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映画『世界の中心で愛を叫ぶ』で、やや後半の方、
亜紀と朔太郎が写真館で結婚写真みたいなのを撮るシーンで、
何でウェディング姿の亜紀を見た朔太郎はトイレに駆け込んだのですか??
普通、ウェディング姿の彼女を見たらあぁなるものなのですか??笑

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A 回答 (7件)

世界の中心で愛を叫ぶはDVDも持っていて何回も見ています!自分の解釈になってしまいますがセカチューの映画のテーマをいうのを大まかに言うと少女の病により永遠を誓い合うことができなかった朔太郎が忘れたくても忘れられない過去と向き合い一人の大人へとしての心の成長を描いた作品ではないかと思います。

なので、そのことから考えると下品な考えはおかしいと思います。確かに男性が女性のウエディングドレス姿をみて率直に綺麗だとは言えないのかなぁとも察することもできますが、亜紀が白血病を抱えているという現状と、将来、結ばれることがないと知りつつも、目も前にいるウエディングドレス姿の亜紀の姿に結ばれないことの悲しみ、苦しみなどの感情があふれ亜紀の前で泣くこともできないのでトイレへと向かったのではないかなぁと思います。
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こんばんは。



 #5さんのご回答に近いかなぁ・・・

 そんなに気を入れて見たわけではないのですが、あのシーンはアキが白血病になってからだったと思います。
 朔太郎は、「やりきれない想いにかられ、いたたまれなかった」と解釈していたのですが・・・
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アレは特別だと思います。


亜紀の前で涙を見せたくなかったんだと思います。
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好きな女の子が、自分のためにウエディングドレスを着て、


「どう?」と聞いてきたとき、そのままその場にいたら感想を言わなければなりませんよね。

「うん、きれいだよ」

この場で即座にそんなことを言える高校生がいるでしょうか。
「トイレ」とでも言わないと逃げられません。
「トイレ」というほうが恥ずかしいというひとは、いさぎよく
「とてもきれいだよ」と、言ってください。
(歯が浮いちゃうよ~)
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こんばんは。

中年の小父さんです。

ユニークなご質問ですね。

確かにあの場面では、「あれっ?」と思いました。
でも、まぁ、同性からすると、たぶん2つの理由で「かけこんだ」んだと思いますね。

理由A:
1、あまりの綺麗さにうろたえ、かつまた晴れがましすぎて、自分で自分が(かなり)恥ずかしくなり、その場所に居ても立ってもいられなくなったので、どことはなしにその場から逃げ出したくなって、(確か手近な場所として)トイレに逃げ込んだ。
2、#1のご指摘の「興奮」したので「その部分を見られたくなくて」逃げ出した。

理由B:
原作を読んでいないので、あまり突っ込んだ意見は差し控えますが、脚本を書かれた、坂元裕二・伊藤ちひろ・行定勲の方々は(青年の)この2つの感情を映像に織り交ぜたかったのではないかと思います。

ご参考まで。
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緊張したんでしょう。

常識的に考えて相手はウェディングドレスですし、なにかを着ているので勃起することはないと思うのですが・・・。
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無粋な答えですみませんが……好きな女の綺麗な姿ですよね、、、察してください。

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Q世界の中心で愛を叫ぶ(セカチュー)の疑問点

「世界の中心で愛を叫ぶ」の映画版に関して質問です。

何故、テレビの台風中継で律子が映っている映像を見た朔太郎は実家に戻ってカセットテープを探しに行ったのですか?
つながりが分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

映画館で見たので記憶が薄れていますが
役者名でいきますね
テレビの台風中継で柴崎さんが映ったのが故郷の近くだった
大沢さんは 何しにいったんだろう?と考えた
そして 大雨のシーンで思い出されるのは空港の
シーンですよね 結局欠航になったために
そこまでになるのですが。
で 昔の彼女長澤さんのことを思い出した
ってな感じでしょうか

そこで長澤さんを思い出してテープを取りに行かないと
柴崎さんが見つけた最後のテープの説明が始まりませんしね

原作には柴崎さんの役はないそうです 多少
強引な設定があるのは仕方ないですね。

私が設定で引っかかったのは 高校時代の
2人の恋の掛け橋をやっていたのが 柴崎さんって
わかったとき 「おいおい そりゃ大人の年齢にしたら
5~6歳の歳の差かもしれんけど 小学校から知ってる
しかもそんな彼女が死んだときの関係者と付き合うか?」
と思いっきり突っ込みましたよ(笑)

