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進学校卒業していて大学もいいとこいってます。
今まで私より頭いい人はごまんと見てきました。知らず知らずにより知識を得てより賢くなることがいいことだ風に生きてます。
でもさんまさんやふわちゃんとか月とすっぽんくらい人生が違う人もばっちり生きてて、
私より楽しそうだし、私の何倍も稼いでます。
楽しく生きたほうがいいのはもちろんのこと、友人関係、恋愛、収入、健康といった
意味でも楽しさをもっと重視したほうがいいかと悩んでるのですがどうなんでしょうか?
知識に楽しさやおもろさはないので、異性と会っても会話盛り上がるようなネタは勉強では
得られないです。むしろネタは多くても豆知識中心なので話詰まらないかも。
ちなみに学ぶといっても大学卒業してからは健康やら栄養やら心理やらの勉強になってますが。
最近はもうそれ系の動画見ても知ってることばかりでこれ以上知ってもそんなに人生好転しそうも
ないような気がしてますが(;^_^A
特に勉学系から楽しい系に人生チェンジした人の話聞いてみたいです。

A 回答 (3件)

私もそういう疑問を持ったことがありました。

質問者さんと同じテーマでは無かったんですが「自分ではどちらが良いのか決められず、上司の判断を仰いだことがあります」その時に上司に教わったんです。

上司の回答は、

「どっちも捨てがたい」

でした。

以下は長いのでお暇なときにでもどうぞ。

これを聞いたときは「真面目に考えてくれ」と憤りました。しかし何度も繰り返して「どちらも捨てがたいよね」と言われ続けました。こういう時は「なにか教えようとしているのだ」と気が付きました。

「どっちもなんて都合の良い話があるか。どちらかを捨てる
 からこそ上手くいくんだろ? ん? なんで片方を捨てる
 と上手くいくと思い込んでるんだろ。良く言われるのはシ
 ナジー効果とかの方だよな・・・」

両方やる余裕が無いからこそ選んでくれと頼んだんですけどね。

一旦「自分の考えを止めて」両方叶える方法は無いかと考えて見る事にしました。「絶対ない」「余計な考え」「さっさと決めるべき」等と激しい抵抗感がありました。しかし「自分に対する挑戦」とも受け取れたので「頭きた。考えて見るよ。俺なら出来る」みたいに思って頑張ってみました。

するとアイデアが浮かびました。そして実施する段取りも思いつきます。そうやって考えていくうちに「出来る」事が分かってしまったんです。

「両方やり遂げるというのは誰だって無理だと思う内容。
 これについて実現方法を思いついたわけだから、自分を
 凄いと褒めたいのに、どちらも捨てがたいと言った上司
 の切っ掛けづくりの方が凄いと感じて悔しい」

等と複雑な心境でした。

ネットで良く言う「思考停止」と言うのは「この様な思考の罠」の事を(本来は)指すのであり「説得しても聞いて貰えない相手」に対して嫌味として使う物じゃないですよ。人間の「思考の隙間みたいなもの」が自分の未来を悪くしているという事です。それに対する示唆とするべきでしょう。

「だけど・・・考えても仕方ない事をうじうじと悩むのも
 良くないよね。どういう時に諦めて、どういう時に潔く
 割り切るべきなの?」

「過去に対しては割り切って、未来に対しては諦めてはい
 けないってだけ。時制をよく意識してみると良いよ。
 必ず過去に起きたことを考えている人に対してウジウジ
 していると表現している。そして未来に対してどちらも
 捨てがたいとしている人に対しては優柔不断と批判して
 いるだろ。実は優柔不断と結論するまで1時間は考えてみ
 ようという呼びかけに過ぎないんだ」

という事で質問者さんも「両方やれないのか?」について1時間くらいは考えて見ましょう。どうも一秒も考えていないように見えます。

「両方やるって話を聞きたいんじゃないんだよ。僕の興味
 は『楽しい』に全フリしても大丈夫かどうかなんだ。
 心配なんだよ。でもその方が気合入るし。何かを捨てた
 という負い目に対して言い訳できそうなんだ」

「つまり今までの生き方を変えるのが怖いって事だろ?
 その上で『楽しいを究める』てのにも興味があるわけだ。
 怖いから背中を押して欲しいってことだね。そういうリ
 スクを感じているなら全フリと言うアイデアを捨てるべ
 きだよ。その方が上手くいく様な気がするのは錯覚だ」

