2024年に成し遂げたこと

赤木圭一郎さんが日活時代にゴーカートで事故を起こして亡くなられましたが赤木圭一郎って誰も知らない人はいらっしゃると思いますしその時代の人しか知らないと思います。石原裕次郎小林旭に次ぐ一人の人でしたけどね。
赤木圭一郎さんは、元々車や船が好きだったそうですが彼が生きていたら石原裕次郎と小林旭を越えていたでしょうかね?

質問者からの補足コメント

  • もし、ご健在ならば83歳でまだまだ十分生きなければならない人でしたね。勿体ない人生で生涯を失いましたし彼が、生きていて日活がなくなっていたら松竹、東宝、東映でフリーの映画にも出演されていたでしょうね。

      補足日時:2022/09/19 13:50

A 回答 (5件)

ワシのカラオケの十八番は「無敵が俺を呼んでいる」です。


 カラオケなしでも空で歌えます。
 同名の映画には赤木圭一郎の妹役で吉永小百合が出演してますた。
「赤木圭一郎さんが日活時代にゴーカートで事」の回答画像5
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この回答へのお礼

有難うございました

お礼日時:2022/09/21 00:23

石原裕次郎、小林旭のラインの後に


赤木圭一郎が控えていたんですが
事故で亡くなり
日活の予定が狂ってしまいました

そこへ
石原裕次郎のスキーによる骨折で
小林旭しかいなくなってしまった

脇役の敵役が多かった
宍戸錠を主演にした映画で
小林旭と宍戸錠でなんとか
食い繋いでいきました

しかし
赤木圭一郎は
現場の人に言わせると
やや大根であったそうで
どういうふうに伸びていったかは
不明ですね

高橋秀樹の任侠路線
和田浩二の青春もの
これがなかなか
大きなヒットにはならなかった

石原裕次郎は太ってきたので
アクション物ができなくなって
渋い大人の役しかできなくなった

そういう意味では
若くして亡くなったのは
日活にとっては
大きな損失でしたね
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この回答へのお礼

有難うございました。日活も滅びいて来てしまいしたね。

お礼日時:2022/09/19 15:11

デビューから3年だけですからね。


そこからどうのように生きてくるのかは疑問です。
従って評価は出来ない。
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この回答へのお礼

有難うございました。そうなんですね。

お礼日時:2022/09/21 00:23

日活のアクション俳優として、「タフガイ=石原裕次郎」「マイトガイ=小林旭」に次ぐスターとして期待されたが、活動期間は、1958-1961の短い3年間でした。


私は思うに3年間の短い経験であったので、偉大な2人には届かなかったのではと思いますが。
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この回答へのお礼

有難うございました。確かに黄金期真っ只中でしたね。

お礼日時:2022/09/19 16:27

ん〜。



彼の後釜である高橋英樹の活躍を考えれば、
どうなんでしょうねぇ…。

少なくとも、
チョンマゲは似合わないし、
峰岸徹の兄さんみたいな感じで終わるのでは…。
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この回答へのお礼

有難うございました。そうですかね。

お礼日時:2022/09/19 14:05

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