Q世界の中心で愛を叫ぶをTVで見ましたが疑問でいっぱいです。ネタばれです。

詳しい方、教えて下さい。昨日の放送で初めてみました。
TVではカットシーンがあるかもしれず、間違った認識かもしれないので
私の理解があっているかいないか教えて下さい。

1、彼女が行きたかったのは、オーストラリアのエアーズロックだったと思っていますが、その認識はあってますか?

2、オーストラリアでジープに乗せてもらっていたのが、車が変な挙動と共にどうやら修理している模様?というので合っているのでしょうか?

3、最後に彼が遺灰を手にして撒くというか散っていくシーンがあるのですが、彼が立っている場所は、エアーズロックではないと思っています。

4、彼女の遺言はエアーズロックでまいてと言っている。

ここで疑問です。
途中で感動して涙ぐむ程の映画だったんですが、このラストシーンで、
エアーズロックまで行って灰を撒けよ!!!
と思ってしまいました。これじゃあ、遺言を守ってないじゃん。
彼女がかわいそう。。。と思ってしまいました。

それともエアーズロックが映っていなくても、見えていないでも
あの、赤土の土地全体が、彼女の遺言の地なんでしょうか?

ラストに疑問大で最後納得いかずに終わってしまいました。
ご回答お願いいたします。ちなみに原作本も読んでおりません。

詳しい方、教えて下さい。昨日の放送で初めてみました。
TVではカットシーンがあるかもしれず、間違った認識かもしれないので
私の理解があっているかいないか教えて下さい。

1、彼女が行きたかったのは、オーストラリアのエアーズロックだったと思っていますが、その認識はあってますか?

2、オーストラリアでジープに乗せてもらっていたのが、車が変な挙動と共にどうやら修理している模様?というので合っているのでしょうか?

3、最後に彼が遺灰を手にして撒くというか散っていくシーンがあるの...続きを読む

Aベストアンサー

#1.2です。
 お気遣い有り難うございます。
 自分も映画版を見たのは初めてでした。(しかも書類を整理しながら、巨人・阪神戦も見ながら・・・感動した方ごめんなさい。)ドラマ版も最終回を再放送で見たくらいで・・・

 確かに、旅行会社のサイトなどで説明を見ていると直接的にはウルル=エアーズロックと記してありますね。映画の流れとしても何枚もある写真の中でエアーズロックの写真が目立ってました。

 前述の通りでよくよく見ていたわけではなかったのですが、夢島で見つけたカメラに入っていたフィルムを重じぃが現像し、その写真を少女時代の律子が受け取りに来たシーン、映画では少女・律子は写真だけを受け取って、そこがオーストラリアだという会話を重じぃと交わしたのみで写真館を出ていったと思ったのですが、間違いなかったでしょうか?
 #1で紹介した『指先の花』では、このときに重じぃは「アボリジニとその大地」に関する写真集を、写真と一緒にアキに見せるようにと少女・律子に渡しています。映画のシーンで省かれていたとしても、アキは、写真を見た当初はともかく、最後のテープを吹き込んだ時点では、アボリジニの文化に関する知識をある程度得ていて、「広い意味でのウルル」を知っていたと考えた方が良さそうです。

 原作では、朔太郎達の学校が修学旅行でオーストラリアへ行くものの、すでに体調を崩し始めていたアキは参加できない、というストーリーになっており、夢島のエピソードはその前で、カメラやフィルムは出てきません。(それ以前に律子は映画オリジナルのキャラクターです。)修学旅行から帰ってきた朔太郎がアキを見舞い、土産として「アボリジニの木彫りの人形」を渡す場面があり、それ以後本を読むなどして知識を得て朔太郎と会話する場面があります。
 ただ、完全に確認したわけではありませんが、原作では「アボリジニの聖地」という文言が出てくるものの「ウルル」や「世界の中心」という文言は出てこなかったと思います。(エアーズロックは観光地みたいな感じで触れられるだけです。原作のタイトルは作者以外の人物が用意したものだそうです。)

