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初めて投稿させていただきます。

22歳の男です。

吐き出せるところがなく、ここで吐き出して皆さまのご意見、アドバイス等をいただければと思っています。

私には兄がいるのですが、兄が学校に行っておらず引きこもりでした。
もちろんそんな家庭が平和なわけはなく、いつも兄と親が言い争うのをみながら育ちました。

そして17歳の頃、父親が心筋梗塞で倒れ、もしかしたら死ぬかもしれないという時に家に帰ったら、その兄がまるで何事も無かったかのようにパソコンの画面に向かって笑っていました。

それから自分はこうはなるまい、自分の人生は自分で決めると決心し必死に勉強し、なんとか一流といえる大学に入り、今は自分の好きな勉強をさせていただいています。

これから自分の人生が始まるんだ、と思っていたのですが、その後も好きだった女性にひどい振られ方をしたり、どんどん人との深い関わりを避けるようになってしまっていると感じています。

もっと辛い人もいる、自分だけ弱音を吐くわけにはいかない、とは思っています。ですが自分が考えていることはほかの人とは違ってどこか周りと馴染めないと感じています。そして家族と仲が良く、いわゆる普通の人生を送っている人を見ると、なんで自分にはこんな普通のことすら経験できなかったのだろうと考えてしまいます。せっかく楽しいはずなのに泣きそうになってしまうこともあり、自分が得てきたものも、すべてが虚しいもののような気がして自分の人生についてネガティブに考えてしまいます。

もちろん世の中にはいろんな人がいて、その中には自分のような人もいるとは思うのですが、せめて楽しい時は心から楽しいと思いたいのです。

同じような辛い思い出をお持ちの方、そしてそれを乗り越えた方がいらっしゃいましたら、どうか私にも生きる知恵を分けてくださればと思います。

どうかよろしくお願いいたします。

A 回答 (11件中1~10件)

私は親と絶縁し、実家はありません。



今も乗り越えていませんが、ご飯も食べられ睡眠ができ、人並みになれました。

普通という言葉にこだわった結果、大卒へのひがみ、あなたに対してもひがんでいたかもしれません。
勉強が出来たのに、家庭環境が悪いだけで大学にいく選択肢も貰えず、実家も無くなりました。

ネガティブになります。
不安になります。
大変なことは腐るほどありました。

色々考え抜いて、
比較しないこと、吐き出すこと、吐き出すときは笑いにすることは心がけています。

あなたより私は勉強できるのになぜ大学にいけないの?
とあなたが言われたら
私のこと知らないですよね?
と言いませんか?

比較なんてそんなもんで、限られた表面的なもの見てるだけですよ。

苦労をどう活かすもあなた次第。
私は良い物は良いので盗む、悪いものは悪いので反面教師にしてます。

悪いもの若いうちにみれて得したぜ、みたいな余裕を持った人のほうが強いでしょうね

そういう意味では不平等ですよね。
苦労した人は反面教師にする材料沢山あるのに、普通の人には材料ないのですから。

結構は考え方!
と言うのは簡単ですが、参考になれば幸いです。
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>もっと辛い人もいる、自分だけ弱音を吐くわけにはいかない、とは思っています。


比較してしまうわけだね。
だけど、その比較法は少し変だ。
それは「つらい」というのは、あくまでも自分の感情なので、他人が同じような強さ、強度の「つらい」を感じてるわけじゃないってこと。
人それぞれ、性能が違う。
特性も違うから、感情の比較というのは意味がないんだよ。

>自分が考えていることはほかの人とは違ってどこか周りと馴染めないと感じています。
…だから、そうなってくる。
相手の色と、自分の色はそもそも違うんだから、違ってて当たり前だ。
そこのところに、今まで気づかないで来たんじゃないかな?。
自分の色で見て、相手を判断してきたから、相手の色の「意味」が分からないんじゃないかな?。
「どうしてそんな色を使うの?」って。

ひとつ、大事なことがあるよ。
それは「お兄さん」が、例えどのような人であっても、それは「血を分けた存在」である、という事実。
先にいったけど、お兄さんでも他人ではある。
だから君と違っているのは当たり前で、それは別にこだわるところじゃないんだ。
勉強を頑張ったとして、その理由として「お兄さんから離れる」ことをするのは、別段変なことじゃない。
理由としては変じゃない…だけど「同じ血を持つ兄弟」であり、共通する特徴を持っているということは、認めていかなきゃならないんだ。

