電子書籍の厳選無料作品が豊富!

創価学会公明党の信者の方は「神社に行くと地獄に落ちる」と言い、初詣もされない方が多いです。
正月のテレビなどでは大変多くの方が初詣をしている映像が流れています。
それを見て、「こいつら地獄に行くよね」なんて思っておられるのですか??
そしてこれだけ多くの方が神社や仏閣に訪れ、正月を祝っています。言い換えるなら「地獄に落ちる」なんて指導している創価学会の教祖は世間には受け入れられていないと言えると思います。そんな教祖に疑問は持つことはないのでしょうか?

A 回答 (6件)

 こんにちは。


創価学会の方々はクリスマスでさえも受け入れてしまう心の広い信者達なの
で、初詣くらい平気でいっちゃいますよ。あれだけ信心深く、おまけに
選挙の時なんか狂ったように一丸となって戦うくせに、なんと浅はかな
連中なんでしょう。
 それから創価学会の信者が「地獄に落ちろ」というようなセリフを吐く
のは、以前から知れ渡っている事なので、今更否定されても困っちゃいます
よね。私の知人も脱会するときにしつこく家に押しかけられ、挙句の果てに
「地獄に落ちるぞ」と脅されたようです。かの有名な竹入元公明党委員長
に対する罵詈雑言を信者は何と思っているのでしょうか。
 信者なら解るはずです、池田大作批判をしたらどうなるかを・・・
    • good
    • 0

#4です。



>お言葉を返すようですが、「一部の信者が過激なことを言っている」との見解でいらっしゃいますが、機関紙の聖教新聞ではずいぶん汚い言葉で他の宗教を罵っていることもありますよね。
>それは宗教団体として、そういう方向を向いていることになります。
>なら「一部の信者だけ…」というのは矛盾するのではないかと思うのですがいかがですか?
>創価学会の機関紙でそのような論評をすれば信者がそれ通りに行動するのは当然だと思います。
>実際、私の知り合いも含め、周囲に多くの人が「地獄に行く」などという勧誘を受けています。

これに関しては、正直私も同意見です。あの記事は私も嫌いです。
宗教団体の顔でもある機関紙でそのようなこと書かれれば、質問者さんのような考えを持たれるのは当然のことです。
「一部の信者だけ」と私が記述したのも、その記事をみて「そうなんだ!その考えなんだ!!」と思う会員がいるのも確かな事実だからです。
上述した内容はあくまで私の個人的価値観による見解です。会員全員がそのような考えであるとは限りません。
ただし、それと同じように「地獄に落ちる」と頻繁に言う会員が全てではないことだけは認識していてください。

また、創価学会と公明党についてですが。
>自らが作った団体を、まったく関係ないというのは、たとえそうであっても誰にも受け入れられない理論だと私は考えます。

まったく関係がないとは絶対言えません。
初めて会員の代議士が誕生したのは、2代会長の指示によるものでした。この段階で関係がないとは言えません。
その後会員の代議士が何人か政治家になるにつれ、政党と無所属の発言力・権限のあまりもの違いから政党を作る必要性を代議士達が考え、政党を作ろうと発案したのです。その際、代議士達が宗教団体とは一線をひいて今の「公明党」を立ち上げました。
ただ、学会と公明党は「政教分離」を名言しています。
これは、第二次大戦で得た教訓(治安維持法ってやつで旧日本軍が国民の意思を統一(半ば洗脳)させるために、国家レベルで神教を利用した)より、政党と宗教はある一定の距離を持たないといけないという思想によるものです。(現に学会の初代、2代会長はその軍の弾圧(当時は神棚を祭らないと法律違反でしたから)により投獄されてます。)
またその逆も叱りで、宗教団体が政治に介入することもいけないと判断しているのです。(ここでいう「介入」とは、「宗教団体として行政や立法に直接発言すること」を指します。)
ただ、これも当人(公明党および創価学会)たちが名言しているだけですので、それをどう捉えてどう判断するかは正直各人の価値観に依存されてしまいます。価値観の押し付けは避けるべきです。

私の座右の銘の1つであるヴォルテールの言葉を最後に。

(別に質問者さんの意見を否定していることを言いたいわけではないことをご了承ください。)
「私はあなたの意見には反対だ。 だが君がそう考える自由はあくまで守る」

学会に関する疑問がありましたら、遠慮なく質問してください。
    • good
    • 0

学会員です。

(何か似た質問が何度も出ますねぇ~。)
予め断言します。下記内容については全て「言葉遊び」ではありません。

質問内容についての回答の前に誤解を解かせてください。

(1)創価学会と公明党は同一ではありません。
創価学会は単なる公明党の支持団体に過ぎません。
(といっても、公明党員のほとんどが学会員であるのでそう思われてもおかしくはありませんね?)

