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創価学会のTYは、わたしが神社にかつてお祓いにいったら、わるく説教されました。さらに、別件について【すんだことだろ】とわたしの案件をいさめられました。わたしは伝えました。教祖の獄死は当会で「すんだこと」で会内みなさんは片付いていたのでしょうか。その件について、わたしは感知しなかったから、TYへいいました。こたえは返ってきません。当事者からこたえは返ってきません。公明党には手をひかれ、ほぼほぼ目の前で投票させられてきましたし、新聞もかうよういわれました。創価学会のなかでは、教祖の獄死は、すんだこと、に、すでに、なっているのでしょうか。教えてください。

A 回答 (2件)

何を質問しているのかがわかりません。



「すんだこと」ではないのは、「すんではいないこと」なのでしょうか。
「すんだこと」と「すんではいないこと」との、判別はどういう視点、基準、評価でするのでしょう。
https://dictionary.goo.ne.jp/thsrs/14915/meaning …

シーラさんの視点、基準、評価の方法などが分からないと、返事のしようがないです。
その主題が「教祖の獄死」で、1944年のことだと、半世紀も前のことです。
菅原道真も、武田信玄も、織田信長も、明智光秀も、大岡越前も、板垣退助も、ヒットラーも、文鮮明も皆さん死んでいて、彼らがやったことも、やれなかったことも、もうすんでいる、「すんでない」ことはない、というのが、一般的な視点です。
遺志を継ぐ、遺恨を晴らすというのは、もとの側にある視点や発想というよりも、自分の発想や思い込み・志向です。
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神国日本が現在においては存在してないんですから、それは「すんだこと」だと思いますよ。


神を祀らないからと言って投獄される人は、もういませんからね。

あなたも、神社にお祓いしてもらったからと言って、投獄されませんしね。
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