲して無差別爆撃を行いました。1945年3月10日の東京空襲では、一晩で10万人が焼死しました。当時の戦争法(戦時国際法)に照らせば、明らかな違法行為です。

しかし実は、第二次世界大戦では、どの国もまじめに戦争法を守ろうとはしませんでした(日本を除く)。ドイツ空軍によるゲルニカ無差別空爆を皮切りに、中国空軍の上海無差別空爆、その報復として日本海軍航空隊の南京無差別空爆、欧州戦線ではドイツ軍がロンドンをロケットで空爆、ドイツ陸軍がレニングラードなどを無差別攻撃、ソ連軍や米軍がドイツのベルリンなどを無差別攻撃・・という具合でした。第二次世界大戦全体で、軍人の死者2500万人、民間人の死者4600万人(民間人のうち、戦争による餓死、病死は1600万人)です。

だから米軍は、日本戦線においても、戦争法を守る気は、ぜんぜんなかった。無差別爆撃はけしからんと、いまだに騒いでいるのは日本人だけでしょう。戦争は何でもアリ。負けたらひどいことになるのですから。現実から目を逸らしてはなりません。

以上、現実論者からの回答でした。
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世の中同じ価値観のヒトばかりではないということ、価値観が違えば最終的には争って権利、主張を勝ちとる。

そうやって人類は生きてきたわけだし、今後も変わらない。当たり前の事、それを認めないおかしなヒトも居るんですよね。
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>原爆投下は正しかったと思いますか?そうではありませんか?


>すごく難しいです。

米国が(厳密には、米国軍が)1945年8月に広島市と長崎市を原子爆弾で爆撃したのは、
1.法律的に正しかったと思うかどうか?
2.道徳的に正しかったと思うかどうか?


ぜんぜん難しくありません。

国家が戦争に負けるとどうなるかを考えれば良い。

第一次世界大戦で負けたドイツを見れば明らかです(ドイツは第二次世界大戦でも負けた)。ドイツは、パリ講和条約で戦勝国から天文学的な負債(戦争賠償)を強要されました。戦後のドイツ国民は、悲惨な生活が続きました。

第二次世界大戦で負けた日本を見れば明らかです。朝鮮、台湾、南樺太、千島列島、太平洋の島々を総て失いました。明治維新以後に獲得した海外領土のうち、残ったのは沖縄だけでした。領土権だけではない。それらの領土にあった財産と経済権益の全部を失いました。満洲国にあった財産と経済権益も失いました。

その上、日本の伝統的は制度、慣習、文化の多くが破壊されました。戦勝国(連合国)は日本人の精神にまで踏み込んで荒らしました。

日本が対外戦争で負けたのは、663年の「白村江の戦い」以来、二度目のことでした。(豊臣秀吉の「文禄・慶長の役」は、日本の負けではない。ドローです。)

つまり、国家の「本能」として、戦争をするからには勝たなければならない、ということです。最悪でもドロー(引き分け)に持ち込まなくてはならない。

ここでは、「法律」も「道徳」も、何の意味も持ちません。ですから、「原爆投下は正しかった」かという問いかけは、無意味なのです。
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「そんなもの」


知識や表現力の残念な者ほど多用する自己暗示の為の言葉。
それ以前の論理や説明が不十分であっても一言で結論を語ったつもりになれる。
(同レベルの周囲の者への催眠効果もある)


「原爆の是非(原爆限定)」への質問に「原爆だけを非難するのは間違い」と答えるのは、おかしくないでしょうか。


原爆を非難している人の理由の一つには、「非戦闘員を含む無差別な殺傷」です。
そして、その人たちは同じ理由で、日本への無差別な空襲も非難していますし、海外の戦地や沖縄での連合国の非道な行為も非難しています。

まともな知識のある人は、それらの裁かれていない連合国の戦争犯罪の全てを非難しています。
(何故か、これらの事を知らずに、原爆だけを非難していると思い込んでいる方が多いように思います)

原爆を含む連合国の戦争犯罪は、起訴さえ認められておらず全く裁かれていません。
日本の「戦争犯罪」については、東京裁判で冤罪や不十分な証拠や審議によって有罪とされ、処刑されています。



この問題では、原爆を非難している意見に対して、日本も多少の事はやっていた「筈」だから、原爆だけを非難するのは間違っているという言う方もいます。

しかし、そのように仰る方は、無知による思い込みや結果のみでそれらを同列に評価している残念な方だと思います。


連合国の原爆や空襲は「非戦闘員を含む無差別な殺傷」ですが、日本のそれらは限界まで配慮(軍事施設のみを狙おうとした)した後での、止む負えない結論でした。


東京空襲に対しては、日本軍による重慶や南京の爆撃を非難する意見があります。
しかし、私は以下の理由から、それらを騙る方からは無知か悪意しか汲み取れません。

ハーグ条約で空襲(というか攻撃)できないのは以下のような場所です。

1:防守セサル都市、村落、住宅又ハ建物ハ、如何ナル手段ニ依ルモ、之ヲ攻撃又ハ砲撃スルコトヲ得ス。

↑については、当時の東京は補給や兵站や物資の生産拠点であり、防衛の為の軍もありました。
なので、攻撃(空襲も含む)対象にすること自体は問題ありません。


しかし、連合軍は「イ」と「ロ」の【無差別】な空襲を行いました。
これは、以下の2~5の条約に違反であるとして東京裁判で指摘されています。(そして却下されています)

