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今更ながら、サイコパス2を再見して
どうしても「集団的サイコパス」の謎が解けないので質問します。

例えば学校のクラスにいじめがあったとして
いじめられっ子をいじめたい人間は実は一人しかいない
⇨だが、同調圧力や責任拡散によってクラス全体 VS 1の構造ができたりします。
(あってはならないですが、よくある話ですね。)

この場合に一人の黒幕だけでなく、加担した全員を集合的に裁く
というのが
「個人個人がクリアでも、集団として裁かれる可能性がある社会」だと理解しています。

当然こうなれば
「一人のいじめっこのために、自分まで裁かれてたまるか」
「主犯は誰だ吊し上げろ」
と魔女狩りになるのも頷けます。


ただこれ、シビュラの機能が”劣化”していると言えませんか??
今まで通り「主犯=個人」を間引くやり方で解決するのではないでしょうか。
(というか、シビュラは最終的にそれで解決していたような…?)
主犯を間引くだけで善良者に戻り得る人間までも裁く
⇨変な日本語かも知れませんが、”裁きの精度”が下がっているように感じます。
サイコパスがクリアな人=加担の自覚すらない人も対象とするなら尚更。

シビュラが自身のサイコパス を下げるために行った
「シビュラ判断の下で悪性因子を間引く」
で解決するのなら、魔女狩りなんて起きないと思います。
(だって、それが“今まで通り”ですよね)


善人悪人色んな人間を繋ぎ合わせて作った人間に対して

善人の魂を持って善人と定義する=不完全
悪人の魂を持って悪人と定義する=不完全
それらを集めた総体として判断できるよう新しい定義を作る=より完全

というのは理解できたのですが
鹿矛囲という(悪性因子を切り離せない)特異ケース以外の
集合体(シビュラを含む)に適用する意味はあるのでしょうか?

長文失礼しました。回答お待ちしております。

A 回答 (1件)

狐のことでしょうか?


色相を悪化させない程度の行動(犯罪と認識されない)を複数人で完成させるということではないでしょうか?
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