 映画でも原作でも遺灰を撒く場所に関して「アキの言う世界の中心」=ウルルであっても=エアーズロックではないという感じですね。

 タイトル以外に「世界の中心」に触れていない原作はさておき、『指先の花』では朔太郎の台詞としてウルルは「オーストラリア大陸の中央を占める砂漠地帯」と説明され、レンタカーを走らせる車内で律子に「どこまで行けばウルルなの?」と尋ねられた際にも「多分、ウルルの大地に境界線なんてないと思う」「とにかく、この大地の中心に向かって走ってみようと思うんだ、何かが見つかるかもしれない。彼女が世界の中心と呼んだ何かが」と答えていて、アキの遺言として特定の地点(エアーズロックなど)を意識しているというふうではなく、とにかくウルルの大地を走るという感じです。(中心に向かうといっても、だだっ広い大陸の砂漠ですから・・・抽象的な感じがしました。)
 映画(一応ノーカット放送ということでしたが)にはそういう過程や心情の説明的な部分が端折られていたので、確かにわかりにくい点だと思いました。

 ここまで来たからには(?)『指先の花』でのオチをネタばらししますと・・・
 朔太郎は、律子と二人でオーストラリアへ渡る時点でも、アキがなぜそこを「世界の中心みたい」と言ったかはわかっていないわけです。そして結局、直接的な答えは明示されたようなされてないようなというところでした。
 ラストに朔太郎が律子に「二人で世界の中心をつくろう」と語り、律子の心情描写として「人を愛するってこと。それはともに世界の中心をつくり上げていくようなことなのかもしれない」と記されています。この言葉をどう味わうか、そしてそれぞれがどう考え・感じるかだと思いました。
 
 確認がてらサイトを見ていましたら、公式ファンサイトがありました。BBSには結構な数の書き込みがありますので、参考にできるかもしれません。あと、原作と映画について詳しく比べたサイトもありましたので、ご参考になさってください。
 #1で映画を見たなら、原作は読まなくていいという旨書き込みましたが、映画は、原作を相当膨らませた感じになっているので、原作→映画よりも、映画を見て原作を読んだ場合の方が違和感が強いかな、と思ってのことです。自分は別個の作品と感じています。別に止めているわけではないので、もし良ければ原作・『指先の花』もご覧になってみてください。
 長くなりましたが、お付き合いいただいて有り難うございました。(自分の書き込み最長記録かも・・・)では。

http://www.alived.com/ai/

参考URL:http://www.cam.hi-ho.ne.jp/la-mer/pro-aiosakebu.html

#1.2です。
 お気遣い有り難うございます。
 自分も映画版を見たのは初めてでした。(しかも書類を整理しながら、巨人・阪神戦も見ながら・・・感動した方ごめんなさい。)ドラマ版も最終回を再放送で見たくらいで・・・

 確かに、旅行会社のサイトなどで説明を見ていると直接的にはウルル=エアーズロックと記してありますね。映画の流れとしても何枚もある写真の中でエアーズロックの写真が目立ってました。

 前述の通りでよくよく見ていたわけではなかったのですが、夢島で見つけたカメラに入...続きを読む

Q世界の中心で愛をさけぶで律子と朔太郎

世界の中心で愛をさけぶで律子と朔太郎はどのようにしてであったのでしょうか?

引っ越し?のシーンが出てきたような気がしましたが、律子はどこに引っ越す予定だったのでしょうか?

二人は同じ土地の出身というのは偶然でしょうか?

同じ土地出身で、つきあっていたら、亜紀のことなどいろいろ話題で出なかったのでしょうか?

Aベストアンサー

律子と朔太郎はどのようにしてであったのでしょうか?
同じ土地の出身というのは偶然でしょうか?
同じ土地出身で、つきあっていたら、亜紀のことなどいろいろ話題で出なかったのでしょうか?

