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なぜ豊田市は自動車の生産がさかんなのですか?
キーワード『繊維・関連工場・港と高速道路』の3つを使って教えてください。お願いします。

A 回答 (3件)

全部を教えるわけにはいきませんので、ヒントだけ



・繊維
トヨタは元々豊田自動織機という機械を作っていた会社で、繊維を布にする機械を作っていたわけです。
 なんで豊田市付近に紡績工場があったのか、は自分で調べてください。歴史を検索すればわかると思います。

・関連工場
 これも紡績の歴史を見ればわかりますが、紡績は蚕を育てること・繭を糸にすること・糸から布を作ること、までが分業でした。分業ということは工場が関連して作っていた、ということです。

・港と高速道路
 愛知県の場所を日本地図で見てください。どのあたりにありますか?
作った製品を日本全国に届けるのに、最も都合がいい場所はどこでしょう。そして自動車のような大きなものを運ぶにはトラック・鉄道・船のどれが一番安く運べるでしょうか。

それを調べればわかることですが、愛知県にはそれらがそろうためのよい条件があった、わけです。
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この回答へのお礼

分かりやすくありがとうございます!

お礼日時:2022/02/03 20:54

> なぜ豊田市は自動車の生産がさかんなのですか?



それはアメリカと不思議な縁があるようです。世界恐慌をご存知ですよね。1929年のウォール街の株価大暴落に始まって、世界に波及し、かなり長引きました。それまでアメリカ人はぜいたくな絹織物が好きで、日本の生糸をたくさん買ってくれていたのに、もう買ってくれなくなりました。
そうすると、日本の養蚕業(桑畑で桑の木を育て、その桑の葉を蚕に与え、繭を作らせて生糸に加工)が大打撃を受けました。桑畑の放置が続出しました。
桑畑ってのは放置すると荒地になっちゃうんですよ。1930年代、愛知県の拳母(ころも)にもそんな土地が広がっていました。何十万坪という広さで(原野の一部を桑畑にしていたが、放置されたという感じで)。

豊田喜一郎がそれを買って、1938年に大規模な自動車工場を建設しました。そもそも日本の地形は山がちで、平らな土地は貴重だから水田などになっていて、田んぼは農家さんが執着しますから、数十万坪も地上げしようたって、大変すぎます。拳母の場合、荒地などだったから買収が進んだのでしょう。「田舎なら土地はいくらでもあるだろう」なんて思う都会人もいるかも知れませんが、数十万坪もの平らな更地って、そうそう有りません。その拳母が、のちに豊田市と改名しました。

豊田家の会社は商売替えをしたわけです。豊田佐吉は自動織機、その息子の喜一郎が自動車。自動織機の製造工場は刈谷(かりや)などにありました。その刈谷市の隣が豊田市で、土地勘も利いて、自動車工場の建設地に選ばれたのでしょう。
織機は繊維産業の機械ですが、喜一郎は繊維よりも自動車に将来性を見出したということです。それはアメリカの影響だったようです。と言いますのは、アメリカの産業の移り変わりについてです。
たとえば南部の州で奴隷を使って綿花を栽培し、イギリスへ輸出してイギリスの綿工業を支えた歴史がありました。その後、南北戦争を経て奴隷を解放し、綿花生産も斜陽になり、一方北部(中西部)では鉄鋼や自動車の大量生産が行われました(たとえば1908年頃から、あの有名なT型フォード)。
それと同様、豊田家の会社も繊維産業の機械から自動車へと、軸足を移すことを考えたのでしょう。

以上、トヨタ自動車は創業の動機から工場用地の取得に至るまで、アメリカと意外な縁があるようです。
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さかんと言ってもトヨタ自動車の工場しかありません。


キーワードに関連付けるのはどれも無理がありますね。
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この回答へのお礼

先生が作ったプリントにそう載っていたので。。頑張ってまとめます笑ありがとうございます!

お礼日時:2022/01/31 23:25

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