(2)今の創価学会に「教祖」はいません。
創価学会にとっての「教祖」は日蓮です。日蓮仏法の教義に基づいて行動している団体です。創価学会以外の方が思われている「教祖」は「指導者」なのです。「指導者」は「教祖」ではありません。「指導者」も「教祖」の教えに基づいて行動しているのです。「教祖」の教えを正しく伝えるために行動しているのです。
>創価学会は破門されたので、仏教ではないのではないでしょうか?
考え方は色々ありますが、日蓮仏法の教義を根底にしてますので、少なくとも「仏教ではない」というわけではありません。
(3)「初詣もされない方が多いです。」という文章について
「初詣に行かない人は非常識」という見解で書かれているのでしょうか?

さて、本題に戻ります。
>「神社に行くと地獄に落ちる」
この発言を全ての学会員がしていると思わないで下さい。大きな間違いです。
確かに創価学会は、罰論を前面に出していた時代がありました。
それは当時の歴史的背景と当時の国民の思想に合わせた方法であったのです。つまり、「何故自分の教えが正しいのか」を教えるために他の宗派を否定しないと当時の人達は納得しない時代があったということです。

しかし今は、罰論を前面に出す時代ではありません。
日蓮は「随方毘尼」という言葉(教え)を残しております。これは、仏法の本義に違わない限り、その時代・地域・風習に従っても良いという考えです。つまり、神殿(というのかな?)でさい銭投げて拍手さえ打たなければ、神社に行っても一向に構わないのです。
よく考えてみれば分かることです。
いまや世界中で使われている「西暦」は言い換えれば「キリスト暦」ですよね?それだけではありません。剣道・柔道・空手といった武道の道場には神棚がまつられてますよね?他にも数え切れないほど様々な宗教の影響で発展した結果が今の世界です。
創価学会員がこれらを全て否定していますか?否定できますか?
できるわけがありません。

「随方毘尼」という日蓮の言葉に基づいて行動している創価学会が、今の時代に「神社仏閣に行くだけで地獄に落ちる」と教えるわけがありません。
正直、未だにそのような罰論を前面に出している会員の思想は改善しなければならないと思っております。
地球人口約65億(でしたっけ?)のうち、正月に創価学会の会館で初詣をする人以外は全て地獄に落ちるという発想は、誰がどう考えても無理があるでしょう?今の「指導者」がそんな無理な発想で行動しているわけがありません。
そんなこと思っている学会員がいれば、その人の日蓮仏法に対する認識が間違っていますので、どうぞ遠慮なく批判して下さい。何なら私も加勢しますよ。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
まず同じような質問をしているのは「ヤフー知恵袋」という所で創価学会・公明党について質問解答を見て、それが一般的には報道されないような内容でしたから、興味を持ち調べています。被害者の会のHPも見ました。知恵袋で言われている通り、カルト被害の本も読みました。創価学会の記述は大体載っています。
知恵袋には変な回答をする方も多いので、こちらの方が確実に疑問を解決できると思い質問しています。
新興宗教全般について私は批判的な立場であり、特に創価だけということはありません。
お言葉を返すようですが、「一部の信者が過激なことを言っている」との見解でいらっしゃいますが、機関紙の聖教新聞ではずいぶん汚い言葉で他の宗教を罵っていることもありますよね。
 それは宗教団体として、そういう方向を向いていることになります。
 なら「一部の信者だけ…」というのは矛盾するのではないかと思うのですがいかがですか?
 創価学会の機関紙でそのような論評をすれば信者がそれ通りに行動するのは当然だと思います。
 実際、私の知り合いも含め、周囲に多くの人が「地獄に行く」などという勧誘を受けています。
 
 そして公明党ですが、確かに別かも知れません。しかし、創価学会の指導者池田が作ったのには変わりがありません。
 実際に過去の選挙で「公明党は創価学会の応援団」というポスターがあったと聞きます(知恵袋より)
 自らが作った団体を、まったく関係ないというのは、たとえそうであっても誰にも受け入れられない理論だと私は考えます。
 その他、疑問がたくさんありますので、また質問させていただきます。よろしくお願いいたします。