映画では3人の関係について詳しく説明されていませんが関連ノベライズ本で"指先の花"と言うのがあります これを読めば事細かに説明されています
あまり書くとネタバレになるのでご自分で読まれた方が良いと思います
ちなみに指先の花とは亜紀が律子に教えた手品のことです。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4094080244/250-7413110-1793819

Q世界の中心で、愛を叫ぶについて

はじめまして。
 ネタバレを含んでいますんで、まだ見ていない方はこの先を読まないでください。

 1 柴咲こうの役について
 原作には登場しなかった人物ですが、この人物は必要だったのかと今でも思います。確かにカセットテープの渡し役というのはいいにしても、大沢たかおの恋人役までも必要だったのかと首をかしげてしまいます。
 むしろ彼女がいることによって亜紀と朔太郎の関係が薄れているような気がしたんですが、皆さんはどう思いましたか。

 2 ストーリーそのものについて
 誤解されないように言っておきますが、それなりにこの映画は楽しめたつもりです。
 ただ、二人の仲がやたらにプラトニックなものになっていたのはどうなんだろうとは思いました。原作の中では、朔太郎君はもっと『男子生徒』という面を出していたような気がするんですが。
 ただ、亜紀が発病してからはあまりにも感動させる意図で作ったストーリーが多すぎて、原作とかけ離れていくのが僕の中では残念でしたけど、皆さんはどう思いましたか。感想を聞かせてくれればうれしいです。

 

Aベストアンサー

律子

確かに律子に関するエピソードは設定に少し無理があり、できすぎているように感じました。しかし、この映画の主人公は基本的には現在の朔太郎(大沢たかお)で、サク(森山未來)とアキ(長澤まさみ)は朔太郎の回想にすぎないというとらえ方をすると、少し見方が変わってきます。

朔太郎と律子(柴咲コウ)が婚約者同士であり同じ出身地ながら、亜紀のことを全く話題にしたことがなかったということは、朔太郎は亜紀の思い出を封印してしまっており、一方、律子は朔太郎と真に打ち解けられない何かを感じて悩んでいたのではないかと想像しました。

朔太郎は亜紀のことを思い出さないようにしようとしていたため、重蔵(山崎努)言うところの心の「後片付け」がまだできておらず、律子との生活に向かえなかったのではないでしょうか。

テープの運び屋さんとしては別の人物でもよかったと思いますが、現在の朔太郎が悲しみを乗り越えてその先に進めるかどうかを描くには、律子に相当する登場人物が必要だったと感じました。

サクとアキ

サクとアキの描き方がかなりプラトニックよりだったことについては、二人のシーンの多くが実際には朔太郎の思い出の映像化だったのだろうと感じたので、ふさわしいと思いました。

思い出はしばしば美化され、細かな点はあいまいになる一方で感情は強烈な印象を持って残ります。大人になった朔太郎にとってサクとアキの思い出は清く悲しいものとして残っており、それを映画は描いていたのかもしれません。

映画を全体として見たとき、主役は朔太郎で、サクとアキは準主役、律子は脇役の一人ととらえると、朔太郎の心の動きがつかみやすいように思います。そしてラストシーンでの朔太郎のあの一言にすべてを集約するためには、律子の存在と、サクとアキの美しい思い出が必要だと感じました。

もっとも、上記のことはひとつの見方にすぎません。映画情報サイトでもいろいろな意見があり賛否両論のようです。(教えて!goo、OKWebは質問と答えを趣旨としているので、広く感想を語り合うには映画情報サイトの掲示板が適しているのではないでしょうか)

「世界の中心で、愛をさけぶ」公式サイト
http://aiosakebu.yahoo.co.jp/
「映画生活」映画情報サイト
http://www.eigaseikatu.com/title/5065/

参考URL:http://aiosakebu.yahoo.co.jp/, http://www.eigaseikatu.com/title/5065/

律子

確かに律子に関するエピソードは設定に少し無理があり、できすぎているように感じました。しかし、この映画の主人公は基本的には現在の朔太郎(大沢たかお)で、サク(森山未來)とアキ(長澤まさみ)は朔太郎の回想にすぎないというとらえ方をすると、少し見方が変わってきます。

朔太郎と律子(柴咲コウ)が婚約者同士であり同じ出身地ながら、亜紀のことを全く話題にしたことがなかったということは、朔太郎は亜紀の思い出を封印してしまっており、一方、律子は朔太郎と真に打ち解けられない何かを...続きを読む


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