そこが問題。
そこから君は逃れられていない。
だから「自分が自分じゃないような気がして」虚しいんだよ。

自分の中に眠っている感情を引き出されるのは、時には痛いものだよね。
だけど、それを成し遂げていかないと、曝け出していかないと、ずっとその悩みは付きまとうと思う。
例え、お兄さんが亡くなったとしてもだよ?。
それでも、決して消えるものじゃないんだ。

嫌なところを探さないことだよ。
自分と共通の場所で、自分が好きなところがあれば、それだけでもいい。
お兄さんがどのような人物であろうとも、それはそれ、君と直接関係はない。
お兄さんは君ではない…だからこそ、愛せる可能性もあるんだ。
離れた存在として、自立した存在として見られないと、ずっと真実に行き当らないぞ?。

馬鹿だと思おうとも、嫌な奴だと思おうとも構わないんだ。
それは自由だ。
ただ、嫌うだけでは、絶対に彼の真実にはたどり着かないし、君の中のわだかまりも永遠に溶けはしないよ?。
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>人生が不平等に感じてしまう


個人が一生懸命頑張っても評価するのは他人なので不平等になるのは
当たり前です。
努力し学ぶのは何のため、自分の自己満足のためです。
自分を高めて生きる目的を追い続ける。
私は人の10倍努力し成果を残してきたと自負してきましたが、上司と
考え方が異なり左遷左遷で給与は同期の最低額でした。
でも私は自分を評価しているし、まだ学びたいと思って努力している。
評価されないのは私の努力が足りないからです。
どうすれば評価を得られるかはわかっています。 評価者の好むことを
すればいいだけです。
あなたに自我があれば評価を気にせず、継続して能力を発揮してください。
必ず評価してくれる人は存在します。 後輩や部下に尊敬されるのは賃金
よりも嬉しいものですよ。
家庭不和のせい、兄弟のせい、恋愛相手のせいなのでしょうか?
守りに入ると「自分は頑張っているのに他人が足を引っ張る」とうまく
いかないことは他人のせいにするようになります。
まだ努力が足りないと考え、今何が出来るか行動して結果を出しましょう。
家庭円満で何不自由せず育った、おぼっちゃま、おじょうさまが何が出来ますか?
世に役立っている人達はあなたのような試練を乗り越えた人達です。
試練があるから更に成長出来る。
あきらめないで。
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人生山あり谷あり、運なのですよ。

私は中学のころくせ毛で似合わない髪型にされたりして、縮毛かけて髪がチリチリになって、いじめられてました。
でも、高校から髪が綺麗になって、好きな人に告白して、人生で初めて付き合えて、周りの人にも可愛いともてはやされて
人生easyだなぁ、とかタカをくくっていたら一気に転落しましたよ。そんなもんです。でもやっぱり、自分が悪かったから転落したと日々痛感します。人との関係は宝です。そこをテキトーにしている人は、遅かれ早かれ自滅します。
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そうですね、吐きだせたらと思います。



>もちろん世の中にはいろんな人がいて、その中には自分のような人もいるとは思うのですが、せめて楽しい時は心から楽しいと思いたいのです。

私が私でいられるとたのしいときはたのしいのです。
自分の感じ方を表現するときに、他人がでてくるのは、自分と他人の境界がおかしくなっているときです。


そうですね、強いて言うなら、自分の気持ちってものに捉われすぎていないか、チェックしよう・・かな。
人間は、アナログな生物ゆえ、身体機能には抗えないのだという悟りですかね。
身体機能=経験⇒感覚⇒感情=我思うゆえに我、だけど。
他人に思う我、で、自己否定する。
自分や他者のどこを重要に見るかは人それぞれですが、
人は、過去現在未来、時間が変わっても、事柄や対象者が変わっても、
自分を毎度、繰り返して生きていると思います。

