映画のエンドロール観る派?観ない派?

よく犯罪者の家を撮影したり周囲の人の聞き込みをして回ったり家族を写したり記事にしたり、犯罪者の過去を調べて報道したり(必ず卒業文集が出てくるよね)しますよね。
犯罪者を一族から出してしまった責任まで問うというような連座的な考えから、その他の犯罪を犯していない親族も社会的な制裁を受けると言うことでしょうか、
犯罪者の場合ならまだしも、
社会的に貢献して、たまたま成功し有名になってしまった人も、上記同様の、個人のプライバシーの侵害をされまくる事に対して、いかがなものかと思います。
以前、ノーベル賞を受賞された一般企業の方がいましたが、彼の研究内容等とは無関係のプライベートなことまであからさまにされて、
自宅周辺などでの取材活動、普段の一挙一動までマスコミに見張られて写真を撮られて報道されていました。
本来、研究内容とは無関係の奥さんのいる家までカメラが入りテレビで報道されていましたっけ。(ご本人と御家族の同意の元でやっているんでしょうが)
成功しなければ、誰も気にとめない一般人が、めでたく成功したらそのプライバシーまで侵害されて、良いことだけでなく、悪いことをもっとより大きく取り上げスクープにしようと、あら探しされてしまう。
犯罪者と、社会的貢献をした人とで内容は全く違うけれど、マスコミのやっていることは犯罪者に対するのと同じ、なんら変わりない気がした。
これって、一般人に対してはあるまじき、行き過ぎたプライバシー侵害のような、
まるで成功者に対する『妬み・嫌がらせ』でやっているような。

こういうことはきちんと法的に国家的に、防げないのでしょうか?

また、犯罪者を出した家族とはいえ、ワイドショーでその家の映像を放映したり、近所の人に聞き込みに回るのも、犯罪者を犯していない家族数名のプライバシー保護という観点から、どうなんでしょうか。

A 回答 (1件)

このようなことに、法的・国家的な取り締まりをしようとすると、必ず「表現の自由」「報道の自由」の侵害ということでマスコミ側から猛反対の主張がなされます。

特定の行き過ぎに対して何らかの法を適用することはできるかもしれませんが、一般論として網をかけようとすると結局は「表現の自由」「報道の自由」に押されてうやむやになってしまいます。
確かに「表現の自由」「報道の自由」は大切なことですし、それを統制した苦い経験がある以上、自由は保障されなければなりません。ただ、自由の裏には責任というものがあり、報道する側も行き過ぎがないように報道内容に責任を持ってもらいたいと思います。
「ペンは剣よりも強し」という言葉がよく引き合いに出されますが、それだけ報道というのは強い力を持っており、場合によっては言葉の暴力になってしまう危険性があります。それを抑制するのは法でも国家でもなくマスコミ自身だと思います。自由を主張する以上は、同業他社の報道内容には寛容というような妙な遠慮は捨て、お互いに牽制しながら行き過ぎを防止するというような自浄システムを構築してもらいたいと思います。
もちろん、受け手である我々も、「見ない」「聞かない」「買わない」とか、いろいろな場で声を上げていくこととかをすべきでしょうけど。
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この回答へのお礼

個人情報・プライバシーの保護は主張できないものなのでしょうか?
早速のご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2008/07/29 23:51

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