餃子を食べるとき、何をつけますか?

蒸気機関車には、D51のような大きいものと、「義経号」「しづか号」のような小さなものがあります。
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これはどのように違うのでしょうか?

A 回答 (4件)

こんにちは。


機関車は、本来の用途や、使用される路線の状況に合わせて造られます。

「義経号」「しづか号」は明治時代(鉄道発祥時)の機関車ですから、牽引力(客車・貨車を引っ張る力)・最高速度は低いものでした。
その内鉄道への需要が高まると、より多くの旅客・貨物を早く目的地まで運べるように機関車の改良が進みます。
他の乗り物でもそうですが、一般的に大きければ大きいほど力があります。(一概には言い切れませんが)
蒸気を動力に変える仕組みの改良・動輪の大型化・炭水車(石炭・水を積んでいる貨車)の大型化により、機関車は大きくなっていきます。
しかし、支線や引込み線で働く機関車は大きな炭水車もスピードも必要ありませんから、小型のものも造られています。
大型の機関車は支線・引込み線に入れないケースもままあります。路盤が軟弱だと、重たい機関車・長大な貨車は入れません。(それは今も変わりません)
そこで、小単位の列車を引かせるために、小型の機関車が必要なのです。
本線上で走らせにくくなった小型の機関車は、そうやって支線・引込み線で働くようになります。「義経号」「しづか号」も始めは本線上を颯爽と走っていたでしょうが、そういう使われ方をされたと思われます。

D51は貨物専用として、C62は旅客専用として、国鉄蒸気の決定版として大量生産されました。
ちなみに、Dとは動輪が4つある印、Cは3つの印です。
ですから、D51の方が力があるということです。
貨物列車は旅客列車の2倍ぐらい重さがありますから、貨物機の方が力持ちなのが一般的です。

「義経号」「しづか号」の頃は旅客・貨物もへったくれもなく、アノ小さな体で多くの旅客や石炭を運んだのですから、ホント頭が下がります。
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この回答へのお礼

回答どうもありがとうございました。
小樽交通記念館ではアイアンホース号が動いてましたが、あれはレプリカではなく、昔のままのものなのでしょうか?

お礼日時:2002/10/15 20:25

111-1501です。

追記です。
「アイアンホース号」は調べた所、1909年製の機関車で、レプリカではなく本物だそうです。
100年近くも経っている蒸気機関車です。北海道の鉄道史・開拓史の生き証人ですね。石炭車を連ねた現役当時の姿が見てみたいものです。
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線路の幅は、基本的に同じです。


明治の、新橋-品川の開通から、現在まで1067ミリですね。
(当時は3と1/2フィートと表記していたと思いますが…)
機関車だけでなく客車や貨車が乗り入れするには、同じ軌間である必要があります。
一度開通してしまうと、別の軌間で接続する事やすでにある線路の幅を変えるというのは、非常に困難です。
もちろん、例外の実例はありますけど…
(線路3本による異なる軌間の車両の乗り入れ例:箱根登山鉄道など)
(軌間を変えた例:新京成電鉄や、JR東日本の新幹線乗り入れ区間など)
建設費や建設場所などの都合で、最初から貨車などの乗り入れをあきらめる(必要ない)として、別の軌間で建設した路線の場合は別で、その軌間(線路の幅)に合わせた機関車が使用されています。
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この回答へのお礼

回答どうもありがとうございました。線路の幅は同じなのですね。

お礼日時:2002/10/15 21:43

小さな機関車には、2つの理由があります。


1.製造当時の技術力では、大きな物は作れなかった。
2.大きな物は必要ない(大きいと困る)ので小さな物を作った。
義経号などは、1の理由です。作られたのがかなり前の時代です。
2の理由で作られたのが、C12などですね。
なかには、B20のように超小型で設計された物もあります。
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この回答へのお礼

回答どうもありがとうございました。やはり線路の幅も違うのでしょうか?

お礼日時:2002/10/14 15:43

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