そこが腑に落ちると納得できると思いますが、
そういう自然の感情に、他人の価値や思考で抗うと、ポジティブになろうとしてなれない自分を否定します。
機能を理解すれば否定する必要もなく、ネガティブを受け入れる方を選べると前向きに近くなることを
知りました。
諦めも大切ですというと誤解を生むのですが、今の状態でのいきなりの諦めは気休めにもならない程度。
諦め方色も、試行錯誤したうえで、理解したうえでの諦めは別ものです。
諦めのおかげで前に進むことも可能なのだという気づきもできます。
自分を知ることは、自分の考え方、生き方になっていくのかなと思います。

感情に訴えて回答することもできますが、
感情は曖昧なものと分かっているので、
一時しのぎであることも理解しているので、あなたに対してはしたくない。

もっと根本的なところで、
日々とは、新しい時間なのですが、
過去を引きずって生きる定めの人間は、新しい経験をどのように理解していくものなのかという機能については
それまでの私の経験優位、感情優位なのです、それが自然体です。

自分の感情というものに流され続けている限りは理解は増えないので、そのような自分を繰り返すしかないですが、
自分が気づけば、少なくとも前とは変わります。
自分に応じて変わるテキトウで曖昧なもの。
何故か、なかなか人は自分を俯瞰できません。
前向きになることが良いことだと分かって、そうしたくてできないのも、過去の経験上学んでいるから。
それを目指したくても、自分にとってまだ一応の自己理解が出せていないゆえ、気持ちはそのまま顕われます。
不幸な自己理解は変わらないにせよ、自分史上、不幸体験を上書きに値する経験をしていない以上、それ以降の経験の場ではネガティブにならざる負えないのが自然なあり方なのです。

仮に、すでに、悲惨な問題から離れて生活しているとしても、自分のこころの世界に悲惨と刻まれた経験は
噛み砕かれて、あれが有るから今の私がいる、と納得する部分があると
それからの社会や集団に「馴染めない私」は減っていく実感があるはずです。
経験はこころの世界にしまわれて、それらが引き出されるように感じて当然なのです。

今の私は、経験上ネガティブになって当然と理解する。
否定せず、受け入れる気づき、ですか。
受け入れる方向に自分を運んでくためには、一つは自分を真摯に語る場があるといいな。
その経験がどのような私をもたらすものか。
素敵な出会いを経験させてあげる。
無心になったり、よく眺めて、俯瞰する気持ちを養成するようなことをするのが良いと思います。

過去からの私を含んでいる、そういう今の自分を否定したり、逃げ続けないないようにしようと
過去の家族の経験での不満足状態に、これからは新しい経験でも自分を変えていくことが可能なのだと
いう気付きが重要だと思います。
そうすれば、自分に必要な経験とは、何だろうと考えることができると思います。
再生、生き直しの経験をさせてあげようと、今後の課題に設定できると思うのです。

そのときの小さなネガティブな自分の気持ちが、これからの自分の選択を左右するのですから、
ネガティブさを否定すればポジティブは遠くなります。
受け入れは、弱みが強みにもなり得ることに気づけます。

世の中を眺めるときは、実体と実態があり、
自分の感じ方、見え方というのは自分の経験というメガネを通した実態。
実体のほうは動かないまま、良いも悪いも要らない世界。
実態は、今の自分によって見え方が変わる、自分のこころの世界ですね。
経験によって見え方が異なっていくという理解ができるならば、
今後どのような経験をするか分からない今の時点では実態は変更可能ということにもなる。
不安は不確実なものでもある。
気持ちや感じ方の虚像に捉われすぎず、脇に於いて生きていくことができると思うのです。
読みづらく申し訳ないです。
他人は自分を映す鏡。
鏡には中身まで映らないから。
自分は普通の経験はしていないと感じるとして、自己否定しなければ、その後、
他人が経験していない経験をした自分の強みを思ってみると思う。
そのような自分を大切にしたい。
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>せめて楽しい時は心から楽しいと思いたいのです。



これってさ、結構残酷なのよ?
時として他人からはそれこそ質問者様の兄のように見える場合も多々あります。

例えばいじめなんかはそんな感じですよね。いじめられた方はその後の人生にまで暗い影を落としますが、
いじめる方はその瞬間は実に楽しそうじゃないですか。何処の研究機関だったか忘れましたが、
一度もいじめられた事がないいじめっ子が、一番健康的に人生を全うできるって統計も出たくらいです。