イ:作戦範囲の外周に焼夷弾を投下し、炎の壁を作る
ロ:イにより住民の避難を不可能にして、通常爆弾による爆撃を行う。

2:兵器ヲ捨テ又ハ自衛ノ手段盡キテ降ヲ乞ヘル敵ヲ殺傷スルコト
3:不必要ノ苦痛ヲ与フヘキ兵器、投射物其ノ他ノ物質ヲ使用スルコト
4:戰争ノ必要上万已ヲ得サル場合ヲ除クノ外敵ノ財産ヲ破壊シ又ハ押収スルコト
5:攻囲及砲撃ヲ爲スニ當リテハ、宗教、技芸、学術及慈善ノ用ニ供セラルル建物、歴史上ノ記念建造物、病院並病者及傷者ノ収容所ハ、同時ニ軍事上ノ目的ニ使用セラレサル限、之ヲシテ成ルヘク損害ヲ免レシムル爲、必要ナル一切ノ手段ヲ執ルヘキモノトス。


一方、重慶のシナ軍は民間人の居住区に高射砲台を設置するという、トンデモな条約違反を行っています。

【第1議定書58条】
「軍事目標近傍からの文民の移動・人口密集地の軍事目標設置の禁止」

【昭和14年5月25日の戦闘記録】
「この戦闘において挑戦してきた敵の4機のうち1機を撃墜したるも、市街の周辺特に江岸外人住宅付近より猛烈なる高角砲及び大型機銃の猛射を受け、わが1機もついに敵弾を受け、勇敢にも敵陣に突入して自爆した」

それらの兵器に対して攻撃をすることは合法であり、日本軍はそれに配慮する必要はありませんでした。
しかし、人道的な配慮から精密爆撃を心がけた為に多くの損害を出してしまい、最後はやむを得ず周囲を巻き込む攻撃をせざるをえませんでした。


南京の爆撃は以下の経緯で行われており、私はそれの目的が無差別な殺戮だとは思えません。

昭和12年8月13日:上海在留邦人を守備していた「日本海軍陸戦隊」に、「中国国民政府正規軍」が全面攻撃を開始。
日本海軍は、敵の根拠地を攻撃する為、首都南京の「軍事政治経済の諸機関」に対する空爆を計画。
「各国総領事に予告」をして、「非戦闘員に対する避難勧告」を行っています。



他にも、ありえない設定を創造して、
【日本が原爆を持っていたら使っていただろうから、アメリカを非難できない】
という意見もあるようです。

しかし、それは推測による言い掛かりに過ぎないと思います。

まず、アメリカの原爆使用が戦争犯罪であると主張している人たちの根拠は、「非戦闘員を含む無差別な殺傷」という【行為による結果】に対するものであり、「意志や目的」ではありません。

行為のない思考のみで裁かれるなら、憲法は「内面の自由」を認めていないことになります。


仮に使ったとしても、占領下にある太平洋の島の奪還の為だと思うので、アメリカ同様に「非戦闘員を含む無差別な殺傷」をするとは思えません。


以下の理由で、アメリカ本土に使う(使える)とも思えません。

日本の対米戦の目的は、

【「初戦の勝利に拠る早期の講和」→連合国に拠る対日制裁の解除と対中支援の中止→日中戦争の継続】

であって、アメリカの占領や植民地化ではありませんし、できるとも思ってはいません。

原爆をアメリカ本土に使用するには、ハワイを占領・維持する必要があります。
それができたとしても、巨大な原爆を積んでハワイ→アメリカ本土 まで無補給で飛べる爆撃機など、当時のどこの国も持っていません。
空母の艦載機の能力では原爆は積めません。
仮に積めたとしても、ハワイ~アメリカまでの制海権や制空権が必要になります。
その為には、その海域にどれだけの戦力を置く必要があるでしょうか。

そもそも、そこまでできるなら、原爆を使わなくても講和できます。

私なら、↑までして【戦争犯罪】を犯すなら、勢力下の無人島で使ってみせたりして、有利な講和の材料にします。
(戦力の最も有効な使い方は「そんなもの」です)



外国には、当時の日本軍なら簡単にできるだろうと思って下さっている方もいるようですが。
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原爆投下の是非ひついては、2つの点から考える必要があると思います。



一つ目は、「非戦闘員をも死傷させることの是非」です。
これは原爆投下に限らず東京大空襲でも起きていることですし、日本も大陸や太平洋への侵攻に際しては非戦闘員を死傷させていますし、戦争とはそのような犠牲も少なからず起きることと思います。
もちろん好ましいことではないですが、特段に原爆投下だけが非難されるものではないでしょう。

二つ目は、「大量破壊兵器を使用することの是非」です。
戦争とはある意味では、「科学技術、工業技術の競い合い」だと思います。
それぞれの国は、その国の持つ最新鋭の「科学技術や工業技術」を用いて戦闘に挑みます。
古くは、戦国時代にいち早く鉄砲を戦に取り入れた武将は強かったわけです。
近年になっても航空機はより早くより高くより遠くへ飛べる戦闘機や爆撃機を持っている国は強いわけです。
爆弾も同様で「より破壊能力が高い爆弾」を持っていることが有利であることは間違いないでしょう。
例えば、第二次大戦中に日本に制空権があり原爆およびそれを運べる爆撃機を持っていたとして、それを用いずに戦ったかといえばはなはだ疑問です。

ということで、原爆投下が正しいとか間違っているということではなく、「戦争ってそういうもの」だと思います。
それを問うのであれば「どんな事情があっても、『戦争は正しくない』かどうか?」が議論の対象となるべきと思います。
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実際に当時アメリカがどういう意図だったか日本が当時どういう意図で戦争していたか核だけが悪いわけじゃないから終戦して仲直りした時点で

謝罪しなくても意味としては解決してると思います
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