実は体調が万全じゃないだけなんですよ。

どっちも極めた人が沢山いるのに片方を捨てるのは「マゾい」と思います。仕事などの制約がある場合は別ですが(制約がある場合でも知恵を絞れば出来ると思います。ただ単に考えるのが面倒であり苦痛なだけです)倍時間が掛かっても問題ないカテゴリなのですから「背中を押して貰おう」見たいな話を悶々と続けるのは勿体ないでしょう。同じ時間で「どっちもやれる方法は無いか?」と考えた人がいたら必ず負けますよ。

「何か一つでも良いから他人に自慢できることを持ちたい」

「そうか。俺は全ての分野で他人に勝って自慢したい」

「そんな事できればいいけどさ」

「妥協すると成功率が上がるという錯覚に負けている奴が
 結構いるんだよ。そういう錯覚が染みついているから何
 一つ他人に自慢できないんだ。何せ成功するために妥協
 をし続けるだろ? ほら、もう自慢できなくなった」

「でも・・・高望みしたら元も子の無いじゃないか。そこ
 は妥協してリスクを抑えて最低限の部分は確保しないと
 だめだろ。そしてその成果は・・・自慢できるものじゃ
 ない・・・あれ?・・・最低限の部分・・・あれ最低?」

「文章で書かないと気が付かないのかよ。そういうのを思
 考停止と言うんだよ」

「うまい話はない」と自分を戒めるのは良いでしょう。しかし「望むことを辞めて妥協をすると成功率があがるのではないか?」という錯覚が染みついている人がいます。

しかし「理由があって諦める部分」を限定せずに、

「神様。僕は自分が一番欲しい物を諦めたんです。そのお
 詫びとして成功率をあげてください」

と意味が分からない願掛けをしているようでは「機会損失」しているだけなんですよ。

「君の実力なら両方手に入ったのに・・・。片方しか手に
 いれないとか。君にそういう思考の癖がある以上、君が
 どんなに実力をあげても必ずそうなるよな。才能も意味
 がないな。何時も成果は半分だ」

という分けで「スキル」「才能」「経験」の様な実力がいくらあっても「お詫びがあるだろう?」と言う甘えた思考を持っていると意味が無いんです。「被害を受ける事でお詫びをあてにする」これは子供の発想です。大人になれば「苦しみ損」ばかりになりますからね。お詫びなんてありません。

「女神さまのミスで僕は早死にした。女神さまがお詫びに
 異世界転生とチート・スキルの取得を約束してくれた。
 しかし女神さまにスキルをたくさんもらって異世界に転
 生したけど成果は(平均値の)半分だったらしい。実力
 を活かせない性質が僕にあるとか。女神さまが勿体ない
 と言って爆笑していました」

自分が気づかない思考の癖。あるあるなんです。そういう部分を教えるのが年上の役割とも言えます。

是非とも、

「そういう時は両方だ。どちらも捨てがたい」

と考える癖をつけてください。

また「神様にお詫びを期待する」と言うのも若い人あるある(自分もそうだった)なのでご注意ください。

「年取りたくねー。不老不死ってないんかよ。あんな風に
 なるのは酷いじゃないか・・・。まあ、そういう残酷な
 条件を受け入れたお詫びに大人っぽく成るらしいけどさ」

「・・・何のお詫びだ。誰が謝るって? ナイナイ心も子供の
 まま老化するのが通常。早いうちに気が付いて『大人に
 なるってどうやればいいの?』って悩まないとヤバいん
 だよ」

ヤバいんですよ。

これも「お詫び」的思考をしているとハマる罠です。

「年を取って若さを失うのは確かに辛いよ。だけどその分
 経験を積み重ねて成長するという喜びもあるんだ。老い
 る事を恐れてはいけないよ」

「そうなんですか。俺は年寄りには成りたくないっす。
 でもまあ、俺っちも立派な大人に成れるんなら悪くない
 っすね」

「そうだね」

「で、いつ来るんすか? その大人変身て。徐々に変化す
 るんでしょうか。それともアソコの毛が生え始めた時
 みたいに突然来るんすかね? 大人力はやく欲しいっす」

「(爆笑)」

これ年配の人に受けるネタなんです。

実は殆どの人は大人に成れず肉体だけ老化します。自分の心が大人に成れていないと知って怯えるようになります。それを隠して生きる人が多いと思います。

それを考えると「楽しさを追求する」方向に全フリしてよいのか何とも言えませんよ。私はお勧めしません。ただ自分じゃないので「まあいいか?」
くらいに感じます。他の年配の方もそう感じるんじゃないですかね。