というか、他人を蹴落として自分だけが幸せになるって、大半の人は心地いいものです。
だから人は揉めてしまうのです。大抵、幸せの下には沢山の不幸があるとおもってます。

逆に人のそういう部分を兄を通じて知ってしまった質問者様だからこそ、自らが幸せな時に
さらに下の人を考えてしまうのだと勝手に考えます。やさしくなってしまったのです。

知恵と言うほどではないですが、そんな自分自身になったのかも知れないと理解するのも一つの考え方かと思います。
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たぶん君は人生の後半にツイてくる。

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「それから自分はこうはなるまい、自分の人生は自分で決めると決心し必死に勉強し、なんとか一流といえる大学に入り、今は自分の好きな勉強をさせていただいています」


⇒それはいいことですね。

「好きだった女性にひどい振られ方をしたり」
⇒もしかすると、あなたは自分だけ勝手に好きになっていませんでしたか。
恋愛はお互いの合意が絶対的な基本です。
どちらかが気持ちにズレが生じたら、それは諦めなければいけません。
それは当然なことなのです。

世に中、どんなに努力しても自分の思うようにはなりませんからね。
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同い年ですね〜。


もっと辛い人もいるなんて考えない方がいいですよ。あなたの辛さを他の人が肩代わりしてくれるわけじゃないんだから。お兄さんにもお兄さんの苦しみがある。

他人の家族って見えません。友達の家族がどんな人か、友達がどんな家庭で育ってきたか正確に分かりますか?多分わかりませんよね。あなたの友達も、あなたの家庭の事情なんて深く知りません。みんな他人がどんな育ち方をしてきたから知らないんです。知らないけど、表面上は明るく生きてる。

あなたが言うところのいわゆる普通の家庭に生まれた人も、ひどい振られ方をする人はいます。経験上ひどい振られ方をしている人は距離感がおかしいんですけど。コミュニケーションは経験です。自分の知らないコミュニティの人とうまくコミュニケーションが取れないのは当然です。経験を重ねましょう。
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幼い時から父の浮気、離婚。


その後母親からの暴力。
新しい男を連れ込む母親。
母親と祖父母の不仲。
母親のパチンコでの借金。自己破産。
一家離散。

…子供の頃は父母揃った温かい家庭が羨ましかったです。

しかしながら、大人になった今、ふと考えることがあります。

「幸せな家庭」とは、なんぞや?ということです。
確かに理想的な家庭は現実的には存在するでしょうが、たくさんの人を見てきて思ったことは、
「皆、口に出さないだけで何かしら問題を抱えている」ということ。

1週間の間に父母立て続けに脳梗塞で寝たきりになった友人がいました。
倒れたとは聞いていましたが、それを仕事場では全く態度に出さず、明るく振る舞い、仕事も人一倍頑張っていました。

私も先に挙げたことを人に言わなければ、周りから見れば
「あの人は毎日楽しそうだ。羨ましい」
と思われるようで、よくそういったことを言われます。

最初は「何も知らないくせに」と腹も立ちましたが、ある時
「他の人もそうなのかもしれないな。自分が人を見て勝手に幸せそうだと思っていたのかも」と思い始めました。
勝手に理想を作り上げ、さも周りはそうであるかのように思っていたのだな、と。

子供の頃から家庭環境のせいか、人より思慮深く悩みやすく、屈託のない子供時代など無かったように思います。
そのせいかは分かりませんが、周りからどうも浮いているというか、心底溶け込んでいる感じがしないですね。
友達がいないわけではありませんが、どこか冷めた自分がいるような。

今は家族と離れ、家族のことで嫌な思いをする回数は減りました。
それでも心のどこかに「手に入れたかったもの」が存在して消えきってはいない感じです。

それでもこうやってスマホでネットをしたり、仕事もあり、体もそこそこ健康で、特に不満は無いんですが、きっと「満たされない!」という昔からの気持ちが、自分自身で平穏を許さないのかな?と感じます。
幸せが幸せと分からない。

周りも口に出さないだけで色々あるんだろうし、もう自分自身も過去の自分に執着しなくてもいいかな、と思うことで少し楽になって今に至ります。
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