補足日時:2007/01/13 12:45
    • good
    • 0

あけまして、おめでとうございます。


今年、最初の回答となります。宜しくお願いいたします。

創価学会の壮年部に所属している者です。

>神社に行くと地獄に落ちる、、、、
なんと、表現の悪い言い方なのでしょう。以前の質問にもありましたが他の宗教を崇拝する事で「地獄に落ちる」などと言うのは、あまりにも酷い言い方だと思います。はっきり言って、「神社に行く」ことが「地獄に落ちる」原因ではないのです。

もちろん質問者様はご存知だとは思いますが、古来より日本では「神教」として「神」を奉り崇拝をしてきました。良きにつけ、悪しきにつけ、「神」に対して祈りをささげてきました。その「神」が祭られている社が「神社」になります。

片や中国からの伝来にて、日本には「仏教」が存在します。「神」に対して「仏」を奉るものです。本来、「釈迦(牟尼仏)」の説いた教えを『仏教』とは言いますが、伝えられた経典、時代などによって我が国では多くの宗派が存在し、本尊、教義も異なってしまっています。

古くからの日本の宗教を、大きく分けると「神」と「仏」の2つになると思います。

創価学会は、鎌倉時代の僧「日蓮」を宗祖(教祖)とした「日蓮正宗」の信徒団体として、昭和5年に設立されました。
「神教」か「仏教」かということからすれば、『仏教』となります。

近代の日本という国は、あまりにも「宗教」という事には非教育的な国で、基本教育の段階でも「○○時代に□□という僧が△△宗を開いた」程度の歴史的事柄のみで、その中身についての教育は行われておりません。
ですから、大体においては、「先祖からの受け継いでいるもの」とか、「父ちゃんが言っているのだから、間違いない!!だから、お前も拝め!!」とか、何の疑問も持たず、何のためらいも持たず、神社やお寺に行って、何が祭られているかも知らず、拝んでいるのです。
これは、何も特別なものではなくて、極当たり前の事として日本の生活文化の中で『習慣』として行われて来た事なのです。『初詣』にしても、そういった習慣の一つとして、正月の初めに「家内安全」や「無病息災」、「五穀豊穣」、「商売繁盛」など様々な願をかけるのです。

創価学会においても、同じなのです。
正月の初めには、「元旦勤行会」というものがあり、同じように祈念、祈祷を行います。

ただ、『祈る対象』が「神」か「仏」かの違いなのです。
仏といっても、祈る対象なんて、宗派やお寺によってまちまちなのです。「一体、何を拝めば良いのでしょうか??」。

しかし、ここに人間の「幸・不幸」。国家の「安穏・滅亡」。などの「根本の原因」があるとしたら、どうしたら良いでしょう?

創価学会であろうと、無かろうと。日本人であろうと、イギリス人であろうと。アメリカ人であろうと、ブラジル人であろうと。
『世の中の平和を願い、幸せに生きる事』を願うのは、当たり前の事でしょう。
反対に『人の死や、世の中の惨事』を嘆かざる人もいないでしょう。

この回答への補足

その醜い言い方を親戚はされました。勧誘に来た創価学会の人に「お守りを捨てないと地獄に行く」と言われ、祖母は「今入信しないと知らないよ。。」と脅しとも取れる方法で口説かれました。
そして創価学会は破門されたので、仏教ではないのではないでしょうか?
最近、創価について知り、色々と調べてみると、被害者の会が存在するだとか、教祖は名誉ばかり集めているだとか、そのようなことばかり出てきたので、実際に私も「地獄に落ちる」と勧誘されたので、ちょっと気になって質問させていただきました。
その他にも疑問や矛盾を感じていますので、また質問させていただきます。
ありがとうございました。

補足日時:2007/01/08 21:01
    • good
    • 0

イエスキリストを信仰していなければ最後の審判で天国へは行けない、と説く人もいます(^^;)

    • good
    • 0

信仰を持っている人はほとんど、自分の宗教こそ


真理だと信じているからこそ信仰しているんです。
そうなれば自然に他の宗教は間違っていたり
不完全だと思わざるをえません。
創価学会の信者も、神社の神を信仰している人も
どっちでも天国に行けるなら、創価学会を信仰する意味がなくなって
しまいます。
創価学会だけが特別に他の宗教を蔑視しているわけでは
ありません。

宗教とは唯一無二の絶対的な存在を崇拝するのだから、
必然的に他の思想や宗教を排斥してしまいます。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています