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昨日の鎌倉の13人において後鳥羽上皇(尾上松也)が出陣しようとした際、藤原兼子に後白河法皇の遺言を思いだせといわれ、出陣を思いとどまるシーンがありましたが、どのような遺言だったのかきになりました。
ご存じのかたおられましたら教えてください。

A 回答 (2件)

後白河が平家、義仲、義経、頼朝と追討令を乱発しながらも「あれは自分の本意ではなく強制されて仕方なくやったものだ」とシレっと言い訳しながら権力の座に留まり続けたことでしょう。

頼朝追討の院宣を義経に出しながら、後日「天魔がなせる業」と白々しい言い訳をしたことに、頼朝は「日本一の大天狗とはあんただよ」と激怒しながらも後白河をそのままにしていたことから、後鳥羽もそうなると踏んだのです。だから、逃げ帰ってきた藤原秀康や三浦胤義を門前払いの上に手のひら返しで追討令まで出したのです。
治天の君の責任追及をして罰を下すという頼朝でもできなかったことを義時はやり遂げたのです。
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以下のページが参考になるかと思います。



【鎌倉殿の13人 主な退場者】後白河法皇、乱世をかき乱し“遺言”西田敏行“怪演”夢枕に真似注意ナレ
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/20 …

文脈的に「楽しまれよ」のことではないと思いますので、「守り…抜かれよ」の方かな、と思います。
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