私は30歳で「やべえ。このまま行くと心はガキのまま外見だけ老化する」と確信しました。「どうすると大人に成れるのか?」的な事で悩みました。まじでこれに全フリしましたね。20年以上掛かりました。25歳くらいで始めていれば良かったと(勿論。もっと早い方が良いに決まってますが。自分の人生であるのに)後悔しています。

「楽しく生きる事に全フリした若者」と「大人に成る事に全フリ」した若者がどの様な人生を歩むのか知りたいと思っています。しかし「アラフォー」に成っちゃった人の相談を読むと気の毒になってしまって回答する手が止まります。後悔ばかりが書かれているからです。

「やっぱそうなるんか。アラフォーあたりの人。大人しいし。
 流石に陰毛みたいに大人力は生えてこないよなあ。そう思
 っていた人はお花畑過ぎる。自分だけ子供のままじゃない
 だろうかと焦らんとね。今日と同じ自分が明日も繰り返さ
 れる。そして何時の間にか外見が酷い事になってるもんだ
 よ。その前に手を打たないと」

質問者さんも現時点で思考の癖をかなり持っていると思います(若いので仕方ないです)。私は一つ一つ上司に直して貰いました。次はこれ。次はこれ。と仕事をしながら(上司が気づいたタイミングで)指導されました。

そういう事をしても20年かかるとしたらどう思います? 今から焦った方が良いと思いますよ。自分と同年齢の人の中でも気が付いて焦っている人がいるはずです。周回遅れにならないように情報交換をするべきです。

「大人になるためのグループと。楽しさを究めるためのグル
 ープ双方に所属して、どちらも欲しいとやってみます」

「イクザクトリ」

以上、ご参考になれば。
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知識や学問って道具ですからね。

それ自体に価値があるわけじゃなくて、使って価値を生み出すものです。

takeyabeerさんの語り方は、道具そのものに価値を見出しているように聞こえます。

進学校や良い大学に行って、知識を得たというのは、まあ名刀を手に入れたようなものです。高卒という木刀や、三流大というナマクラ刀よりそれ自体は強いかも知れない。

でも、当たり前ですけど名刀を持っていても使い方を知らない人は、木刀使いの達人には手も足も出ず負けます。
有名大を出たって、高卒に敵わないこと、たくさんありますよ。

これ、何の差かというと、「使う必要性の差」なんですね。目的なり興味なりがある人間が道具を手にすると、その目的のために使う。すると練達するんです。
ところが、何の道具を持っていても、目的も興味もない人間はそれを使わない。だから習熟できなくて、剣の腕前はイマイチな名刀コレクターになってしまう。

目的なく仕入れた知識は、目的が出来たとき力になります(だから大人は子供に「何の役にたつんだ」と言われつつ「勉強しなさい」と言うわけで)。
でも、目的がないままなら、知識はそれこそ蘊蓄を垂れる程度の役にしか立ちません。

別に、さんまにならなくて良いと思いますから、せっかく溜め込んだ道具の使い途を何か見つけるといいと思います。

気づかないだけで、あると思いますよ。
だって、

>今まで私より頭いい人はごまんと見てきました。

と書かれている通り、takeyabeerさんは天才じゃない。たぶん、秀才ですらないかも知れない。なのに、

>進学校卒業していて大学もいいとこいってます。
>知らず知らずにより知識を得てより賢くなることがいいことだ風に生きてます。

このくらい知識を貪欲に得ようとすることができるのは、たぶん何か、腹の中に面白いものがいるからです。

面白いこと、楽しいことがもし簡単に見つからないなら、腹の立つこと、我慢ならないことを探してみると良いと思います。
それが、自分が目的にしうる興味の取っ掛かりです。
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江戸時代の終わりから、明治・大正時代を経て昭和初期であれば、質問者のいう「知識に楽しさやおもろさはない」ものを学ぶことであっても、それは日本の発展や国防などの役だったのは確かですし、経済的にも豊かになったのは事実でしょうね。


(日露戦争で、日本海軍の勝利は、無線技術の発展や高性能火薬の発明があったわけだからね)

でも、現代は、学校で学んだ知識がそんな感じで役立っているとは思えなかったりしてね。
たぶん、高校や大学などで学んだ知識が役に立たない時代になっているのかも?
そうじゃあないモノが世の中で必要にされているのでしょうね。
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