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鬼武者における本能寺の変って、謀反も何も明智光秀は織田信長と敵対してたんじゃないですか?あれは謀反と呼べるものなのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 早速の回答ありがとうございます。

    わがままな注文ですが、あくまでゲームの鬼武者での本能寺の変としてお答えください。

      補足日時:2020/01/20 09:01

A 回答 (2件)

一応


家来だったからねぇ・・・。
敵対は出来ないです。
忠誠を誓うわけですから。

家来が主にノンのアクションをとったら
謀反(クーデター)でしょ?


変。
何か変。
本能寺の変。

変の三段活用です。
詳しくは
「本能寺の変・桂 竹丸判」を、
ご参照下さい。
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一応、謀反と言えますが、動機がどこら辺から有ったのか、よく判らない部分が残っていますね。


明智光秀が山陰攻撃に出撃し、途中で京都に目標を定めて、本能寺の変となったのですが、手勢で主君の信長を打ち取るまでは手際が良いと思います。
その後、朝廷や敵対する諸大名、信長配下の武将に対する工作がお粗末過ぎます。

毛利と対峙していた秀吉には、高松城で毛利軍と秀吉軍の和睦を許す時間を与えてしまい、その秀吉の中国大返しにより天王山の戦いで敗北して天下人になれずに終わってしまいました。
謀反の性質上、事前に諸大名、武将に光秀への従属の意思確認を行うことは出来ないのですが、もう少し、信長を撃ったあと迅速に動いていたら、ある程度、政権を維持できたかもしれないと思いますね。
逆に言うと本能寺の変のことを知った秀吉の手際の良さ、毛利と急いで和睦するのではなくハッタリをかませて清水宗治の切腹を条件に高松城水攻めから撤退。
そのスピードたるや…当時の信長配下の武将では真似出来なかったのが事実ですし。

また、追撃しようとした吉川元春に小早川隆景が総大将の毛利輝元には天下人としての度量が無い、と言わしめた幸運もありましたし。

信長を打ち取るまでは謀反と言えるのですが、その後のことは無計画(アイディアも無い)すぎて謀反とはとても呼べるようなものではないと考えます。
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